第七走 酒は飲んでも飲まれるな

 走ラン会の友達ナホコさんと私は次の秋に二人揃って初ハーフマラソン(21.1km)に挑戦することにしました。私たちの住む市のマラソン大会は毎年9月末に行われます。年明けくらいに申し込みました。


 やはり目標を決めると練習にも気合いが入りますね。10キロから21キロは二倍以上の距離ですから中々ハードルは高いです。二時間ちょっと連続で走り続けないといけません。それまでは最長でも一時間ほどしか走ったことはありませんでした。


 そして週末ナホコさんと一緒に走りに出かけるようになりました。人と一緒だと長距離は気が紛れていいです。ああ一人だったら絶対ここで歩いてしまうだろうというところでも、もう少し続けようかという気になるのです。


 いきなり21キロを走る前に私は15キロ走を一度走ってみました。いい練習になりましたが、15キロという中途半端な距離の大会は珍しくてなかなかありません。自分が目指すハーフマラソン大会の日程とタイミングが合わないこともしばしばあります。


 さて、15キロを完走できたことで少し自信もつきました。友人達にも大丈夫と言われました。あと6キロ走れたらハーフで完走です。練習中に一度21キロの距離を本番前に走ってみたかった私ですが、夏の暑さなどのせいで、結局初ハーフに挑戦する前に走った最高距離は18キロでした。




 しかし、一番つらかったのは暑い中での練習でもありません、禁酒でした。気合いが入りまくっていた私は何を思ったか、大会一か月半も前から禁酒を始めます。これが辛く長い道のりのはじまりでした。こういう時に限ってビールが良く合う食べ物を食べる機会が増えるものなのです。禁酒中にはなにを見てもお酒を連想してしまったりするものです。


 ある日の夜、我が家の冷蔵庫を開けた私はそこにあってはいけないものを見つけてしまいます。幻覚かと思いました。数度瞬きしてもソレはそこに鎮座したままです。一度冷蔵庫のドアを閉め、再び開けました。やはりあります。


 ビールの6缶パックがそこにおわします。喉がゴクリと鳴りました。いかん、ヨカコ……ここで負けては女がすたる……ドタドタと家の中を駆け、ツレアイに詰め寄りました。


「ちょっとツレアイ! 私が今地獄の苦しみで禁酒しているの知ってて何でわざわざビールなんかこのタイミングで買ってくるわけ?」


 うちのツレアイはまずお酒を飲みません。会社の飲み会でもビール一杯で真っ赤になってそれだけです。家でも飲んで一、二週間に一本くらいでしょうか、それも私が一ケース買ったそのうち一本を飲めばいい方です。別にお酒が無くても生きていける人種なのです。




 そんな父親を見て育ったタローとジローはどうも私のことを誤解しているきらいがあります。ある日彼らと一緒に乗った地下鉄車内に『あなたは一人ではありません。私たちがいます、ご相談ください』とかなんとか書かれたアル中支援団体のポスターを見たジローが一言発しました。


「お母さん、ここに電話してみたら?」


 一瞬周りの乗客の皆さんの耳に入っていないか恐る恐る見回した私でした。いや、私はアル中ではないのだジローよ、私は毎晩楽しく一人で晩酌している無害なほろ酔いオバチャンなのだよ……君は本当の酔っ払いやアル中を知らないだけだ……




 さて、そんなツレアイがなぜこの日に限って初ハーフマラソンを二週間後に控え、禁断症状を乗り越えかけた私の目の前にビール缶をぶら下げるのでしょうか?


「だって今ヨカコ禁酒中で6缶買ってもすぐになくならないから長い事楽しめると思ってさ……」


 幻覚の次は幻聴を疑いました。私の目の前でこんな血も涙もない発言をしているのは本当に私が結婚した相手なのでしょうか……確かに彼の言い分ももっともですが……普段の私ならビール6缶なんて二、三日で消えてしまい、週1缶のペースで飲もうとするツレアイは1缶飲めればいい方で、下手すれば私が先に全部飲んでしまって全然ありつけないことも大ありです。


「このビール6缶、大会当日まで絶対無くならないよね! 絶対ハーフ走り終わって飲んでやる!」


 私は決意も新たに叫びました。

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