魔法の穴とショートケーキ
亜細亜港運の磐木と同時に検挙されたと報道された五代産業の米倉社長は結局嫌疑不十分で釈放された。しかし市に提出されていた排出元証明書の中に五代産業の社名があることに夏川が気付いた。伊刈は表向き証明書の確認検査を装って米倉社長に事情を聞いてみたいと計画した。五代産業は検査をあっさりと受け入れた。米倉のほうでも伊刈に会ってみたいと思ったのである。
五代産業は神奈川県有数の建設汚泥処理業者だったが、意気込んで処分場に立入ってみると場内はある意味で想像を絶するほど陳腐だった。敷地内には固化剤を投入するための一辺五メートルくらいの小さなピットと、固化剤をストックする小さなサイロがあるだけだった。これで三十億円も稼いでいるとは到底信じられなかった。
「施設はここだけなんですか」伊刈が我が目を疑うように言った。
「そうですよ」工場長の的場が答えた。
「サイクロン(回転式脱水機)の許可があるはずですね」夏川が聞いた。
「ああ、あれのことね」的場工場長は敷地の片隅の小さなドラム式の篩を指差した。小さすぎて使い物にならないのか埃をかぶっていた。
「隣の山はなんですか」伊刈が場内に積まれた残土の山を指差した。広いとは言えないが、それでも処分場よりは大きかった。
「ああ、あれね。ズリの保管場ですね」
「許可があるんですか」
「許可は要らないでしょう。製品のヤードだから」
「どう思う?」伊刈が珍しく夏川を見た。
「それぞれの自治体の指導ですからね。製品なら場外に積んでもいいという自治体は確かにあるみたいですから」
「工場長さん、場内に入らないで出ていくダンプはないですか」伊刈には珍しく意味不明の質問をした。入らなければ出て行けるはずがない。しかし的場には通じたようだった。
「ありませんよ」的場はまともに答えた。
「隣のヤードに直接入れるダンプとかですが」
「それは絶対にないです」
「それじゃ事務所に立ち寄るだけで出て行ってしまうダンプは」
「ございません」的場は伊刈が何を疑っているのかはっきりわかっているようだった。
「事務所で書類を拝見していいですか」
「どうぞ。社長がお待ちですから」
「えっこちらに社長がいたんですか」伊刈が意外そうに言った。事務所には顔を出さないか、それとも検査を自分で仕切るか、ワンマン社長ならどっちかの対応になるのが普通である。プレハブの陳腐な事務所で米倉社長がじっと検査が終わるのを待っているとは想定外だった。
「もちろんおりますよ。有名な伊刈さんがお見えだと話したらぜひご挨拶したいと」
本社の社長室を尋ねるつもりだった伊刈は逆に当てが外れた思いだった。狭い場内で最大の面積を占めていたのは古びたプレハブの事務所だった。建物のボロボロな外観からは想像できないくらい中には机や書類がぎっしり詰まっていた。事務員も十数人いて、これだけは三十億円稼いでいる産廃業者らしかった。書類の山に埋もれるようにして米倉社長が幹部数人と一緒に待っていた。
「ごくろうさま」米倉社長は酒でも飲んでいたのかご機嫌だった。筋肉の張った丸顔がアナグマのような印象だった。
「書類の検査を始めていいですが」
「何の書類だい」米倉がぶっきらぼうな口調で言った。
「決算書とかマニフェストとか帳簿とかですか」
「ああ、それならここにはないよ」米倉はあっさり言った。
「見せられないということですか」
「本社を移したんでそっちにあるんだ。ここにあるのは今日の分のマニ伝だけだよ」
「今日だけにしてはすごい分量ですけど」確かに事務所内には大量のマニフェストが積まれていた。
「ダンプが毎日何百台も来るからね」
「それにしてはダンプを見かけませんでしたが」
「あんたたちがいる間は止めてるんだよ。本社に来るかい。その方が俺も好都合なんだがね」
「本社は遠いですか」
「いや近いよ。駅前のマンションだ」
「本社へお伺いしてもよろしいんですね」
「いいよ来なよ。だけどさ、言っておくけど地元の神奈川県庁だって入れたことないんだよ」
五代産業の新しい本社は米倉の言うとおり新築マンションの一室にあった。本社といっても社長室だけを移した印象で事務員の姿はなく、殺風景なリビングの壁際に社長のデスクが置かれ、その前に十人がけのレザー製の応接があるだけだった。部屋全体がマホガニーを多用した重厚なデザインに改装されていて、ドラマで見るような大企業の社長室の雰囲気を作り上げていた。フロント企業には必ずある神棚は見当たらなかった。
「ここはなかなかいいよ。もともとマンションだからシャワーもあるし眺めもいい」米倉がそう言った時、携帯電話の呼び出し音が鳴った。
「ちょっと失礼」米倉は送信者の表示を見て応答した。
「ああそうかわかった」10秒ほどで電話は切られた。長電話をしない性分のようだった。
「検査中で悪いんだが、おもしろいニュースをやってんだって。ちょっとテレビをつけてもいいかな」
伊刈が同意するまでもなく、いつのまにか現れた秘書風の女性事務員がテレビのスイッチを入れた。
《ニュース》
首都圏第三空港工法決定 鉄製の浮体構造物『メガフロート』を活用する工法で横須賀沖新空港建設工事の応札をめざしていた造船7社の代表は、国土交通省から入札条件が発表されたことを受けて、ただちにそろって記者会見し、応札断念を表明した上、実績だけで判断されると新しい技術は何も世の中に出ないと、国の姿勢を批判しました。競合する建設業界とJV(共同企業体)を組むことを条件付けられたことが障害となったようです。世界初のメガフロート空港は構想段階で消え、桟橋と埋立てのハイブリッド工法を提案していたゼネコングループの受注が確実になりました。
「もういいよ」米倉の指示でテレビが消された。
「メガフロートなんか初めっからできるわけなかったんだよ。鉄が安かったから鉄鋼業界のてこ入れにでも使おうって思ったんだろうけど、鉄はまた上がるからな。国家百年の計を考えるなら目先の利益で空港を浮桟橋なんかにしちゃだめだよ。鉄はいつか錆びるだろう。土砂で埋めるのが一番だよ」
「でも環境問題があるでしょう」伊刈が言った。
「東京湾で環境か。笑わせるなよ。それにもう砂の出る山という山は新空港の需要をあてにしてゼネコンやら、なんやらかんやらが買い占めてんだよ。今さら鉄屋さんに譲るわけにはいかねえだろう。山が動けばダンプが動くダンプが動けば船が動く。それがみんなめぐりめぐってセンセの懐に入るのよ。鉄屋さんには悪いけどメガフロートは潰される運命だったのよ。もう砂を運搬する業者だってあらかた決まってんだぜ」
「どこですか」
「東亜港運だよ。土砂の運搬にあの会社は外せないからな。亜細亜運輸もうちも早めに禊をすませておいてよかったよな」
「それじゃ復活ですか」
「最初から沈没しちゃいないよ」
埋立方式になれば土砂として大量の山砂が使われることが確実だった。この運搬に船とダンプの利権が生じ、利益が政治家に還流する。米倉が言ったとおり新空港工事の需要を見込んだ砂山の買い占めにはさまざまな組織が絡んでいた。新空港工事が埋立方式に決まらなかったら空港特需を当て込んで砂山を買った連中は首吊りものだった。メガフロートは最初からありえなかったのだ。
「砂屋さんが儲かれば、めぐりめぐって最後にはうちみたいな汚泥屋も残土屋も儲かるからな。それはそうと検査はどうやるんだい」
「決算書と総勘定元帳を拝見したいんですが」
「ほう、変わった物が見たいんだな。俺はわかんないけど経理部長になんでも言ってくれ。俺は隠し事は嫌いだし脱税なんかしてないから。なんたってうちは不動産売った連中を別にすればこの税務署管内の高額納税者のトップなんだし、優良納税者で毎年署長表彰もらってるんだからね」米倉は自慢そうだった。
「すごいですね」伊刈も相槌を打った。
米倉社長は経営を社員に任せているらしく、細かなことは自分では答えずに居合わせた幹部に直接答えさせた。ワンマン社長にありがちな自分の頭脳のフィルターにかけてから小出しにするような姑息なことはしなかった。なんでも好きに見てくれという態度で要求した書類はすべて原本を持って来させ、ノーチェックでそのまま検査チームの前に投げ出した。工場は陳腐だったが帳簿類はびっくりするほど几帳面に整理されていた。
「荷を下ろさない直行便のダンプがあるようですね」伊刈は的場工場長に否定された話をまた根拠もなく持ち出した。
「あああるよ」米倉の答えはあっさりしたものだった。「収運だけで最終処分場に捨てる仕事もあるし残土の仕事もあるからね。それでも都内から出たダンプは必ず事務所によってから搬送先に向かうシステムになっているんだ。直行便はなしだ。それをやったら訳がわかんなくなるからね」
検査した書類から米倉の言葉に嘘はないようだった。
「帳簿はみんな手書きなんですね。今時これは大変じゃないですか」
「ああそれか。大変だからいいんだろう。俺はコンピュータの帳簿が嫌いでね。あれは後から直せちゃうだろう。そういうごまかしができるのはだめだよ。こういう商売はもともと日銭稼ぎなんだから、その日その日で〆ていかないとね」
「ちゃんとダンプを一元管理するシステムがあるってことですね」
「そりゃそうだ。ダンプ一台ずつの積み上げで三十億の商売をしてんだから、書類がきちんとしていなかったら一億二億くらいは簡単に抜かれちゃうよ」
「誰にですか」
「それを言わすのか。コンビニのレジだって小銭が抜かれるのは普通だって聞くからな。うちはコンビニとはスケールが違うだろう。コンビニの百円玉がうちの百万円の札束だ。でも別に社員を信用してないわけじゃないよ。社員てのは子供だ。目を離せば親の財布からこっそり小遣いを抜くもんだよ」
「なるほど道理ですね」
「社員の尻を叩いてやっとここまで来たけどね、俺はもう社長は社員に譲って会長になるつもりなんだ。ちょっと会長というには若いかもしんないけどな」
「社員に譲られるんですか? 息子さんはいらっしゃらないんですか?」
「倅はいるよ。だけど会社は会社、倅は倅だよ。会社をでっかくできるやつを社長にするんだ。俺は子供のころは食う物にも困るとんでもない貧乏人だったんだ。兄貴のお下がりのボロばっか着せられて服なんか買ってもらったことなかったよ。子供に楽をさせたら子供もだめにするし会社もだめにするよ。こんな中小企業ちょっと気を緩めたら一巻の終わりさ」
「確かにそうですが米倉社長じゃないと、そうはっきりと社員の前で息子さんに会社を継がせないなんて言えませんね」
「誰の前だって同じこと言うよ。俺はさ、嘘が嫌いだ。今日俺は嘘をついたか?」
「いえなんでも正直に見せてもらいました」
「そうだろう。そうでなくっちゃこの業界はだめだよ。今回は亜細亜運輸に付き合ってちょいと味噌つけちまったけどよ、これからは不法投棄なんかやらかしちゃあ終わりだよな。俺は見てのとおりだろう。口が悪いしガラが悪いから、これ以上会社をでっかくするには俺じゃだめなんだよな」
「ずいぶんもう大きいと思いますよ」
「これじゃだめだな。工場見ただろう。あんなんじゃだめだってあんただって思っただろう。誰だって思うさ。俺はさ、百億円の会社にしたいんだ。だけど俺にはできないからできるやつを社長にするんだ。百億ないとこれからこの商売はだめだよ。百億の次は二百億、三百億にしたいんだ。わかるかいあんた」
「よくわかりませんが」
「利口ぶっても所詮はお役人だからな。小さいところ悪いところは潰れていくよ。俺みたいなグレたやつはさ、もう引退したほうがいいと思わないか」
「そんなことはないと思いますよ」
「いいよお世辞を言わなくても」
「決算書によると建設仮勘定が二十億円ありますが新工場を建設中ですか」喜多が割って入った。
「ほう、あんた若いのに鋭いね。班長さんの指導がいいのかな。それはね、リソイルの新工場を建設してんだ」
「リソイル?」
「再生セメントって意味だよ。汚泥に固化剤を加減して混ぜたものだが、埋め戻し材としては砂よりいいよ。これからはリソイルが主流になると思うね。工場が完成して新社長になった時に五代産業なんて古臭い社名を変えるつもりだよ。東京リソイルってのはどうだろうね」
「いいと思います」
「そうか。後は何を見せたらいい? もう終わったんならケーキ食っていけよ」
「そのリソイル工場を拝見できますか」
「あんた好奇心が強いな。残念だけど工場は建設中だよ。それに工場の中は企業秘密にしようと思ってるよ」
「帳簿を拝見すると関連会社があるようですが、そこは何をやってますか」伊刈が言った。
「ふうんなるほど。あんた気に入った」
「どういう会社ですか」
「流動化処理をやってる会社だ。去年買収したんだよ。リソイルはね、そこの技術を応用したものだ。流動化処理土なんて臭い名前じゃ売れないよ。いまはそこのもリソイルってことで売ってる」
「視察できますか」
「そっちは見てもかまわないよ。だけど今日はケーキを食っていけよ」
「遠慮しますよ」伊刈が断った。
「いいから食えよ。ここに来たやつはケーキを食って帰ることになってんだからよ。子供のころはうまいケーキを食うのが夢だったよ。おいそろそろ持って来い」
米倉が奥に向かってどなるとテレビをつけにきた手足のすらりと長い女子社員が用意していたショートケーキと紅茶を全員に給仕した。たかがケーキだが有無を言わせぬ態度だった。
「ケーキを食べたら関連会社の検査をしてもいいですか」
「あんたおもしれえなあ。ケーキと取引か。ほんとにおもしれえなあ、いいよ好きなだけ見て行きなよ」
施設は最低なのに商売は県下一、このギャップの秘密は米倉社長の人柄にあるのかもしれなかった。裏の世界ではきっとファンが多いに違いないと伊刈は感じながらケーキスプーンを手に取った。
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