みじめのこ

杓井写楽

1


それは二階建てのそんなに大きくない寮でした。ここら辺の私立学校に地方からやってくる子供が長期で住んでいて、大抵、裕福な家の子供達です。 六、七人くらいの子供が一人ずつ部屋を与えられていました。先生はそこの寮父です。基本的にその寮を彼一人で運営していました。キッチンとか、談話室とか、風呂場とか、あと先生が寮を運営するにあたる事務的なことをしている部屋も一階にありました。二階が子供の部屋です。ウスルはこの寮で一番新入りで、年齢的にもひよっこで、13歳でした。そんなにいろいろうまくやれる気質ではありません。きて日も浅いから、とかではなく、人と仲良く馴染むのはいままでだってこれからだってウスルにとっては難題です。理由はわからないけれどいままでの人生では、周りからあまりよくは思われてはきませんでした。ちょっとした気後れを感じることが多く、寮でも、話せる友達も二人しかいません。これから入寮するという日に先生に建物を案内された時の、先生の穏やかさ、優しさは、心細くて不安だったその時の心にすごく暖かいものでした。先生はウスルの気質みたいなものによって他の子と差別したりすることもなく接してくれます。最初だけじゃなく今だって穏やかで優しくて、好感を持っていました。なんとなく、不思議な感じのする人で、何を目指して何を勉強したり、経験すれば、先生のような人になれるのか全く見当がつきません。とても賢そうに見えます。静かな雰囲気を持っていて、いつも少しだけ微笑んでいるような優しげな表情はしているけれど、そんなに屈託無く笑う人ではありません。だから先生に話しかけたり何かを報告したりして、いつもより笑ってくれた気がした時には、なんだかとても嬉しくなって、その日が特別な日になりました。なので別に何もなくったって、沢山話しかけたかったのですが、みんな同じように思うのか、ちょうどお話がしたいなと思う時に限って、誰かが先生と話をしているのです。そういう時は先生と他のみんなとの絆が深く見えて、新しく入った自分なんかが、という気になってしまって、ウスルは先生と話す機会をなんとなくいつも逃してしまっていました。けれどある時、何日間かの間にめずらしく、食事した後にちょうど出くわしたとか、先生が用事していることが少なかったとか、誰かが帰省していたとかで先生と少しずつ、話す機会に恵まれて、今までより仲良しになってきたなと思えた時がありました。そういうことがあった辺り、もっと話したくて、お迎えに行きたいと思ってそれを実行しようとしたことがあります。お迎えに行って一緒に帰れたら、とても素敵に思えました。その日は先生が出かけているのを知っていたので、勇気を出して電話をしてみました。長く呼び出し音が続いて、もう出なそうだなと諦め掛けていた矢先、先生の落ち着いた、もしもし、という声がしました。その後少し置いて、どうしました、とつづけました。あたりまえなのですが、それが本当にいつもの大人の男性らしい先生の声で、緊張してしまい、吃ってしまって、吃ったことで余計に緊張してしまいました。それでも先生はやっぱり穏やかに、ゆったり待っていてくれて、それにまた暖かく安心して、なんとか、お迎えに行ってもいいですか、というそれを伝えることができました。どうやら先生は今寮生の一人と一緒にいるようで、それをウスルに伝えた上で、それでもよければお願いしますと言いました。けれどその寮生の名前が出た時点で、やっぱり自分なんてという気持ちがふくれ上がって、やっぱりいいですという旨を伝えました。切った後に、気をつけて帰ってくださいくらい言えたらよかったな、とも思って、また少し寂しくてやるせないような気持ちになりました。それからそう日もたたないある日、諦められるような感覚じゃなかったので、二人だけいる友達の内の一人、一個上の女の子に、先生ともっと仲良くなりたいとか、お礼がしたいようなニュアンスのことを相談しました。じゃあ、先生にプレゼントをしたら、きっと喜ぶと思うよと提案されて、次の日にそのままの気持ちで、おこづかいをなるべく多めに持っていって、プレゼントを買いに行きました。日頃のお礼としてわざとらしくない程度に、けれど特別だって気持ちがこもるようなものをあげたくて、黒と灰色の、斜めにツートンカラーになった、畳むとデザインチックな印象になるハンカチを買いました。自分にとったら高価な買い物でしたが、先生が喜ぶといいなと思って。そのプレゼントの箱を持って、いつ渡せば適切かを考えながら、寮に帰りました。帰ると談話室にもう一人の友達がいて、その子が自分に気づいて、話しかけてくれました。彼は革ジャンと洋楽が好きな、よく笑う男の子で、一つ上の年齢でした。特別話があうというわけではありませんでしたし、金銭感覚が徹底的に合わなくて、話していて驚くことも多いのですが、この子はウスルの、どこか他人に煙たがられる雰囲気を全く感知しないところがあって、気兼ねなく話せるのでした。先生にプレゼントを買ってきた、喜んでくれるかな、ということを彼に話したら、彼はいつも通りのあっけらかんとした明るい話し方で、プレゼントなら高いものだろう、高いものなら嫌がるわけないよ、みたいなことを言いました。高価なものを買ったつもりだったのですが心配になって、その子にどのくらいだったら嬉しいかな、と聞いてみると、自分が買ったプレゼントとは桁が二つくらい違う数字を言われて、急に、すごく、そのプレゼントを渡すことに、気が引けてしまいました。そのまま部屋に戻ってどうすべきか悩んで、お手洗いでもお風呂の中でもずっと悩みました。それでもやっぱりどうしても渡したくて、渡すことに決めました。サプライズで渡すのは恥ずかしいというか、きまりが悪い気がしたので、あらかじめ電話で呼び出すことにしました。焦る気持ちで、先生に渡したいものがある旨を電話で伝えると、先生は今談話室に一人でいるようで、渡しに行っても構わないようでした。そのままプレゼントの箱を持って、部屋から駆け下りて、先生のところに向かいました。先生は談話室の椅子に、特別何かをするでもなく座っていました。自分の気配を察したのか、扉の空いているところからこちらを見ていて、扉を開ける動作が必要じゃなくったって、談話室に入るのに、今までで一番、緊張しました。座っている先生に近付いて、なんて言って渡したらいいかわからなくて、プレゼントしたくて、とかしか言えませんでしたが、それを先生に差し出そうとしました。ただ、その時の先生の表情とか、受け答えが、なんて言えばいいのかわかりませんが、金型で押し出したみたいな対応でしかなくて、だから何だとか、嬉しそうにしてほしかったとか、そうじゃないけれどなんだか、何故か、馬鹿馬鹿しいような気がした?なんとも言えない気持ちになって、そのままそれをあげられなくなりました。口から、やっぱり、いいです、ごめんなさい、と言葉が出て、そのままプレゼントを引っ込めました。そのまま泣くでもなんでもなく俯いていると、談話室のちょうど、棚で死角になっているところにいたらしい女の子が、そりゃそうでしょ、みたいなことを、呆れたみたいに、独り言みたいに、ウスルに言いました。この人は寮生で一番年長の女の子で、ウスルより3つほど年上でした。ウスルが初めて寮に来た日、寮まで案内してくれたのがこの人で、先生のことが大好きなんだろうなというのが傍目にもわかるくらい献身的に、寮生の面倒を見たりといった、先生のお手伝いをしていたりする人です。お迎えに行きたいと電話した時も、きっとまたこの人がいるのだとわかって、やめにしたのでした。その言葉に異様に傷付いて、自分の愚かさを自覚させられたような気がしました。そこにはいられなくなって、自室に逃げるように走って、閉じこもって、鍵をかけました。別に追っかけてほしくなんて全然なかったのに、先生は追っかけてきて、何が悲しいのかわからないけれど、ますます悲しくなりました。ノックの音がして、どうしたんですか?ありがとうって、言ってるじゃないですか、といつもの穏やかで優しい声がして、でもそれだって、決まりきった反応みたいだと感じさせる声で、先生を制止するみたいに、あの女の子が、ひとりにしてあげたほうがいい、そういったことを言っているのも、聞こえました。プレゼントが、安物だったからかもしれません。自分からのプレゼントなんて、嬉しくないのかもしれません。先生の態度とか女の子に言われたこととかに、怒ったわけじゃありません。期待した自分が愚かに思えて、自分が心底嫌になったのです。惨めでした。渡そうとしてたときは、自分が先生になにか、期待してるなんて思わなかったのに、実際に自分は、落胆しています。自分は何を思い上がっていたんだろう、何度も思いました。先生は寮のみんなに好かれているし、寮のみんなは自分とは比べ物にならないくらいお金持ちだったりします。あの、年長の女の子もとてもお金持ちで、あんなに献身的で、あんな子が近くにいるのを思うと、自分の介入する余地なんかあるはずなかったのです。自分の気持ち程度なんの価値もなくて、先生にとって、なんにもならないのです。だからあんな対応を、されたのです。あまりに自分がどうしようもない存在に思えてしかたなくなって、先生が部屋の前から行ってしまった後、友達の、プレゼントしてみたらと言ってくれた女の子の部屋にかけていって、入れてもらって、そこでわんわん泣いてしまいました。その子はいつも相談に乗ってくれるようにその時も優しくて、先生はみんなの前だから、平等にいようって思ったら、素直になれなかったんじゃない?とか、そうかもしれないって言えるようなことで慰めてくれました。先生はごく普通の一般的な、限りなく正常な反応をしたのだと思います。それでも傷付いて、小さな怒りを先生に感じましたが、その自分勝手な怒りこそ許せなくて、その結果で悲しくなるのも勝手なことだから、その悲しみも許せなくて、悲しみに怒りが湧いて、湧いた怒りに悲しくなりました。勝手な思い上がりで勝手に傷ついてなんておろかなんだろう、先生への怒りよりもその気持ちの方が強くて、自分がますます嫌いになりました。大方泣いて、慰められて、もうありがとうと言って、女の子の部屋から出るしか選択肢がなくなった頃、いつもより少し、寝るには遅いような時間になっていました。自分の部屋に帰っても、ベッドに入っても、考えるのをやめることはできませんでした。好きだから、喜んでくれたら嬉しいなって気持ちでプレゼントしようとしただけで、もっと深い関係になろうとか、抜け駆けしようとか、そういう気持ちでプレゼントしたわけではありません。特別扱いされたいって思ったわけじゃないけれど、心をふれあわせたかったのです。なのに、先生と自分の間には、ああ、これは越えられない、そんな壁がありました。最初から、この壁の向こうへ行く権利すらなかったのに、何を思い上がっていたのでしょう。今まで優しかったのだって優しかったんじゃなくて、きっと優しさのテンプレだったのです。次の日、先生を避けました。その次の日も先生を避けました。先生がそんな自分を見ている気がして、逃げ回りました。先生が何かした訳ではないけれど、一度目を合わせられなくなったら、もう二度と、お話もできないような気持ちになりました。


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