Episode1 仕事

 わたしの家は、マフィアの家系だ。

 第二次世界大戦の頃から、わたしの家は代々マフィア――つまるところ、裏稼業で生計を立てている。かつては弱小だったそうだけれど、今ではビジネスが上手く回っていて調子がいい。アメリカのローレル・ファミリーといえば、裏社会のみならず、表社会でも知る人ぞ知るくらいの地位は持っているはずである。

 もちろん、このクラリッサ・ローレルも、例に漏れず裏社会を生きている。ピシッとしたスーツに身を包み、時には懐に銃を仕込み、今日もお仕事に精を出すのだ。出しているのだが――

「はあ? なに言ってんの?」

 突如かかってきた電話に、思わず大声を上げてしまった。周りにいた部下たちの視線がこちらへいっせいに向く。パブリックな場所だというのに。

 インドネシアの首都、ジャカルタ。その郊外に位置するスカルノ・ハッタ国際空港にわたしは居た。乾季のインドネシアはやはり暑苦しく、スーツでいては蒸れて仕方がない。マフィアの黒スーツにはある種のあこがれを抱いていた時期はあったが、今ばかりはその印象をかなぐり捨ててタンクトップに身を包みたくなる。しかし、お仕事ゆえ我慢。

 仕事を終え、涼しい空港ロビーでゆったりとフライトの時間を待っていた。そんなとき。火急の知らせが飛び込んできたというわけだ。

 雑然とある人々の視線も、大声に反応し、自然とこちらに向いてしまう。さすがに恥ずかしいので、声を落として通話を再開。

『お嬢、早く本国に戻って来て下さい』

 よく知る男の声であった。声だけ聴くと、かなり聴き心地の良い落ち着いた声音。

「早くって、わたしまだインドネシアよ? 帰ったら色々済ませるから、できるとこまではそっちで処理しといてよ」

 今回の仕事は、ここインドネシアに拠点を置く武装組織への武器密売商談であった。久しぶりに大きな金が動く上、新たな常連客を作り出せる可能性があるという、ビジネスにおける重要案件。

 そんな大仕事なので、わたしに回ってきてしまったというわけだ。なにせ、わたしは組織の幹部を務めているので。

『お嬢の尻拭いは私の仕事ではありません。もう自分の尻は拭ける年齢でしょう』

「わたしなにもしてないし!」

 話に終着点がないので、通話はその後すぐに切った。

「クラリッサさん、なにが……?」

 怪訝そうに部下が聞いて来る。気になるのも無理はないだろう。なにせ、わたしが一番呆れている。

「わたしの管轄の部下……もといチンピラが、お金の不祥事起こしちゃったんだって。早くお説教するなり処理するなりしろってさ」

 どうせ飛行機の時間もすぐに来る上、東南アジアにこれといった用事もない。帰れと言われればもう喜んで帰ってやりたいくらいなのだが。

「もう仕事したくないよ~」

 部下たちの視線が「お疲れさまです」と告げているようだった。いい部下を持てて、わたしは幸せ者だ。

 映画の中のマフィアは、いつも友情とビジネスの間で揺れたりした末、銃撃戦とかを繰り広げている。でも、現実は書類を引っ提げて世界を周っている。

 イメージと違う、なんて駄々をこねるつもりはない。むしろ、平和を享受できて幸せとすら思っている。でも─―ささくれみたいに痛む心残りが、一つだけ。それを振り切って、今日も仕事に精を出す。



「組織のお金はみんなのお金。わかるよね?」

 というわけで、帰国したそばから、わたしはお仕事――もとい、尻拭いに行かされるハメに。

 アパートメントのワンルーム。ローレル・ファミリーの持つ物件で、密談などする際に使用する部屋の一つだ。お昼時の太陽光が、カーテン越しに窓から射し込んでいる。それ以外に、この部屋には明かりがない。

 ソファに脚を組んで座るわたし。その前方には、透明な天板の四脚テーブルと、上に載った札束が一つ。そして、身を震わせながらソファに座す二人の男。その周りには、強そうな黒服男たちが屹立。爽やかな陽気の外と相反するように、重苦しい雰囲気が鎮座していた。

 右の男が、蚊の鳴くような声で切り出した。

「すんません……でも、リサさん」

「クラリッサ! わたしをリサと呼んでいいのは家族だけ!」

 一応声を荒げておく。リサは、あくまでも愛称だ。今日が対面二回目くらいの男たちに、そう呼ばれる筋合いはない。

「ねえ、そんなにわたしの下で働くのが嫌なの? だから反抗期みたいなことしちゃったの?」

「そ、そんなことは!」

 そう言いつつも、彼らの目には未だ反抗心が宿っている。こういうのを放し飼いにしては、いずれ面倒ごとのタネにもなりかねない。

「わたしがボスの娘だから? それとも、女だから? 気に入らないなら理由を言いなよ」

 男たちは、視線を逸らしてだんまりを決め込む。目を逸らしたのは、言いづらい思いを抱えている証拠。おそらくわたしの家系が気に入らないのだろう。思わずため息が漏れた。

 実際、組織内でのわたしは、あまりよく思われていない。なぜならわたしの親は、ドン・ローレル。つまり、ファミリーのボスなのだ。

 いわゆる親の七光りというやつである。直接的にも間接的にも同じことを言われ続けていて、回数を数えたら枚挙にいとまがない。

 それだけならいい。だが、意外とマフィアが板についてきているわたしは、父に次代のボス候補と目されているのだ。親の七光りな上、でかいマフィアのボス候補。組織内から睨まれても仕方がない。

「まあ、気に入らないのはわかるけどさ。でも、わたしたちは組織なの。足並み揃えてやっていかなきゃならないんだよ。それにさあ」

 更生できそうな人と、そうでない人。父の教育の賜物で、なんとなく見分けはつくようになった。こいつらは後者だ。

「キミたちチンピラ上がりとは違って、覚悟決めてマフィアやってんのよ、わたしは」

 覚悟。その言葉は、人間次第で重みが変わる。歩んできた人生と決断が、声色に乗る。

 愛する女を捨ててくるだけの、覚悟。それが、わたし。

 懐に手を入れ、拳銃――ガバメントを取り出す。そして、銃口を男たちに向けた。周囲から「なにも殺さなくても」「クラリッサさん待って」と声がする。構わず引き金を引いた。

 銃弾が胸を貫き、鮮血がシャツを赤く染める。薬莢が転がり落ちるのに合わせて、男は糸の切れた人形のごとく倒れ伏せた。隣の男にも銃を向け、撃つ。マズルフラッシュに合わせて顔面に穴が開き、鮮血を噴いて死んだ。

「なんで殺したんです!」

「こういう目をしてる奴は、組織にいらないから」

 ああ。殺してしまった。救いようのない目をしてたとはいえ、ノリと勢いでやってしまった感は大きい。

「……ごめん、軽率にやっちゃって。片づけといてくれる?」

 こういう姿勢を見せておくことは重要だ。組織内において――ローレルに限った話だが――女は甘く見られがち。この女はやるときはやる。それを知らしめていくだけで、随分と違うはず。

「あ、持ち物になんかあったら抜いといてね。お金とか隠してるかもしれないから」

 部下たちに告げて、わたしはそそくさと外へ。血と硝煙の臭いは、さほど好きではない。アパートメントの階段を降りて、部下たちと乗って来た車に寄りかかった。

 空は晴れていたが、太陽は雲に隠れている。まあ、過ごしやすい陽気なので気にはしない。季節は秋。寒暖の中間にあるこの時期は、わりと好きだ。

 暇なとき、映画の中のマフィアはよくタバコを吸っている。しかし、わたしは嫌煙家だ。こういうときの暇つぶしは、テキトーにスマホでもいじるに限る。

 ニュースアプリを開き、ザッと流し見。すると、アイオワ州に巣くっていたマフィアの親玉が検挙、というニュースが見えた。一度小火器の取引を行ったことがある組織だが、かなり感じが悪かったのを覚えている。ざまあみろ。

 もうマフィア生活も六年くらい。一般人と比べてどうかは知らないけれど、主観的には順風満帆だ。

 父と一緒に、人間の強さも弱さもたくさん見てきた。ただ、様々な感覚や倫理観というやつが、いつのまにか麻痺している。スムーズに仕事をこなすため、そういった邪魔なものはオミットしてきた。

 初めて死体を見た時はげろげろ吐いたし、拷問を見た時もげぼげぼ吐いた。しかし、それもかなり昔、幼少期と言える過去のこと。今では特に、なにも感じなくなっている。感情を動かされてばかりでは、なにもできないから。

 幸いなことに、わたしには野心があった。良い土壌で生み育てられたからには、その恩恵をたっぷり受けて育ちたいと考えるのは自然なこと。裏社会で金を稼いでビッグになりたいという素朴な欲求は、多くの代償を払わせると共に、わたしを変えてくれた。

 その野心が、スムーズに成功へと導いてくれたらよいのだが。それには、父が――

「クラリッサさん! さっきのやつら、こんなもん持ってましたよ」

 部下が忙しなく二階から駆けてくる。振り向くと同時、野望に揺らいだ思考が霧散した。部下の手には、小さな袋に入った錠剤が握られていた。

「これは、薬? なんの薬かわかる?」

「最近出回ってる麻薬ですよ、アッパー系の。たしか、メキシコあたりから流れて来てるとか」

 マフィアが金を稼ぐ手段として、麻薬の売買は主要なものとして挙げられる。現に、ローレルのシマ周辺では、麻薬を売るチンピラや組織が散見されていた。

「メキシコから……。つまりそれって」

「はい。いずれ、この街にも出回るかもしれないブツってことです」

 これを聞いたからには、舌打ちせざるをえない。直視したくない現実が、もうそこまで迫っているようだ。

「これ、効果はどんなもんなの?」

「さあ。そこまでは。試してみますか」

「っ、わたしがクスリ反対派なの知ってるでしょ? ふざけないで」

 無神経な部下の言葉にイライラが募る。三大欲求でもここまでイラつくことはない。生理中ならこのくらいイラつくかも。

「ボスの意向に反対してるの、クラリッサさんだけですよ? 大丈夫なんですか?」

「なに、あんたらもお父様に賛成ってことなの?」

「い、いえ、決してそういうわけでは」

 怪訝そうに顔色をうかがう部下。体裁としてわたしの部下ではあれど、結局はローレル・ファミリーという大きな巣の一部。こいつを実質支配しているのは、わたしではない。

「……いいのよ、別に。ここは自由の国なんだから。好きも嫌いも中立も自由よ」

「組織は足並み揃えるべきって、さっき言ってたのは」

「……それとこれとは話は別ってことで」

 人の意識は移ろいやすい。わたしがこの地位で安定を保つためにも、威厳だけは保っておきたい。これからは、言動にも気をつけねば。

「もう、メキシコ野郎の作った薬を売りさばこうなんて、なに考えてんだか。そんなんで肥え太ったって、がん細胞体に植え付けてるようなもんだっての!」

 部下の手にあるヤク袋をひったくり、地面に叩きつけた。踏みにじってやるが、崩れる気配はない。わたし程度の脚力では、ビクともしないということか。

「クラリッサさん! 声が大きいです!」

 聞かれていたって構うものか。わたしは、この街の平和を案じて言っているのだ。



 死体を片づけ、今日の仕事は終了。そしてお家へと無事帰還。

 マフィアとしてやっていくようになってから、父の元を離れて一人暮らしをしている。五階建てアパートメントの四階にある四号室。そこそこ新しい建物で、住みやすさだけは気に入っている。

 家に入ると、目に飛び込んでくるのは雑に並べられた靴たちと、木製フローリングの廊下。色々片付けないとなあと思いつつ、ヒールを脱いで廊下へ。いつもなら靴は履いたまま家に上がるが、ヒールは履き心地が好きじゃないのだ。さっさと脱ぐに限る。

 ただいまを言う相手はいない。一人暮らしのこの部屋は、わたしなくして音を発しない。

 歩きつつスーツを脱ぎ散らかしていく。ジャケットを放ると、ゴトリと音がした。ガバメントを入れたままだったらしい。構わず服を脱いでいき、下着だけになったところでリビングに到着。

 あまり着飾るつもりはないので、リビングの内装はシンプルにまとめるようにしている。どこの家にも置いてるような品はざっくり揃え、気にかけているのはもこもこのラグと映画のブルーレイを入れる棚くらい。映画はよく観るので、ある種わたしの趣味と言えた。もう少し大きな家に住むことになったら、家具にもこだわりたいところ。

 特に目立つところもないけれど、ソファに脱ぎっぱのパジャマが置かれていたり、栓を抜いて少しだけ飲んだワインがそのままだったり、ガバメントが放られていたり。人を招くにはいささか怠惰が過ぎるので、できる限り人は招かないようにしている。一度父が来訪――もとい強制監査に来たときには、あまりの汚さにちょっと怒られた。

 とりあえずテーブルのワインをボトルのままがぱっと一飲み。時間経過のためか、やや風味が落ちてしまっていた。これはもう飲むことはないかな。

 お腹が空いていたが、それよりもさっぱりしたい欲求の方が強かった。すぐにシャワーへ。

 バスタブに入り、栓をひねる。降りかかるお湯は、わたしの汗や疲れを伴って滴りおちていく。しかし、なにもかも落としてくれるわけではない。血の臭いなんかはこの程度では落ちないし、なにより、わたしの身に憑いた罪業は、いつになっても落ちることはない。墓場までのお付き合いだ。

 シャワーを止め、一息。普通の悪者は、自分の悪行を振り返ったりするのだろうか。もしかしたらわたし、マフィア向いてないのではないか。まあ、既に向き不向きが方向を決める時期は、過ぎてしまっているけれど。

 さっくりと体と髪を拭き、ふんわりとした着心地のバスローブを着用。冷蔵庫の野菜室から新しい白ワインを取り出し、ソファにどかっと座りこんだ。

「ふぃーっ。今日もお疲れ様、わたし」

 ワインの栓を抜くと、きゅぽんっ、と爽快な音が響く。透き通るような白をグラスに注ぎ、誰にでもなく乾杯。口に含むと、スッキリとした果実風味が口の中いっぱいに広がった。うまい。

 マンション……とは言い難い、アパートメントの四階だ。周辺に出で立つビル群のおかげで、眺めはあまり良くない。仕事の関係で選んだ物件だけれど、やはり高級住宅的なものに手を出したいお年頃。例えば、父が住む豪邸みたいな。

 わたしが父に反抗心を覚えるようになったのは、一人暮らしを始めたからかもしれない。しかし、それだけではないと確信できる材料はあった。

 ローレル・ファミリーの資金源は、武器密売や賭博場運営など、多岐に渡る。それらの管理は、一つの業務部門を一人ないし二人の幹部が部下と共に取り仕切るという形で行われている。ちなみにわたしは、武器をメインに取り扱う幹部だ。

 現状でも、ローレル・ファミリーの経済は十分に回っていると言えた。だが最近になり、父が新たな商売のタネを持って来てのだ。

 麻薬売買である。

 既に周辺では育ちつつあるビジネス。その影響がローレル牛耳るこの街に根強く蔓延る前に、こちらから打って出ようという作戦らしい。父はメキシコの麻薬カルテルと既に商談を始めていて、経過は上々とのこと。

 わたしが小さいころから暮らしてきた街に、麻薬が忍び寄ろうとしている。それが堪えられなかった。

 麻薬は人を狂わせる。わたしがハイスクールやユニバーシティにいたころ、周りの人間でやっている人を何度も見かけた。実際に人から勧められたこともある。その時はやんわりと断ったっけ。

 だけど友人――もう名前も思い出せない――が麻薬に染まってしまった経験がある。中毒になり、多くのお金を惜しみなく使い、狂乱へと堕ちていく。それを間近で見せられる気分ったら、悪いなんてものじゃない。その時ばかりは、ウチのファミリーは武器密売メインで良かったなあと思った。

 それに、麻薬カルテルがとにかくヤバい。ここ最近で、中南米に居を構える麻薬カルテルが急成長しつつあるのだ。南米では容易く手に入る麻薬が、ここアメリカや他国ではかなり高く売れる商売道具となる。それゆえ、カルテルの経済状況は良くなる一方。

 撲滅のために各国の警察も動いているようだけれど、豊富な資金で人材と武器を集めたカルテルは、軍と対抗し得る武力を保有しているとか。ただの犯罪が、戦争にまで発展しかねない暴力をはらんでいる。というか、街の自警団との戦争が既に何度か起きているという話も耳にしている。

 そんな魔の居城と取引など、言語道断。いつどんな危険がわたしの生まれ育った街に及ぶだろう。考えただけで恐ろしい。それに、公権力からマークがついた組織と関係を持てば、ファミリーにも新たなリスクがつきまとう。

 わたしはこの街が好きだ。外観とか、雰囲気とか、そういうことじゃない。むしろ、そういった諸要素は好きではないと言ってもいい。

 わたしが好きなのは、この街に残る思い出だ。

 かつての恋人、ライリー・マクスウェルと過ごした思い出だ。

 ライリー――愛称はレイ――は、ツリ目がちょっと怖く見えがちな白人の女の子。少し近寄りがたい雰囲気はあったけれど、仲良くなってみれば、くすんだブロンドが似合うかわいい子だった。

 思い出される過去――愛しい過去。でも、あまり思い浮かべたくはない。だって、過去にすがってしまいそうになるから。

 彼女の存在はいわば、感情の蓋だ。彼女と別れたことで、わたしはマフィアの女として生きる道へと進んだ。裏を返せば、彼女がわたしの隣に居続けたら、今はないかもしれない。

 今。過去。どちらが幸せか。考えてはならない、わたしのウィークポイントである。

 そのとき、どこかでわたしの携帯がシンプルな着信音を鳴らした。どうやら脱ぎ散らしたスラックスに入れっぱなしだったらしい。よっこらせと立ち上がり、スラックスから携帯をひっぱり出した。

 父からの電話だった。不本意ながら出るしかない。

「……もしもし」

『クラリッサ。よかった、まだ起きていたか。今日は面倒ごとを押し付けてすまなかったな。ご苦労だった』

「いえ。わたしの管轄だもの。お父様の手を煩わせるようなことじゃないわ。相変わらず忙しいんでしょう?」

 特になにもないが、声色に感情は据えて置く。親子の会話が無感情では、コネでの出世に響きかねない。

『まあな。今日連絡したのはそのことだ』

「お仕事のこと? それは期待していい話?」

『もちろん。お前の今後に深く関わることだ。ファミリーの新商売の話はしたな?』

「……コカインの密売でしょ」

『半分正解。ヘロインの提供にも着手する形で話を進めているところだ』

 父のビジネス話を聞いていると、気分が悪くなってくる。こうして電話しているときのわたしは、かなりブサイクな顔をしているだろう。

「色々手を出しすぎると、どこかでコケるよ? 現に、わたしの下がやらかしたじゃない」

『巨大な組織の末端なんてそんなものだ。それに、そういった事態に対処するために、プロジェクトリーダー……幹部がいる。クラリッサはよくやってくれているよ』

「それはどうも。で、用件はなんなの」

『今の武器関連事業で、クラリッサの仕事は大成している。正直、我が娘がここまでの逸材とは思ってもみなかった』

「……お父様や他の幹部の見よう見まねだよ」

『謙遜などするな。自分を過小評価する必要はない。それで、だ。今の事業は後任に引き継ぎ、リサにコカイン関連のプロジェクトリーダーも兼任してもらおうと考えたのだ』

 駆け抜ける衝撃。なんてタイミングでなんてことを突きつけてくるのだこの親父は。

 身体中を駆け巡る嫌悪感。こみ上げる吐き気。過去の情景が脳裏をよぎる――クラリッサもやりなよ、楽しくなろうよ。大学時代の友人の、人の道を外れつつある瞳。犯罪者とはまた別の、許されない領域。

 麻薬事業に文句があることは、父に伝えていなかった。こうした誘いが来る可能性は考慮していなかったが、十分にありえることだったのだ。

「……あっ、えっと。少し、考えさせてほしいかな」

『なにを迷う必要がある。麻薬は末端の動きが活発なプロジェクトだから、今の仕事よりはある意味楽だぞ?』

 そういう問題じゃないのだ。このバカ親、娘のことをなにもわかっていないらしい。

『……言うか迷っていたが、言おう。これを任せると同時にな、クラリッサを次代のドンとして、正当な後継ぎにしようと考えている』

「なっ……どうして、わたしなの」

『長らく迷っていた。幹部は頭の固い者が多いが、リサはとても柔軟に物事を進めるだろう。そういうところを、私は評価しているのだ』

 それはまあ、仕事を早く終わらせるのを最優先に動いているから。頭を回し、効率よく商談を進めるべく日々努力している。それが評価されたというのか。

 その時。頭の中で、なんらかの化学反応が起きた。レイについて考えたからか。嫌な話をされたからか。ともかく、わたしの脳内で、一つのひらめきが灯り、覚悟の指標が現れた。

「……その話を受けると決めたら、もう次代はわたしで決まりなのね? 揺らぐことはないのね?」

『おうとも。我が娘のさらなる成功を願い、支えていく所存だ』

 嫌悪にもみくちゃにされながらも、頭を回す。これはある種、好機だ。ここで言質を取れば、わたしは次代ボスとなれる。

 それすなわち、父がいなくなれば、わたしが組織の上に立てる。わたしが、この街を牛耳る長となれる。

 昔観たマフィア映画や、日本の極道映画。犯罪組織の長となるべく、組織の人員たちは策謀を巡らせ、多くの人間を死へ叩きこむ。そして、苛烈な闘争と鮮血の道を進んだ末に、主人公は長のイスに座る。

 裏切り。それだ。

 映画の観すぎだろうか。だが、麻薬の流入は、現状で統率の取れたこの街を、組織を、どう変える? 時代と人は変わりゆくものだが、変わらない事も時には必要だ。

 父は、目先に利益がある限り、無限に肥え太っていく。あの人も年を重ね、様々な判断に対して理知的な対処ができないところまで来ているのは確か。その癖、病にかかることもなければ、引退する気配も見せてこなかった。

 なによりわたしは、この街を変えたくない。レイと過ごしたこの街を。レイが帰って来るかもしれない、この街を。

『リサ、どうした、黙り込んで』

「……ごめん、ちょっと、考え事。でも、わたし決めたよ」

『決心してくれたか。ああ、こういう話は電話でなく、対面ですればよかったなあ』

 電話で良かった。対面だったら、思考がどれだけ態度に出てしまっていたか。

 すう、と深呼吸。そして。

「わたし、その仕事を受ける。ローレル・ファミリーを背負うよ」

 麻薬事業が稼働する前に、父を殺す。そして、わたしがボスになる。

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