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「お時間空けて頂いて誠にありがとうございます、エドガーお義兄様」
「……ノアくん、君は本当に…有言実行が早すぎるんですよ、」
真っ青と言う色合いを通りこして既に泥色に達している僕の顔色を見て、とりあえず説教と言う選択をエドガーお義兄様は外して下さったらしい。お義兄様、と直に呼ばせて頂く日がこんなにも早く来るだなんて、脳が揺さぶられまくる感覚に耐えながらもその点に感動していた。
そりゃあ、超長距離移動魔法を補填財無しで今日だけで数回も根性で乱発しまくった後だからか、魔力量が少ない人間はこれこの通り簡単に許容範囲を越えてオーバーワーク状態になる。正直もう意地だけで立っている状態と言うのは見られたら分かるだろうとも。来客用のソファに座ることを許してくれたお義兄様の優しさをふんわりと感じている。いい人だ…。
ともあれここに足を踏み入れるのが一週間ぶりと言う、存外早い再会の日。もう一度来た安息の日、リース邸のドアベルを控えめに鳴らした僕がエドガーお義兄様の元へ様々な書類を用意してやってきたのは、昨夕早速目的に向かい動き出したからだった。
「こちら、御用意させて頂きました。……エリーゼと僕の署名がされた婚姻届になります」
「しかと、受け取らせて頂きましょう。全く、今日がほとんど予定も無く良かったですよ。急な連絡が届いた時は何があったかと思いましたが……」
昨日。エリーゼ本人からも改めて許可を貰えた名字変更の為の手続きに関する申し出を、通信水晶を用いてリース邸のエドガーお義兄様宛に親族の婚約者であることを話し繋がせて頂いた。ぶっちゃけると一度、山奥からの発信と言う点で悪戯かと思われ別の使用人に弾かれてしまったのだが、再度お義兄様の方から接続して頂けて感涙であったことを語っておこう。
僕から受け取った封筒に入っていた数枚の書類を早速取り出し、端から視線を走らせながらチェックしていくお義兄様。少し落ちた沈黙の中、こうしてじっくり見つめる機会があるとやはりエリーゼに似ているところもあるようだ。外見や色は全くの別物だけれど、何かを見つめる瞳の中にこもる麗しさは二人して完全に重なるくらい一致するのだろう。昨日話したことや、エリーゼが今どうしているかなどをちまちまと話すと時折相槌をうってくれていて。また少し間が開いた後、よろしいでしょう、と確認し終わったお義兄様がペンを手に取り署名をするのを目に映し。婚姻を正式に認める証に、施された印章の上からお義兄様の魔力も流して頂いた。
「こちら側からの承認印も問題無く行いました。君の家の書面にも問題や抜けなどもございません。正真正銘私の名が記載されているのですから、少しくらい強引に通しても大丈夫でしょう」
「ありがとうございます。大切にお預かり致します」
「……しかし。そうですか、あの子が、そんなことを……」
「はい。お義兄様のことと、まだ在学しているご親族のことの心配と。それに、……大切なご学友との約束もあったようですので。復学は彼女の望むところも強くあります」
決してお義兄様が休学措置を取っていたことに縛られていたわけでは無いですから。気負いも無く言葉に出せば、お義兄様はどこか安堵したような雰囲気になっていた。ベールに隠されている下の表情がどうだかは分からないが、確実に空気が柔らかくなる様子を感じたのだ。
「…そうですね、感傷に浸るのは後回しです。早速話に入りましょう。時間を無駄にはしたくない」
「ありがとうございます、お義兄様」
「…………どうにもまだ慣れませんね。君は切り替えも早すぎるのでは」
「嬉しさを隠せていないだけですよ!お義兄様!」
輝いた顔でにこにこと笑えば、お義兄様は少し困惑していらしたのだった。
昨夕連絡した相談事は、僕とエリーゼの正式な婚姻を認めてほしい旨と、エリーゼの国民識別書と個人印章を譲渡してほしい旨。その婚姻届に付随する書面に保護認定者としての署名を貰いたいと言うもので。結果、今日は朝も早くから移動魔法を連続使用。三半規管もひん曲がりながらの辛いダンスを踊ったことだろう。身分証明書や個人印章を持ち、国民識別書の原本などを王都の役所の様々な部を回り回って、最後に貰った婚姻届。その場で書ける箇所を書き、直後に移動魔法で山に戻りエリーゼにも直筆の署名を貰ってからもう一度王都に戻ってリース邸の前。僕の魔力器官にとっては久々のハードスケジュールになった。
一日に一気に終わらせればいいというものでは無いが、これからのことを考えれば善は急ぐべき。走り回ってぐったりする程度でちょうどいいに決まっている。
「……君の兄の名前も載っているんですね」
「はい。遠慮なく、兄さんの威光を借りることとなりました。……現状、貴族の人と肩を並べても違和感が無いのは、大精霊使いの兄さんの方ですから。お二人の名が並べば、表立って彼女に喧嘩ふっかける人間はほとんどいなくなるかと思って」
使えるものは全て使いたいと思いましたから。
本人達の承諾さえあれば、一定年齢以上の王国民は二人だけでも入籍出来る。愛しあう権利を邪魔することは、例え肉親であっても許されるべきでは無いと言うのは、初代カナリア女王がこの地に刻み付けた言葉だ。リースからマヒーザに変わるだけなら二人だけの間で書類を提出してしまえばいい。僕もそう思っていた。けれど、彼女と話をした直後に、それだけではもしかしたら「弱い」かもしれないと慎重さを重ねることにしたのだ。
現在のリドミナ学園は、恐らくこれ以上リース家にちょっかいをかければ何をされてもおかしくない、という自粛のムードが蔓延している可能性もある。お義兄様の一声もあり謹慎処分を下された学生共は、もうエドガー・リースという名を学園で引き合いに出されたくは無い程ではないだろうか。王立学園卒業という箔は将来ギルド就職の際に相当役に立つ経歴であり、ここから先は嫌な妄想になるがリース家がエリーゼを慕っている女王様と結託し本気を出して権力を無差別に使えば全員退学にすることも出来たと思う。正直そういう措置を受けたいなんて学生はどこの世にもいない。
「最悪の場合は、恥と知りつつ女王様に頼るという可能性も視野に入れてはおりますが」
「恐ろしいことを言う」
「…ハハハハハ、本当、どうにもならない奴がいた場合は、ですよ。天下のリドミナにそんな人いるわけないじゃないですか~…と、思い込みたいですね、」
「あのお方も、お急がしいですから。天秤を謳う以上、目に見える贔屓はしないと思います。…しないと、思い、ます、」
何だろう、お義兄様から非常に苦労人の波動を感じる。実際死ぬほど苦労されているのを知っていても、女王様の話題を出した途端銀色の目が鉛みたいに死んだ。元々生気が無い瞳からそれ以上生気を奪うようなことを思い起こさせたのだろう、あの女王様、僕にも圧力かけてお義兄様にも圧力をかけていたのだろうか…?口に出すのはよしておこう、万が一今も覗かれていたら、怖い。
「この書面は今日中に届けて来ます。……お話させて頂いたもうひとつのお話は、」
「特別処置として学園の理事に話を通しました。驚くことに承諾されましたよ。…最も、今までの理事長は解任されて、これから王と女王の二人で理事も学長も兼任されるらしいですけれど」
「す、すごい、ですね」
「…本当に凄いのは、今の生活を放り出してまであの子の為に削るものを増やす君でしょうに。環境が安定するのを確認する間だけだとしても、山奥から毎日リドミナへ来るなど、正気の沙汰では無い。…けれど、あの子は君のそんなところをひどく気に入っているのでしょうね」
お持ちなさい、特注品です。そう言ってお義兄様が投げ渡してきた物を難なく受け取る。宝石に劣らない色を放つ小さな魔石が連なったブレスレットが二人分…所謂、マジックアイテム、魔道具と呼ばれる物だ。そう、僕が昨日、ずうずうしくも更に依頼をしたのは「リドミナへ毎日向かう為の手段」であった。もっともこれは初めから僕が頼んだのではなく、話し合う最中に僕が王都へ向かう手段を聞かれ。毎日移動魔法を使いますよと普通に答えたところ「護衛したいと言うなら最初から万全の体勢でしなさい!」とお義兄様に怒られたのだ。結果、しばらくの間エリーゼの護衛としてリドミナ学園に付き添う為、移動術式を刻まれた魔道具で学園の内部の特定の場所へ行けるようにした方がいいと、ありがたくもその手続きを彼が取ってくれた。
早速それを手首にはめて見る、ひとつの魔石の中、術式を構成する文字がひとつ浮かんでいて。自分の魔力を流し込めばすぐに移動出来るらしい。これなら、行きと帰りで嫌な人間に絡まれる隙も与えない。復学後も帰る場所をカシタ山にすることを許してくれたお義兄様には、今後一生足を向けて眠ることは出来ないだろう。
過剰なくらい警戒するので普通だ、それが平民の僕にとっての普通だ。
「その間、農園の仕事は?」
「早朝と夕方はいつも通り手伝いをします。こう見える通り、移動魔法を使うとキャパオーバーするだけで、普通に体を動かすって分野だと体力が有り余ってる方なんですよ。なんというか、申し訳ないことに魔法弱者みたいな…」
「王都の市場にも時折顔を出すくらいですから、他にも商売には行っているのでしょう。あそこの従業員は君を除けば兄一人、休止にするのですか?」
「いえ。兄さんが、言ってくれました。ちょっとだけ山神様…大精霊の力を使うから、穴はそれで埋めるらしいです。安心して、行って来いと……」
「………そうですか。君は、兄の偉大さに感謝するべきですね」
「勿論。あんな手段で彼女を連れてきた僕の、背中をずっと押してくれてます。迷惑をかけ続けている僕を切り落とそうとしないでくれる、…僕の兄さんが、兄さんでよかったと、返せるものはこれから絶対に返していきたいです」
支えられて、助けられて、僕はそればかりだと思う。恩を返そうとするのは当然だ、花嫁を迎えるという夢をいつだって馬鹿にしないで聞いてくれて。僕のやることを見守ってくれた、導いてくれたのだから。
お義兄様は、その意気を忘れずに、とだけ忠告を落として。話題を、復学後の生活に切り替えていく。
王立リドミナ魔術学園は、四学期六年制度の学園だ。基本的には十二から十七の少年から青年の間が通える、所謂地球の中高一貫年齢のような決まりはあるが。事情によってはその枠より下の子供も、それより上の成人も生徒として編入出来る。教育自体は義務では無いが、ここの民は皆幸福になるにはある程度の知識を学ぶのが常識という概念を揃えて持っている。平和で幸福度が高いカナリア王国ならではの特色だろうか、僕と兄さんのように望んで学校に通わない子供も確かにいるし、情報はすぐに国の四方に行き渡る。よっぽどのことが無いとこの国では情報弱者などいない。後は本人に覚える能力があるか無いかくらいだろう。
エリーゼは僕と同い年の十七だ。つまり今年が卒業年度でもある。この世界の年度始まりは一月、年度終わりは十二月、入学自体もそれにあわせ一月の冬、卒業式は十二月。二ヵ月半の通学と小休みを挟んで学期を跨いでいく仕組みだ。今はもう三月に入り、お義兄様が言うには何ともなタイミングで臨時休校になった分、本来の小休み期間を減らしての対応になるらしい。つまり、休校が終われば二学期はノンストップで訪れるということ。継続して護衛につくだけの体力を身につけねばならない。
貴族階級の生徒は手続きさえ済ませれば一定人数の護衛をつれてくることが許可されているようで。エリーゼは煩わしいからという理由で昔から護衛は断っていたらしいが、今回はリースの家の者ではなく花婿の僕がつくことになる。それも、エドガーお義兄様にもエリーゼにも、兄さんにも把握して貰っていること。
「しばらくは相当大変なことになりますよ。体二つでも足りないくらいでしょうね」
「覚悟の上です」
「決して。決して、あの子を悲しませることだけはしないと、誓ってください。君を見込んだからこそ、私は君の提案を全て受け入れたのです」
「誓います。僕も、昨日言われまして。……もう十分に相応しい男なのだから、胸を張れと。だから自信をもって誓いましょう、この名にかけて」
「よろしい。立場はわきまえているようですね、」
そうして会話を断ち切ったのは、お義兄様からだった。もうこんな時間になりましたね、と、時計を見れば数十分が容易く流れていて。そろそろ暇しようと立ち上がった時だ。通信をしている時、エリーゼに聞こえる可能性もあって話せなかったことを、ひとつだけ問う為に。僕はもう数分、お義兄様を拘束してしまうことになる。
「――エドガーお義兄様、これは昨日聞けなかったことなのですが……」
やれることは、全部やっておきたいから。例えそれが杞憂でも、必死すぎても、どんなに狡猾な手だとしても。
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