Episode19 遠雷

「っ……オスカー!」

 M4A1を構え、階段方面へ向けた。瞬間、銃声と共に激しい麻痺が腕に襲い来る。銃を狙い撃たれ、取り落としてしまった。

「抵抗は、しない方がいい」

 駐車場から、レイの猛威をくぐり抜けてやって来た男たちが、自動ドアの辺りに立っていた。眼前の殺戮に集中するあまり、自動ドア周辺の敵を取り逃がしてしまったのだろう。わたしの愛銃を撃ったのは、奴らの構えるサブマシンガン、MP7と思われる。

「お嬢、嘘はいけません。オーナーを騙したそうじゃないですか」

「……騙すのだって、わたしたちの仕事の一つでしょ」

「オーナーは良い商売相手だ。友人を失うのは、得策ではないでしょう」

 リボルバー──マテバ 2006Mを手にしたオスカーが、ゆらりと階段より顔を出す。たしか、弾詰まりがないという理由で、彼はリボルバーを好んで使うのだ。それも、特異な形状で有名なマテバを。

「ザラと、ウィルを殺しましたね」

 あの強面男、ウィルという名前だったのか。

「恨んでる? ご愁傷様」

「いえ、驚いています。私は試すつもりであなたを同乗させた。あの子は、キレてお嬢を殺してしまうのではないかと思っていたので」

「それ、酷くない?」

「ですが、あなたは生き残った」

 キツネの唇が歪む。笑ったのか――そう思った瞬間、マズルフラッシュが彼の顔を覆った。腹に衝撃が走り、無抵抗のわたしの身体は、なすすべなく地面に倒れた。

「おや、防弾ですか。この銃では威力が足りないようだ」

 マテバはダブルアクション。わざわざ一発事に撃鉄を起こす必要がなく、銃弾はトリガーが絞られるのを待つのみ。銃口の奥の死神と、目が合った気がした。

「……どうして、わたしにここまでしてくれるの?」

 オスカーの動きが、止まった。

 純粋な疑問だった。もう生死が関係ないなら、部下にでも頼んでさっさと殺せばいい。レイがいる最中では不可能かもしれないが、現状であれば余裕の仕事。それをわざわざ、彼は身を晒してまでわたしを殺しに来た。

「オスカー、そんなに、お父様を裏切ったわたしが憎い?」

 彼は答えない。これは、時間稼ぎの質問のつもりもなかった。ただただ、知りたいと感じたこと。

 オスカーとは長い時間を過ごしてきて、仕事もたくさんこなして来た。組織の中では、お父様やマリーと並ぶくらい濃い関係の人間だ。

 でも、彼がなにを考えているのか、ハッキリとはわからないことが多かった。お目付け役だったころは、わたしのためを想って様々なアドバイスをくれたことも多々あった。しかし、お目付け役というポジションならば、それはお仕事の範疇だ。

 彼がこうしたい、どうなりたい、という彼自身の本質は、これまで見たことも聞いたこともなかった。強いていうなら、お父様への忠誠と身に潜めた野心。それくらいのもの。

「ねえ、教えてよ」

 しかし、彼は――

 その時。間の抜けた音が聞こえた。チンッ、という、電子レンジみたいな音。

「えっ……」

 エレベーターが、開いた。

 刹那、音と光の濁流が展開。銃だ。マシンガンが、そこで撃たれている。あまりの衝撃に、空いた口がふさがらなかった。その頃には、わたしに銃を向けていた男たちがミンチに変わっていた。

「おいおい、お出迎えもなしかよ。それとも、これがあいつ流か? 社交的な指導も必要だったかなぁ」

 クールな声音に合わせて、紫煙が舞う。漆黒の髪と漆黒のジャケットの裾をなびかせ、エレベーターホールに降り立った彼女。口にはタバコ。両手に長大なマシンガンを携えていた。背丈が大きく見えるのは、背筋がピンと伸びているからか。わたしが前に見たときとは、まるで雰囲気が違う。高貴な狩人、とでも言うべきか。

「ソフィア、さん……?」

 カフェ、HEVEN&HELLのオーナーでありながら、殺し屋。ソフィアの姿が、そこに現れた。ただのカフェオーナーでも、ただの殺し屋でもない。そこに居で立つのは、まぎれもなく、他に形容しようがない、ソフィアだった。

 彼女はわたしを見やると、子供を見守るみたいに優し気な笑みを見せた。こんな表情もできるんだ、この人。

「奇遇だな、クラリッサ。ボロボロじゃねえか、可哀そうに」

 なぜ、この人が。問おうとしても、口が動かない。穏やかな表情の彼女からは、常に見た目と裏腹な殺気の奔流が溢れだしているのだ。その洪水に飲まれ、身体も口も動けずにいる。

「悪いが、あたしを呼んだのはあそこでドンパチやってる小鳥ちゃんなんだ。また後でな」

 わたしやレイが扱う銃器と比べ、長く、重いであろうラインメタル/マウザー・ヴェルケMG34機関銃。サドル型ドラムマガジンを据えた物々しい偉容は、現代では中々お目にかかれない。それを腰だめに構え、悠然と、戦場に踏み出す。

 その瞬間、彼女の姿が世界にフィットしたように思えた。今のソフィアは、戦争そのものなのだ。

「久々の仕事だ。派手に行こう」

 雷鳴のごとき暴力が光となって明滅し、わたしの視界に襲いかかった。だが、あの銃を向けられた世界は、本物の暴力に曝されている。カフェで体感した、ソフィアの殺意。それが形を成して振るわれたとき、人はなにを想うのか。浴びせられる側は、考える暇すら与えられない。その牙が向けられたときには、命の灯が消える刹那。

 少なくとも、わたしは思う。怖い、と。

 いつの間にやら、オスカーの姿が消えていた。


 銃声のコンチェルトが、地下駐車場に朗々と響き渡る。単調な音の連なりは、音楽と形容するには、音楽に失礼すぎる代物。不協和音と言うのが正しい。

 このコンサートで、ただの観客でいられる幸せを噛みしめられるのは、すぐそばに暴力の餌食が転がっているから。いつだって、わたしの逃避行の先では、見知らぬ人の死体が転がっていた。身体中の痛みと死んでいないという事実が、生の実感を強く与えてくれる。

 やがて、音は止んだ。十数秒のインターミッション。新たにやって来る音は、ハイテンポな足音だった。

「リサ! 待たせてごめん!」

 服の至る所を汚れさせたレイが、視界に飛び込んできた。走り寄って来る彼女は、また焦燥を顔に浮かべている。次いで、エレベーター周囲に転がった無惨な死体を見やった。

「これ、リサが? でも、M4でここまでの威力は」

「オレがやったんだよ。シュライク」

 怒りを含ませた声。傷一つなく、MG34を背負ったソフィアが、エレベーターホールに現れた。

「ソフィア……! 来てくれたんだ。よかった」

 安堵の色を見せるレイ――その胸倉を掴んで寄せるソフィア。

「よかったじゃねえよ。てめえの女だろ。オレが守ってどうすんだ」

 その剣幕は尋常でなく。やはりソフィアが恐ろしい女だというのを再認識させられる。同時に、この二人が他人同士ではないのが、なんとなく伝わって来た。

「それは、その……あたしが、戦わなくちゃって」

 彼女の方を見られない。レイはもどかしげに顔を逸らし、こちらを向く。しかし今度は、申し訳なさそうに視線を落とした。わたしの方も、見られないらしい。

「そいつは殊勝な心がけだ。だが、あの戦いぶりはなんだ? 殺すことに全神経を集中させて、他のすべてはお構いなし。シリアルキラーとなんら変わりねえ。さっきオレに銃向けて、トリガー絞りそうになったろ」

 事実、レイは殺し屋シュライクに――ヒクイドリに、身も心も沈めていた。そうなったときは前にもあったが、やはりそこに、レイはいないのだ。

 レイは悔やんでいるらしく、苦虫を噛んだよう。しかし、ぽつりぽつりと、語りだす。

「殺さなきゃ生き残れない。車を盗んでさっさと逃げる算段だったけど、無理だった。あたしが手間取った」

 声に意志が灯りだす。熱が生まれ、勢いを増していく。

「リサに怪我させた。全部殺して逃げるのが一番早かった。リサとあたしが、二人で生き残るためには!」

「なあライリー、もう殺し屋やめろ。やることはやりきったんだろ」

 ソフィアの宣告は、まるでレイの運命を握る神のごとく。彼女が天に昇るも、地獄へ行くも、煉獄に行かされるのも、すべてはソフィアの手の中。声色から、伝わって来た。

「殺す相手は見極めろ。言ったよな? オレは殺していいのか? 違うはずだ。クラリッサを助けるためにはオレに頼るしかないって言ったよな。二人で生き残るためにって」

 後半はよくわからなかったが、最初に言ったのは、殺し屋の心得のようにも取れる。そうなると、ソフィアはレイに殺しを指導した存在なのだろうか。レイは、そんなこと微塵も教えてくれなかった。しかし、二人の間に流れる空気は、ただの同業者とは一線を画している。

 ソフィアの鋭利な視線は、さながら日本のカタナ。アレに睨まれれば、誰しも目のやり場を上下左右に探すことだろう。現に、レイがそうだ。

 レイは黙って聞いていたが、負けてはいなかった。鋭い目つきを以って睨み返す。

「……じゃあ、どうすればよかったんだよッ! 師匠は戦い方しか教えてくれなかっただろ!」

「教わらなきゃなにもできねえのか? 教わったこともできてねえのに」

 事実を突きつけられ、歯噛みする。彼女の中にある失念。ソフィアは、そこを見事に突いてみせたのだ。

「簡単だ。クラリッサのこと、好きか?」

 きょとんとするレイ。たぶんわたしも、きょとんとしている。レイの師匠発言。突然の好意確認。なんだ、なにが起きている。

「……うん」

 顔を赤くして頷くレイ。可愛らしくはあれど、さすがにこのシチュエーションでは恥ずかしさが。顔が熱い。このままでは、肩の出血が激しくなったりしないだろうか。

「なら簡単だ。てめえの女守るために、全神経を集中させろ。殺すことも、守ることも、なにもかもクラリッサのためにこなせ。そして、無謀な選択肢は切り捨てろ」

 霹靂のごとき衝撃。レイは、まさにそれに類するショックを受けた顔をしていた。言っていることは至極単純。それでも、単純な事柄ほど、意外に心に突き刺さる。

 でも、それではダメだ。わたしたちは約束した、二人で最小単位だと。一方が一方を守るだけの関係ではいたくない。まあ、ボロボロで戦えないわたしが言えることでもないのだが。

「お前はオレが育てた殺し屋だ。女守るのに力注ぎこんだっておつりが来る。その分で、自分守んな。そんでもダメなら、ちゃんとクラリッサを頼れ。二人で生き残るんだろ?」

 追って紡がれたのは、わたしたちにとって完璧な答えだった。流石は、レイの師匠だけある。

「……ありがとう、師匠」

「もうそんなご身分でもねえさ。これはビジネスだ」

 胸倉から離れた手が、レイの頭にぽんと乗せられた。とても優しい意志を感じる手。くしゃくしゃと撫で回されたレイは、頬を赤らめて行き場のない視線を逸らす。かわいい。

 殺し屋ソフィアは、その手でどれだけの戦いをこなしてきたのか。しなやかな手だ。年季の入った経験豊富なものであることは、容易に感ぜられる。しかしその手は、武器だけでなく、優しさを掴むこともできる。

「ここで戦ったのは間違いだったな。というか、建物にこもるのが悪い。外で身を隠す方法もあったろうに」

「そう言われたって……」

 口を尖らすレイ。しかし、わたしが轢かれたあの状況にあっては、仕方なかった。

「ま、結果オーライだ、オレを呼んだことも含めてな。じゃ、オレは帰るよ。車はあらかた潰しといた。いくつか乗れる車残ってるだろうから、それ使って逃げな」

 MG34を背負ったまま、ソフィアは階段へ去っていく。まさかあのまま帰るつもりなのか。普通なら警察沙汰だが、まあ、ソフィアなら大丈夫な気がした。

「ありがとう、師匠」

「ありがとう、ソフィアさん」

 わたしも、お礼を言っておかねばならない気がして。とても大きく見える背中に、声をかけた。すると、ソフィアは顔をこちらに向け、口端に笑みを浮かべてみせる。

「礼なら金で払ってくれ。入金、待ってるからな」

 不穏な言葉を残して、彼女は階段に消えた。後には、立ち尽くすレイと、頭上に?マークを浮かべるわたしだけが残った。

「ソフィアの雇い料、レイが出してくれるの?」

「あたしお金持ってない。リサなら余裕でしょ? 大マフィアだし」

「それはもう過去の話! 今のわたしはポケットマネーだけ!」

「ええっ……じゃあ、どうする?」

「さあ。どうしよっか?」

 交わし合う視線。自然と笑みがこぼれて、くすくすと笑いあう。高笑いとまではいかないけれど、多幸感にあふれる笑いの交錯だった。

 レイに支えられながら立ち上がる。服越しでも、このぬくもりがあるだけで、世界の色が違って見える。

「おかえり、レイ」

「ごめ……むっ」

 謝ろうとしていたレイの唇を、手でふさぐ。今欲しいのは、その言葉じゃないから。

「えっと。ただいま、リサ」

 これが正解。しかし、わたしの言い分でなく、ソフィアの言葉で目を覚ましてしまうとは。なんだか負けたようで、ソフィアにジェラシーを感じてしまいそう。



「もう殺し屋はやめるのよね?」

 そう言うと、レイは一瞬の熟考。そして、強い意志を乗せて、首肯した。彼女は本気だ。

 レイが犯罪から手を引く。ならば、わたしは。考えなくても、既に答えは出ていた。

「わたしも、犯罪から手を引きたい。もう、わたしの人生には必要ないから」

 マフィアの世界から足を洗う。今までマフィアの家に生き、その庇護下で生きて来たことを考えると、大きな決断であるように思う。端的に言えば、第二の人生を歩むのと同義である。

 というか、既に組織の裏切り者として追われているゆえ、犯罪の有無に関わらず、第二の人生は歩まねばならない。

「レイと一緒に、カタギとしてやっていきたいなぁ」

「そのためには、二人で生き延びないと」

 わたしは空いた片手にハンドガン。レイは相変わらずSCARを持つ。M4A1はもう使い物にならなかったので、持っていく必要はない。レイは、先ほどの戦闘でSCARの弾薬が残りわずからしい。

 マフィアを離れる。そう考えたとき、脳裏に浮かんだ顔――オスカー。

「ねえ、レイ。たぶんだけど、オスカーはまた、わたしたちを狙ってくるよ」

「……どうしてそう言えるの?」

「わたしの人生には、ずっとオスカーがいた。物心ついた時からね。それは、この逃避行でも同じ。あいつはきっと、また現れる」

「なにそれ。運命ってやつ? ちょっと妬ける」

「ふふっ、そういうことなら心配ご無用。でも、この因縁を清算しないと、ここを抜けることはできない。そんな気がするの」

 ここ――ショッピングモールのことではない。わたしの立ち位置のことだ。

「つまり、まだ戦いは続きそうってことね。大丈夫、リサはあたしが守るから」

「わたしも、レイを守るよ」

「その身体で?」

「この身体で。這ってでもね」

 身体の節々はまだ痛むし、正直動くのはおっくうだ。それでも、留まってはいられない。出血多量による死を避けるためにも、行動は迅速に行わねばなるまい。

「そういえばさ、ソフィアさんって何者なのよ」

「ああ、言ってなかったね。ソフィアはあたしの殺しの師匠なんだ」

 やはりそうか。レイがぽろりと漏らしていたので、知っていたようなものだが。わたしが知りたいのは、もっと深く彼女を掘り下げる内容だ。

 既に形を成していない自動ドアの前に立った。ここから、外界へ踏み出す。

「リサ、いける?」

「……大丈夫。雑談、続けて」

 離れないように、手をつないだ。命綱とまではいかないけれど、この感覚を、今は失くしたくない。物理的な接触は、時に強く人と人をつなぐ。

「ソフィアとはリサと別れてから出会ったんだ」

 つい今まで死線の只中にあった地下駐車場。息を吸うたび入り込んでくる硝煙の香りには、もう随分と慣れてしまった。そこかしこには、黒服マフィアたちの死体が転がっており、幾台かの車は燃焼を続けている。

「その話はあたしがテイラーと――」

 不意に、言葉が途切れる。「レイ?」名前を呼んでみた、瞬間。レイはわたしを、とんでもない力で突き飛ばした。打撲を負った箇所が硬い床と衝突し、鈍い痛みを生ずる。同時に、いくつかの音が耳に飛び込んでくる。車の走行音、フルオートの銃声――戦場で聞いた音。

 視線を戻した瞬間、車に撥ねられたレイが、宙を舞っていた。

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