第23話

眩しさを感じてぼんやりと目を開ける。

視界と下腹部に違和感を覚え、記憶を手繰り寄せて一瞬息が止まるかと思った。

窓から見える太陽はすでに高い位置にある。

ここは伊織さんの部屋で、昨日この部屋で彼とセックスしたのだ。

まだ伊織さんのものが入っているような感じがする。

横になったまま膝を抱えて丸くなり、溜め息を吐いた。

身体も綺麗になっている。きっと伊織さんが掻き出して、拭いてくれたのだ。眠ってしまって、全然気付かなかった。


意を決して傍に置かれた昨日の服を身に着け、力を入れて立ち上がる。

布団を畳んでからリビングに顔を出すと、伊織さんはキッチンで茹で卵の殻を剥いていた。


「あの、おはようございます」


「おはよう、俺もさっき起きたんだ。たまごサンド作るんだけど食べる?」


「いただきます」


後始末をしてくれた事にお礼を言いたかったのに、いざ口に出そうとすると恥ずかしくて言えなかった。

それ以前に、昨晩の事が脳裏にちらついてまともに顔も見られない。

この人に愛されたい気持ちが大きくなって言う事を訊いてくれない。

昨日だって、決して“好き”だとか“愛している”という類の言葉は言って貰えなかった。


意思を持って触れられるのも、キスをされるのも、身体を繋げるのも、全部心地良い。

けれど伊織さんの気持ちは解らないままだ。

寂しい。胸の真ん中が寂しいと呟く。

母親と一緒に暮らしていた時は独りが当たり前で、アパートに誰も居なくても、友人と言える人がいなくても、それは当たり前だったから寂しさはさして感じなかった。

やっぱり欲張りになってしまったのだ。

こんなつもりじゃなかったのに。


その晩、ソファに腰掛ける彼の膝に乗って僕からキスをすると、伊織さんが「するの?」と訊いてきた。


「したいです」


「そう、君、俺が好きなんだっけ」


「はい」


「そう。そうなんだよな」


自分から何度か伝えているのに、改めて訊かれると照れ臭くなる。

何故か伊織さんが、少し、苦い顔をした。


「なんで?」


尋ねられて、何故だろうかと思う。

助けてくれたから、初めて僕の話を訊いてくれる人だったから。それも理由の一つだろう。

受け入れてくれるから? 気に掛けてくれるから?

いくら考えても、これだという明確な答えは浮かんで来なかった。


「……解りません」


「解らないの?」


「優しいから……?」


伊織さんが、一瞬泣きそうな顔になる。

そんな事はあまり無いから、自分の返答が悪かったのかと焦った。


「お前、まだ子供だろう。優しい人なら、ちゃんとこれから先何人も現れるよ」


なんでそんな事を言うんだろう。

これからなんてどうだって良いのに。

僕はあなたの話をしているのに。


「伊織さんが良い。これからの人じゃ嫌だ。あなたが良い。あなただけが良い」


意味の無い言葉で拒まないで欲しかった。

そんな理由で。

そんな、思ってもいないような言葉で。


「俺を知らないだろう」


その台詞は僕に向けて発した訳ではないようで、ぼそりと呟くようだった。

急に突き放された気分で怖くなる。

今、伊織さんは何を考えているのだろう。


「旭、俺を好きにならないで」


「……どうして。そんなのもう無理です」


「俺に言われた事、全部出来てただろ」


「出来ません」


「そんな事言うなよ」


二の腕を掴み、伊織さんは僕の胸に頭を預けた。

綺麗なつむじが見える。


「やさしくできない」


「伊織さんは、優しいですよ」


「ちがう。違うんだよ旭」


違うんだ、と呟く声が揺れていた。

俯いているから伊織さんの表情が解らない。


「本当は、こんな、旭の事……そんなつもりじゃ無かったのに」


腰に手を回され、引き寄せられた。伊織さんの指先が震えているのが伝わってくる。

まるで、まるで縋り付くように彼が僕を見上げている。

ぎゅっと喉が詰まる感覚がして、たまらなくなった。


「伊織さん、僕をどうしたかったんですか」


「俺は……お前を……」


彼の指がゆっくりと伸びて、僕の喉仏に触れる。

親指が添えられ、少し押される。固い所がごりっと動いて、ちょっと息苦しい。

そのまま伊織さんは首を伸ばし、僕の口唇に噛み付いて来た。

隙間から舌を挿し込まれて吸う事も吐く事も出来なくなった呼吸に焦り、思わず彼を突き放した。

喉に痛みと違和感が残って咳き込む。

伊織さんを見つめると、彼はどこか傷付いたような表情をしていた。


「苦しいの嫌だろ。今日は優しく出来る気分じゃないから、また今度な」


伊織さんが立ち上がり、僕の頭を撫でて自室に帰って行った。

僕は以前、彼に「伊織さんのしたい事をされたい」と伝えた。

出来ないよ、と返されたけれど、今もその気持ちはこれっぽっちも変わっちゃいない。


別に良いのに。

本当に、伊織さんになら何をされても良かったのに、僕は今間違えたのだ。


後悔に包まれながら部屋のドアをノックする。

反応してくれないかも知れないと思ったが、しばらくすると扉を開けてくれた。


「……どうしたの?」


「一緒に、寝ても良いですか? 寝るだけだから」


伊織さんはしばし逡巡していたが、最後には「良いよ」と招き入れてくれた。

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