かけひき
市庁では仙道がじりじりしながら伊刈の帰還を待っていた。「おい何やってたんだ。また先生がお冠だよ」
「そうですか。それじゃ現場に来てたのはやっぱり先生なんですね」
「それはわからんが、すぐに説明に来いとよ」
「焦ることはないですよ。残土条例の勧告書を出しましょう」
「効果あるのか」
「ないでしょうが時間稼ぎですよ」
「おまえでもそんな手を使うのか。陣内は受け取らないだろう」
「受け取りますよ」
「なんでわかる」
「文書は受け取らせます。それで期限を切って現場を終わりにさせます。現場の後始末をするくらいの猶予はやりましょう」
「それで先生が納得するかな」
「遠くから見てるだけで納得するもしないもないです。所詮は役所が頼みなんです」
「おまえな」仙道は呆れ顔だった。「とにかく行くから着替えてこい」
「いつもスーツですけど」
「そうだったな。じゃ好都合だ」
仙道と伊刈は再び高崎市議の事務所に向かった。
「今日も見てきたけどひどい現場じゃないの。お米の収穫期の前に崖が崩落したらどうするの。自然災害か公共損失じゃないと補償金は出ないんでしょう」現場を遠くから見ていたのは案の定高崎市議だったようだ。
「崩れませんよ」伊刈は断言した。
「どうしてそう言いきれるの?」
「崩れるような斜面じゃありません」
「泥水が田んぼに入るんじゃないの?」
「田んぼはもともと泥ですよ」
「泥の性状が違うでしょう。有害物質があったらどうするつもりなの」
「それほど悪い土は入っていませんよ」
「検査したの?」
「見ればわかります」
「呆れた。そんなことでいいの? 技監のご見解は?」高崎は伊刈を相手にせず仙道を見た。
「検査はやらせます」仙道は渋い表情で答えた。
翌日、伊刈は課長印を押した残土条例の勧告書を持って陣内の残土捨て場に向かった。
「おう熱心なことだな。また来たのか。許可があるって納得したんじゃなかったのか」
「森発と残土は別ですよ。それはそうとマンボを使ってるんですね」伊刈が言った。
「どうしてマンボのこと知ってんだ」陣内は意外な表情だった。
「運転手から受け取ってたでしょう」
「見てたんならしょうがねえな」
「いくら売ったんですか。正直に言ってくださいよ、悪いようにはしないから」
「七百枚くらいだね」
「一枚これですか」伊刈は手のひらの親指を示した。六(千円)の符丁だった。
「いやこれだよ」陣内は五(千円)という意味で手のひらを開いた。
「じゃ全部でサンゴー(三百五十万円)ですね。あと何枚残ってますか」
「七十枚くらいかね」
「五百リュウベですね。七十台入れたら止めますか」
「えっどういうことだい」
「マンボが使えなくなったら落とし前なんでしょう。あと七十台入れたら絶対止めるって約束できますか」
「止めますよ。それ以上は入らないんだから」
「一週間でいいかな」
「十日くれますか」
「一週間が限度。それで台数にいかなくても止めてもらいますよ」
「わかりましたよ」陣内は真顔になった。
「それじゃ、これ受け取ってもらえますか」
「なんすか?」
「搬入中止と原状回復と土壌検査を求める勧告書ですよ。受け取りのサインもらえますか?」
「受け取ったらどうなるんすか?」
「後始末のために今日から一週間の猶予をあげますよ。それで完全に止めてもらいます。どうですか、受け取れますか?」
「ああそういうことならわかりました」ようやく合点がいったのか陣内は素直に文書を受け取って控えにサインをした。
「ペット霊園なんて最初から作る気はないんでしょう。保健所が許可するはずもないし」
「別に残土が入ればどうでもいいっすよ」
「そうだと思いましたよ。壊れた道路を直してもらえますか」
「七十台入れていいんなら直しますよ」
「わかりました。あとアカのセンセの顔も立ててやってもらえますか」
「なんもしてないのにかい」
「センセだって商売なんだから。それから林業事務所の主幹の話はもうなしですよ。陣内さんの書類だってあんまり表に出さないほうがいいでしょう」伊刈は初めて陣内の書類が変造だとほのめかした。切り札を使われて陣内の顔色が一瞬変わった。
「あんたすごいっすね。俺の顔もセンセの顔も主幹の顔もみんな立てちまおうってんだ。一人の顔も潰さないつもりなんだ。なるほどね、あんたえらいお役人だな。表向きセンセがうるさいから止めたってことにしとけばいいんすね」
「そうですね」伊刈は爽やかに笑んだ。
きっかり一週間後、陣内は搬入を止めた。ごねてずるずる続けはしなかった。
「いまのダンプで最後すね」最終日の立会いに来た伊刈に陣内が言った。「これでほんとに終わりにしますよ」
「明日午前十時から関係者を集めて立会いをやります」
「わかりましたよ」陣内は従順だった。
翌日、伊刈が呼び集めた関係機関の関係者で現場は騒然となっていた。現場が動いているうちには一度も顔を見せたことがなかったのに、現場が市の産対課の指導に従ったと聞くや十以上の関係機関が集まり、担当者の総勢は五十人にもなっていた。
「それではこれから現場の立会いを行います」伊刈が大声で号令するとざわついていた現場がしんと静まり返った。
「問題を一つずつ確認していきます。最初に土木事務所の方、手を挙げてください」
数人が手を挙げた。
「要望をおっしゃってください」
「壊れた舗装を修繕していただけますか」
「陣内さんどうですか」伊刈が大声で言った。
「明日からやります。合材を入れればいいすか」
「土木の方どうですか」
「ええそれでいいです」
「農政課の方、手を挙げてください」
数人が手を挙げた。
「何か要望はありますか」
「田んぼに雨水が流入しないように溝を切ってもらえますか」
「素掘りでよければ今日にもやっておきますよ」陣内が直接答えた。
「林業事務所の方はいらっしゃいますか」
見回してみたが松崎主幹はいなかった。
「植林してもらえますか」別の担当者が手を挙げながら言った。
「いいですよ。杉苗を植えておきます」陣内はまるで申し合わせたかのように答えた。
「都市計画課の方も来ていますね」
また二、三人が手を上げた。
「何かご意見は」
「とくにないですが、上の団地からの通過排水路が現場の真下を通過してるので気をつけて作業をしてください」
「住民の方はどうですか」
市民も数人集まっていたのだが意外なことに誰からも発言はなかった。市民と言ってもプロ市民で陣内よりもむしろ伊刈の対応を確認しに来た節があった。高崎市議にも声をかけていたのだが最後まで姿を現さなかった。
「ほかにご意見がなければこれで現場の立会いを終わりにします」
五十人の立会いは一時間で終了した。どの機関も伊刈の采配に満足して引き上げた。混乱する立会いを伊刈が一人で仕切ってしまうのを夏川は驚きの表情で見守っていた。普通、役人は他機関の仕事には口を出さないものだが、伊刈は場を完全に支配し、誰にも有無を言わせなかった。それ以上に陣内が従順なのが不思議だった。何度もこんな場面を見てきた喜多にとっては不思議でもなんでもない結果だった。
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