眩んだ私鉄は家かち割るが
九層霞
第1話
朝ぼらけは長い。この町の朝は、少し長すぎると、いつも思う。
私は仕事着をなんとなく正して、テレビのスイッチを押す。誰が淹れたのかわからないミルクココアが卓上にあって、自分のもののような気がしない私の手が、クルトンの小皿を掻き寄せた。昨日、帰ってきてどうやって寝たのかが、うまく思い出せない。服装からして、勤務終わりには相当疲れていて、考えなしにベッドへ倒れ込んだらしい。それぐらいしか、私にはない。疲れは取れたようでもあったし、どうせ一時忘れただけだろうと悲観するなら、したいだけできそうな感じだった。平日7時のニュースが始まって数分、つい最近起こったというのに決して報道されない事件について思い至り、私は憂鬱になる。
昨日、突拍子のないことが起こって、この町は閉じ込められた。納期の差し迫ったうちの部署とはあまり関係のない話だったので、今の今まで頭の隅に眠らせていた。電波が繋がらないとか、外に出られない訳ではない。もっと根本的な問題で、深すぎて表からは見えなくなってしまっている。原因究明を果たせる者はおらず、敢えてしようとする人間さえいつしか途絶えていた。彼らが町の内外からもたらした成果は、どうしたって元には戻れないと私たちに完璧に認めさせた一点に尽きた。
具体的にはこう。昨日が来てから何年か経った。明日が来なくなってから、もう何年になるだろう。それは町民誰もにとって考えても考えても憂鬱で仕方なくなる話題で、つまるところ誰にとっても全く関係のなくなった確固たる事実だった。答えの出そうにない悩みを追い続けるのには、青さが十分に必要。ただしそれは擦り切れる一方だ。一世帯、一匹、一粒残らず私たちは老い果てて、夢に過ぎない望みを捨てた。
駅に着いた。私は思わずクスリとする。一つは電車が来ることと、私が出勤しようとしていること。何もかもサボって、好きな店を巡ったって誰にも怒られはしない。この町の資源は無限だった。明日一日を始める頃に、当たり前のように全て元に戻る。尤もずっと昔に一通り試して、もう飽きて止めたのだったような。なぜなら資源が再配置されるように、私たちだってどんな意識で一日を送ろうとも同じ朝へ立ち返らされるから。でも柵や枷なんてもので邪魔されてもいないのだし、またたまにはやってみようか。
面白かったもう一つは、駅の時刻表の土日部分が切り抜かれていたことだ。ずっと前の今朝には、それに気が付かなかった。それからだんだん、ひどいいたずらがあるものだ、あの時刻表を見たくても二度と見れないではないかと心配するようになった。今ではいたずらの有無を確認する日課が心地よくなった。あれは「一度切り抜かれたきり」ではない。なくなってしまったのでなく、何者かが「毎朝切り抜きに来ている」のだ。直接見てはいないが、そうでなければ辻褄が合わない。それは改札で番をしているあの駅員のささやかな反逆かもしれないし、たまたま件の一日目に早起きする用があった近隣住民であり駅の利用者が、例えば犬の散歩がてらに踏切から侵入してやっている可能性もあった。私が調べないのでどのような動機の犯行か長い間わからないままで、それゆえに私の興味は長引いていられた。大切なのはこういう些細な楽しみをしまって歩むことだ。
ホームにまばらな人々を見回し、程なくして、向こうから滑ってきた車掌と見合う。知らない顔だったが、勘違いかもしれなかった。相手もどうやらそんなような表情を作っていた。風はない日だ。穏やかな日差しを抜け、私は静止した電車の中へと乗り込んだ。
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