ご協力に感謝します。

巫山戯ふざけるな!」


 智顕の怒号が響いたものの、部屋にいた中で身をすくめたのは桃子だけだった。

 後の3人はそんな彼を、いつものごとく面白そうに、或いはどこか物珍しげに見返している。3人とは静里と桃子達を拉致して来た男と、――そして、あのアンケートの女――アヤコと名乗った彼女は、今はスタッフジャンパーではなく、白衣を羽織っている。それは銃の男も同様だった。

 ここは何かの研究施設なのか。

 此処に来るまでは車に乗せられて、外も見えない状態にされていた。 降りたときには建物の中で、駐車スペースから今居る部屋に至るまでも通路を何度も曲がったり、エレベーターを上がったり下がったり、セキュリティの厳しそうな扉を通ったり。

 桃子には、兎に角テレビや映画で観るような実験施設の中に居るようだとしか分からない。

 目眩がするほど白一色の部屋の中で、桃子達はアヤコから“実験”とやらの話を聞かされたのだが、それで、智顕が激怒したのだ。

「黛はお前達の玩具じゃないんだぞ!!そんなことに勝手に巻き込むな!どうしてもやるなら俺が代わる!」

 智顕という男は、そういう男だ。怒りっぽい智顕だが、彼が怒るのはいつも他人の為なのだ。

 智顕の申し出に、しかしアヤコはアッサリと首を振って却下する。

「それはダメです。黛さんじゃないと意味がありません」

「なんで黛じゃないと駄目なんだ」

「黛さんが、わたしの理想のデータにピッタリなんですよ。他には居ないんです。あんな人は」

「まるで運命の相手みたいだね~?」

「そうそう!そんな感じです!」

「社は黙っていろ。この状況が分からないのか!」

「分かってないのはチアキちゃんの方じゃん?」

「なに?」

 こんな状況下でもだらしなく脚を投げ出すように椅子に腰掛ける静里は、大物というか、命知らずというか。桃子の見守る中で、対称的な二人がじっと視線を交わす。ジロリと睨む智顕を、静里は相変わらずの、いつものへらりとした微笑で受け流して答えた。

「この人達にはね、オレらがどうこう言っても関係ないんだよ。そういう余地はそもそも無いの。言うだけムダ。あのアンケートが切っ掛けじゃない、もっと前から決まってたコトなんだろ」

「その通り♪社さんは物分かりがよくて結構ですねぇ」

「でしょ~?オレ達って気が合うのかもしれないね~?仲良くしよっか~二人っきりで♪」

「そんなヤツをナンパしようとするな馬鹿者!」

 調子に乗って身を乗り出す静里の襟首を、智顕が掴んで引き戻す。

「そうですね。危ないです」

 それまで黙って桃子達の後ろに立っていた、あの鋭い目の男が声を発した。振り向けば、銃口がハッキリと静里に向けられていて、桃子は思わず隣に座る智顕にしがみつく。

 が、其れを向けられている当の本人はどこか他人事の様に涼しい顔でヘラヘラと笑って手を振っていて。

 本当に状況が分かっているのだろうか。桃子は心配で、怖くて、智顕の裾を握る手にますます力がこもる。

 一方智顕はというと銃を向けられた友人と怯える友人の間で、片方を押さえつけながらもう片方にしがみつかれ、と苦戦していた。

 そこへ、アヤコののんびりとした声が届く。

「ええとですね、その人はわたしの護衛みたいな事もしてくれてまして、とっても助かってます。研究助手のBさんです」

「博士は興味のないモノの名前は覚えられないんです」

 紹介された研究助手Bが、淡々と補足する。あっさりと自分の事を『興味のないもの』と称する事にも驚いた。

 彼らの会話はどこかずれていて、現実味というか、人間性に欠けている。聞けば聞くほど静里の言う通り話し合いの余地など無さそうだった。

「Bさん、危ないですよぉ。社さんが避けたらそれ、わたしに当たっちゃいます!」

「社さんが避けられるなら貴女も避ければいいでしょう」

「成る程!出来るかもしれませんね!よぉし、やってみましょう!」

 何やら目をキラキラとさせて智顕達の理解の出来ない実験が始まりかけたその時、

「ハカセー!遊んでないで早くこっち来てくださいよー」

 部屋の扉が開き、隣の部屋から別の研究員がアヤコを呼んだ。

「はぁ~い!じゃあ皆さん、こっちこっち!」

 隣の部屋に通されると、そこはモニタールームの様になっていた。

 沢山のモニターの中央に他の物より一回り大きなモニターがあり、その映像だけが大きく動いて乱れている。

「真ん中のが黛さんの時計からの映像です。あっちが今の黛さんの位置。あの、青く光ってる点が黛さんです。あ~、今止まっちゃってますねぇ。スタミナ切れですかね。ちょっと話して来ますから、皆さんも聞いててくださいね」

 智顕達に言い残して、アヤコがモニターの前に駆けていく。いかにも楽しそうな、まるで子供のように。

 ルールとやらを見えてもいない相手に身振り手振りを交えつつ話すアヤコを、無言で見守る三人に、唐突に彼女が振り向き、手招きをしてくる。

「どなたか黛さんに声を聞かせてください。早く早く!」

 桃子が動けずにいると静里が桃子の肩にポンと手を置いて、

「トーコ行っといで。囚われのお姫様役だ」

「わ、私っ?」

「それから、オレらの事は今は黙っといて」

「なんで?」

「ほら、時間ないよ」

 静里に言われ、桃子が渋々進み出る。

 アヤコに急かされつつ、マイクへ向かって声を出した。

「黛くん…」

 喬士の息を飲む様子が伝わって来て、いたたまれない。自分達さえ捕まらなければ彼はこんな狂った人達などに協力なんかしなくても良かったのに。


「ごめんなさい…。私、」

『前村さん!?なんで――』

 その時、大声が響いた。


『あーーーーーーーー!!ずっこいでおっちゃん!』


「何だ?」

 智顕が驚いて声を上げる。

 喬士の時計からの映像が大きく乱れた。

 そうして、唐突に始まった。


 始まってしまった。

「わぁ~気合い入ってますねえ、狩人さん達」

 余った白衣の裾をパタパタと振りながら、アヤコがさも楽しそうに笑う。

 そのアヤコへ。恐る恐る尋ねる桃子。

「すぐに捕まっちゃったらどうなるんですか?」

「さあ~。どうしましょうねぇ?捕まらないように頑張ってもらう事しか考えてませんでしたから」

 アヤコはポケットから紙切れを取り出すと、桃子へはい、と差し出してくる。

「まあ終了までお付き合いいただければわたしは嬉しいです。皆さんは此方から黛さんのサポーターをしてもらって結構ですから」

 渡された紙を広げると、そこには手書きでメモが書かれていた。

(①青いリボン、②黒いジャージ………⑩銀の片耳ピアス…?)

「これがさっき言ってた狩人の目印か、ふ~ん」

「ひぁっ!?」

 いつの間にか背後から肩越しに静里が覗き込んでいた。耳元の呟きに思わず小さく悲鳴を上げる。

 ワザとだ。間違いない。

 そんな桃子の様子を楽しむようににこにことしてから、静里がアヤコを振り返った。

「ねえ、こうしよう。タカシが捕まらずにこの場所にたどり着いたら実験は終了!オレ達は晴れて自由の身~!ってやつ」

「いいですよぅ。我々vs皆さんですね!面白そう!ステキサイコーですぅ」

 アヤコは歓喜して三人を見回した。

「まさか皆さん、逃げたりなんか、しませんよねぇえ?」

 途端に桃子の中で、なにかがざわつく。

 覚えのない感情に戸惑って、救いを求めた視線の先で、智顕がアヤコを睨んでいた。

 あの、智顕が。

 怖くなって、また、助けを求める視線の先で。静里は背を向けていた。

 アヤコと桃子の中間の位置で、こちらに背を向けている。

 それが不安だった。この状況であの友人は、今どんな顔をしているだろう。

 なんとか振り向かせたくて、慌てて声を掛ける。

「でも社くん、こんな分かりにくい目印なんかじゃ…」

 振り向いた彼は、いつもの彼だった。

「ダイジョブダイジョブ。ちょっとタカシに追って来てるヤツの特徴聞いてみて」

 安心して促されるままマイクへ向かう。

「黛くん、後ろの人の特徴とか分かる?こっちで目印見てみるからっ」

『って言っても…ただのサラリーマンみたいな人だよっ、スーツ着てるっ!』

 全速力で逃げながら何とか答える喬士。焦ってメモが上手く見られない。

 慌てる桃子の背後から、静里がそっと耳打ちする。

「8番言ってみて。多分合ってる」

「う、うん――――」

 戸惑う桃子。当惑したままの智顕。

 静里は、ただ、無表情にモニターを見つめる。

 


 逃げ切れることは分かっていた。

 彼は確信していた。


 黛喬士のことを一番理解してるのは


 このオレなんだから。


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