21

 急速に浮上してきた意識に、起きねば、という義務感ともう少しだけ寝ていたい欲望が頭の上で喧嘩している。だがそこは普段から朝も早い農家の意地、むくりと上半身だけ何とか起こせたはいいものの瞼がまだ開かない。首から上が若干据わっていない感じがして妙にふわふわする、これから徹夜は絶対にやめようと誓おう。

 決して十分な睡眠とは言えないが休むことは出来た、それに今日も周辺の村へ商品を売りに出掛ける予定だから、空間魔法を使って移動する為には僕がいなければならない。大変だけど、必要なことだから。それに今回の徹夜に関しては完全に自分のせいなので、今夜は早めに寝るだけだ。

 胴体と首がようやくしっかりと接着された感覚が降りてきて。よしそろそろ起きるかと、まだ誰も声をかけて来ない間は寝坊してはいないと思い足をベッドから放り出そうとした。その時。


「子犬、起きたか」

「ふわっ?」

「いっそう間抜け面だな、わざわざアタクシが起こしに来てやったと言うのに」


 僕の部屋の戸を開けて、開口一番確認をしに来た彼女の姿を見て驚く。そりゃそうだ、今まではこんなこと無かったのだから。点になった目でカメラのシャッターを切るようにゆっくり瞬きをするとやっとのことで目が覚める、次いで露骨に喜んでしまい、ちょっとだらしない表情を晒しながらも挨拶をするのだった。


「えりーぜさま、おはようございまふゆぃ、ひぇ、」


 大馬鹿!!口がまわらなさすぎるぞ僕!!


 × × ×


 本日のカシタ農園のメイン業務は、近くの村に出張商売である。王都の行商人や商業ギルドとの交流、街の喫茶店や食事処との契約も多くあるが、近場のお付き合いを大切にするのも忘れてはならない。水の魔法を得意とする僕と、山の恵みの力なら幾らでも使える兄さんが一緒であれば、清潔かつ自然の味がしっかりと詰まった作物をきちんと出荷出来る。湧き水を使った魔法で綺麗に洗浄された作物は、内部に薄く冷気を漂わせる氷の膜を張った木箱へぽんと並ぶのだ。水魔法から形態変化、応用が可能な術であれば僕も幾らかは使える。山奥だからと言って冷凍手段が無い程の田舎では無いのだ。こう言った物も魔法で何とか補えるから、魔法と言うのは本当に便利だ。

 ちょうど収穫時期の果実を綺麗に入れた木箱、一箱一箱丁寧に荷車に積んでいく僕達を見てエリーゼは首を傾げる。


「…まさかここからそれで山を下るわけでは」

「ないです!ないです!そんな無茶させませんから!」

「だろうな、オマエの魔法もある。……いや、このまま下ってもおかしくない勢いで積み込むのでちょっとばかし気になってねえ、」 


 まあ、それほど僕の元気も戻って来たように思えると言うことだろう。元気の源は貴女なんですけれども。運び入れは僕達がやりますから、と重い木箱を運んでは並べる僕達の横でエリーゼは流れを覚えようとじいっと眺めている。何だか照れくさい雰囲気だ、いやまあ今日の恥は起床直後にまず一回さらしたのですけれども。今はベッド上での眠気はどこへやら、エリーゼが自ら起こしに来てくれたと言う事実に睡魔は遠くに飛んでいった。若さっていいなあ、なんて変におじさんくさいことまで思ってしまう。体のだるさも無くなり初めから元気でしたと彼女にアピールしまくる僕の身体にはもう何も言えない。

 何があろうと腹は減るのと同じように、何があろうと僕らの仕事はあるし。いつも通りの過ごし方をするのも当然のこと。万が一この農園に悩みの元が乗り込んで来たとしても、それらは兄さんの権限によって不可能にしかならないのだ。……勿論、それはあの女王様が加担しなければの話だけれど。基本的に彼女はエリーゼの味方として見て良いだろう、けれどあの言葉を考えるにエリーゼの味方ではあるが僕や兄さんの味方では無い。何かあればあの視線で全てを知る筈だ、僕がエリーゼにとって役に立たない男であると女王様に判断されてしまえば、女王様は僕達にとって危ない人間を止める理由も消失し、こちらに情報を提供するだけの価値もなくなるだろう。つまりどういうことかと言えば、ノア・マヒーザ男の見せ所であると言うことだ。恐れることは数多あれど、その障害とエリーゼとの間に割って入る自信は、ある。自信しか無い。だって僕は、その為に生きている。


「この辺りの地形は詳しくない。今日は、どのあたりに向かうのだ?」

「ええと、簡易地図だとここですね。もしも歩くとしたのなら、この山を下りたところから…舗装はされてないんですがこの道、を通ったここの村です。ニアマウ村、って言うんですけど。皆優しくていい人ばかりですよ、僕の両親がいた頃もこことは仲良くして頂いてて。今でも月に一回は絶対に商売しに行ってます」

「ふむ。いい関係じゃあないか」

「是非とも売り娘体験してみてよ、エリーゼちゃん。こいつの花嫁だって紹介したらいつもより多く買ってもらえるかも」

「に!い!さ!ん!!ばか!もう!!」

「なははは!冗談冗談!肩の力を抜くジョークだっつの!」


 起きてからの僕は、なるべく普通に振舞った。昨日の今日で女王様の話題をエリーゼに振るわけにもいかず、しかも彼女は昨日友人に関する話題になった際にわかりやすく言葉を濁していた。喋りにくいのか、それともエリーゼ自身が女王様に苦手意識を感じているのかなのだろう。この二日間、一部の展開が急スピードで進んだことを知ってしまった僕の内心は全く穏やかでは無いが、せめて彼女にはしばらくの間波風立たない空気の中で心の傷を癒してほしいと思う。そこは何度も考えているように、彼女の嫌がることを無理に暴くような男にはなりたくないのだ、僕は。

 …本当は、家族に君を心配している人がいると教えたとして。ほっとした顔のエリーゼを見たら余計に自分の醜さを自覚するような嫉妬を覚えるだろうことを自分でも予想出来るからと言うのも、無くは、無い。こんな時に妬み嫉みを撒き散らしている場合かと思うが、本当、今の僕は、心の中を見られたらとてもいけないくらい独占欲が強いと思う。


「まあ、たまには田舎の風景を見てのんびりするのも、人生には必要だよ、エリーゼちゃん」

「……兄君がそうおっしゃるのであれば、」

「大丈夫大丈夫、そう心配しないで。でかいだけの男二人がくっついてるのは、流石に不安かな?」

「むしろ心強いです」

「だよね~!」


 何だか、僕が眠ってる間に兄さんとエリーゼの距離も近くなったのを感じるけれど。家族に受け入れて貰えるのってやっぱり、安心するなあ。近付かれすぎてもちょっと悔しかったりするけども。


「おし、全部のせたな。商品良し、釣銭良し、包装紙と袋も良し、他に忘れ物無し!」

「じゃあ詠唱するね。エリーゼ様、兄さん、ちょっとだけ長いけどお待ちを、」


 魔力の補填剤は、もう無い。彼女の目の前で、下手なズルをしないでしっかりとこの魔法を使うのは初めてだ。いつも通りに唱えようと思うけれど、妙に緊張する。見られてる、というのを意識してしまうと何と言うか…かっこつけたい男みたいで恥ずかしいのかもしれない。実際すごくかっこつけたいしかっこよく見てほしいしいつかはかっこいいって思ってもらえるような男になりたいですとは。まだそこまで正直に言えない。

 二人と荷車を前に、魔力の放出の準備を始める。深い呼吸を二度、そうして頭に浮かぶのは、僕にだけ紡ぐことを許された言葉。四十行はある文字列には、魔力不足を補う為の理由があるこの詠唱。一言一句間違えもせずこれを正解として、迷いも無くこの魔法を使えるようになってからどれくらいが経っただろう。これは、簡単に出来る魔法の類のものでは無い。本来空間や時間に関する魔法と言うものは、この世界では特に習得が難しいのだ。それを少しとは言え使える才能を持てたのも、僕が複雑に思っているこの紺の色彩のお陰だろう。潜在能力の高さとも言い換えられる、この年齢での深い色。与えられた色が引き寄せてくれた、たった一本の糸。その特技をとにかく努力し、突き詰めて伸ばしていくことが僕に許された抵抗だと知ったのは、これよりも簡単な魔法ですら習得に時間を要したあの苦い思い出に溺れた幼い僕自身が語ってくれたからだ。


 これが、僕の一番の得意な魔法。そして……いつかは、彼女を、どんな場所へでも自由に連れて行ける程に進化をさせたい魔法だ。


 少々長い詠唱を終え、力が湧き出る感覚に全身が浸る。いつだって、魔法を使う瞬間は、楽しい。この世界で間違いなく僕は生きているという証であるから。魔力器官から流れる力が脈に心地よく張り付いていく。詠唱と調整は間違いなく完璧、この目と脳に映るのは幾度と無く訪れたあの親しい村と、その住人達が愛する地。空間移動の際に一番大切なのは、目的地にしっかりと導けるだけの操縦技術とでも言おうか。この農園からニアマウ村に移動するイメージを揺るがせないまま、僕は魔法を発動させる。

 ざわ、と農園の周りをうごめく気配は、兄さんが自動で発動させているこの山の防衛本能だ。管理者の不在、その危機からこの山全てを守り通す為に働く、兄さんと山神の力。大人しい木々の枝はまるで触手のように動き、時間ごとにゆるりと場所を変え始める家を、農園を、しっかりと護衛する為にパキリパキリと周辺に寄り添い始める。

 誰も、寄せ付けない。兄さんと山神が許す者以外がこの道へと入れば罰が下る。これこそが、我が一族に代々伝わる最強のセキュリティであるのだ。


「――発動します!」


 山の息吹を感じながらに訪れる安堵。僕は、声を上げた。

 ――次の瞬間、荷車と僕達の姿はしっかりと光に包まれた後、跡形も無くその場から奪われるように消えていた。

 留守を任された緑達が風を歌う、その音以外は何も聞こえない。楽しんでおいで、と背中に声をかけられたような心地が、した。

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