第85話 最後の夢
大きな湖のほとり、木で出来た小奇麗な小屋の庭で、一人の女性が椅子に座って湖で羽を休める鳥たちを見ている。
長い銀色の髪に、長い耳、そして透き通るような白い肌。
エルフと呼ばれる種族の特徴をもつ女性は椅子に座りながら愛おしそうに自らの腹を撫でた。
全体的に細身の彼女だが、腹部だけは少し膨らんでおり、仕草からも妊婦であることがわかる。
「ねぇ、フィー。」
「ん?なんだい?」
彼女が名前を呼んだので、彼女のちょうど対面の椅子に座っていたボクは彼女の顔を見る。
ボクの目の前には彼女と同じお茶が入ったカップとクッキーが置かれている。
もし、他の人が見たら変に思うだろうけど、ここには今、僕らしかいない。
「私と契約して?」
「契約?何を約束したいんだい?」
「ちがうわ。フィー。私と古の契約を結んで欲しい。」
「...えっと、意味はわかってるのかい?」
「もちろん。私自身、皆に助けられているんだから当然よ。」
「もちろん、君にもいつかお願いすると思うけど、今じゃないかな。」
「どうして?」
「えっとね。古の契約はね、契約した時点の力が反映されるんだ。今契約しちゃうと、その...君は妊婦だろう?それじゃあ...。」
「大丈夫よ。別に戦うだけじゃないでしょう?私はどちらかというと守りの方が自信あるし。」
「それは知ってるけど、どうしたんだい?急に。」
「あなたに選ばれた人は自分に呼応する英雄の夢を見るわ。ちょうどあなたが結んだ契約の記憶を。」
「そうらしいね。」
「私が見た英雄達は、みんながとっても強く、優しい人達だった。そして、最後まで誰かを守るために戦っていたわ。」
「そうだね。君に呼びかけに答える子達は僕が出会った中でも間違いなく最高の子達だったよ。」
「でも、私は英雄達の夢を見て悲しくなった。」
「悲しく?」
「みんな、戦いなんて好きじゃない。けれど、何かのために戦う。それなのに誰も守りきった人たちの笑顔を見ることはできていない。目覚めた後にね。悲しくなるのよ。彼らは本当に報われたのかって。彼女の望む未来は手に入ったのかって...。」
「それは...。」
「だからいいじゃない。1つぐらい、幸せな夢があっても。今私とフィーが契約すれば、この場面を夢で見るのでしょう?綺麗な湖畔でお茶をしながら命の宿ったお腹を撫でる美女。いい夢だとは思わない?」
「...美女って付けなかったらいい夢だと思うよ。」
「なによ。事実なんだから仕方ないでしょう?」
「君は本当に自分が大好きだね。」
「あら、仕方ないでしょう?私は美しいものや、可愛いものが大好きなの。だからあなたも好きよ?フィー。」
「それは光栄だね。」
そういってボクらは笑いあった。
確かに、彼女みたいな契約者がいてもいいんじゃないだろうか、ボクの選ぶ契約者はほとんどが戦いの中で散っていく、なら彼女みたいに幸せな記憶を見せてくれる英雄がいてもいいんじゃないだろうか。
「それにね。ちょっとだけ、母親としての意地もあるの。」
ひとしきり笑ったあと、彼女はいたずらっぽい笑みをボクに向ける。
「母親?」
「この子が大きくなったとき、もしも、もしも私が死んでしまっていたら...フィーはその直前に契約を頼んでくるでしょう?そしたらこの子は母親が死ぬところを見ることになるのよ?最低の夢じゃない?」
「...縁起が悪いこというね。」
「人なんていつ死ぬかわからないもの。もしかすると、この子より生きるかもしれないし、明日死ぬかもしれない。誰にもわからない...でしょう?」
「それはそうだね。でも、その子がボクに選ばれるかわからないよ?」
「選ばれるわよ。今からお願いするんだから。」
「今からボクに頼むのかい?...はじめてだよ。そんな契約者。」
「フィー、私の永遠の友達。もし私が死んだら、この子を見てもらいたい。どうか幸せになれるように。」
「...友達...そんなこといわれたら断れないじゃないか。けれど、そうならないことを祈るよ。子供は母親に育てられるものだ。」
「もちろん、そのつもりよ。だから万が一よ。もちろんタダとは言わないわ。」
「...何かくれるのかい?」
「私の名前は古いエルフの言葉で『マー』は友達、『サ』は精霊を意味する言葉。私の名前は『精霊の友達』。だからこの子にもそれにちなんだ名前を付けようとおもうの。」
「へぇ...本当?」
彼女が優しい眼差しでボクを見つめる。
ボクが喜んでいるのがわかったんだろう。
「ええ。まだ男の子か、女の子かもわからないから、いろいろ悩んでいるんだけれどね。『サ』は抜けないとして、『イ』が息子、『ウ』が娘、『シン』が恋人、『マウ』が親友だから...このあたりを組み合わせたりして考えようとおもってるのよ。フィーも一緒に考えてくれる?」
「ボクも考えていいのかい?」
「もちろん、あなたは私の友人よ。それぐらい当然じゃない。」
「そっか。ありがとう。」
「でも先に古の契約を結びましょう。お願いね。」
「うん、宜しく。」
目をあけて、ぼーっと、天井を見る。
いつもの悪夢のような悲しい夢とは違う。暖かい夢を見た。
幸せそうなフィーとその友人の女性。
彼女もまた神格者だったのだろうか。どこか懐かしい雰囲気のある女性だった。
ふと、周りの状況に違和感を覚える。
どこかに寝かされてたみたいだけど、ここはどこだろう?
見覚えのない天井だ。
確か、エスリーの砦あたりから記憶が曖昧で...。
起き上がろうとして身体に鋭い痛みが走る。
「お目覚めですか?気分は如何です?」
こちらを覗き込んでくるのは赤い髪の女性...心配そうな表情をしているところから、珀(はく)だろうか。彼女がいるということはもう帰ってきたらしい。
「気分は...あまりよくないけど、ここは?」
「ここはレイ様のお屋敷のレイ様の寝室です。」
ゆっくり周りを見渡すが、執務室横の寝室ではない。広すぎる。
「あ、違いますよ?執務室の隣の部屋じゃなくて、レイ様が出陣された頃にできたお屋敷の3階のお部屋です。レイ様の部屋ですね。」
「記憶にないんだけれど。」
「そりゃそうですよ。今初めてレイ様にはお伝えしたので。」
なぜ、俺が知らない間に俺の屋敷が建っていて、部屋が決められているんだろう...。
「細かなことよりまずは身体を治しましょう。お腹がすいたとか喉が渇いたとかありませんか?」
「...喉は渇いたかな。ところで今どれぐらいだ?」
珀(はく)はベッドの隣にあったイスから立ち上がり、少し離れたところにある水差しの水をコップに注いでもってきてくれた。
「どうぞ。今は深夜ですね。」
「ありがとう...。珀(はく)はずっと看病を?」
「ええ、といっても、レイ様が王都に着いたのは昼過ぎですので、まだ1日も経っていませんが。」
「いや、十分だよ。ありがとう。もう休んでもらって大丈夫だけど。」
「気にせずそのままお休み下さい。しばらくは私が着いています。...危ないので。」
「危ない?」
「ええ、翠(すい)ちゃ...いえ、熱があるので、安静にしてもらわないといけませんし。身体もだるいでしょう?」
「確かに、身体はだるいかな。頭もぼーっとしてる。」
「安心してください。私が責任をもって見張っています。寝込みを襲うような真似も、おかしな看護もさせません。」
「?」
珀(はく)はいったい何を見張っていて、なぜそんなに意気込んでいるんだろう?
ここが王都の屋敷なら、敵なんていないはずだ。
俺の不思議そうな視線に気づいたのか、珀(はく)が目を逸らしてごまかすようにまくし立てる。
「い、いえ。なんでもありません。さぁ、もう少しお休みになって下さい。朝にはきっとマシになっているはずです。」
そういわれると、また眠気が戻ってくる。
人が居る横で無防備に眠るなんて、普段なら考えられないが、今日に限って、なぜかすぐに意識を手放せそうだ。
いい夢を見たからだろうか。もう一度見たいと思えるようなどこか懐かしい夢だった。
レイ様が眠ったのを確認して、部屋の扉をあける。
すると外には予想通り、翠(すい)ちゃんとミアさん、ララさんがいた。
「何をしているんです?」
「アレイフは起きたかにゃ?」
「また眠りました。」
「お見舞いなの。」
「眠っているので起きてからにしてあげてください。」
「添い寝...。」
「一人で寝なさい。」
まったく、この三人は...。
私が少しでも目を離そうものなら、部屋に侵入しようとする。
いや...悪意がないのはわかっています。少なくともミアさんとララさんには。
だけど、翠(すい)ちゃんはダメだ。
私の野生の勘が翠(すい)ちゃんにだけは弱ったレイ様を任せてはいけないと言っている。
心配そうにしている2人と、無表情な私の妹。
けれど私の妹、翠(すい)ちゃんは何故かいつものメイド服ではなく、ネグリジェのような服装に枕を抱えていた。
最近、本当に妹の考えていることがわからない。
昔から性格は全く違ったのに、双子だからかお互いの考えは理解できていたと思う。
けれど、最近は...。
内気で恥ずかしがり屋で、こんなことする子じゃなかったのに...。いったいどこで道を誤ったのか。
「明日なら会えるにゃ?」
「はい、熱もだいぶ引きましたから、このまま安静に眠れば、朝には元気になっておられるでしょう。」
「なら、あちしは朝来るにゃ!」
「わ、私もそうするの。リビングにいるから、起きたら教えてほしいの。」
「分かりました。必ずお伝えしますね。」
そう言うとミアさんとララさんは二人して引き下がった。
さて...問題は...。
「姉さん。」
「ダメです。」
「まだ何もいってない...。」
翠(すい)ちゃんが眉をひそめる。
「大体わかります。」
「姉さんも疲れたでしょう?あとはレイ様付きの私がついているからゆっくり休んで。」
「その格好で?」
「看病に格好なんて関係ない。必要なのはむしろ気持ち。」
「...絶対にダメです。起きたら教えてあげるから部屋に戻っていなさい。」
だが、妹は何故か引き下がらない。
こんなに気が強い子だっただろうか。
「私はレイ様付きのメイド。主人に仕える権利がある。」
「私はメイド長です。メイドの統括。私には翠(すい)ちゃんに命令する権利があります。」
「むぅ...。」
翠(すい)ちゃんが恨みがましい目でこちらを見てくる。
可愛いけど...ダメ。この子だけは今部屋に入れたらダメ。
「半時でいい。」
「ダメです。むしろ半時で何をするつもりですか。ほら、部屋かリビングで休んでいなさい。」
「...せめて着替えは私に手伝わせて、それなら引き下がってもいい。」
「着替えって...レイ様はそういうのを嫌がってたはずですが...。」
「弱ってるし、身体を拭くのも必要。姉さんと一緒でいいから。」
引き下がる気はないらしい。
まぁ、私も一緒なら大丈夫か。
確かに翠(すい)ちゃんの言う通り、身体を拭いて差し上げる必要はあるし、腕を骨折しているので手伝いはいると思う。
「わかりました。じゃあ起きたら手伝ってもらうから、とりあえず着替えて待ってなさい。」
「わかった。」
そういうと翠(すい)ちゃんはやっと諦めて戻っていった。
何度か「ちらっ」っとこちらを振り返っていたけれど、これで朝までレイ様の安静は守り切れたに違いない。
ほっとしたら、少しもよおしてきた...。今がチャンスとばかりにトイレに行ってから部屋に戻る。朝までまだ時間がある。
一応今日は寝ずにいるのを覚悟しているので、まだまだ長い。
読みかけの本でも持って来ればよかったと思いながら、レイ様の眠るドアを開けた瞬間。
まさにベッドに潜り込もうとする妹を見て、私は声にならない悲鳴をあげた。
その後、大急ぎで妹を捕まえ、放り出す。
ダメだ...とてもじゃないけど気を抜けない。
本なんて読んでいる場合じゃない。
私は気を張りながら、朝まで寝ずの番を続けた。
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