第34話 セブンス・クロイツの誕生
ツバサたちはロキたちを見送った後もその場を動かなかった。いや、動けなかった。それはロキたちの悲劇が彼の心に大きなダメージを負わせたからだ。
それだけではない。もしかしたら自分も同じ運命を辿ったかもしれないのだ。そのショックの大きさははかりしれない。
黎明樹の精霊から託された任務……それは酷く汚くて歪なものではないか?
ツバサの心に黎明樹の任務に対する猜疑心が宿るのは致し方ないことだろう。
何の綻びもない完全無欠のヒーロー伝説になるはずだったのに――
超簡単に任務を遂行できるはずだったのに――
エルフの巫女を護衛するだけの簡単なお仕事。
ツバサはその言葉を完全に履き違えていたのだ。
ここは剣と魔法の世界。ツバサがいた地球とは文化や文明が違うだけでなく物理法則も違うし、神々まで存在するのだ。
何もかもが違うファンタジーの世界だと思っていた。だが、ただ一つだけ以前の世界と共通点がある。
ここはゲームの世界ではない、現実なのだ――
そうだ、ミストガルという異世界はゲームの世界ではない。
人々の思惑が複雑に交錯し、予測不能な事象が頻繁に発生するリアルなのだ。
「なんだ……俺がいた世界と同じじゃないか……」
ツバサは急に苦しみだし、蹲った。
それを見てフェルとクラウが黙っているはずがない。
「お、お兄ちゃん! 大丈夫?」
「ツバサさま! どこか怪我でもしたのでしょうか? 回復魔法を掛けます!」
「いや! 魔法はいらない! ちょっと待ってくれ!」
ツバサは二人に手を向けて近づくなという合図をした。
「こんなの、俺じゃない……。ノルトラインで過ごした日々も、働き詰めだった日本の生活も、俺じゃない」
ツバサ・フリューゲルとしてノルトライン領で育った一六年間、そして桂木翼として日本で無意味な人生を送っていた三〇年間、彼は、いや、彼らはそのすべてを否定しようとしている。だが、それは事実であり、否定できない。
彼らはお互いのすべてを否定しあっている――
地球の翼が主導権を持って精神融合したように見えていたが、彼の精神状態が不安定になったせいで、ミストガルのツバサが表面に出てきたのだ。つまり、ツバサの精神が抑え込まれていただけだった。
なぜ今になって拒否反応が起こっているのか判らないが、精神病の発作と言えるほどの苦しみようだ。
「く、苦しい……。そうだ……あの野郎……ぶん殴ってやる!」
どうやらミストガルのツバサが主導権を握りつつあるようだ。
クソ勇者に最愛の婚約者を奪われ、滅多打ちにされ、暗黒大陸の流刑者の谷に送り込まれた。そう簡単にツバサの心が癒えるはずはなかったのだ。
ツバサが苦しんでいると、突然水の精霊ミスティーが三人の前に現れた。
「ミスティーさん! ツバサさまが! ツバサさまが!」
クラウでさえ冷静さを失っている。
考えが足りないところもあるが、自分の大切な主人が苦しんでいる。だが自分では対処のしようがないのだ。クラウを責めることは誰にもできないだろう。
「ミスティーさん、お兄ちゃんを助けて!」
ミスティーは黙って、苦しんでいるツバサを見つめている。
水の精霊は癒やしの能力が高い精霊として、ミストガルでは知られている。ひょっとしたら彼女助けられるかもしれない。
「二人とも、落ち着いてちょうだい」
ミスティーは苦しみながら恨みつらみを叫んでいるツバサを優しく抱きしめた。すると、ツバサは気を失ったように眠りに落ちた。
「これから生命の泉から生命の水を召喚し、水球を作るわ。そこでツバサを休ませましょう」
生命の泉はエルフの里の中にあるのは判っている。ミスティーもそのことを知っていたのだろう。
「この場所は危険なのでグラン邸の中で召喚してもらいたいのですが?」
「生命の水を召喚するときに扉を開けておけばだいじょうぶよ」
三人はグラン邸に入り、ツバサを生命の水で作った水球に入れた。
「これは応急処置なの。うまくいくか判らないけど、三日ほど待ってみましょう」
「お兄ちゃん……」
フェルの耳が垂れて痛々しいぐらいに落ち込んでいるのが解る。
「ありがとうございます。ミスティーさん」
「礼を言うにはまだ早いわよ」
彼女たちはグラン邸の中で、ツバサが目覚めるのを待った――
◇ ◇ ◇
そして三日後の朝、三人は水球の前に集合した。
ツバサが不完全な精神融合から回復していなければ一大事である。彼女たちに対処する方法は残り少ないのだ。
「それでは覚醒させるわよ」
ツバサの体は水球の中を移動し、タオルを引き詰めたソファの上にゆっくりと降りてきた。とても安らかな寝顔を見て、三人とも安心したが、目が覚めるまで分からない。
「お兄ちゃん! 起きて!」
「ツバサさま! 起きてくださいませ!」
二人の呼びかけに応えてツバサは目を開けて起き上がった。
ツバサはフェルとクラウに目を向けた。
「おはよう、フェル、クラウ。あっ、ミスティーも一緒か」
「何がミスティーもかよ! さんざん心配させておいて」
「相変わらず美しいな、ミスティーは」
「な、何を言ってるの? まだ精神状態が安定してないの?」
「そんなことないさ」
ミスティーは起こった振りをしているが、ツバサの横に座って彼を抱きしめた。
三日前の苦しみようが嘘のようである。
「俺は彼らのことを忘れないために、自分の名前に戒めを刻むことにした」
彼らとは、不遇の死を遂げたロキたちのことである。
そして彼女たちは黙ってツバサの言葉を待つ。
「二人の俺は融合し、新たな人格を持って生まれ変わった」
予想外のツバサの言葉に、三人とも唖然としている。鳩が水鉄砲を食らったような顔とはこのことを言うのだろう。
「セブンス・クロイツ……俺のような愚か者に相応しい名前だ」
セブンス・クロイツ……。
セブンスは七番目のガーディアンを表し、クロイツは自分が背負う十字架を表す。
それはもはや名前と呼べるものではない。ツバサと翼の二人が自分自身に与えた蔑称なのだ。
そして彼は、ミストガルのツバサと地球の翼の両方が融合し、第三の人格として融合していた。
「クソ勇者にはきっちりと復讐もするし、この世界も救ってやる」
この名前がある限り、ツバサは自分が七番目のガーディアンであることを生涯忘れないだろう。そして、自分の成すべきこともきっちりとやる。彼の心に迷いはなかった。
「お兄ちゃんは愚か者なんかじゃないよ。でも……分かったわ」
「承知しました。それではセブンスさまとお呼びしても?」
「ああ、そう呼んでほしい。セブンス・クロイツが俺の真名だからな」
セブンスは両手を開いて三人を呼び寄せた。
そして、お互いに抱擁し合う。
彼らの絆はたった今、完全なものになった。
◇ ◇ ◇
ここは元の地下牢の中である。
セブンスがミスティーに礼を言うと彼女は笑いながら彼にキスをした。
精霊は契約のときにキスをするが、本当は彼女たちがキスが好きなだけではないだろうか?
そしてフェルがソワソワしていることに気がついた。
彼女はロキたちがついさっきまでいた牢屋の中を指差している。
「あそこに宝石みたいなものが落ちてるの」
「どこだ?」
「あれは精霊の卵よ! 助けてあげて!」
ミスティーが悲鳴のように叫ぶ。
「精霊の卵? 何だそれは?」
「自分を守るために冬眠状態になっているのよ。ここには精霊も通過できない結界が張られているから」
「忌々しい結界だな。ほっとこうと思ったけど、そうもいかないか……」
牢屋を破壊すれば、結界を張っている魔法陣も効力をなくすだろう。しかし、それは敵に知られてしまうというリスクを負うことになる。
「やっぱりグラン邸を使うのが一番確実だな。フェルに……いや、クラウ、行ってくれるか?」
「もちろんです、セブンスさま」
「ぷ〜。お兄ちゃん、わたしを信用できないの?」
「そんなことないさ。フェルには俺の横にいてほしかっただけだ。俺と一緒は嫌か?」
「そんなことないけどさ〜。わたしはお兄ちゃんの役に立ちたいの」
「もう役に立ってるさ。ただ、フェルの得意なことをやってもらいたいんだ。だからここはクラウに任せよう」
「うん、分かったわ」
そしてクラウは、先日牢屋から脱出した方法と同じ手順で、ロキたちの遺品と精霊の卵を持ってきた。
「精霊の卵はミスティーに預ければいいか?」
「ありがとう、セブンス」
水の精霊ミスティーはセブンスの頬にキスをすると、あっという間に姿を消した。
「あっ、またやられました!」
ミスティーの行為に間髪も入れず怒ったのはクラウだった。彼女が感情を表に出すのは珍しい。
セブンスとフェルが呆気にとられてクラウを見つめる。
「なっ、何でもありません。私としたことが……」
(このことにはあまり突っ込まないでおこう)
「お兄ちゃん、早くここから出ようよ!」
「そうだな、そうしよう」
クラウが気を取り直し、マップを広げて牢屋の構造を調べはじめた。
「出口らしい場所は見つかりませんね。ここは転移魔法だけで来ることができる牢獄のようです」
「でも、空気穴くらいはあるだろう。食料は転移魔法で供給するにしても、空気は難しいんじゃないか?」
「そうですが、このマップにはそこまでの分解能はなさそうです」
「そうか……、せっかくだからこの牢獄を調べてみよう。他にも幽閉されている人がいるかも知れない」
「それならすでに見つけています。ここの反対側に生命反応があります」
この牢獄の構造は単純で、十字架のように二つの通路が重なっているだけだった。ここが南側であるから、虜囚は北側の牢屋に入れられていることになる。
「急ごう、もしかしたら〈エルフの巫女〉かもしれないよ」
「まさか……、おい本当か?」
「もしかしたらの話でしょ? フェルちゃん」
「うん、もしかしたらね」
セブンスには何かのフラグが立ったような気がしたが、気にしたら負けだ。相手は神獣のフェルなのだ。彼女の第六感を理解しようとしてはいけない。
そしてセブンスたちはトラップに気をつけながら北側に向かった。
警戒していたのにトラップのたぐいは全く見つからなかったが、南北の通路と東西の通路の交差点に辿り着くと、三人ともなにかの気配を感じた。l
「う~ん……。生命反応がないのに気配があるということは……」
「早く行こうよ! あんなの見たくないよ!」
「そうだな。ロキたちとは種類が違う気配だから……」
「幽体の魔物ですね。スケルトンの可能性もあります」
「考えたくもない。先を急ごう」
運が良かったのか、気配の主たちには見つからなかったようだ。魔物たちにはセブンスたちのようにロングレンジで気配を感じることはできないらしい。
さらに北へ向かって歩くと、通路に微かであるが明かりが見えてきた。
陽の光ではないはずだ。ここの牢獄には出入り口がないのだから。
「やっと逢えるかもしれないぞ、彼女に……」
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