グッバイレーベル
チームグッバイの計画が動き出した。秋田県庁と東京都庁の合同チームがレーベル東京工場から能代クリーンステーションへ向かうダンプを追跡し、そのまま能代の抜き打ち検査を実施したのだ。能代への無許可品目の搬入を現認した秋田県庁は両社に廃棄物処理法第十八条による文書報告を求めた。レーベルは「選別が不十分でたまたま混入したにすぎない」と弁明する一方で政治力による揉み消しを図った。だが折良く(レーベルからは折悪しく)圧力をかけてきた政治家が所属する会派が、秋田県議会ではまだ与党でも、国政では下野して勢いを失っていた。秋田県は政治的圧力にかえって反発し両社に対して九十日間の業務停止を命じた。
「伊刈さん、ちょっと期待はずれの結果でした」小糸がさっそく連絡してきた。
「一発取消しを狙ってたのに業務停止になったってことか」
「ご存じだったんですね」
「で、どうするんだ」
「他の都県は秋田県の業務停止処分への同調を見送ります」
「なるほど。それじゃ第二波があるってことだな」
「業務停止期間が開けるまで待ちます」
「小糸も軍師になったもんだ」
「伊刈さんならそうするかなと思って」
「出る幕はなさそうだ」
「そんなことないです。できればその」
「レーベルの動きを探れっていうのか」
「できれば」
「まるで007だな。やってみるよ」
伊刈はレーベルの対応をそれとなく調べた。五都県の合同チームが結成されているなどとは思いもしない大蓮社長は行政の動きを読み誤っていた。許可取得をゴリ押ししたときと同様、秋田県庁が政治力に屈して弱腰になっていると油断したのだ。太陽環境を傘下に納めていたので能代クリーンステーションの業務停止は大きな打撃ではなかった。秋田県に向かっていた大量の産廃が犬咬へと振替えられた。犬咬には戻らないという大蓮と伊刈の約束はここに至って完全に反故にされた。
重機破砕物の処分先を太陽環境に振替えたことは飛んで火に入る夏の虫だった。秋田県の業務停止処分期間が明ける直前、小糸が率いる県庁のチームグリーンはレーベルから出たダンプを太陽環境まで追跡し、そのまま立ち入り検査を実施した。太陽環境は犬咬市の所管だった。しかし県庁も収集運搬業の許可をしていた。そこを咎めたのだ。小糸は品目違反廃棄物をレーベルまで持ち帰るよう即時に命じた。小糸は戻りのダンプに同行してレーベルへの返品を確認し、そのまま処理施設の立入検査を実施して品目違反となった原因が常習的な重機破砕であることを確認した。まさに狙い撃ちだった。現場の小糸から伊刈に報告が来た。
「今日、太陽環境とレーベルに立ち入りました。伊刈さんの言ったとおりです。伊刈さんに教えてもらった方法で帳簿を点検してみました。入荷量も出荷量も書類と実態が全くバランスしていません。入荷量の八割は契約書もマニフェストもない持込みでした」
「報告徴収命令を出すのか」
「出します。秋田県のときと同じようにたまたま異物が混入したという弁明で逃げ切ることはもうできません。二度目のたまたまはありえないですから。秋田県が先にやってくれたのが生きてきます。すべて作戦どおりです」
「報告期限は」
「常識的には二週間です」
「ムリだな」
「何がムリですか」
「レーベルには四トンダンプが月に一万台も入ってくるんだ。今から全部後付けで書類を偽造することはムリだって意味だよ」
「そんなにあるんですか」
「時間があれば顧客に協力を求めて、それなりの書類を揃えられるだろうけど二週間じゃムリだ。書類が揃わないからといって入荷量と出荷量をごまかしても帳簿と照合すればわかってしまう。入荷量は売上高から出荷量は委託料から逆算できるから、会計書類を提出させれば大きなごまかしはできない。会計書類を偽造したら税務署が黙っちゃいない。残る手段はマニフェストを偽造することだけど通し番号が印字されるから偽造すればすぐにわかる」
「わざと偽造させるって手もありですか」
「書類が揃わなかったら許可を取消すと脅かしてわざと書類を偽造させるつもりか。タチが悪いな」
「契約書とマニフェストが一枚でも偽造だと証明できれば決定的ですね」
「そこまでやらなくても万事休すだけどな」
首都圏最大級の不法投棄中継基地を殲滅する準備が整った。実際の作戦に参加していない伊刈も興奮していた。
小糸は伊刈の教えのとおりにレーベルから提出された書類を一枚ずつ裏付け調査し、契約書とマニフェストの大半が取引先の確認が取れない偽造書類だと認定した。県庁が下した結論はマニフェストの虚偽記載に加えて未契約廃棄物の受託、無許可品目の受託、未処理廃棄物の再委託、無許可処分場への委託基準違反、法十八条の虚偽報告という違反のオンパレードだった。
大蓮も都県庁の連携をようやく察知した。ところが性懲りもなく、国政の与党代議士に献金を持ちかけてもみ消しをはかった。産廃の行政処分に政治力は効かないと伊刈から何度も助言を受けていたのにまた忘れたのである。代議士は献金を受け取ったものの都庁になんら働きかけを行う気はなくムダ金になった。小糸の通報を受けた都庁は直ちに行政手続法による聴聞の通知を発送した。レーベルは絶体絶命になった。あわてた大蓮社長は顧問弁護士の斗浦に相談した。
「犬咬市のときと同じように都庁の許可を自主返上してはどうですか」斗浦法律事務所のイソ弁(司法修習生)が斗浦に代わって意見を伝えた。
大蓮は関連会社の処分場を残せるなら今や施設が老朽化してお荷物になっているレーベル本社処分場に見切りをつけることが得策と判断して自主廃業届けを提出し、都庁はこれを受理した。レーベル本社の自主廃業が成立し聴聞通知は無効になった。
ところがレーベル本社工場の閉鎖を待っていたように神奈川県庁が大蓮を呼び出した。
「聴聞通知後の自主廃業は欠格要件に該当します。CRSの許可を取消すことになりました」神奈川県庁の説明を受け大蓮は絶句した。
大蓮は犬咬市のときと同様に都庁の許可さえ自主返上すれば他の県庁の処分場の許可を守れると信じていた。これは痛恨の自殺点だった。取消処分逃れのための聴聞通知後の自主廃業が伊刈の著書の指摘で問題になり、既に法律が変わって、聴聞通知後に自主廃業しても連座制の適用を免れられなかったのだ。
神奈川県庁に続いて秋田県庁も能代クリーンステーションの許可を取消すと通告してきた。太陽環境も社長は違っていたものの、全株を大蓮が所有していたので連座制による許可取り消しを免れなかった。都庁から通報を受けた犬咬市産対課は太陽環境許可取消の準備を進めた。処分業を許可している自治体だけではなく、首都圏のすべての自治体が収集運搬業の取り消しで足並みを揃えた。レーベルグループはもはや万事休すだった。
狼狽した大蓮は斗浦弁護士に泣きついた。
「許可が取消される前にすべての処分場を自主廃業し施設を転売してキャッシュに換えてはどうでしょうか」斗浦は自分のミスを認めず平然と会社の清算をアドバイスした。
海千山千の叩き上げ社長だったならダミー会社に施設を偽装譲渡して再起をはかるところだった。しかし現場の汚れた仕事を万年に任せきっていた大蓮にそんな悪知恵はなく、頼みの万年も不在だった。大蓮は斗浦の清算案をあっさり受け入れた。
ところが施設は思ったような金額では買い手がつかなかった。レーベルの評判が悪すぎたのだ。グループの有利子負債が百億円近くに膨らんでいた上に関連会社の処分場をすべて閉鎖したためキャッシュフローが途絶えてしまっていた。都庁への自主廃業届出から一か月でレーベルグループの手元資金は底をついた。大蓮は差し押さえを免れたダンプや建設重機などの動産を換金して可能なかぎりのキャッシュを作り、斗浦に破産処理を託して夜逃げした。斗浦はレーベルグループの更生手続きと大蓮社長の自己破産手続きに入ると関係機関に通知した。その日のうちに帝都データバンクから負債総額100億円という倒産情報が流れた。
「なんにもねえじゃねえか」債権者が殺到したときにはレーベル本社処分場も大蓮の自宅マンションももぬけの殻だった。首都圏最大の不法投棄中継基地だったレーベルの息の根が断たれ、一つの時代の幕が引かれた。
「どうもおかしいんです」レーベル破産の知らせに驚いた万年が伊刈に電話してきた。万年はレーベルから二度まで放逐されてもなお大蓮を慕っていたのだ。これぞ忠臣だと伊刈は感心した。こんな腹心の番頭がいたから大蓮が無知にもかかわらずレーベルは百億円のグループになれたのだ。
「何がおかしいんですか」伊刈は答えをはぐらかした。いくら万年でも今回の許可取消劇のシナリオライターが伊刈だとは気付いていないはずだった。
「斗浦先生が顧問を勤めている業者がレーベルの施設を買い叩こうとしているんです」
「どこですか」
「合同土建です」
「なるほど。つまりレーベル自主廃業は斗浦先生の仕組んだ陰謀だというんですか」
「はっきり申しますとそうなんです」
「それはないでしょう」
「でも社長に自主廃業するように勧めたのは斗浦先生のところのイソ弁なんですよ」
「先生本人じゃないんですか」
「先生が法律改正を知らなかったはずがないっていうんです。確かにレーベルの問題はそのイソ弁が担当してたみたいなんです」
「怪しいですね。こんな大事なことをイソ弁に任せるなんて」
「そうですよね。今からでも斗浦先生を管財人から解任するよう社長を見つけて進言してみます」
「更生手続きに入っているのに今さら管財人の解任はできないと思いますよ。任命したのは裁判所ですから」
「背任行為でもですか」
「弁護士の背任なんて立証困難ですね。斗浦先生はヤメ検で、裁判所とはツーカーだろうし、ほかにも管財人を受けているでしょう。裁判所にもメンツがありますよ」
「とにかくやってみます」
万年は逃亡を続ける大蓮になんとか連絡を取り斗浦弁護士を解任するように説得した。だが既に時期を逸していた。更生手続きは正式に開始され、レーベルグループの全資産は二十億円という破格の安値でセンチュリー・アーキテクツという投資顧問会社が落札した。時価数億円の大蓮の自宅マンションは相場の十分の一で斗浦弁護士が自ら落札した。
万年元工場長がまた伊刈に連絡してきた。
「伊刈さん最悪ですよ。センチュリー・アーキテクツから斗浦先生に十億円のリベートが支払われたと噂を聞きつけたんです」
「手数料五十パーセントは管財人の取り分として普通じゃないですか。百億円の会社をたった二十億円で手に入れたんでしょう。それにしてもセンチュリーとは何者ですか」
「合同土建の傀儡じゃないかと思うんです」
「なるほど」
「こうなったら斗浦先生を告訴しようと思います。実は自分もいくらかレーベルに貸しているんで債権者の一人として提訴する権利があるんです」
「何度も言うようですけどムリですよ。百億円の会社を整理したんですから十億円くらいは正当報酬です。管財人の背任なんてそうそうありません。名誉毀損で逆告訴されないようにしてください」
「でも悔しいんです。社長は騙されたんですよ」
「これまでの贅沢な暮らしぶりは不法投棄のおかげなんじゃないですか。破産は自業自得だと思いませんか」
「社長は悪くないんですよ」不法投棄で数百億円儲けたに違いない大蓮を万年はこの期に及んでまだ庇おうとしていた。
「じゃあ誰が悪いんですか」
「それは今は言えないですが」
「大蓮さんはどこにいるんですか」
「日本じゃないです。実は済州(チェジュ)島です」
「韓国ですか。よく逃亡資金を持っていけましたね」
「福岡からフェリーで行ったようです。飛行機より通関があまいですから」
「なるほどねえ。それもまさか斗浦先生の入知恵ですか」伊刈にもなんとなく万年の読みが正しいように思えてきた。
万年が斗浦弁護士の告訴を実行する直前、太陽環境の前社長だった逢坂小百合から電話がかかった。
「伊刈さん、大蓮さんが亡くなったわよ」
「どこでですか」
「韓国のホテルで自殺したって聞いたの。でも暗殺の噂もあるわ。逃亡資金として引き出していた十億円が消えたそうよ」
「倅さんも逃げてるんですよね。お金は倅さんが持ってるんじゃないですか」
「社長とは別々に逃げてるみたいね。バンコクにいるんじゃないかって聞いたわ」
大蓮の不幸な最期を聞いてなぜか伊刈の目尻がうるんだ。
「逢坂さんは今どちらに」
「上海よ」
「新しいお仕事ですか」
「どうしてそう思うの?」
「シドニーに行かれたのかと思いました」
「なるほど相変わらず鋭いわねえ。先月までシドニーにいたわよ。しばらく日本には居られないかなと思ってね。ほとぼりが冷めたらまたご挨拶するわね。伊刈さんこそお役所を辞めないの」
「市庁で地味に三年目ですよ」
「もったいないことね。日本だって狭いくらいでしょう。いっそ上海に来てちょうだいよ。それとも伊刈さんなら、あたしが呼ばなくても来ることになるかしらねえ」予言めいたことを言って逢坂は電話を切った。
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