第58話 フレッチャー消失

 暗黒大陸に魔王は居ない。

 フレッチャーもその点だけは勇者の意見に同意する。

 今まで同時代に魔王が二人居たことは無いし、暗黒大陸には龍王の国があるので魔族と共存できるはずがない。

 もっとも、全否定出来ないことをフレッチャーは解っていた。

 それだけこの世界は不思議に満ちている――


 暗黒魔王の正体は不明のままだが、これは二度目のチャンスだ。逃したくない。

 フレッチャーは突然現れた暗黒魔王に微弱な魔力をぶつけた。先ずはこちらに注目させて、共闘できるか探る。

「あっ、フレッチャーさん!」

「えっ、誰だ?」

 朝市で偶然出会った顔見知りに声を掛けるように、暗黒魔王はフレッチャーを呼んだ。

 知り合いかもしれないが、仮面を被っているせいで誰だか判らない。


 すぐに鑑定を仕掛けてみる……。

(戦闘レベル30だと?!)

 暗黒魔王の戦闘レベルは絶望的に低かった……。

 このレベルでは暗黒大陸で生きていくことさえ出来ないはず。つまり、【暗黒大陸の魔王】が嘘なのか、【戦闘レベル】が虚偽なのかのどちらかだとフレッチャーは考えた。

 フレッチャーとしては高い戦闘レベルであってほしかった。


 そして勇者だが、以前は50に満たなかった戦闘レベルが現在85ある。そしてキリルは65だ。

(暗黒魔王の戦闘レベルでは勇者どころかキリルにさえ勝てない)


「あっ! お前は勇者じゃないか!」

 暗黒魔王の興味が勇者に向いてしまった。

(共闘は無理か……)

 だが、その口調から敵意を持っているようだ。


「その女の子をどうするつもりだ!」

 その時、勇者のズボンが腰からずり落ちた。

 汚いものがぽろりと露出する。

「グワッ!」

 暗黒魔王は勇者の一物を直視してしまったようだ。苦しみだして嘔吐し始めた。


「てめ〜! 俺の股間を見て吐きやがったな!」

 暗黒魔王はまだ蹲っている。


(好機!)

 フレッチャーは勇者の死角に複数のニードルを錬成し、高速で発射した。

 勇者は後退してニードルを躱す。

「何だと?!」叫ぶフレッチャー。

 勇者の戦闘レベルで躱せないはずた。

 それどころか今まで躱した者はいない。

 勇者とアーデルハイト皇女の間をニードルが虚しく通り抜ける。


「やりやがったなフレッチャー! キリル、奴を拘束しろ!」

 念入りに隠蔽までした攻撃が躱された。

(自動発動型の魔技か? いや、今のは勇者の魔技ではない。第三者の介入か?)


 そして暗黒魔王の後ろから臙脂のローブを着た魔導師が進み出る。

「私は暗黒魔王の配下、暗黒魔導師のゼレス、暗黒魔王様に代わって勇者を討伐する。覚悟せよ人族の勇者!」

 禍々しいオーラを纏っているのがはっきりと判るが、輪郭は女性らしい曲線を描いている。


「次から次へと鬱陶しい! お前はこの人質が目に入らないのか?!」

「人質?」

 頭の上にはてなマークを浮かべる暗黒魔導師。そして、先程から湧き出した雷雲が勇者の頭上に近づいてくる。

 だがよく見ると雷雲でさえない。それは圧縮された高温プラズマガスだった。

 直径が五メートルほどもあるその雲は、内部で小規模な放電を繰り返している。

 もしアレの中に入ったら人など瞬間的に蒸発してしまうだろう。


「まずい、アーデルハイト皇女が……」

 フレッチャーにはアレが雷雲以上に危険であることはすぐに判った。

「暗黒魔導師! 止めてくれ!」

 暗黒魔導師はフレッチャーの方に顔を向けたが、その表情は仮面の下だ。

 だが、フレッチャーの訴えにも拘らず、青白く放電するプラズマガスの接近は止まらなかった。


「邪魔だっ、格下っ!」

 フレッチャーは彼を拘束しようとしているキリルにアイスキャノンを打ち込み風穴を開けた。

 そして、皇女に向かって加速。

「間に合えっ!」


 膨大なエネルギーが間近に迫っている今、勇者はフレッチャーを気にしている余裕はない。

「おいおい、何だよあれは?」

 勇者がプラズマガスの危険性に気づいたときには、防御する時間は残されていなかった。

「ヤバッ!」

「キャッ!」

 アーデルハイト皇女を突き飛ばして後退する勇者。地に倒れ込む皇女。


「アーデルハイト様!」

 フレッチャーが飛び出すが間に合いそうにない。だが、フレッチャーは加速して皇女の身体に覆い被さった。

 そして、圧縮されたプラズマガスが解き放たれ、勇者が居た地点は爆音とともに吹き飛んだ。いや、蒸発した――


「そ、そんな……」

 キリルにやられて気絶していたヴィルフリート皇子が起き上がり、その惨状を目の当たりにして絶句した。


 妹のアーデルハイト皇女が居た場所には、クレータだけがあった――

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