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ブレスレットに魔力を流し込む。その工程だけで辿り着いた午後のカシタ農園には、現在見慣れているようで見慣れない人影が山程存在していた。
事情を始めから知っていないと自己のアイデンティティが軽く崩壊してしまうな、と。遠目に見たこの位置からは、山ではあまり見ない類の紺色頭がちらほらとこちらにも、点のように小さく見えるはるかそちらにも見受けられていて。
ログハウス近辺に降り立った僕達二人の姿が動き始めた時、距離が近い人影達が続々とこちらへ視線を向けて来た。
「おかえりー!」
「おかえりなさーい!」
「アーク様と一緒に待ってたよー!」
「仕事は任せてねー!」
わらわら、わらわら。そんな擬音がぴったりの様子だ。
まるで菓子に集まる蟻のよう、間延びした声をのほほんと上げながら近寄ってきた存在達に、僕はただひたすら、感嘆の吐息を漏らすしか無かった。
……土人形でも作って労働力の足しにしておくよ、と言葉にした兄さんが実行した通り。今の農園には僕がいない間、僕を模したそれが何人も常駐していた。右を見ても、左を見ても、僕僕僕僕。ノア・マヒーザの、高等な生き写しが仕事をこなしていて。恥ずかしいやら何やらの感情が苦笑いと照れ笑いを合成させていた。エリーゼ様以外全部僕の逆ハーレム物が出来てしまいそうで、怖い。
鏡に映したものをそのまま取り出したかのように忠実な再現度だ。ここまで僕そのものだと不気味さまで感じるのも無理は無いけれど、兄さんの魔法の上達振りを目にして妙にそわそわしてしまった。
「土人形と言うには些か上等過ぎるな、これは」
「ずっと前に見せて貰った術よりも、クオリティが違いすぎる……流石兄さん…………」
以前、山神と契約を交わした頃はまだ力を持て余していて何をやるにも難しいと言っていたのに。まあ、魔法が全然使えなかった僕の目には、その頃の時点で既にすごい大精霊使い、として兄さんは映っていたけれど。
アーク様呼んで来るよ、と自分自身が目の前で話すのを見るのは非常にくすぐったい感覚がする。エリーゼと言えば少し驚いた風体ではあったけれど、彼女の関心はその緻密なまでの再現度に向いているらしい。土人形よりも最早ホムンクルスだな、と呟いた彼女には同感だ。近くに寄れば分かるが、土くれの香りのひとつもしないのだ。完全に人間、僕そのものに何かが擬態したと表わすべきで。姿かたちの酷似だけでは無く、声も出るわ話もするわどう見てもある程度の知能がある。畑仕事は確かに知能の少しでも必要な場面も多いが、その為にある程度の水準の知能をこの人数全員につけた上で働かせるとは本当にどれだけそこにリソースを割いているのかと。つくづく、この農園にいてくれることがおかしいくらいのスペックだ。
「おー、おかえり二人とも!」
ひょっこり、そこにいてくれるのが当たり前みたいな顔をして僕達を出迎えてくれる兄さんに。かたくなっていた表情も自然と解れていって。色々とやらかして来た身に、ちょっと染みた空気があたたかかった。
× × ×
「あ〜、……そりゃあなんと言うかご愁傷さまだったなあ。お疲れ」
「はは……ありがとう、もう、初日から面白いことになったからさあ」
慌ただしく、ただ行動することに集中していた胃腸が空きっ腹を訴えるまでに余裕が出来たのはこの山に戻ってきてからだった。やはり生まれ育った場所は良い意味で気が抜けてくれる、ほんの少しパニックになりそうだった脳も今では腹が満たされたこともあってか思考も安定していて。レモン水を飲みながらゆったりと談話する僕達二人は、既に学園の為に纏っていた衣服の全てを綺麗にしてから片し、いつも通りの作業着に身を包んでいた。
「とにかく無理だけは絶対にするなよ、怪我もだからな」
「分かってるって。体は資本だもん、しっかり無理しない範囲で無理するよ」
「さてはお前もう眠いだろ?」
「へへ」
あれだけの大勢の人間がいる場所で、全方位に気を張った後、安心したところに横から予想外のことが起きたのだ。精神なんて一定どころか常にシーソーのように不安定になりかけていたのが笑えてくる。お昼用意しておいたぞ、と既に支度を整えて待ってくれていた兄さんに、エリーゼと一緒に甘えて。人間、お腹が満たされると眠くなるのはどこの世界でも同じなんだなとあほ面携えながら微笑んでいた。
「でも、本当に疲れたのはエリーゼ様の方だと思うから。これくらいで疲れちゃいけないよ。まだ初日だもの、体力削られる程やわじゃないって僕も」
「その初日から飽きさせない仕掛けを施してくれる程ご立派ですよ、兄君の弟は」
「何の言い訳も出ません……」
本当にとんでもない仕掛けが勝手に出来ていたもんだ、からかうエリーゼの声が明るいのを感じると、やらかした僕でかしたぞ、と自分を甘やかしそうになるからいけない。笑いのタネになったなら少しでも嬉しいなとか考えてはいけない。段々とこれは悪い癖になりそうで気を付けなければと気を正すのであった。
「午後からは僕も手伝うよ、兄さん。……人手大分足りてると思うけど」
「アタクシにも、手伝うことがあれば。あそこは体を動かす機会が無いから」
既に畑にも畜舎の方にも、僕の形をした土人形が兄さんの手足になって働いている。数十人もいる、と言うわけでは無いのだがまばらに散ったその人影達は今は十人程は確実に存在する。
こう見ると、この広い範囲を本当にたった二人で根性で何とかして来たのだなと。そして、兄さんは僕の仕事を作ってくれていたんだと、僕の力も少しは頼られていたのかななんて自信がじんわりと湧いてくる。眠気に対して、頬をぱちんと両手ではたけばひりついた肌が目を覚まさせようと努力し始めた。二人共無理すんなって言ってるのに、苦笑しながら兄さんは、それでも。心配を抱えていない笑みのままで僕達に言う。
「それじゃ、この前新しく広げた範囲の所の雑草処理と、苗畑の方に苗木を頼むよ」
二人でゆっくりね、と付け足され。今日はお得意様に手紙を書かねばならない用事があると言う兄さんには、外は僕達に任せてと返した。
ああ、土に、森に、家畜達に、囲まれない時間があると少しずつなまってしまう気がする。王都の学園と山奥の農園では違いは大きくあるが、どちらの香りにも双方の良さがあって新鮮さを感じた。が、やはり僕の過ごす場所はこちらだ。綺麗に着飾らさせて頂いてもこの服が一番似合ってしまうのだから、芋くさいだなんて言われないよう身なりも整えなければ。
「疲れていませんか、エリーゼ様」
「ちっとも。座学はすぐ頭に入ってしまうからつまらん。体を動かす方が退屈せず余程いい」
「流石」
お強くあられますね。そう称えた後に続いて、我儘な願いを投げかける。
「よろしければ、未だ僕の知らない人間がいれば教えて頂きたいです。……エリーゼ様が、僕に教えたのなら、面白くなりそうな輩の名など」
「オマエもなかなか、性格のいい男になってきたねぇ」
「これからも更に性格が良いところをお見せ出来ると思いますよ」
草のにおいに包まれながら、僕まで豊作状態の畑に夫婦仲睦まじく向かっていく光景が、空からは見えたことだろう。
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