ヤサ
それから数日で国道沿いの風間の残土捨て場は閉鎖された。確認に行ってみると大量に搬入した残土が山積みになったまま放棄されていた。最後に荒稼ぎしていったのだ。しかも風間は懲りずにすぐ近くで新しい捨て場を開設していた。距離にして一キロとは離れていなかったが、そこはもう隣市だったので犬咬市には管轄権がなかった。それを承知の上で伊刈は元の捨て場の後始末をさせるという口実で指導に向かった。
「なんだまた来たのか。約束は守っただろう」
「搬入した残土を出してもらえますか」
「なんで」
「あんなに残土を積んだままじゃひどくないですか。荒れ放題ですよ」
「地主に金は払っただろう」
「たった九十万ですか。いくら儲けたんですか。2千台なら8百万円ですよね」
「そのうち均してやるよ。今は忙しいんだ」風間は嘯いた。
伊刈は事務所に帰り課長印を押した残土条例の指導文書を作成した。ところが文書を持って出直してみると、風間は新しい捨て場も放棄し行方知れずになってしまった。郵送しようにも住所がわからなかった。
「どうやら風間は班長が苦手みたいっすね」夏川が言った。
「どうしてだろう」
「なんかあるんでしょうね。あいつらはゲンを担ぎますからね」
「僕が疫病神だっていうの」
「まあ連中にはそうでしょう」
「陣内なら風間の居場所がわかるんじゃないですか」喜多が言った。
「そうしてみるか」
伊刈は陣内に問い合わた。
「風間の居場所がわからないかな」
「いいですよ、調べてみます」
翌日、陣内から回答があった。
「千蔵台のアパートがヤサっすね。今はずっと遠くで仕事してますね。犬咬市はうるさいって言ってるみたいすよ」
ヤクザの情報網は大したものだった。お互いに監視しあっているのだ。相手が相手だけに伊刈は警察官の奈津木と二人だけで風間のアパートに乗り込むことにした。
千蔵台はかつては高度成長期を代表するニュータウンだったが、建築四十年以上の古いアパートが並び、空室が目立つオールドタウンになっていた。ここに他人名義で紛れ込まれたら情報がなければ見つけようがなかった。陣内から聞いたアパートの扉をノックすると案外すんなりとドアが開けられた。その日は仕事がなかったのか狭い和室に組員が五、六人雑魚寝していた。親方の風間も在宅していた。
「犬咬市の者です。組長の風間さんをお願いします」伊刈はわざと組長と言った。
「ああ」玄関の扉を開けた若い衆はびっくりした顔をして風間を呼びに行った。
「よくここがわかったな」ジャージ姿の風間が眠そうな顔で出てきて、伊刈と奈津木の顔をじろじろと見た。奈津木が今まで見たことがないような鋭い目で風間を睨みかえした。無言の威圧だった。
「もう仕事はやってねえよ。市も県もうるさくてよ、どこもやりにくいから出ていくよ。おまえらみたいな暇人に毎日来られたらやってらんねえよ」
「マンボが売りにくいってことですか?」伊刈が言った。
「あ?」
「うちの現場をきれいにしてくれるって約束ですよね。これが文書です。搬出しないまでもせめて崩れないように均してから出て行ってもらえますか」
「あんたなんでそんなに俺らばっかにこだわるんだ。あんたらの市にはもう迷惑をかけてねえだろう」
「地主に迷惑をかけてるでしょう」
「あんなやつがなんだってんだ。あの地主ひでえやつなんだぜ。自分から残土を入れろと持ちかけといて残土条例違反で訴えると抜かしやがったんだ」
「市民です」
「ほうなるほど」
「文書を受け取ってもらえますか」
「受け取れば帰るのか」
「ええ帰ります」
「わかったよ」風間は無言で手を伸ばした。
「受領印をください」
「判子か」
「拇印でかまいませんよ」
「もうわかったから二度と来るなよ」風間は意外にも素直に指導文書を受け取って控えに母音を押した。指を回転させる馴れた押し方だった。
「文書なんて効果はないでしょうけど、これもけじめですからね」帰りがけに伊刈が奈津木に言った。
「いいえ見事なご指導でした。流れ者ですから居座る理由はないです。文書よりヤサを突き止められたことが効きましたよ。さすがにびっくりしてましたからね」
「敵の退路を塞がずだね」
「ヤサは陣内に聞いたんですね」
「情報源は内緒だよ」
「一件落着ならそれでいいですよ」
奈津木の読みどおり風間は犬咬から完全に姿をくらました。
「あいつらヤサから出て行きましたよ。ご苦労様でした」陣内からねぎらいの電話があった。
「どうして出て行ったんですか」伊刈が聞き返した。
「前売したマンボがさばけなくて締められそうになったんで逃げたんでしょうねえ」
「現場はきれいになりましたか」
「地主が自分で均して物流に売ったみたいですよ。厄介払いしたんでしょう。地主も地主だね」
やはり風間は陣内とは違って約束は守らなかったようだった。
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