傷跡一つ残すなさっさとしろ
だけど、彼女が絶望の顔をしていたのはほんの短い間だけだった。
すぐにその顔には殺意と憎悪が戻る。
何もできないことは明白であるというのに、痛みのせいで身動き一つとれないくせに。
そんな彼女に地竜様とやらはゆっくり歩み寄る。
そして未だ憎悪の表情を浮かべるあの女の顎を掴んで――
あの女の唇に自分のそれを重ねた。
その瞬間の事をよく思い出せない。
ただ、一瞬目の前が真っ赤になった気がした。
それから苛立ちは最高潮になっていた、自分でも訳が分からないほど僕はイライラしていた。
これまでの人生で感じたどんな怒りよりも純度の高い、そして巨大な怒りに全てが支配された、そんな感覚。
だから、どうやってそうしたのはぶっちゃけよくわからない。
気が付いたら僕はあのクソ地竜の真横に立っていて、いつの間にかメリケンサックをはめていた右拳を大きく振りあげていた。
あとは振り下すだけだというところで正気に返ったが、それでも感情に支配された僕は怒りと苛立ちのままにその拳を全身全霊で振り下ろした。
結果、クソ地竜の身体はひしゃげて砕けかけ、地面には大きなヒビが入った。
それでも僕はそんなことに気もかけずにクソ地竜の体を殴り続ける。
無言で、ただひたすらに。
怒りも苛立ちも憎悪も全て吐き出す勢いで、下手すると魔王を倒した時以上の力を使って、完膚なきまでに叩き潰す。
気が付いたらクソ地竜の体は挽肉よりも細かくなっていた。
殴るものがなくなった僕はいつの間にか荒くなっていた息を整え、後ろを振り返る。
そこには何が起こっているのかよくわかっていないような顔をしているあの女がいた。
普通は恐怖しそうなものだけど、どうも僕がやりすぎたせいで何が起こっているのか理解が追い付いていないようだ。
――右腕が折れている、背中も痣ができそうだし、他にも細かい傷がいくつか。
思わず舌打ちしてあの女に手を伸ばす。
そこで自分の手が地で真っ赤に汚れていることに気付いた。
これで触ったら汚れるか、と思って両手に浄化魔法を掛けて綺麗にする。
一滴の血の跡もなく綺麗になった両手であの女の体を抱えた僕は、転移魔法を発動させた。
「お帰り、ずいぶん遅かったな……ん?」
「どこに行っていたのですか勇者様、こんな遅くまで。ってちょっと待ってください、その方は……」
宿屋に戻ると、すでに戻ってきていたらしい聖女達と呑気に談笑していたらしい親友を発見した。
その親友の方に抱えていたあの女を突き飛ばす。
「治して」
「は?」
「今すぐ治して。完璧に完全に治して。傷跡一つ残すなさっさとしろ。欲しいものがあるなら後でいくらでも用意してやる」
目を白黒させている奴に詰め寄ってそうお願いすると、奴は困惑したまま首肯した。
「ちょっと!! そんな言い方はないんじゃないの!?」
いつもうるさい戦士の馬鹿が叫んだけど、うるさいと睨んだら押し黙った。
「わかったわかった、ちゃんと治すからとりあえず落ち着け。全身綺麗に治すから……ここじゃあれだし、とりあえず部屋戻るぞ」
「了解」
ここにいる誰よりも何も理解できないような表情で突っ立っていたあの女をもう一度抱えて僕は部屋に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます