小説の書き方を勉強していこうと思います

いろとき まに

第0話

「……うーん、まったく書ける気がしないぞ……」


 とある日曜の昼下がり。

 自室の窓に降り注ぐまばゆい太陽の光に背を向けて、机の上に置かれたノートPCの画面をにらむ一人の青年。

 姓を霧ヶ峰きりがみね、名を善哉よしき。……あざなを、よんちゃんと呼ばれる彼。

 だが、日本には字の風習がない為に霧ヶ峰善哉が彼の本来の氏名である。

 その氏名をさずかってから早十九年。中学時代に起きた波乱万丈はらんばんじょうな人生すら笑い話になりる、アニメが好きな大学一年生へと成長している今日この頃。

 そんな、アニメをこよなく愛する彼の胸に宿やどる、新たなる波乱万丈な人生の幕開け。

 この日を境に、彼は眩い光の彼方かなたへと突き進んでいくのである。


 そう彼こそが、のちに周囲から――

 霧ヶ峰善哉と呼ばれることになる……ごく限られた周囲にしか認識にんしきされない平々凡々へいへいぼんぼんな人生を歩む、この物語の主人公なのであった。


 なお、確かに彼は眩い光の彼方へと突き進んでいくのだが。

 それは今に始まったことではなく、普通に快晴の日に散歩をするようなものであり、別に「光をまとってみずから光を放つ」と言う意味ではないことを付け加えておこう。



「みんな、どうやって書いているんだ? 読んでいると簡単に書けるように思えるんだけどなぁ……」


 いまだに画面を睨んだままの彼は、画面に向かい悪態あくたいをつくように言葉を投げつけていた。

 目の前の画面は彼に降参したのだろうか、まったく微動びどうだにしない白旗のような真っ白な画面を映し出している。

 ところが当然ながら画面に意志などあるはずもなく、ただ彼が一文字も入力をしていない証拠しょうこに他ならない。 


「……おっかしいなぁー。なんで、こんな風に面白く書けないんだろう……」


 彼は視線を画面からPCの横に並べられた原稿用紙のたば、反対側に並べられたライトノベル数冊に移してから、数枚の印刷された紙へと移し、怪訝けげんそうな面持おももちで呟いていた。

 実のところ彼は一文字も入力をしていないのではなく、一度書き上げたものを印刷していたのである。

  

『小説は実際に読む形式で読むのが修正しやすい』


 そんなことを何かで読んだ彼。特に誰かに見せる目的ではないにせよ、なんとなく印刷してみたかったのだろう。大したことのないレベルでも、形にすれば多少は書けているようにも思えるものである。

 ところが残念なことに、彼には文才がなかった。いな、基礎知識ですらないのである。

 手元に並べたライトノベル。ラノベと呼ばれる小説なのだが、当然ながら書籍であるがゆえプロの成せるわざである。

 さすがに彼も、そのいきを目指しているのではない。ただ――

 

「……せめて、小豆あずきに笑われないレベルの作品を書きたいよなぁ」


 ラノベとは反対に置かれた原稿用紙の束に視線を合わせ、高校二年生になる妹の小豆に想いをせていたのだった。

 そう、彼の目の前にある原稿用紙五〇枚の小説。本来の目的は、一年と数ヶ月前のとある日に書かれた彼女の退学届。

 未遂みすいに終わり、今もなお、彼の母校である高校に通学している妹が巻き起こした騒動のつめあと。

 騒動にかんしては即座そくざ収束しゅうそくされたのだが、確実に彼の心に爪あとを残していたのだろう。

 彼に『究極のラノベ』と思わせ、感化かんかさせて「自分も小説書いてみたいな」などと世迷言よまいごとを言わせるくらいには。

 もちろん、彼女は素人だ。特に文才がある訳でもなく独学どくがくであり、趣味で小説を書いているに過ぎない。

 だが、彼に「妹のような小説を書きたい」と思わせるには十分すぎるほどの作品だったのだろう。

 別に彼はプロを目指すとか、大勢の人に楽しんでもらいたいとは思っていない。

 あくまでも彼の近しい人が楽しんでもらえれば十分。それくらいの作品ならば自分にも書けるだろう――。 


 そんな理由から一念発起いちねんほっきして書き始めたはいいが。

 どうにも上手くいかず、尻切しりきれトンボなまま結末を迎えた処女作。

 正直、書いている本人でさえ読むのが疲れる作品となっていたのだった。いや、そもそもの話。

 書いている途中から違和感のオンパレードな状況におちいり、意欲いよくすらも失いながら惰性だせいで強引に書き終えたような作品では無理もあるまい。


「おかしい……何が違うんだ? なんで、こうも違うように見えるんだよ……わかんねぇ……」


 本人がそんな感情をいだいている作品を他人になど読ませられない。

 そう判断したものの、改めて読み直しても改善策かいぜんさくなど見当たらない。手本となりし作品を、いくら読み返しても何が悪いのかが理解できない。否、思考が主観としてしか機能していないのだろう。

 苛立いらだちを覚え、乱暴に交互を見比べていた彼。しかし、冷静さを失っている彼では見比べる行為も焼け石に水と言えよう。

 

「……うがー! ――急患きゅうかんでございます! この室内に小説の書けるお客さまはいらっしゃいますでしょうかー?」

 

 苛立ちがピークを迎えたのだろうか。

 沸騰ふっとうを知らせるヤカンのように一吠ひとほえすると、室内に向かって響き渡るような声で。

 急病人が出た時のスチュワーデス――現在のキャビンアテンダントの台詞セリフのように口走っていた。

 とは言え、ここは彼の自室。誰もいないことを承知で彼は叫んだに過ぎない。

 そう、彼は広げた風呂敷ふろしきたたもうとしていたのである。 

 しかし自分の意志で始めた執筆しっぴつ。書けないからと言って「やーめた!」と言うのも気が引ける。

 だから彼は強引に口実こうじつを作り、「特にいらっしゃらないようなので残念ながら……」とあきらめようと思っていたのである。

 ところが。


「……ふぁ~い」

「――ィッ! ……」

「……呼んだぁ~?」


 突然彼の背後から、可愛らしいがの抜けた声が聞こえてくる。

 誰もいないと思っていた彼は驚きの声をあげて咄嗟とっさに背後のベッドを凝視ぎょうししていたのだった。

 家族と昼食を済ませ、彼は少し外出をしていた。帰宅すると妹の姿が見当たらない。

 だが、妹も外出したのだろうと何も気にせずに自室に戻った彼。

 特に部屋の変化など気にせずに、買ったばかりのラノベを読む為に机に座ってラノベの世界へと旅立っていたのだった。

 だから彼は――誰も寝ていないはずのベッドのタオルケットが異様いように盛り上がっており、モゾモゾと動いている光景に驚いたのだろう。

 タオルケットが少しずつ移動を開始すると、内側からあわい栗色の髪が浮かび上がる。

 そして肌色の額。整ったまゆ。ぱっちり大きな、たれ目の瞳と浮かび上がり、最終的には小豆の名にふさわしい、甘くて愛くるしい顔立ちが彼の眼前に映し出されるのだった。

 タオルケットを首まで下ろした彼女は彼に「呼んだ?」とたずねる。


「……いや、呼んでねぇけど、それより小豆……なんでベッドで寝てんだよ?」


 彼女の言葉に数秒前までの自分の姿を思い返して恥ずかしくなったのか。

 ぶっきらぼうに答えてから、質問していた彼。


「だってぇ~、後片付け済ませたら、お兄ちゃん出かけちゃうんだもん……」

「ラノベ買いにいくって伝えただろ?」


 彼の言葉にムスッとした表情で言葉を返す彼女。

 苦笑いを浮かべて言葉を返した彼だったが。


「うん、だから、お兄ちゃんの部屋で待っていたんだよぉ~♪ あとで買いにいくから」

「……ほらよ?」

「……わぁ♪ ありがとう♪」


 満面の笑顔で切り替えしてきた彼女。

 そんな彼女に苦笑いを浮かべると机の上に置いてある紙袋を手に取り、彼女へと差し出していたのだった。

 彼女は差し出された紙袋を受け取ろうとベッドから起き上がり、彼に近づいていく。 

 中身を見ずとも彼女には理解したのだろう。

 彼が同じラノベを二冊買ってきたことを。


 特に彼女が彼の買ってきたラノベのファンだと言う訳ではない。

 いや、ファンではあるのかも知れないが、きっと彼が買い忘れているのであれば彼女は買おうとは思わないのだろう。

 彼女は生粋きっすいの『アニキオタク』なアニオタなのであった。

 それを知っている彼だから「どうせ買うんだろ?」と言う考えのもと、妹の分も買ってきたのである。


「だけど、なかなか帰ってこないからぁ~、気づいたら寝ちゃっていたんだよぉ~」

「いや、ベッドで待つなよ……ははは……」


 彼から受け取った彼女は苦笑いを浮かべながら言葉をつむいでいた。

 そんな彼女にあきれ顔で言葉を紡ぐ彼。

 たぶん彼のことだ。風呂敷を畳むと同時に、状況じょうきょう確認をおこたり、何も考えずにベッドへダイブしていたのだろう。その前に気づけたことに安心するように、彼女に乾いた笑いを送る彼なのであった。



「……むぅ~。……そ れ でぇ~、呼んだよね?」


 紙袋を受け取りベッドへ戻って腰けた彼女は、彼に少し不満げな表情を送っていたが気持ちを切り替えたのか、自然な笑顔を浮かべて先ほどの話に戻していた。


「いや、だから呼んでねぇよ……」


 別に妹を呼んだ覚えがない彼は怪訝そうに言い放つ。


「だって、さっき……小説の書ける人を探していたじゃん!」

「……ああ、そう言うことか……」


 そんな彼の言動に不機嫌な表情で言葉をつなぐ彼女。

 やっと理解したのか、彼はボソッと呟いていた。実際には本当に探していたのではないのだが、聞かれている以上「違う」とも否定できずにいた彼。


「……いや、でもなぁ……」

  

 理解はしたのだが、苦笑いを浮かべて彼は言葉をにごしていたのだった。

 確かに彼は彼女の小説に感化されて小説を書いてみたいと思っていた。だから彼女が書き方を教えてくれるのであれば彼にとっては好都合こうつごうなのかも知れない。

 しかし、彼の目的は妹や知人に読んでもらって楽しんでもらいたいのだ。

 それなのに妹に指南しなんを受けるのは目的に反してはいないだろうか。一番楽しんでほしい相手の力を借りるのはフェアではない気がする。

 彼は、そう感じていたのだろう。


「……いいもん……」

「え? って、おい、小豆……って、おい!」

「……いいもん、いいもん……いいんだもん……」

「――ッ!」


 返事を先送りしていた彼にしびれを切らしたのか、彼女はボソリと言葉を吐き捨てると彼に近づいていく。

 突然の彼女の行動に驚いている彼の横を通り過ぎる彼女。

 慌てて振り返った彼の視界に、机の上に置かれた原稿用紙の束をかかえる彼女の姿が映し出されるのであった。

 確かに彼女の作品なのだから所有権は彼女にある。

 だが無断で持ち出したのではなく、彼女の許可の上に借りている作品なのである。つまり所有権が彼女にあろうとも彼が取り上げられる筋合すじあいはないのだろう。

 そんな感情を込めて少し強めに言い放っていた彼の言葉を受けて、ゆっくりと彼の方へと向き直る彼女。

 なにやらブツブツとつぶやきながら振り返った彼女の顔は真っ赤に染まり、瞳には大粒おおつぶの涙がたまっている。

 本能的に危険を察知さっちした彼は思わず声を飲み込んでいた。

 そんな彼に彼女はほほに伝う涙を気にせずに言い放つのであった。


「もう、いいもん! 小説の書き方を教われないような私の書いた作品なんて捨てちゃうもん!」

「い、いや、待て――」

「お兄ちゃんにとって私の作品なんて駄作ださくなんだ! ゴミなんだ! 私なんて駄錯者ださくしゃなんだー!」

「お、おいったら――」

「ずっと何度も読んでいたのもまれに見ないほどの駄作だからなんだ最愛の妹だから無理してたんだ愛しの小豆ちゃんだから我慢して読んでいたんだ将来結婚する時の私へのプロポーズを考えて痛みをやわらげていたんだー! うわーん!」

「ちょ、だから落ち着けって……ふぅ」


 少しずつヒートアップしてくし立てていた彼女。どうにも後半彼女の願望がれ出している。否、それしか口にしていないのだが。

 雰囲気ふんいきに飲まれていた彼には、泣き出した妹をなだめることしか頭になかったのだろう。

 ほとほと困り果てた彼は諦めたように軽く息を吐き出していた。そして。


「わかったよ……」

「ぐすっ……なにがぁ?」


 原稿用紙を両手で胸の前で抱えながら、威嚇いかくしているような面持ちの彼女に降参の意味で「わかった」と伝えていた。

 彼の意図が理解できずに、鼻をすすりながら聞き返していた彼女。

 兄として男として。やはり妹には格好かっこう悪い部分を見せたくはない。それ以前に自分でも読むのが疲れる駄作を彼女に読ませるのは苦労させることが目に見えている。

 彼としては、面白いと少なからず自分が納得できたものを読んでほしかった。だがしかし。

 彼が独学で納得できる作品を書き上げるには相当そうとう時間を浪費ろうひするだろう。

 それ以上に、自分の究極のラノベ――彼女の作品が読めなくなるかも知れない。

 たぶん彼女のことだ。明日にでも捨ててしまうのだろう。それは一番困るのである。

 自分の駄作を見せることへの恥ずかしさと、自分にとっての究極のラノベが読めなくなる絶望。

 天秤てんびんにかけた結果、彼は彼女の作品を取ったのである。


「……ふぅー。……」


 観念かんねんするように一瞬だけ目を固く閉じ息を吐き出すと、ゆっくりと目を開けて彼女を見える。

 すっかり落ち着いたのか、同じような表情で見つめ返す彼女。


「俺に小説の書き方を教えてくだ――」

「えぇぇぇ~。どうしよっかなぁ~♪」

「って、おい、こら! ……って、なにしてんの?」


 彼は勢いに任せて頭を下げながら懇願こんがんしていたのだが。

 言葉をさえぎり彼女の嬉しそうな声が頭上から響いてくるのだった。

 思わず顔をあげて文句を突きつける彼。

 そんな彼など気にせずに、彼の机の引き出しを開けて何やら探し始める彼女。

 突然の彼女の行動に疑問を覚えた彼は唖然あぜんとしながら問いかける。


「ん~? えっとぉ~、あ、あったあった♪ ……お兄ちゃん、小説の書き方教えてあげるから『契約書』にサインしてぇ~?」

「って、お前、なんで隠し場所を知っているんだよ!」


 探し物が見つかったのだろう。彼女は振り返ると、一枚の紙切れを彼の前に差し出しながら満面の笑みを添えて言葉を紡ぐ。

 彼にとっては自分の机だ。何が入っているかなんて承知しょうちしている。

 その上で彼女が言った「契約書」の言葉で瞬時しゅんじに理解した彼は、紙切れを取り上げようと手を伸ばしながら言葉を投げかけていた。

 そう、彼女の言う「契約書」とは……あとは彼が書けば提出できる、彼女の手渡していた『二人の婚姻こんいん届』なのである。


「知らないわけないじゃ~ん……よっと」

「え? ――うわ!」

「え? ――きゃうん!」


 取り上げようとしていた彼だったが、寸前で彼女が手を上げて彼の手をかわす。

 驚いた彼は勢いのまま彼女に突進とっしんしていた。

 飛び込んでくる彼に驚いた彼女だったが、逃げることもできず。

 そのまま彼は彼女の胸へと飛び込んでしまい、当然勢いを殺せずに二人は後ろに倒れこむ。

 その拍子ひょうしに彼女の両手に持っていた契約書と原稿用紙の束が宙を舞う。

 肌がふれる二人の頭上から祝福の白い紙吹雪ふぶきが舞っていたのであった。

 

「いてて……おい、小豆、大丈夫――くぁ」

「……うん、大丈夫だよぉ~♪ サインじゃなくてボインでもぉ~」

「――ぷはっ! そう言う意味じゃねぇ! ――うぷっ!」

「そっちは大丈夫じゃないから、もう少しこのままでぇ~♪」


 彼女を気遣きづかい、上半身を起こして心配していた彼だったが。

 突然彼女の両手に後頭部を押さえつけられて再び彼女の胸に飛び込んでいた彼。

 圧迫あっぱくされている息苦しい彼の鼓膜こまくに嬉しそうな勘違いの言葉が飛び込んでくる。

 なお、彼女の胸を彼は『スイカ』と呼んでいる。つまりボインなのだ。

 だから彼女は契約書のサインの代わりにボインでもいいと言っているのだが。

 正式な婚姻届であるがゆえ、拇印ぼいんは許可されていない。そもそもサインとは署名しょめいのことであり別物だ。

 などと、わざわざ説明せぬとも彼女は単純に冗談を言っただけである。

 なんとか上半身を起こして訂正を求めた彼。

 しかし彼女は冗談を言っただけなので彼の言葉になど動じず、再び彼の後頭部を押さえつけて恍惚こうこつとした表情で言葉を紡いでいたのだった。



「はぁ、はぁ……」

「だ、大丈夫? お兄ちゃん……」

「誰のせいだ、誰の……」


 それから数分後――。

 満足した表情で彼女のスイカから解放された彼は息を整えていた。

 そんな彼に心配そうに声をかける彼女。未だ息の整わない彼は弱々しく抗議こうぎしていた。


「……ふぅ。……とにかく小説の書き方を教えてくれよ?」

「うん、いいよぉ~♪」


 もう一度彼女に頼み込んだ彼だったが、十分堪能たんのうしていた彼女は簡単に了承りょうしょうしてくれていた。

 

「あと……授業料は、そのラノベ一冊でいいか?」

「え? くれるの? ほんとに? ほんと?」

「近い近いって……ま、まぁ、教えてくれるなら、な?」


 だが後々のことを考えて、彼は教えてもらう代償だいしょうに、ラノベ一冊で了承してもらおうと考えていた。

 彼女としては元々自分で買うつもりだったラノベ。お金を払うつもりだったのだろう。

 彼としても教わってから授業料を請求せいきゅうされるのは困るのである。

 そう、教えてもらってからでは契約書のサインをこばむ理由もなくなるのだ。

『タダよりこわいものはない』と言うことなのだろう。

 これで解決するのならば、彼女に気兼きがねなく教われるだろうし、杞憂きゆうもなくなるから一冊分の浪費くらい安いものだと考えたのだろうが……。


 彼の言葉を受けて嬉々ききとして表情をはずませ、聞き返してくる彼女。

 別にお金が浮いたことに喜んでいるのではない。

 純粋に「お兄ちゃんが私にプレゼントしてくれた」と言う、彼の気持ちに喜んでいるのである。

 何故なぜならば、浮いたお金は彼がお風呂に入っている間。彼の知らぬ間に彼の財布に戻っているのだから――。


 そんな喜びを表現するように言葉を紡ぐたびに、一歩ずつ彼へと近づく彼女。

 あと一歩と言うところまで接近してきた彼女を苦笑いを浮かべて制止せいしする彼。そして少しだけった姿勢で言葉を繋いでいたのだった。

 その言葉に満面の笑みをこぼした彼女はピョンッと後ろに飛び退くと――


「もちろんだよぉ♪ ちゃんとぉ~、手取り足取り腰取り……ううん、抱きつくから、ずっと密着しながら全身で教えちゃうよぉ~♪」

「いや、抱きつかれていたら小説書けないだろが?」

「ほら~♪ そこは、愛の力でなんとか――」

「愛を妄信もうしんすんじゃねぇよ……」


 興奮した表情を浮かべて爆弾発言をするのだった。

 そんな発言にタジタジになりながらも反論する彼ではあるが、彼女には何も通じていないようだ。

 冷や汗を浮かべながらも言葉を繋げる彼なのだった。


 

 ともあれ、紆余曲折うよきょくせつはあったものの、彼は彼女に書き方を教わることになったのである。

 ――だがしかし、彼は気づいていないのだろう。

 自分では読むのが疲れるほどの駄作だと思っているようなのだが、それ自体じたいが大間違いだと言うことを。

 そして、彼女は彼が思うほど甘くはないと言うことを。

 彼への愛と、小説への愛は別物なのだろう。否、どちらもゆうしているからこその塩加減かげんなのかも知れない。

 甘さとは、一匙ひとさじの塩を加えることで甘さが増すのである。

 それを理解していない彼は、少々自分を過信かしんしているのかも知れない。

 

 彼は彼女の教えにえ抜いて、自分の納得する作品が書き上げられるのだろうか。

 とは言え、それは二人がつづる物語の行く末なのである。

 はたして、この物語の結末はハッピーエンドか、バッドエンドか……。

 それは、彼が彼女に教えを受けて、書き上げた作品の結末によるものなのであった。 

 

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