白富士
安心工研を出た伊刈たちはすぐ隣のプリンス土建に向かった。
「事務所もなんにもないし単なる残土の置き場みたいですね」夏川が言った。
「プリンスって自動車会社のプリンスをもじったんですかね。きっとそうですよね」喜多が言った。鋭い指摘だった。ヤクザは有名企業名をもじった社名を付けたがる。トヨタ、日産、三菱、三井などだ。露骨な冒用でなくても数字の三を社名に入れるのも好まれる。
しばらく路上で様子を伺っていると土砂ダンプが一台場内に入っていった。荷台から湯気が立っていた。
「石灰でも運んでるのかな」喜多が言った。
「鋭いですね。汚泥を生石灰で脱水したものかもしれませんよ」夏川が答えた。
次々とダンプが後に続いた。搬入台数は確認できただけで十一台となった。土砂の搬入が一段落したのを見計らって伊刈たちは場内に立ち入った。残土の山のふもとでユンボが一台稼動していた。搬入されたばかりの白い土のようなものから湯気がもうもうと立ち上がっていた。それを残土と混ぜて冷却しているようだった。
「プリンス土建の馬場さんですか」伊刈がユンボの運転席に声をかけた。
「ああ隣から来たのね。これはこれはご苦労様です」馬場は運転席から飛び降りて馴れ馴れしく挨拶した。人懐っこい男だった。
「今何を入れたんですか」
「ああこれね。法(のり)を固めるためにもらったんですよ」
「温度が上がっているようだけど生石灰ですか」夏川が聞いた。
「石灰を作る前の石灰石の滓だね。これを混ぜるとよく固まるんですよ」
「何台もらったんですか?」
「十五台だね」
「隣から?」
「とんでもない。隣はけちでタダじゃくれないからよそからもらったよ。どこからってのは内緒」
「調査すればわかりますよ。どっちみち石灰石を扱ってる会社は大手だから。もしかしたら山口鉱産じゃないの」伊刈が言った。
「なんだよ知ってんじゃないの。だけど俺は言わないよ。俺の口から言わなかったらそれでいいんだよ」
「直接もらったんですか」
「んなわけないだろう。出入りできる人から譲ってもらったんだよ」
「隣と仲がいいかと思ったのに」
「仲はいいですよ。この山砂もほとんど隣の預かり物だからね。だけどここだけの話さ、金払いが悪からねえ。あっ俺の口からは言わないよ」
「ちょっと積み過ぎてませんか」夏川が言った。
「まだまだ積めると思うけどね」
「ここは何か許可がありますか」
「別に何もないよ。ただの砂の置き場だから」
「置き場でも残土条例はかかるんじゃありませんか」
「売り物の砂でもかい。もともとここには隣の穴だったんだよ。だけどとっくにもう埋まったんだ」
「まだ穴があるじゃないですか」喜多が言った。
「あああれか」場内の奥に縦横二十メートル、深さ十メートルくらいの穴が残っていた。
「汚泥のピットでしょう」夏川が言った。
「あれは俺がこさえた穴だよ。俺も昔は汚泥を処理してたんでね、そのままにしておいたんだけど怖いからもうやめたよ」
「怖いとは」
「もともと錦糸町に工場(こうば)持ってたんだよ。そこで汚泥を固めてる時にえらい事故になってね。それでこっちへ移ったんだけどいろいろあってね」
「受け入れの状況がわかる帳簿とかありませんか」
「ないよ」
「事務所はどこにあるんですか」
「それならまだ錦糸町にあるけど」
「そちらに伺ったら帳簿がありますか」
「あるとは思うけどここの仕事は本社は知らないよ」
「馬場さんは社長じゃないんですね」
「ま、いいじゃないの」
「よくはないですよ。社長はどなたですか」
「兄貴だよ。だけどこっちはこっちだから」
「この山登ったら眺めがよさそうですね」
「田んぼのほうから見るときれいだよ。地元じゃ白富士と呼ばれてんだ。白い山肌が遠くからも目立つからね。隣にもう一つ山があるんだけど、そっちは赤富士だ。製鉄所のボタ(鉱滓)を積み上げてたんだけど、今はもう入れてないんで赤くは見えないね」
「白富士、赤富士ですか。いい名前ですね」喜多が感心したように言った。
「だろう。そのうち展望レストランでもこさえようと思ってるってよ。赤富士の方には別荘を建てるかなって」
馬場が言うところの白富士に登山してみた。標高は百メートル近くあり頂上からは太平洋を一望にできた。確かに眺望だけは見事だった。
「さっき言ってた事故ってなんですか」白富士の頂上で伊刈が話をむしかえした。
「うんそうねえ」馬場は答えをはぐらかせた。
「本社で聞けばわかるんですか」
「汚泥を溜めてた堰堤が台風の雨で決壊しちゃってさ、周辺の住居を押し流しちゃったんだよ。何千トンていう汚泥だろう。民家なんかひとたまりもないよ。それで子供が埋まってね。兄貴は逮捕されるし、会社は裁判で二億円取られたんだ。さすがの兄貴もびびっちゃって汚泥からは足を洗ったんだ。俺が汚泥を始めようとしたら兄貴が大目玉でね。だからここの仕事は兄貴には内緒だよ」
「錦糸町に行ってみてもいいですか」
「兄貴には内緒って言ったじゃないか」
「事故の話はしませんよ。安心工研との取引関係を知りたいんです」
「兄貴は何も知らないよ」
「それを確かめたいんです」
「あんたも頑固だねえ。まあ行ったところで同じだよ。兄貴はおっかないよ」馬場は兄には頭が上がらない様子だった。
馬場が言っていた汚泥流出事故の顛末を都庁に確認した。裁判所から二億円の賠償命令が出たのは事実だったが、支払ったのはプリンス土建ではなかった。都が監督責任を問われて合被告になっていたのだ。都は立替払いした二億円を請求していたがプリンス土建は支払いを引き伸ばしていた。事故当時、錦糸町の汚泥処分場の工場長だった馬場の弟がプリンス土建の名義を使って安心工研のぼた山を使い、許可の不要な建設残土の処分場を設置したのは事実だった。
面白い訴訟が起こっていることも都から聞いてわかった。馬場の兄は自分が知らないうちにプリンス土建の残土処分場に汚泥が違法に持ち込まれたと因縁をつけて、中堅ゼネコンの帝国開発を相手に訴訟を起こしていた。つまり内緒でもなんでもなく兄弟はグルだった。しかもプリンス土建は汚泥流出訴訟で住民側についた斐川弁護士に帝国開発あての訴状を書かせていた。この訴訟には県が巻き込まれていた。帝国開発に対して県がなんらの指導もしなかったのは不作為の違法にあたるという理由だった。
馬場の兄は弟以上に危険人物だという情報があったので、伊刈は奈津木警部補に同行を求めて錦糸町に向かった。プリンス土建の本社は住宅地のど真ん中にあった。かつて汚泥処理施設があった場所は転売されて住宅地になっていた。伊刈と奈津木はビニールレザーがところどころ敗れたソファーに案内された。しばらくして馬場の兄が出てきた。髪が脱色したように真っ白だったが、一見して弟とは違う武闘派の体躯をしていた。
「俺はこういうこともやってんだ」馬場はいきなり大東亜義友会理事という民族団体の名刺を出してきたが、とくに脅かすような態度ではなかった。
「弟さんがやってることはご存知ですか」
「勝手にやらせてるんでね」
「汚泥を固めたものを残土と称して積み上げているんです。何も報告はないんですか」
「ないね」
「それじゃ実質別の会社みたいなものですか」
「どうなのかね」馬場の答えはハッキリしなかった。
「もしもこちらの会社の名義で残土処分の契約して売り上げを計上していなければ申告漏れになると思いますが」
「あんた税務署かい。あんたらがとやかくいうことじゃないだろう」
「プリンス土建の社名で残土を扱っている以上、問題が起これば知らないといっても社長の責任になりますよ」
「知らないものは知らないからね。それよりあんた」
「なんですか」
「あんたじゃない。そっちのあんた、ずっと黙ってるけどポリースだろう」
「そうですけど」奈津木警部補が頷いた。
「この男は危なすぎるぞ。こいつを守りたかったら弟から手を引かせな」
「どういう意味ですか」
「言わなくてもわかんだろう。うちの弟みたいなけちなネズミならどうでもいいけどよ、トラの尻尾を踏むようなことになったら偉いことになるぞ」
「トラとは誰のことですか」
「蛇の道は蛇ってことよ。今日はもう引き上げな。弟にはいい加減にしろって言っておくよ」
「一つお伺いしてもいいですか」伊刈が粘った。
「なんだよ」
「弟さんの処分場の敷地は安心工研の江藤さんから借りているそうですが」
「だからどうしたんだ」
「トラとは江藤さんのことですか」
「ばか言うんじゃないよ。素人はすっこんでろってことだ。あんたに言うことはもうなんもないよ」馬場は立ち上がって伊刈にさっさと出て行くように促した。
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