Episode12 別離
「別れた方がいいです」
それは、あまりにも唐突に告げられた警告で。キツネみたいな顔したお前になにがわかると言いたくなったが、それは飲み込んだ。
ティーンエイジャーと呼ばれる年も、あと二年もなしに終わってしまう。そんな時期のことだった。
ハイスクール一年目の終わりに、わたしとレイはすぐに付き合い始めた。最初は友達関係のアップデート版みたいな付き合いだったが、いつのまにやら一線は越えていた。まあ、そのへんは割愛。
年を重ねるにつれて、一年がどんどんあっという間になっていく。青春と恋愛にどっぷり浸かっていたら、時間は光の速さで進んでしまったのだ。
学校からの帰り道。今日はレイが用事ありということで、一人歩いて下校していた。そんなとき、突如声をかけてくる不審者――ではなく知り合いに声をかけられた、という次第。
「……オスカー。あなた、わたしのなにを知っているの?」
ローレルの一員である、キツネ顔のオスカー。彼は優秀な男で、父のお気に入り。頭が回る上、そこそこハンサムなのが――キツネっぽいのに――なんとも言えない幹部だ。天は二物を与えないということわざがあるが、この男は地で否定している。
「ボスの娘さんです。身辺の警護や、よからぬハエが集らぬよう努めるのは幹部の務めでしょう」
「そう、ご苦労様。あいにくだけど、よからぬハエは自分で叩き落せるから。プライベートに入ってこないでほしいんだけど」
スタスタ立ち去ろうとする。しかし、早歩きでオスカーは追いついて来た。身にまとったスーツは綺麗に決まっているので、クールなビジネスマンのようにも見える。
「お嬢、自分の父親がどんな人間なのか、わかっておいでで?」
「いちおう血縁者なんだけど。なにが言いたいの?」
「あの方は、同性愛者をひどく嫌っている」
背筋を悪寒が駆け抜ける――脳裏をレイの顔がよぎる。おそらく、表情にも恐れが出てしまっている。取り繕う余裕がない。
現代において、同性愛は認められつつある。だが、未だに反対を表明する人間が多いことに変わりはなかった。そういうステレオタイプな人間は、どうしたって変わってくれない。
そのステレオタイプに含まれるのが、父だ。
「まさか、自分の娘が同性愛者だとは思わないでしょうね」
「あんたもお父様に賛成ってわけ?」
「先ほど言ったことをもうお忘れですか? ではもう一度言います。別れた方がいい」
彼は中立だった。父と、実子であるわたしの間に立ち、上手く立ち回って手柄を立てたいのだろう。
「それが助けになるとでも? わたしは、あんたなんか頼りにしない。絶対に、レイとは別れない」
「その言いぐさ。やはり、あの方と付き合っていましたか」
しまった。彼は、わたしとレイの関係について、確証を得ていなかったのだ。みすみす情報を与えてしまった。これでは、父さまの手前で情報が立ち止まっているようなものだ。
「あたりはつけていましたが、やっぱりですか。あの方を父に持って、よくそんなことができますね。綱渡りのような恋は燃えますか?」
「っ……あんた、なにがしたいのよ!」
オスカーの胸倉を掴み、引き寄せた。ぐっと近づいた彼の顔が予想以上に真剣なもので、驚かされる。
「百パーセントとは言えませんが、これでも善意で言っているつもりです。彼女を大切に想うなら、別れた方がお二人のためだ。ボスは己の中に確固たる尺度を持っていらっしゃる。ルールを破ればあなたとて――」
「わかってる! そんなこと!」
イライラして、甲高い声が出てしまう。これ以上キツネ顔を見ていたくなくて、力を込めて突き飛ばした。
「わたしは、諦めない」
「あなたは強い。どこまで持つか……いえ、やめましょう。初恋は、たいてい失敗に終わるものですよ」
「あんたの恋愛説教なんて聞きたくもないわ。どうせ童貞でしょ!」
「ええ、そうですが」
「……なんか、ごめん」
「いえ、事実ですから。あなたの恋愛観にとやかく言うつもりはありません。だが、お父上がご存命の間は、控えた方がよいかと」
もう去ろうかと考えていた矢先、とんでもない言葉をぶつけられ、たたらを踏む。父の死。つまり、ローレルの長が代替わりするとき。
「あなたの口からそんなセリフが聞けるなんて」
「男はみな、野心家ですから」
「わたしみたいな女の野心も忘れないでほしいかな」
にやりと笑うオスカー。踵を返し、去っていった。
恐ろしい男だ。有能なだけでなく、腹に一物抱えている。まあ、有能な人材なんて等しくそういうものか。
父のことを、尊敬すべき存在として見たことは、あまりない。仕事の手腕に関しては、学ばせてもらうことも多いが。
そんな父を、生まれて初めて煩わしいと感じている。同性愛を禁じるマフィアなんて、今時時代遅れだ。それとも、マフィアの世界では当たり前の慣習だったりするのか。
唐突にレイの声が聞きたくなって、電話をかけてみる。しかし、出てくれなかった。忙しいのだろう、仕方ない。
「……絶対、諦めないもん」
大切なつながり。なにがあっても、手放してたまるものか。
精細につくられたシャンデリアで照らされたホールは、いっそうの華やかさをもってきらびやかな雰囲気を漂わせていた。
中心に、純白のテーブルクロスをかけられた大きなテーブル。ぐるりと囲むよう配置された椅子には、スーツやドレスを身にまとう紳士淑女が納まっていた。
パーティのようにも見えるが、ちょっと違う。これはコミッティーと呼ばれる会合で、裏社会の者たち――装いは合法の企業運営者――たちが集まって、会食と意見交換を行う場。まあ、言ってみればパーティと同じかもしれない。
中心のテーブルには父も列席し、オスカーを含む側近がついている。なにやら楽しそうに、美人の奥方とお話しをしているようだ。
わたしはといえば、中心から少し離れたところにある席で食事と歓談。付き添い人やせがれのために用意された、いわば第二第三のコミッティーに列席中だ。
食事は美味しいが、歓談は気乗りしないのが正直なところ。仕事の自慢話とかされてもつまらないし。だが、ここでしか会えない友人というのも居たりする。今日は遅れているようだが。
「クラリッサ! ごきげんよう!」
やや不慣れさを感じる英語に呼ばれ、振り向く。東洋系のかわいらしい女の子の姿が、そこにあった。黄色人種のはずが、肌はかなり白く見える。
「キョウコ! 遅かったじゃない」
キョウコは、日本の大きな暴力団の家系に生まれた子だ。後継者ではないらしいが、他国の文化が好きで、こういった場に際して父にくっついてやって来る。わたしとは、よく日本のことを教えてもらったり、逆にアメリカのことを教えてあげたりしている仲だ。
「やっとアメリカに来れた。日本は狭くて嫌になるわ!」
「長旅ご苦労様。どうして遅れたの?」
「それがね、暴対法? 絡みでゴタゴタがあって。本国と連絡取ってたの。それで来るのが遅れちゃったのよ」
決して流暢ではないものの、キョウコの英語は日本人の中では上手い方だ。なんでも日本は英語教育がかなり遅れているらしく、キョウコほど喋れる人は有能人材として扱われるらしい。まあ、日本語がかなりユニークな言語なので、自国語にこだわってしまうのかもしれない。
「ゴタゴタってどんな?」
「まずお金のことでしょ。それから、最近ちょっとした抗争騒ぎ起きちゃって。マスコミがうるさいんだよねぇ」
ちらりと見やると、中心テーブルに座すキョウコの父の顔には、少しばかり疲労の色が見て取れた。周りの人たちも、彼のことを労わっている。
かつては仁侠映画のごとく大立ち回りを見せた日本ヤクザも、時代の変遷と共に色々立ち行かなくなってきている。だからこそ、海外へ根を張ろうとしているのだ。あの狭くて、魅力と欠点が綯い交ぜの島国から、片足だけでも抜け出したもん勝ち。それがかの国の現状だ。
「日本の警察はちゃんと働くって言うもんねえ。大変そう」
「いやまあ、お金渡せばちゃんと手貸してくれる人もいるんだけどねえ。やっぱ外のがフリーダムでいいわ」
「そろそろ日本行ってみたいんだけどなあ」
「いや、観光するには最高だから! 今度来てよ~、歓迎するから~」
「うーん、夏くらいになったら行けるかも」
お疲れムードだったキョウコの顔色が、ぱっと明るくなった。活発系美少女と言う感じで、やはり可愛らしい。本国ではさぞモテていることだろう。
「よっしゃ! 来るときは早めに連絡してよね。超歓迎の準備するから!」
そのことで、ふと思いつく。キョウコに顔を寄せて、ささやいた。
「二人で行くかもしれないから」
「おお。それって、これですか」
そう言って、彼女はにやりとしつつ小指を立てた。おっさんか。
まあその通りなので頷くと、彼女はまたぱっと喜んで、今度は自分の話を始める。どうやら、日本で彼氏ができたらしい。日本をあまり好いてない彼女が、国内でボーイフレンドを作るとは少し意外だった。
一緒に撮った写真があるということで、見せてもらった。そこに映っていたのは、白人の男性――明らかに日本人ではない――とキョウコのツーショット写真。やはりというか、彼女の趣味に合いそうな人だった。
キョウコとばかり話しているわけにもいかないので、色々な人との歓談へ。コミッティーのメインは、もちろん中央テーブルに座す重鎮たち。だが、わたしの座す第二第三の舞台でも、多様なやり取りが交わされる。世代が移り変わったのち、信頼できる者は誰か。また、消すべきもの、取り込んでしまうべきものなどの選別も。
こういった場でやり抜くのは、将来必要なこととはいえ、あまり好ましくはなかった。未熟者も集まる場ゆえ、やる気まんまん! みたいなオーラを隠しきれない人が時々おり、正直うざったい。今話している男も、あなたがどんな人か推し量ってますと顔に書いてあるようだ。
「すみません、わたしちょっとお手洗いに」
こういう時は、さっくり会話を終わらせるのがベスト。時は金なりという言葉もある。無駄な人間と話すのに、時間を使うつもりもない。
「あ、わたしも行く」
キョウコが寄って来た。どうやら、彼女もこの場の空気に辟易しているらしい。
「この時間が一番煩わしい。ねえクラリッサ、ここ抜け出してどこか行かない?」
ため息交じりに言うキョウコの顔には、諦観が浮かんでいた。
「それができないの、自分が一番よくわかってるでしょ」
「うう……これ終わったら、絶対どっか遊びに行こうね!」
「わかってるわかってる。キョウコはどこ行きたい?」
「えっとねー……あ、ごめん。お父さんに呼ばれちゃった」
足早に中央テーブルの方へ向かうキョウコ。後ろ姿を見送って、わたしはホール外へ。
「お嬢、どこへ?」
警護担当らしきスーツの男が不安げに問うてくる。おそらくローレルの者だろう。
「自然がわたしを呼んでるの(Nature call me)。レディの戯れについてくるつもり?」
「これは差し出がましいことを。ごゆっくりどうぞ」
「最後のセリフも十分差し出がましいけどね」
トイレへ行きたいことを示すスラングである。トイレは自然との戯れ。とてもお上品に聞こえるが、実際ただの冗談めいたスラングでしかない。
喧騒の中を出て、廊下を抜けた先のトイレへ向かった。建前とはいえ、行くと言った場所に行かないわけにはいかない。
女子トイレには誰もいなかった。心落ち着く静かな場所に来られた安堵で、ため息が漏れる。
それと同時、急激な腹痛と便意がわたしを襲った。なんともおあつらえ向きのタイミング。飛び込むように個室へ駆け込み、用を足すことにした。
出すものは出したが、腹痛がすぐ治まるとは限らない。悪あがきめいた痛みと格闘すべく、わたしはまだ便器に座っておくことに。それにしても、キョウコが来ない。
その時、連続した遠雷が耳に届いた。いや、これは雷鳴ではない。
銃声だ。この階で、銃声が轟いている。
「……お父様! キョウコ!」
すぐにここを出るべきか。しかし、この階で狙われるようなところといえば、ホールだ。自分の命を大事に思うなら、ここを出るべきではない。
まずはなにをすべきかと考え、とりあえず即行動可能にすべくお尻を拭く。それから次は――父にわたしの所在を伝えねば。携帯を取り出し、すぐ電話をかける。三回のコールで応答した。
「お父様!」
『リサ! いまどこに!』
父の声のバックで、銃声が幾重にも轟いていた。おそらくサブマシンガンかアサルトライフル等によるもの。連続して鳴り続けているあたり、乱射されているのだろうか。
「トイレの中。お父さま、ホールは」
『襲われてる! 誰かの差し金だ! 絶対にそこを出るんじゃないぞ!』
電話はそこで切れた。来るなと言われると行きたくなるが、命に関わる事案のため、そうも言ってられない。緊張と不安で、冷や汗が流れ始めた。
銃声は途切れ途切れになったが、鳴り続けている。銃撃戦になっているのだろうか。ここではなにもできない。ただ待ち、祈ることしかできない。
父は重要人物ゆえ、守られているに違いない。先ほどもわたしの電話に出てくれたくらいだ。無事な可能性は高そうだ。
だが、キョウコは。彼女は暴力団の後継ぎでもなければ、重要人物でもない。守られているという保証はどこにもない。
「クラリッサ、いるの?」
わたしを呼ぶ声。まぎれもない、キョウコのものであった。このパニックの最中にあっても、彼女の声は快活なままだ。すぐに個室から飛び出した。
「キョウコ! よかった……」
「クラリッサ。このままこ」
瞬間、キョウコの右側頭部が抉れ、鮮血と脳漿が飛び散った。
「……は?」
「お前もホールにいたな」
キョウコの後ろに、黒ずくめの男がハンドガン──グロックを構えて立っていた。こいつが、襲撃犯なのだ。こいつは、キョウコを殺した。
死んだ? キョウコが? その事実を飲み込むのに、長いような短いような、認識し得ない時間を要した。その間にも、目の前の襲撃犯は顔に銃口を向けようと狙いを定める。このままでは、わたしも死ぬ。それだけは、避けなければ。
「あなた、わたしの顔、忘れたの?」
コミッティーは、秘密の会合だ。開催場所は、一部の人間にしか公開されない。
「忘れるわけがない。さっきホールにいた女だ」
「ええそうよ。でも、それだけじゃない」
先ほど父は言った。誰かの差し金だと。あのホール内に、裏切者がいた。
「雇い主の関係者を殺す気?」
わたしのセリフに、男は露骨な戸惑いを見せた。即席の考えは、上手いこと作用したらしい。
「なっ……お前が、雇い主? でもあんたの顔は見たことがない」
「全員が全員顔を見せるわけないでしょ。それか、なにか手違いがあったのかも」
どうせ殺される。ならば、一か八か、裏切り者を演じてやる。
「そう、か……いや待て。いまこの女がクラリッサと」
ダメだったか――そう思った矢先。後方より現れた影が、グロックを掴んで銃口をわたしから逸らす。男は焦って発砲。わたしの居た個室ドアに穴が開く。
「お嬢、よくぞご無事で」
現れたのは、オスカーであった。優し気な笑みを見せると同時、彼は手にした食事用のナイフで男の首を掻き切る。血を噴出しながらも男は格闘したが、格闘技の経験があるオスカーの前では軽くいなされる。そして、間もなく絶命。床に崩れ落ちた。
「オスカー、なにが」
「武装した男たちがホールに乱入し、銃を乱射。あそこはもう惨劇の舞台と化してます。あっちが落ち着いて来たので、トイレにいるお嬢の様子を見に来たんですが……」
彼の視線が、キョウコの遺体に向く。無残にもトイレの床に倒れ伏した彼女は、頭から多量の血液を噴出し、絶命していた。あの撃たれ方、おそらく即死だったろう。思い出すと、吐き気がこみ上げて来た。
「お嬢、ここはトイレです」
遠慮することはなにもない。個室へ駆け、吐きたいだけ吐き出した。それでも、友人の死に対する悲哀は、吐き出すことができない。胸に刺さり続けたまま、抜けることのない楔。
「……ありがとう、助けてくれて」
「礼には及びません。立てますか?」
手をさしのべてくる。無視して立ち上がり、キョウコの亡骸の前でしゃがみこんだ。血の臭いが、硝煙の臭いと混ざって漂っている。これがキョウコだとは、思いたくなかった。
「キョウコさんのお父様も、銃撃で亡くなられました」
「そう……」
彼女がなぜ死なねばならなかったか。それは明白だ。血も涙もない裏社会に足を突っ込んだから。一歩間違えれば、わたしだってこの場で死んでいた可能性がある。
わたしが進もうとしているのは、こういう世界だ。今さら恐ろしいとは思わない。ただ、本質にあるものを久々に見せられて、少し驚いているだけ。
「戻りますか? それなら、覚悟はしておいた方がいい」
「グロ注意って? それなら問題ないわ」
「今吐いていたじゃないですか」
「キョウコは、友達だもの」
友の死――予想だにしないお別れに、心が痛む。彼女の家は良いビジネスパートナーとは言えなかったようだが、少なくとも彼女は、わたしの友人だった。
立ち上がり、遺体を一瞥して、トイレを離れた。さようなら、キョウコ。
ホールへと向かう廊下には、襲撃犯らしき男の死体が一つ転がっていた。銃で肩と首を抜かれて、血だまりに沈んでいる。
「キョウコさんの二の舞にするおつもりですか」
「なんのことよ」
「恋人」
「……今そのことは関係ないでしょ」
ホールに戻ると、目を背けたくなる光景と、鼻を突く不快な臭いが待っていた。そこら中を穿った弾痕。飛び散った血液。床に倒れるたくさんの遺体。
わたしの判断がもう少しここに留まることを選択していれば。また、便意がやって来なければ。死臭と火薬の漂うホールで怯え苦しむことになっていたであろうことを想うと、己の幸運に感謝せねばなるまい。
わたしやキョウコのいたテーブルに目をやると、遺体が集中して地に伏せていた。さっきまで生きていた者たちが、無造作に転がっている。室内は丁度いい温度に保たれていながら、悪寒が身体中を這いまわった。
ここは、死と隣り合わせだ。
これから先も、レイと一緒に生きていく。もしそれが叶ったとして、ここにレイを連れてくることができるのか。堂々と街を歩いて、デートに現を抜かす。安心して、ふかふかのベッドに二人で寝転がる。新しくて大きな家を買い、二人で仲良く平和に暮らす。
不可能だった。映画の中のマフィアだって、寝室を襲撃されていた。
もしわたしがマフィアにならなかったとしても、巨大な父を親に持った時点で、確実な安寧は約束されていない。自分だけでなく、周囲の人間が一歩踏み外しただけで、死に直行する可能性すら孕んだ人生。
「お嬢、善意で言っているのだと、わかっていただけましたか」
顔色を見たのか、オスカーが喋りかけてくる。なにも口にすることができず、ただ立ち尽くすことしかできない。
裏切者の正体は、すぐに発覚した。なんと、ローレルファミリー内に裏切りと襲撃を手引きした者がいたのだ。犯人発見に至るルートに関しては、父はなにも教えてくれなかった。
『丁度いい機会です。ルールを守らない者がどうなるか、見ておくといい』
裏切者の処刑が決まった頃、オスカーが勧めて来た。しかも、わざわざ電話で。
その時、わたしはレイと一緒に下校中だった。彼女は、これが誰からの電話なのか、知りたげに眉をひそめている。
最近、オスカーが口うるさい。ことあるごとに、ローレルファミリーのルールがどうとか言ってきて、わたしがレイと別れるよう促してくる。うざったいので「なんなの?」と聞くと、「遊びで付き合ってはいないようなので」と返された。
彼は、わたしとレイのことをわかった上で、本当に善意で言ってくれているようなのだ。わたし達の関係が知らぬ間に調査されているのは普通に不快なのだが。
電話口のオスカーを待たせていたので、会話を再会する。
「またグロ注意、じゃないの?」
『あなたにとっては、いい勉強になるかと。身内の処刑を見るのは?』
「初めて。でも、いつもやってるのと」
『違いますよ。あの方は、身内の愚行を許さない』
今回の件で、父は恐ろしく激昂していた。わたしの前では態度に出さないが、節々に怒りが表れている。裏切者を出し、多くを巻き込んだ責任を取らねばならないのだから、その怒りは理解できた。
『処刑の日は明後日。そうしたら、早朝でないと見れないでしょう。車で迎えに行きますよ』
「車って。どこに行くの?」
『処刑場ですよ。おそらく、早くに行かないと片づけられてしまう』
彼がなにを見せようとしているんだか見当がつかない――グロいものなことのみわかる――が、それは父の腹の底が見えづらいのと同義。
裏切者を処刑するマフィアといえば、映画でもたくさん描かれている大事なシチュエーション。ある種儀式的なイメージすらある。父がどのように儀式と向き合うのか、少しだけ、興味があった。
「誰からの電話なの?」
「……キツネ」
「なにそれ。組織の人でしょ。車でどっかお出かけでも? あたしを差し置いてドライブデートかな」
「違う違う。なんていうか、その……物見遊山」
「観光? やっぱドライブデートじゃん」
「ドライブデート行きたいんだ」
「リサ運転下手そうだからやだ。あたしが免許取ったら行くよ」
「ひどい! わたしもう免許持ってるし!」
楽し気な時間は続く。このときのわたしは、フィクションとノンフィクションの違いを、まったく理解していなかった。
オスカーはなんでもこなす。もちろん、運転も。
朝五時。いつもなら寝ている時間なのに、わたしは車の助手席に収まっている。人々や公共交通機関はもう稼働しているので、街は既に眠りから覚めているようだ。
「ふぁ~っっ……ねむ」
「ずいぶん大きいあくびだ。昨晩は夜更かしですか?」
「もうぐっすり。でもこう朝早いとね~」
「すぐに目が覚めるでしょう。もう着きますよ。ほら」
そう言って、道路の先を指さす。先に目をやると、街灯を中心に小さな人だかりができていた。見上げている人、視線を逸らす人、しゃがみこんでいる人。あとは、四つん這いの人。それらが興味を示す対象は――
「あれ、なに」
「かつて人だったもの」
肉塊だった。
街灯にぶらさげられた人型の肉。大きさは、成人男性ほどと見て取れる。服を着ているが、腕や足、顔などの露出部分は大部分が皮を剥がれている。
車を停め、降車。遺体と群衆からやや離れた距離でも、視力には自信があるのでハッキリ視認することができた。
グロどころの話ではない。十八禁指定が必要な刺激物が、ごく普通の街中で風に揺られていた。あまりにも現実味がなさすぎて、あそこだけフィクションなのではないかと錯覚する。わずかに漂った死臭が、現実だと告げるよう。
この目で見たことのある拷問は、せいぜい爪を剥がすとか、タオルをのせた顔に水をかけ呼吸を止めるようなもの。流血沙汰は多々あったが、これほどの残酷さは初見だ。
マフィアと裏切り。そこには、なんらかのドラマが働いているのだという想像があった。家の都合、マフィアのリアルは理解しているつもりだった。だが、裏切りと処刑は、未知の領域。
あの死体に、ドラマ性は皆無だ。
「……お嬢、見すぎです」
横からの、飽きれたような声で我に返る。
「キョウコさんの遺体を見た時はあれほど憔悴していたのに」
「……まあ、あの人のこと、なにも知らないから、なのかな」
現実は不快で、醜悪。畏怖の象徴でしかなく。儀式などという言葉をあてがうべきではないのだ。そこには、ファミリーの恩情などはなく、冷酷無比が凶器となって振り下ろされるのみ。
「ねえオスカー。死体、見慣れてる?」
「あなたよりは、多く見て来ていると思いますよ」
彼は年長者だ。踏んでいる場数は、違くて当たり前。
「そう……そうよね」
「慣れるスピードは、人それぞれでしょう。とりわけ、あなたは優秀……いや、そう言っていいものか」
だが、わたしの感性は、まだ完全にはイカれていないように思う。あれほどの死体を見て動じていないようだが、一つだけ確信できることがあるのだ。
この世界に、この運命に、愛する女を連れて来てはならない。
その日、レイと別れることを決めた。
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