Episode17 最小
店内BGMや、人々の声。怪しげなモッズコートおぶられ女を見やる視線に、お店っぽい香り。わずかな視界でもわかるアウトレットだ。見たことのある店もいくつか散見される。
それらを通りすぎて、わたしたちは人気のないどこかまで到着。硬い椅子に座らされたかと思えば、フードが外れて明瞭な視界とご対面。
トイレだった。少し広々した多目的トイレである。
「ここなら少しはゆっくりできる。身体の具合は?」
「痛い。めっちゃ痛い」
「もっと具体的に」
そう言いながら、レイは濡らした布でわたしの顔を拭き始める。布はすぐに黒ずんだ赤に染まりだした。彼女の柔らかな手つきでも、鼻に触れると鈍い痛みが走る。痛みを顔に出してしまうと、それを見たレイが焦りを募らせた。わたしが痛みを訴えるたび、レイは「ごめん」と言う。何度も、言う。
「わたしたち、こんなことしてる暇あるの?」
「……綺麗な顔が台無し。あたしのモチベーションに関わる。それに、こんな顔じゃ外出歩けないでしょ」
拭き拭きしてもらいつつ、身体を動かしてみて状態を確認。どこもかしこも痛みがあることに変わりはないので、全身打撲というやつが疑われる。だが、動けないこともなかった。
「痛いけど、なんとか動けそう。エアバッグが一番痛かったかな」
「本当に大丈夫? 無理してない?」
「無理して動き回れるほど強靭じゃないんで……」
自虐的に言うと、くすりと笑ってくれた。レイの顔に塗りたくられた焦燥が落ちていく。
「そうだった。少しここで休もう。これからのことも考えないと。ここでやりすごせればいいけど、無理だろうな……」
どさり、とトイレの床に座り込むレイ。汚いのではとツッコもうとしたが、自分も便器のフタに座って休んでる身なのでどっちもどっちだ。
怒涛の緊張に浸かっていたためか、時間の経過がのっそりして感じられる。トイレをこんなにもゆったりした空間だと感じたのは、生まれて初めてかもしれない。芳香剤の香りすらも心地よかった。
「レイ、飲み物とか持って来てる?」
「あー。ない。ごめん、気が利かなくて」
「それはいいけど……レイ、謝ってばっかだよ。謝りたいのはわたしの方だよ」
よっこらせと立ち上がり、レイの真横に移動した。脚の損傷はあまりなかったらしく、歩行には支障がなさそうなことが確認できる。そして、その場に着席。彼女の左肩にもたれかかる。
「……守るって決めたんだ。でも、リサはどんどんボロボロになっていく。きっとこれからも」
「いやいや、不吉なこと言わないでくんない?」
「きっとそうなる。戦いは激化するばっかりだし、思ったより敵は本気だ。あたしはあたしの身は守れるかもだけど、護衛なんてしたことない。自信ないよ」
この子、こんなにメンタル弱かったっけ――ザラたちから救出されたときを思い出す。わたしと対面したレイは、すぐさま泣き崩れてしまった。兆候はあったのだ。ただ、それを拾いきれていなかっただけ。
強い子だと思っていた。でも、違ったんだ。たとえ凄腕の殺し屋だとしても、死地に飛び込むことが生業ではない。最初に言っていたではないか、殺し屋は静かに仕事をすると。戦うことのすべてが、彼女の得意とすることではないのだ。
謝らなければならないのはわたしだ。でも、今ではない。どうにかフォローせねば。わたしの愛を以て、彼女を引っ張り上げねばならない。
「ねえ、いつ決めたの? わたしのこと守るって」
「最初の襲撃の前。リサが寝ちゃったあと」
記憶をひっぱり出すと、すごいやり取りが一番にフラッシュバックした。
『あたしをレイプするの?』
『これ、レイプなんだ……』
あまり思い出したくはない恥ずかしい記憶。あの後、辛くて寝てしまったわたしだったわけだが。あの後レイは、宵闇の中で一人、誓いを立てていたのだ。
「……実はね、リサのことを捕まえる依頼は、あたしも受けてたんだ。正確には、あたしとテイラーで」
「……どういうこと」
「リサがあたしらに依頼した時点で、全部筒抜けだったんだ、お父さんに」
今となっては過去の話――そうとわかっていても、言葉の衝撃はわたしを貫いた。
わたしとレイの再会は、運命ではなかった。すべては、仕組まれたものだったというのか。
「最初の再会は、それ目的だったの?」
「すごく悩んだ。六年って結構長いんだよね。それなりに、テイラーとの生活も気に入ってたんだ。どっち付かずのまま、とにかく会ってみようって。そしたらさ、すっごい美人が出て来て。びっくりしちゃって……」
途中から、涙声だった。やってしまった。彼女の心は、また深い闇に落ちていく。恋愛は、時に人をおかしくしてしまう。わたしとレイの間においても、それは例外ではなかった。
「もっとハッキリ伝えてればよかったよね、リサのこと愛してるって。今も昔も変わらないって。なのに恥ずかしくて言いづらくて、ビジネスライクとか言って。戦うしか能がないのに。それするためにここに立ってるのに」
彼女の手を握ってやる。いつも銃を握る手が、弱々しく震えていた。まるで叱られた子供。いや、自責の念に捉われているのか。
「二人でなら行けるかもって思ってた。でも、こんな汚いところで座りこんで、どこにも行けずにいる。外に出れば戦いが待ってる。ここに居続けたら戦いはすぐやって来る……ここが最後の審判だよ」
ずっと悩んでいたこの子を、理解してあげられなかったわたしだっていけない。
一度離れ、自分たちの道を歩み出したわたしたち。しかし、運命か人間かのいたずらで再会してしまった。二人になってしまった。
共に闇へ堕ちたわたし達が、光へ向かおうとしている。血と硝煙が漂う巡礼の道に、わたしとレイはいるのだ。二人でなければ、進めない。
「ずいぶん汚い裁判所ね。わたしはそんなの嫌だよ」
「リサ……」
「二人じゃなきゃ意味ない。そう言ったのはレイだよ。わたしたち一人でも生きていけるのかなって思ってたけど、そうじゃなかった。もう二人になっちゃったんだよ。わたしたちの最小単位は二人。どっちが欠けても、いけないところまで来てたんだ」
彼女の涙を指でぬぐい取ってあげる。子供みたいな顔したレイもかわいいけれど、今だけは、そうでは困る。
「生きるときも死ぬときも一緒。そう考えちゃえば、もうよくない? 二人で生きようって約束したけど、人間いつかは死ぬし。だから、もう一回約束」
とろりとした視線が絡み合う。触れ合わなくても、目と目だけで繋がりあえている。
「一緒に死のう。たとえそれが、いつどんな時だとしても」
この道の先に待つ景色がどうであれ、もう二人でないことに意味はない。それが、死であろうとも。
「……リサには敵わないや。そんなこと言われたら、二人で死にたくなる」
「自殺願望はダメ。最後まで頑張ろうよ。まだ、終わりにしたくないからさ」
握る手に力がこもる。あったかい。顔にも熱い感覚があって、垂れ落ちた水滴は冷たさへと移り変わる。わたしも泣いている。二人で、泣いている。
レイの心を引っ張りあげるつもりだったが、わたしの心持ちまで引き締められていた。それも当然のことだ。わたしたちは、どこまでも、二人でやっていくのだから。
コツコツと足音が聞こえて。一般客とは明らかに一線を画す雰囲気を感じ、わたしたちは立ち上がった。バッグパックはレイが背負い、わたしはとにかくレイの後ろをついていく。ポケットには、ハンドガンを忍ばせて。
レイがドアを開放すると、そこに在ったのは二人の男性警備員の姿だった。二人はわたしたちの顔を検分し、顔を見合わせる。
刹那、レイの拳が片割れの顔に突き刺さった。あ然とするもう一人の警備員にも肉薄し、瞬速の右ストレートをお見舞い。あっと言う間に二人をのしてしまった。
「ヒュウ、お見事」
「やっちゃったよ。これからどうする?」
「仕方ない。もうバレちゃってるからには、足を手に入れないと。地下駐車場まで出て車を盗もう。わたしは警備員をどうにかできないか試すから、守って。できるだけ殺したくないけど、相手が撃って来るようなら殺しちゃおう」
「任された」
トイレを出て通路を進むと、吹き抜け構造になった五階層のアウトレット。ファッション用品を求める人々である程度賑わっているようだが、移動に苦労するほどではない。
そこらに居た警備員が、状況を察知して駆け寄って来た。物々しい雰囲気を察知した客が、こちらへと訝し気な視線を送って来る。
「リサ、走るよ」
「オッケー」
人々の隙間を縫って、アウトレット内を走り始める。わたしたちも警備員も、走って移動するのはかなり難度が高かった。叫ぶ者や恐れおののく者が現れ、微妙なところで人垣が形成。要所で足止めを喰らわされる。
わたしはすぐに携帯を取り出す。いつのまにか画面が割れてしまっていたが、まだ電源はつくことを確認。事故のときに割れたのだろうが、動くならばなんでもいい。連絡先の中にある番号にかけると、三コールで出た。
『やあクラリッサさん、この度は残念だよ』
「ええ、とても残念ですオーナー。あなた、オスカーの奸計にハメられてますよ」
電話相手は、このアウトレットの経営者だ。ここのオーナーとローレルファミリーにはかねてより親交があった。見覚えのある建物な上、先ほど走っていた道路の場所から建物名は特定できた。
それも、組織のパイプ役を務めるオスカーとはよく絡みがあったと記憶している。もしこれがオスカーの独断による行動であれば、少なくともオーナーの行動は封じることができる。
『それはどういうことかね?』
「あなた、今自分が誰と電話しているかおわかりでいらっしゃいますか?」
言う予定の言葉が、喉のあたりで詰まりかける。あまり好ましくない手だが、使えるものは存分に利用せねば生き延びられない状況。なりふり構ってはいられない。
「ローレルファミリーボスの一人娘。ゆくゆくの後継ぎですよ?」
わたしたちを取り押さえるべく、警備員が猛然と突進してくる。仕事熱心でなによりだが、あいにくウチのガードは、たぶん百戦錬磨の殺し屋だ。今も、猛獣のごとき殺気を放ち続けている。
警備員はある程度で間を置き、レイを見定める。対するレイは、戦闘態勢を解いて殺気をしまい込み、やや脱力。わたしの目にもわかるような隙だった。
その動作を見やった瞬間、一気に警備員が前に出る――わざと見せた隙に乗せられた。身を大きく沈めたレイは、四足動物のごとき姿勢で警備員の懐へ。右手の袖を掴みよせて態勢を崩させ、足ばらいでひっくり返らせる。大の字に寝転がる男の腹に拳を叩き込み、ノックアウト。
「オーナー、ウチとそちらは長いこといい関係を保ってきましたが。組織の裏切者に加担したとなればどうなるか、わからないあなたではないですよね?」
追ってきた警備員と相対するレイ。しかし相手は、先ほどのノックアウトを目にし、足がすくんでいた。隙だらけの顔面にレイが拳を叩きこみ、黙らせた。
『しかし、オスカーくんは』
狼狽えを感じさせる声音――ビンゴ。これはオスカーからオーナーへの個人的な連絡によって差し向けられたものだ。わたしが話している内、レイはノコノコやってきた警備員を回し蹴り一発で蹴散らした。
「リサ後ろ!」
わたしの後ろより駆けてくる警備員が二人。わたしは小走りで前へ進み、レイの後ろに隠れた。
「オーナー! 自分の状況がよくわかっていないようですね。早く警備員を引いた方がいい。まだ修復可能なうちに、ね」
オーナーは押し黙った。ここで電話は切らないほうが得策だ。走っているうち、地下駐車場に続く階段は近くまで迫っていた。
レイが一気に前に出て、拳が触れるギリギリまで接近。すぐさま身をかがめ、二人の腹に拳をお見舞い。怯んだところへ顎に一発ずつくれてやると、男たちは倒れて動けなくなった。
階段はエレベーターホールのそばにある。アウトレットの西方に位置する、やや奥まった場所が直近のホールだ。そこを目指し、ひた駆ける。
「いいですか、この件を大事にしたくなければ、今回の騒動について色々もみ消しておいてください。わたしは今裏切者に追われてるんです。警備員には助けてもらいたいくらいで」
先導するレイが、エレベーターホールで最後の警備員と相対した。ここに来る頃には、野次馬も完全にいなくなっている。
レイが鋭い視線を警備員に向ける──が、警備員は構わず突っ込んできた。よく見れば、ガタイがこれまで相対した警備員より一回り大きい。あまりに迫力ある突進に、わずかなサイドステップで避けようとするレイ。しかし、タックルは罠だった。男の太い腕が伸び、拳がレイの右前腕を打つ。
「つっ……痛えなこの野郎!」
果敢に攻めるレイ、カラテを想起させる構えを取る。警備員はその大きな拳をまるでハンマーのごとく振り回す。レイはそれらをわずかな動作で避け、するりと懐へ。そして、相手の腹に拳を叩き込む。
警備員はモロにくらったが、動じない。歯を食いしばっている辺り、ダメージは蓄積されている様子。だが、まったく衰えない動きで懐のレイへ膝蹴り。どれだけレイが強かろうと、あの筋肉から繰り出される格闘が効かないわけがない。
レイがのろのろと後ずさる。さらに、拳を振り上げた男は、風を切るパンチをレイの顔面に叩き込んだ。鈍い音に合わせて鮮血が数滴飛び散り、レイの美しい顔が赤く腫れあがる。
傷ついた姿も美しいが、レイを傷つけたことは許されない。極力無関係者は殺さないつもりだったが、こいつはここで殺す。わたしはスプリングフィールドXDを取り出し、銃口を警備員のでかい図体へ――
「待って! こいつは、あたしがやる。油断したあたしが悪い」
意気揚々と、これまでで一番気合いの入った言動。それから、血の混じったツバをプッと吐き出して笑った。まさかレイ、戦いを楽しんでいるのか。
「殺したらごめんね」
レイはバックステップで距離を取り、わたしのすぐそばへ。そしてこちらを見やってバチリとウインクを見せた。まるで無邪気な子供だ。
身を低くし、一気に疾走。同時に、懐からハンドガンの予備マガジンを取り出した。それを、顔面めがけて投擲。意表を突かれた男は、避けることもなく目の辺りにマガジンを直撃。
投擲のため疾走の勢いを緩めたレイは、跳躍。空中で回転し、カミソリのごとき後ろ回し蹴りがくり出される。
「お返し」
男はひるみつつも、果敢に蹴り、パンチ、掴みかかりを繰り出す。レイはわずかな動作でいなし、隙を見て男の右手を掴み取った。
「百舌鳥の顔面は高くつくぞ?」
一気に引き寄せると同時、男の肘めがけてアッパーカットが繰り出される。クリーンヒットによる無残な破砕音が、彼への強烈なダメージと右腕の終焉を知らせた。逆方向に曲がった右腕を抱え、野太い嘆きの声が上がる。
だが、果敢に男は攻めて来る。まだ動く左手が、わたしの目では捉えきれないスピードでレイに迫った。
レイの動きの方が、遥かに早かった。拳を避けたレイのしなやかなローキックが、警備員の腰に突き刺さる。フラついた警備員を余裕の眼差しで見つめるレイ、その場で大跳躍──男の頭部へ渾身の後ろ回し蹴り。警備員はもの言わぬ人形と化し、くずおれた。いつかに見たテコンドーのK.Oの瞬間と、今の情景が重なる瞬間。
「あたしにケンカ売るつもりなら、ジム行くよりスラムで鍛えてもらいな」
吐き捨てるように言いつつ、レイは投げたハンドガンのマガジンを拾い上げる。微妙に恰好つかない幕引きであった。
「待たせてごめん。それと、見苦しいとこ見せたね。行こう」
笑みを浮かべたレイが歩み寄ってくる。一戦交えてきた強者の姿は、わたしの目にはきらめいて見えた。
「か、かっこいい〜!」
「へへ……そう? 交渉してるリサもカッコよかったよ。ビジネスマンって感じ」
「それ、なんか褒められてる感じしない……。ねえ、格闘技もやってたの?」
「まあ、ちょっとだけ」
何度も警備員を殴り倒したレイの拳は真っ赤になって、所々皮が剥けていた。あまり見ていたくない状態。それでも、これは目を逸らすべきではないものだ。
「ごめ……いや、ありがとう。戦ってくれて」
「あたしはこれしか出来ないから。やるべきことやってるだけ」
その時、後方からバタバタと足音が響いた。三人の警備員が駆けて来ている。
スプリングフィールドXDの銃口を向けようとしたが、レイがハンドガンを向ける方が速かった。対する警備員たちは、歩みを止めてハンズアップ。これまでの警備員と比べてやる気なさすぎでは。
「あなたたちを守るように、との指示が」
予想外の言葉に、わたしたちは顔を見合わせる。警備員たちに敵意はないどころか、まさかの護衛担当に任命されていた。オーナーへの電話は、意外にも有効に働いていたらしい。
しかし、これから車を盗んで逃げようというのに、カタギの警備員を連れていくのはいかがなものか。
「えーと……じゃあ、下までお願いします」
オーナーに守ってもらいたいくらいと言ってしまった都合、無下に扱うわけにもいかない。エレベーターホールから三秒、降りるまでに約三十秒の距離までだが、ついてきてもらうことにした。
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