薔薇の園
アスラはアゼリア巨大森林東部のエリア開拓部隊の小隊長を任されていた。
エリア開拓の任務とは、主にその管轄エリアで魔素やマジックアイテムを収集することである。言い換えると管轄エリア内に潜む生物を狩ったり、ひっそりと眠るダンジョンを見つけ出し、攻略していくということである。
ただ、ダンジョンと言っても巧妙に隠されている場合が多いため、そう簡単に発見できるものではない。たとえ発見できたとしても、常に死と隣り合わせであるダンジョンを攻略することは至難の技である。
しかしアスラにはこの世に生を受けた時に『慈悲』で手に入れた【第六感】──卓越した直感があった。彼女はその直感を働かせることで数々のダンジョンを発見し、攻略に導いてきたのである。
アスラはただその【第六感】だけに頼ってきたわけではない。彼女はエルフの中でも群を抜いて戦闘魔法や補助魔法に通じており、さらには剣や弓などの武器の扱いにも長けていた。その天賦の才が彼女を任務の成功に導いてきたのである。
アスラはその功績を認められ、小隊長に任命された。そして彼女は二つの分隊をもらった。一つが戦闘を専門とする分隊で、戦闘に長けたエルフ十人で構成されている。もう一つが運搬、補充、衛生の役割を担うサポート分隊で、補助魔法に長けた五人のエルフで構成されている。
▫️
「アスラさん、今回も我々の隊が手柄を上げられそうですね。マスターの評価もまた上がるでしょう」
アスラの部下、カーラント分隊長が巨木の根の上を跳躍しながら言った。
「油断は禁物よ、カーラント。あの人間の小僧を確実に仕留めてから言ってちょうだい」
アスラはカーラントの面長で少し顎の尖った横顔をちらっと見て釘を刺した。
「あの赤く黒い炎の残像を残すナイフ、どのような効果なのでしょうかね。あんな人間の小僧には宝の持ち腐れだ。マジックアイテムはマスターのようなお方にこそ相応しい」
多弁なカーラントにうんざりするアスラ。
カーラントは腕が立ち、戦闘に関してはアスラを除いて彼の右に出る者はいない。彼は隊を盛り上げるムードメーカーでもあり、部下からの信頼も厚い。しかし、アスラは彼のことがあまり好きになれなかった。彼の出世欲に嫌気がさしていたからだ。アスラとて、マスターに喜んでもらいたい気持ちは同じだが、彼女にとっては目の前のミッションを粛々とこなし、結果を残すことができればそれで満足だったのだ。彼女は出世なんてできなくても、マスターに貢献さえできればそれで良いと考えていた。
「それにしてもあの小僧、ちょこまかとよく逃げ回る」
カーラントがそう言って弓をつがえようとした時、アスラはどこかで鈴の鳴るような音を聞いた。
「まて、カーラント。様子が変──」
アスラの言葉が終わらないうちに彼女たちの周りに白い霧が漂い始めた。彼女はその白い霧に違和感を覚え、目を細める。
「こんなところで急に霧が出るなんて……」
霧は瞬く間に広がり、エルフたちを飲み込んでいく。アスラはありったけの声を絞り出し、叫ぶ。
「皆、隊列を縮めろ! 注意を怠るな!」
アスラのすぐ隣にいたカーラントはベルトから【スコーピオン】を抜いて身構える。それを確認したアスラは目を瞑る。
「〈
アスラの 意識の中の目が周囲を注意深く見渡していく。500メートル先の小石さえつぶさに見通すことができるようになる遠視魔法だ。
「……あの人間がいない。ありえない、何かおかしいぞ」
アスラの【第六感】がこの霧は危険だと
突如、そんな緊張をほぐすかのように、優雅な花の香りがアスラの鼻腔をくすぐった。
「この香りは……」
「薔薇です。これは薔薇の香り」
サポート部隊の隊長であるベルモットの声。ベルモットはアスラのすぐ後ろまで来ていたのだ。アスラはベルモットの前に手をかざし、止まるように言った。
ベルモットは右目の下にあるホクロがトレードマークの女エルフで、いつも穏やかなオーラを醸し出している隊の人気者だ。薬草学、医学の知識が豊富で、いざという時はとても頼りになる存在である。
そんなベルモットがいつになく不安そうな表情を浮かべ、アスラに話しかける。
「アスラさん、足元を見てください。薔薇が……」
「これは……いつの間に……」
その時、アスラはまた鈴が鳴る音を聞いた。アスラは【フェアリーウィングソード】を腰鞘からそっと抜く。カーラントやベルモットは死角を作らないようアスラと背中合わせになる。
エルフたちの殺気があたりに充満する。アスラはその殺気を敏感に感じ取り、皆がそれぞれ臨戦態勢に入ったと理解した。
鈴の音が次第に小さくなっていく。同時にアスラたちに纏わりついていた白い霧が嘘のように晴れてくる。
「お、霧が晴れて来たぞ!」
カーラントが嬉しそうに声を上げる。しかし、その喜びもつかの間、視界が開けた先にあった光景にアスラたちは愕然とする──
そこにあったのは今までアスラたちがいた森とは全く違う光景。見渡す限りの一面が薔薇、薔薇、薔薇であった。赤い薔薇、白い薔薇、そして青い薔薇が咲き誇り、美しい自然の絨毯を形成していた。
普通であれば優雅な光景であろう、しかしアスラたちにとっては恐怖以外の何物でもなかった。
「いったい何が起こっている……」
アスラは剣を持つ手をだらんと垂らし、呆然と立ち尽くす。
エルフたちは皆、恐怖で身動きが取れずにいた。そんなエルフたちをあざ笑うかのように美しい女性の声が響き渡る。
『ようこそ、迷えるエルフちゃんたち』
アスラたちは互いに顔を見合わせ、固唾を飲み込む。ベルモットが恐る恐る口を開く。
「今、頭の中に聞こえませんでしたか?」
「ああ……確かに」
『私はアプロディーテ。こよなく薔薇を愛する者。さあ、この
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