優しくて甘い

高嶺 蒼

第1話 一人ぼっちのお狐様と、一人ぼっちの女の子

 都心から遠く離れた片田舎。


 春先になれば、地元民が山菜取りに通いつめる山の麓に、古ぼけた赤い鳥居と小さなお社がある。そこに祀られているのはお狐様。


 でも、普通は二つあるはずの狐の像は、なぜか一つ欠けていて。


 そのお社を守るお狐様は、いつもどこか寂しそうに見えた。


 昔はよく近所の年寄りや子供がおとずれたものだが、最近の世風なのか、ただ古くなったお社が人々から見放されたせいなのか、最近は赤い鳥居をくぐる者もほとんどいない。


 お日様が温かな日も、雨の日も。


 お狐様は一人きり、じぃっと動かず、ただいなくなった相棒の座すべき場所を見つめ続けた。





 そうして長い長い時が流れ、一人きりの時間にも随分慣れてきたある日。


 ほっこり温かな日差しの中で、うとうととまどろんでいたお狐様は、くすんくすんと泣く誰かの泣き声にその意識を揺り起こされた。


 その泣き声はまだ幼くて。だけど、ひどく悲しそうで。


 お狐様は、石で作られた器の中から、そっと外の様子をうかがった。


 すると、最近人々からめっきりお見限りで、すっかり草だらけになったさほど広くない境内の片隅に、小さな人影がうずくまっているではないか。


 こちらに向けられた背中が、あまりに寂しそうで悲しそうで。


 お狐様は、ついつい声をかけてしまった。




 「おい。どうした?お主はなぜ、泣いている?」




 相手には聞こえないだろうと、分かってはいても。


 が、驚くべきことに、その小さな影はお狐様の声に反応した。


 お狐様の声が届くや否や、その子はぱっと顔を上げ、泣きはらした目を隠そうともせずに周囲をきょろきょろと見回した。


 まさか、己の声に反応されるなどとは思っていなかったお狐様は、ひどく驚いた。そして、その子供をそっと観察した。


 年の頃はいくつだろうか?最近は子供を見かけることも減り、子供の年を見分ける自信は全くないが、きっとまだ10歳にはなっていないに違いない。


 その子の顔はとても可愛らしかったけれど、大きく美しい瞳は妙に大人びていて。寂しさや悲しさを詰め込んだようなその瞳を見つめていると、なぜか胸をぎゅうっと締め付けられるようだった。




 「誰か、いるの?」




 鈴を鳴らすような可愛らしい声が、ずうっと一人きりだったお狐様の、心を揺さぶる。




 「それとも、また、真帆の気のせい?ママの、言うとおり……」




 幼い声に響く、自嘲の響き。その声に混じる傷ついた切ない色に、お狐様は思わず叫んでいた。


 気のせいじゃない。わしはここにおるぞ、と。




 (……人と、交わっちゃいけないよ。きっと傷つく。君は、とても優しいから)




 昔々、相棒が言った言葉が脳裏に浮かぶ。


 相棒の、言う通りなのかもしれない。けど、それでも。


 一人っきりのお狐様には、目の前の寂しい瞳を放っておく事など、出来そうに無かった。




 「どこ!?」




 叫ぶようにそう言って、必死な面持ちで声の主を探す少女の、僅かに輝きを増した瞳を愛おしいと思った。


 器から出て己の姿をさらしたら、少女を驚かせてしまうだろうか。気味悪いと、思われはしないだろうか。


 そんな不安はもちろんあった。


 だが、少女のあまりに必死な様子に、お狐様は意を決して冷たい石の器から飛び出した。




 「ここじゃ!」




 ふぅわりと宙を舞い、少女の前に降り立てば、当の本人は鳩が豆鉄砲をくらった様な顔をしていて。予想通りだったとはいえ、ちょっとむっとしたお狐様は、




 「せっかく出てきてやったのに、なんじゃ、その顔は?」




 むぅっと唇を尖らせた。


 少女は目をまぁるくしたままお狐様を見つめ、




 「お耳と尻尾、あるよ?」




 ふっくら愛らしい唇からこぼれたのはそんな指摘。


 そんな彼女に向かって、




 「そりゃそうじゃ。わしはこの社を守る狐、じゃからの」




 お狐様はふふんと笑い、胸を張ってそう言った。

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