第5話
「正確には、こしらえる事になる、だけどねぇ」
天子は、咥えていたタバコを消すと、開いたGジャンの前立てを掴み、胸ポケットから新しい煙草の箱を取り出した。
取り出す際に前立てを横に広げたのも、それでもなお少し取り出し辛そうだったのも、大きな胸のせいだろう。
「あ、あの……おっしゃってる意味が」
美奈子は、自身に全く心当たりがなかった。
身に覚えのある借金など、強いていえば奨学金くらいのものである。
何年留年すればその2500万という数字にまで達するのか。
ちなみに美奈子は大学を現役入学、現役で今年の4月に卒業した。
「まぁ分からんだろうね、突然こんな事話されても、だから順を追って説明するからよく聞ききな、まずアンタの彼氏、アレが闇金で山ほど借金をこしらえてた」
天子は事も無げに話しながら、空のタバコの箱をゴミ箱へ投げ入れる。
美奈子は愕然とした、そんな話聞かされてもいなかったし、毎度金を無心され渡していた分では足りなかったと言う事か。
「んでだ、奴って良く出張とか言ってアンタから金をせびってなかったかい?アンタからせびった金で地方に飛んでそこの闇金から金借りて豪遊、そしてそのままトンズラ、これをいろんなとこで繰り返してたらしい、ここまで分かる?」
言っている事が、全く分からない。彼が自分に金を求めていたのは、彼がやっている事業の地方展開の営業に行くのにお金が無いとか、そんな理由だった。
この営業が成功すれば今まで借りてた分は全部返せる、と言われてはお金を渡し、帰ってくるなり、「今回は惜しいところでダメだった」「だけど手応えはあったから、また協力してくれ」と笑顔で言って来たのだ。
彼を信じていた、と言えば正直嘘になる。しかし、彼を信じるしか無かったし、その時は彼が夢を追っているのだからそれを支える事の喜びをお金という形でなんとか見つけようと努力した。
彼に裏切られている事を暗に認めたく無かったのだ、しかし真実は最悪な形で目の前に降りて来た。
「……アンタ、それマジ?」
天子は呆れた視線を投げて来ている。
「いや、ブツブツ独り言を言っってたの聞かせてもらってたけどさ、初対面の人間にこんな事言いたか無いけども、アンタも大分筋金入りだね」
美奈子は、もはや独り言を聞かれて恥ずかしいと思う気力も無かった。筋金入りに続く言葉を皆まで言えばいい、とすら思えた。
「……話続けるよ、普通は闇金業者と言えど旅行客みたいなもんに金はなかなか金を貸さない、東京に住んでる人間なんかに大阪の人間が金なんざ貸したら取り立てだけで足が出ちまう、しかし、奴の凄いところは保証人になりそうな奴を闇金のある地方ごとに囲ってた事だ、つまりアンタみたいなのがそれだけいたんだよ」
しかし、美奈子の元には取り立ての電話や荒っぽい訪問など無かった、つまり自分は彼にとって他の女性とは違う特別な感情……。
「アンタの場合、言えば金が出てくる良い女って思われてたのかもね、闇金の質に入れるのは勿体なかったんじゃないかい?そういう意味じゃアンタは不幸中の幸いというか、他の女たちはずっと取り立てに泣かされてるらしい」
彼の口から説明される以上に天子の言葉には説得力があった。
美奈子は顔を伏した。
「だけど、あの光源氏はやらかしたんだよ、奴が借りてた闇金業者の一つに魔法少女が元締めやってるとこがあってね、そこに手を出してしまった。」
魔法少女、今やヤクザに変わる組織的犯罪者の代名詞である。その能力は、今朝からの一件で美奈子も承知している。
「その元締めさん、奴の話を聞いて頭に血が上ってしまってね、採算度外視で全国の闇金業者から奴の債権を買い叩いて自分とこで一本化、髪の毛一本残さず自分とこへの担保にしてやるって息巻いて、ウチはその債権回収の手伝いってわけ。手伝いの報酬は債権の半分渡すって随分気前のいい話だったけど奴の居場所突き止めれたってどこまで回収出来るか怪しいもんだ、だから債権の代わりにアンタを担保にもらう事にしたんだ、アンタの存在は奴を調べ上げてた時に知ったんだよ」
天子は事も無げに事情を説明する。
その態度は、傲慢でもなくかと言って下手に出るでもなく、あくまでも事務的にそして当たり前の様だった。
美奈子は、天子の話を黙って聞いていたが、最初の恐怖は失望に、その失望は怒りにまで達していた。
先ほどから、目の前の人は何をベラベラと喋っているのだろう。そんな話、自分には関係ない事だ。そちらと彼との話ではないか、それを他人まで巻き込んで、この人もあの人も何様のつもりだろう、自分はそこまで侮られような人間なのだろうか。
そう思うと、空港の時のような、いやそれ以上に腹立たしい気持ちになった。
「あの……私を担保にって、私、彼の保証人になった覚えは無いんですが」
「これ、連帯保証人契約書の写しってか写メだけど、東京にバンビ向かわせたのはこれを奴に書かせるのとあんたの回収が目的だったわけ、奴さん、バンビ騙して島根に高跳びしようとしてたらしいけど、逆にバンビに手酷くやられたみたいだね」
天子は携帯を操作し、それを見せた。
画面には連帯保証人契約書と書いてある用紙が写っており、彼の住所と氏名があり、その横に押印してある。
その下には、彼の文字で美奈子の名前と住所があるが、彼のとは違って押印が無い、当たり前だ、この用紙自体見たのが初めてだからだ。
「あの、これ私の押印がありません!そもそも契約書として成立してないんじゃ無いですか⁉︎」
いつまでも相手のペースに乗せられてはいけない、美奈子は自分でも驚くほど強い意志で自分が助かる道を探していた。
「それに闇金って違法な業者なんですよね⁉︎私がこれから警察に行けば立場が危うくなるのは貴女でしょ⁉︎」
美奈子は思わず立ち上がった。目の前の天子が怖かった、強い口調で精一杯脅しをかけているつもりだが、目頭が熱くなっているのが分かる、いけない、泣いてしまいそうだ。
対する天子は、困ったように頭を描きながら、携帯の画面を見ている。
「んー……確かに違法ではあるんだけど、これは魔法少女が絡んでる事だから警察も手を出したがらないんだよ、そもそも魔法少女は法律上災害と同じ扱いになってる、科学的根拠による事件の立件が不可能とかなんとかで、地震や台風をどうやって検挙するんだって言い訳でね、この台風の怖いとこは下手に圧力なんかかけると報復に来るところだ、そしてその報復も結局は災害扱い、身内がやられたら全力を出す警察でさえこの様だ、アンタが違法だって題目唱えて警察がどこまで相手してくれるか。」
そう言いながら、天子は口角をいやらしく吊り上げる。
「それに、さっきあんたの言った連帯保証人契約書の押印の件、闇金なんざ元から違法なんだ、契約書に押印があろうがなかろうが関係ない、契約書があるって大義名分があればどんなもんでも取り立てるのが私らみたいな連中なんだよ、それにどうしても押印が必要なら押させる方法はいくらでもあるしね」
美奈子は押し黙った。必死で声を出すまいとしたが、口元が震え嗚咽が漏れる。
せめて泣き顔だけは見せまいとソファに勢いよく座り顔を覆ったが、指の間や覆いきれない目尻から涙が漏れ墜ちる。
彼の裏切りも辛かった、心臓を金槌で殴られたような動悸が起きて泣きたくなった。ただ、それ以上に悲しかったのが自分の無力、そして情けなさだった。
おそらく、目の前の女性からは逃げられないのだろう、美奈子が一をいうと十になって返ってくる言葉と魔法少女との繋がりで自分をゆっくり追い詰めてくる。
悪い男に捕まり、挙句借金までさせられ、初対面の人間に泣き顔を見せている。
恥ずかしかった、何より恥ずかしかったのは実家の母に対してである。
親に謝ろうにも具体的に何を謝ればいいのか分からない、自分が何をしたのかさえ朧げなのだ。
だから泣くしか無かった。
天子は、美奈子を不機嫌そうな目で見ていた。
「あの、彼はどうなるんですか」
美奈子が声を発したのは、 天子が先程取り出したタバコの箱から1本抜き、火をつけた時だった。
突然話しかけられ、天子は一瞬目を丸くしたがそれは美奈子には見えていない。
「アイツの事?さぁね、奴の体の中のもん全部売ったところでどこまで金になるかも分からん、ただ、死んだって思ってた方が気は楽だろうね」
天子の言葉を聞いて、美奈子は手で覆っていた顔を上げた。
そこまできつい化粧をする方ではないが、美奈子の顔はアイラインが黒い涙が頬をつたり線を描き、目元は赤く腫れていた。
天子は黙って、ティッシュ何枚か取って渡してやる。
「……誰に殴られたかは聞かないけど、女なら痣隠すにしても、もうちょっと上手く隠しな」
今朝彼から折檻を受けた後が見えてしまったらしい、そこをこすると痛んだ。
「……彼のことは分かりました、私はどうしたらいいんでしょう」
天子は加えていたタバコを消すと美奈子を見据える。
天子は小さくため息をついた。
「それじゃあアンタについての話だけども、まず、私はアンタをばら売りにするつもりは無いから安心しな」
美奈子は小さく頷いた。
「アンタが私に背負ってる借金は2,500万、これを地道に返してくれればいいんだが、この金額この辺りだと家1軒こしらえれる金額だ、40代中間管理職のサラリーマンでも無いアンタがまともに稼いで返せるもんじゃない、だからアンタには少々特殊な稼ぎ方をして貰ってなるべくすぐに綺麗な体になってもらいたいわけ」
だとすると、大体話はわかってきた。
美奈子は何をさせられるのかなんとなく想像できたが、とりあえず黙って話を聞くことにした。なるべく実家の母に心配かけない方法にしたい、その辺りは後で相談してみよう。
「私から提案出来る方法は2つ、まずは男を相手にして金を稼ぐ、これが一番スタンダードでローリスクだ、アンタなら良い客も付くんじゃないか?私もなるべく信頼できるとこを紹介するし、出来る所でフォローもするさ」
やはりか……二十歳も超えて未だ乙女な自分に何が出来るのかも知らないが、それしか無いのだろう。
しかし、美奈子はふと先ほどの天子の言葉を反芻した。美奈子としては、男相手に客を取るのが唯一の選択肢と思っていたが、天子は2つあると言ってた。
「そして2つ目なんだが」
天子は、言葉を切り出すとソファから立ち上がり、天子が座っていたデスク横に飾ってあった額縁に手を掛けた。
額縁の裏には金庫があり、天子はそれを開け、しばらく金庫の陰で手元が見えないよう作業をしていたが、やがてソファへ戻ると手に持ったものを机の上に置く。
それは、今では滅多に見なくなった薬包紙と呼ばれる紙だった。
天子がそれを広げると、中から少量の小麦粉のような粉が出てきた。
美奈子は天子がこれから何を提案するのか、最初の提案よりもより鮮明に予測出来た。
これはマズい、いくら魔法少女が災害だからといっても、これはそんなこと関係ない、持っているだけで犯罪になる代物だ。
親を悲しませるどころの話ではなく、最悪のケースだってあり得るのだ。
自分の身体を売るのであれば、自分が苦労するだけで良い、美奈子の意思はほぼ決まった。
天子は美奈子を見て、その後、その粉を指差した。
「あんたが魔法少女になることだ。」
「は?」
もう、予想外の事はこれきりにしてほしい、美奈子は思った。
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