ようこそコンディトライ=インゼルンへ

「SEKを潰します」


開口一番に発せられた言葉は簡潔かつ明白だった。ナタリエはラウラに呼び出され、久方ぶりにFoLVの執務室に来ていた。向かい合ったソファの片側にアルベルトが座り、もう片側へ来るように促す。テーブルにはまたしてもインゼルン製の菓子類が置かれていた。ラウラはデスクに腰掛け、泰然とした表情で続ける。

「すでに報じられているように、NSPとSEKの関係は最悪といっていいほど緊迫しています。衝突が回避できない以上、NSPを支持するというのが一致した意見です」

「ツオガルテンの一件もあるからな。あくまでも内務省が主導する作戦だが、俺達も一枚噛むことにしたのさ」

ラウラは頷くと、手元の紙束をナタリエに寄越した。

「今年はロイテ・レーテ崩壊から10年、SEKも隊員を集めて記念式典を開くのだけど、そこを狙う算段と聞いています。場所はライヒェンバウ」

彼女が指示した場所はロイテ南部ビオラ州、大都市ミューニヒに程近い森林地帯の中にある。

「湖沿いの邸宅を貸し切ってのパーティーを内務省直轄の保安部隊が襲撃する手筈になっています。それと……」

ベルを鳴らすと、細目のインゼルンの店員が部屋へ入ってきた。ささっとティーポットに手をかけ、空のカップに注ごうとしたが、様子が異なることを訝しんで口を挟んだ。

「他の御用ですか、奥様?」

「ええ。聞いていたでしょう?この件はあなたが担当しなさい」

「……私が、ですか?」

「そろそろ任せてもいい頃合いですからね。気張っていきなさい」

「は、そのご用命、謹んでお受けいたします」

傍から見ればおかしなやり取りだった。……そういえばそもそもどうしてインゼルンの人がFoLVの会合の場に混ざっているんだろう?いくらラウラさんのお気に入りだからって……と、ようやくナタリエも疑問を抱くようになった。

「えっと、すみませんボス。その人は……?」

恐る恐る手を挙げて尋ねたとき、ラウラははじめ質問の趣意を図りかねていた様子だったが、隣に居合わせた彼女をみて合点がいったようだ。

「あなたまだ云ってなかったの?」

「はい、奥様。もしよろしければこの場で解きましょうか?」

「まったく…許可します」

……それでは。と、彼女はかぶりを振ってシニヨンに固めた髪をほどいた。それによって纏っていた香りが鼻腔をくすぐる。酸味を基調にしつつ、ほんのり独特の甘味がのったそれは、まごうことなくFoLVの識別香だった。癖のついた髪の毛を櫛で梳かし、元のシルエットをあらわにすると、糸のように細かった目を見開いて彼女を見た。

「改めまして自己紹介を。私、インゼルン製菓ベーアヴァルト支店兼FoLVのモニカ・ケッヒェルといいます。以後よろしく、……ってね」

「うっそぉ……」

確かにどこか既視感があった。髪の色、声の調子、身長、いくつかの共通点があったものの、すなわち同一人物であるとは思い至らなかった。……なんたって、性格に差がありすぎるのだもの。

「そういうことよ。どうして彼女がここにいるのか、わかったでしょう?」

「いやー最初から見てたけど、ここまで気づかれなかったとは……アタシとしても仕事冥利に尽きるわ」

誇らしげに頷く様子は、すっかりいつものモニカになっていた。

「話を戻しましょう。今回は内務省保安隊との共同作戦となります。基本的には向こうの指示に従うけれど、詳細は協議して構わないわ。準備も兼ねて10日後に出発してもらいます。必要な書類はアルベルトに預けておきますからね」

ラウラは便箋の束を一つの鞄にまとめ、それをモニカに手渡した。彼女はそれをアルベルトの下に持っていった。だが、彼女はその中に混じっていた3枚のチケット、ベーアヴァルト中央駅発、ミューニヒ中央駅行の長距離列車の1等客室のチケットを見てふと立ち止まった。

「ねえ、おばさん。そういえばアタシ、ライヒェンバウってのがどのへんか聞いてないんだけど……ミューニヒなの?」

「そうよ。正確にはその近郊だけど」

「それって……」

「ええ、そもそもあなたの実家から連絡があったのが発端ですからね。当然、あなたのお父様も了承済みですよ。寝床を用意して待ってると言ってたわ」

「そう……いや、わかった」

モニカはナタリエの方を一瞥して、少しばかり憐れみのこもった視線を送ったように見えた。その意味を推し量るのは出来なかったが、妙な不安を心のうちに掻き立てさせたのだった。

「そうと分かれば今日はここまで。皆、退出を」

廊下に出ると、アルベルトはさっさとどこかへ行ってしまった。モニカは手にした櫛で以って、解かした髪を元に戻し始めた。丁寧に、かつ手際よく、複雑なシニヨンが復元されていく。……さて、どう切り出したらいいものか。

「なんだかすごいことになりましたね……」

「そうね」

「というかモニカさん、本当に別人としか思えなかったんですけど、一体どうなってるんですか?!」

「どうって、別に……仕事の時くらいは普通じゃないの?」

「仕事って、お菓子屋さん(Süßwarenverkäuferin)?」

「うん、その表現はちょっと違うかな。菓子職人見習(Konditorlehrling)って呼んでよ、それなりにプライドはあるんだから」

「プライド……」

「そう、うちの親父はインゼルンのオーナーで一流の職人。家業ってのもあるけど、アタシが10歳で店の手伝いを始めてからだから、もう10年は経つか。だから伊達にケーキ作りやってるわけじゃないのよ」

そうこうする間にモニカの髪型は復元を完成させた。休憩は終わりだと言わんばかりにシニヨンカバーをあてがうと、また目の細い菓子職人見習の姿となった。

「ではナタリエさん、次はミューニヒでお会いしましょう……念のため、覚悟の準備をしておいてくださいね」

意味深な言葉を残して、仕事モードに復帰したモニカも執務室の方へ戻っていった。


それから日時が過ぎて出発当日となった。暁が差し込むベーアヴァルト中央駅は、まだ街灯が消えていなかった。ナタリエがアルベルトと連れ立って到着した時、切り石積みのファサードの前にはすでにいつもの姿のモニカが立っていた。

「よっ、おっさん」

「眠れたか?」

「おかげさまでバッチリ。ナタリエは?」

「私は車内で寝ようかなと……」

「そ、んじゃ行こうか」

キオスクで軽食を買い込んだ後、3人分のチケットを指に挟んで駅舎の中へ入った。そのプラットフォームには蒸気を噴き上げた状態の機関車が停まっている。ロイテ国有鉄道の縦貫本線はベーアヴァルト始発でミューニヒまで結ぶ、帝政時代から最重要視されてきた一大路線である。そのため他の同距離の路線と比べても本数は圧倒的に多く、目的地までは10時間程度となる。

乗り込んだ6号車は個室付きの一等車で、共用部にあたる通路は大きな窓があり、人が交差できる程度の幅を持っている。各々に与えられたコンパートメントには左右に座席があり、膝を曲げれば横たわれる程度だった。発車の汽笛が鳴り、汽車が動き始めると、片方に手荷物を置き、もう一方の座席を独り占めにした。ガタゴトガタゴト、一定のリズムで揺れる客車の中から外を眺めると、だんだんと外の景色が明るくなっていった。市内中心のビル群が目の前を過ぎ、住宅街を過ぎ、やがて森と畑の広がる一帯の中に入ると、カーテンを閉め切って、3人掛けのシートに横たわって眠りについた。

扉をノックする音で再び目を覚ますと、すでに昼過ぎだった。軽く伸びをしてドア開けると、モニカとアルベルトが待ち構えていた。

「起きてたな。少し話しておきたいことがある。こっちへ来てくれ」

自分のところから鞄を運び込み、アルベルトの客室に集った。彼はラウラから預かった伝言を小声で二人に語り聞かせた。曰く、ラウヒェンバウ・ハレという名の邸宅でSEKが式典兼パーティーを開くのは2週間後、それまでにモニカは彼とともに保安隊との折衝にあたること、ナタリエはインゼルン本店に泊まり込みで準備を進めること、そして肝心なことに、FoLVに求められる役割は、その館に潜入し、襲撃へのとっかかりを創ることだった。

「パーティー用の軽食をインゼルンに発注したのはSEKからだったらしい。NS側の業者を警戒してとのことだろうが、奴ら俺たちのことはすっかり抜け落ちてたようだな」

「なるほど、それでアタシに御指名が入ったわけね。絶対にばれない工作員、なんたってインゼルンの人間という身分は本物だもの。それでナタリエどうすんの?マスコット?」

「はは……」

……なんだかちょっと投げやりじゃない?隣に座って髪の毛を乱雑に撫でまわす彼女に抗議の意を示したいところだったが、敵う相手ではないから、仕方なく視線を逸らす。

「やめとけ、そいつは立派なリカバリー要員だ。あまり舐めてかかったら後悔するぞ。お前、ユッタにボコボコにされて泣きついてきた時の事を忘れたのか?」

「ちょっ!そんな昔のことコイツの前で言うなよおっさん!」

意外にも、人の好奇心をそそらせるような恥ずかしい記憶を蒸し返してまでアルベルトはモニカを諫めた。しかし私は、そんなに役に立つんだろうか?疑念は解消できないまま、今朝買ったサンドイッチを広げてつまんでいく。塩味のきいたハムエッグとレタスのバランスがちょうどいい一品だった。車窓からは小麦畑を前景に昼の日差しが大地を照らし出しているのが見えた。

ミューニヒ中央駅に到着し、3人はそれぞれ自分の荷物を持ってプラットフォームへ降り立った。なお、アタッシュケースは全員が持参していた。今作戦において、敵方の生死は不問とされていたからだ。ここでアルベルトは先にFoLVミューニヒ支部へ向かう。支部とはいえ、かつては本部を置いていた建物で、ベーアヴァルトのそれより立派なものだという。

一方、いつの間にか見習の格好に着替えていたモニカとナタリエは、タクシーを拾って「インゼルン」本店に向かった。国の南部に位置しているからか、太陽の輝きが増し、木々の緑も瑞々しさを醸し出して、道中の雰囲気はベーアヴァルトと違って陽気で活気に満ちているようにみえた。中央駅から東に向けて市街中心部を通り過ぎ、川沿いを進んだところでタクシーを停め、その建物の前に降り立つ。1世紀前の様式で建てられたビルに中世を思わせる木製の看板が吊り下げられており、中をよく見せるために大きめのガラスが等間隔にはめられ、目線より上に店名とロゴマークがひっそりと描かれていた。……モチーフは点々と配置された島の間を疾走する帆船だろうか?錨の意匠もあり、どこかFoLVと似たテイストを感じさせる。扉を開けると、外観と同じく年季の入った店内、店員はいの一番に声を上げる。

「製菓インゼルンへようこそ。どうぞ、心ゆくまでお楽しみくださいませ!」

「……皆さん。ただいま帰りました、モニカです。お父様はお戻りですか?」

「あら!お嬢さんじゃありませんか。ようこそ、長旅お疲れ様です。オーナーでしたら奥にいらっしゃいますよ」

「ありがとう。さあナタリエ、ご挨拶にうかがいましょう。上がって」

「ど、どうも……」

笑みを絶やさぬ店員に対して会釈したのち、ナタリエはモニカの分の荷物も担いで彼女についていった。カフェスペースの先に仕切りのために設けられたカーテンがあり、それをめくった先の通路の奥に事務室があった。曇りガラスを隔てて白熱電球の人工的な光が漏れていたが、モニカはノックもせずその扉を開いた。その軋む音が中にいた人間の注意を促し、皆一様にこちらに視線を向けた。

「ご無沙汰しました。モニカ、ただいま戻りました」

深々と頭を下げると、一人の男性がデスクに手を付けて立ち上がった。彼はいそいそと歩み寄り、モニカの肩に手を添えると、軽く抱擁を交わした。

「モニカ!おお……よく帰ってきた!変わりないか?」

「うん、平気。それよりお父さん、ここ人前よ……」

指摘を受けてすまないとばかりに手を離すと、父親はわざとらしく咳き込んで、威厳に満ちた表情でまっすぐと娘の顔を見おろした。

「ベーアヴァルトでの勤務、苦労をかけたな。今後の予定を含めて積もる話はあるが、まずは荷物を置いてきなさい。晩御飯は皆で一緒に食べよう……それからそこの君!」

「はい!」

「うむ……ラウラさんから話は聞いている。まずはこれを」

オーナーはいくつかの紙をナタリエに手交した。章題を含めて彼女が初めて目にする単語ばかりで、下段には名前を書く行が空欄になっている。

「我が店は朝7時オープン、夜21時クローズだ。シフト制で、早番は5時から13時、遅番は14時から22時までの勤務となる。休憩は1時間、指定のタイミングでとってもらう形だ」

「……はあ」

「だが君は16歳未満だから、実際にはその半分でいい。定休は日曜日と水曜日。それから住まいについてはモニカの部屋を使うといい、もうベッドは運び込んでいる」

「あのー……」

「実際の業務内容は追って伝えよう。読んだらここに名前を書いて、印鑑を押せばいい。なければ爪印で構わない」

「話がみえないんですが……」

「あとは制服だな。出来合いのものだが用意させよう……だれか、この後採寸やってくれ!」

「……」

話に聞く耳を持ってもらえず、口を閉ざしてしまった。だが、ここでモニカがすかさず助け舟を出す。

「お父さん。そんな話、アタシたちは聞いてないけど。どういうこと?」

「なんだって、彼女はお前について回るんだろう?うちの職人見習のお前に。それがずぶの素人だっていうのはうちの沽券にかかわる。2週間しかないのは厳しいが、それまでにイロハというものをみっちり叩き込んでおかんといかん!と、いうわけだ」

「なるほど、ラウラさんが言ってた準備ってこのことだったの。そのような事情ならお父さんに任せるわ」

彼女があっさり引き下がってしまったことで、ナタリエはこの書面に署名とインクの付いた親指を押し付けなければならなかった。

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