貴女にできることはきっとない。

高瀬涼

貴女にできることはきっとない。


別れの美学なんて言葉があるけれど、きっと自己陶酔に浸ったどこかの女が感じたことだろうと思う。


だって、私は辛かったから。

あの人のことをあきらめることなんて到底できるはずがないと思った。

これ以上ないくらい、私が愛した彼は大学の教授だった。


これだけで惚れてしまうでしょう?

あ、ステータスとかだけで好きになったんじゃないわよ。

彼と私は読む小説や映画の好みが合った。

でも、たまに合わないものがあったら、私が彼に合わせた。

あまり興味がないものもあったけれどDVDレンタルした。

サイコホラーなんてジャンル、本当は好きじゃないけど、彼が好きなので一通り観た。監禁されて、解放されたのに犯人に見張られてて死に怯える少女。それに興奮を覚える男の話、なんて観てて楽しい?

ハラハラしたわよ、確かに。

でも、これを観て得られるのは「ああ、自分じゃなくて良かった」という安堵感。

一人で観て、後味の悪さに観たことを後悔した。


私が好きなのは明日への活力になるようなハッピーな話、胸がキュンとするような恋愛映画。私ってば女性らしいわよね、表向きはクールぶってるのに。


表情に乏しいせいか、あの人はたまに「疲れてる? 怒ってる?」と聞いてくれた。全く何も考えてなかったで、どうしてそんなことを聞いてくるのかわからなかった。

不機嫌そうにしているなら申し訳ない。

でも、四六時中、笑顔張り付かせている女怖いでしょ。

世の中の女の子はどんな顔をして隣りを歩いているの。

あの人と別れたあと、私はそれを真似すれば次は大丈夫かもしれないと思って観察した。

別に無表情だった。時折、笑う。

笑った女の子は幸せそう。私だって笑ってたよ。何が違うの。


あの人は普段、教授という肩書を持っているけれど、机にかじりついたままというわけでもないの。当たり前か。

とにかく、健康にも気を使う人でテニスを趣味にしていた。

ランニングもするよう。

朝、早く起きてランニングして携帯のアプリに記録しているんだって。

すごい。私なんてぎりぎりまで寝てたいのに。尊敬する。

私は結婚したあと早起きしてもいいなと思った。気が早いけど。


教授は料理好き。理科の実験みたいだからよく自炊すると話していた。

私はしないのだった。

まるきりしないのではなく、ちょっとしかしないのだ。

教授はグルメで、よく食べ物の話をしていた。よく食べる人。私は全く食べることが苦手で、すぐお腹いっぱいになってしまう。

それよりも教授と一緒に目をみて話して、抱きしめあうことが大事だった。

教授に触れることは叶わなかった。

今からでも触っていいのに。

女性としての魅力に欠けているのかもしれない。

だったら、ダイエットしてエステ通って服装にお金かけて、髪も綺麗に伸ばすよ。

ありのままの私を愛してなんて贅沢言わないから。


私がまだ二十代だからいけないのかもしれない。

教授は四十歳前。親子でもいけるとかどうでもいいじゃない。


そこに愛があればいいんじゃないの。

教授が私に抱いていたのは微かな何かだったのでしょう。

私が、キラキラとあちこちに景色を眺めるとき、時折目を細めていたのはどうして。大人しく隣りで語り合えばよかったの。

はしゃぎすぎたのかも。

大人の男性と付き合ったことなかったからわからなかった。


教授が前の奥様のことをまだ好きなのは知っている。

でも離婚しているならいいじゃない。

慰謝料があっても結婚してもいいじゃない。

私も働いて稼ぐから。


私のためを思って別れるというなら、それは逆効果よ。

私のためならずっと傍にいてよ。


もう、やめにしようと言うあなた。

私はあの時、泣いて泣いて、困らせた。

だって、いきなりすぎたわ。片鱗に気づかなかった。

今思えば最初から、そういう恋が終わる流れだったのは愚かな私でも気付いていた。気付かないフリくらいしていたっていいでしょ。


怖かったから「私のこと好き?」なんて愚問しなかった。

賢い女だと思って欲しかった。

ここまで好きになる前に聞けばよかった。

私は私の浅はかさに更に泣けてきて、とまらなかった。


泣いている私に対してあなたは追い打ちをかけるように言ったわね。


――貴女にできることはきっとない、って。


どうしたら、いいのかに対して「無い」なんて絶望でしかないわ。


でも。

教授。今はもう違う大学へと行ってしまったあなたに感謝しているの。

だって、私無かったから終われたんだもの。

終われないと次につながっていけない。

零にならないと一に進めない。

誰でもわかる法則。


なるほど、別れの美学はここにあり、か。

悪くないのかもしれない。


偉そうなこと言っているけど、教授。

こうしてくれたら君のことを好きになるなんて提案なんてしたら私はすぐに転んでしまうんですからね。


きっと、というのは願う時に使うでしょ。

つまり、教授は「無い」ことを願ったんでしょ。

願うということは事実じゃないかもしれない。

本当はあったのかもしれない。


私はあなたの言葉使い好きだった。

無いことを願ったのなら、私はあなたに合わせるけれど。


不本意であることには変わりないの。


私はまだあなたのことがきっと好きだから。








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貴女にできることはきっとない。 高瀬涼 @takase

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