ThunderBird
椿屋 ひろみ
第1話 メンテロイド誕生
今はそう遠くない未来。
外に出れば日本各地の隅々まで景色の不釣合いも気にせずパイプ型軌道式高速道路が厚かましく張り巡らされ、目的地さえ指定すれば人間の操縦なしで運転できる完全自動運転の自動車やバイクがどの家庭にも必ず一台は置かれるようになった。
都会に行けば相変わらず銀色のオフィス街のビル群が乱立し、ビジネスマンが背広を着てあくせく働いている訳だが、今のノートパソコンより高性能な装着型端末が普及しゴーグルや腕時計を着けて通話しながら資料を書く者が早足で大きなスクランブル交差点を絶えず横断している。
そして特筆すべきはここに至る二十年前に終戦を迎えた電子戦争のことだ。
ネット世界の領有権を廻り日本も含む全世界が戦渦に巻き込まれ、現実でもネット上でも血を流しあらゆるものが破壊された。
東京に落とされたとある兵器によりマイクロ波が関東圏全域を覆いつくし、年中春先のような空気が昼夜問わず流れるようになった。
やがて数年のうちに一気に生態系が狂い始め、多くの種が絶えていった。
もうひとつ変わったことといえば、コンピューターでプログラムさえすればあらゆるものに姿を変える、夢の粉と言うべき仮想物質が発見されたことだ。
嘗て量産型兵器の材料として使われていたそれは人間の五感すべてを満たしてくれる特性があり、戦争が終わった今資源が枯渇しきった地球上で衣食住すべての物の埋め合わせとして使われるようになり、人々は仮想の豊かさを得るようになった。
いつの時代でもそうだが、世間の恩恵から外れる者も存在しないわけではない。
茨城県の山奥にある、人工知能を扱う小さな企業のバベル社が所有する研究所の前では人工知能の発達で職を追われた労働者たちによるシュプレヒコールが連日行われていた。
施設の門前は浮浪者同然の彼らの汗と汚れの匂いが充満していた。
その研究所の三階の部屋で神経質をそのまま顔にしたような白衣を着た男が青白い顔で眉を顰め窓から彼らを見ていた。
彼はバベル社の社長の息子であり、研究部主任の新沼 芳樹である。
「まったく、目障りだ」
白いカーテンを閉め、尖った顎の短い髭を触りながら、後ろで薄緑の作業着を着たひっつめ髪の女の方を向いた。
「君の連絡で飛んできたのだが、もうすぐ完成なのだな。小柳君」
彼の直属の部下である小柳 美雪は六角レンチを持った腕で額の汗を拭い、たった今出来上がったロボットを前に満足げに微笑んだ。
「そうよ、これはまだ中身が卵だけどね」
新沼はそれを一目見るなり怪訝そうにした。
「いつみても君が作る筋肉構造体は吐き気がするくらいグロテスクだ。私が作る人工皮膚がなければただの化け物だな」
彼がこう言うのも無理はない。影だけならば唐牛で人の形は留めているのだが、工業排水のようなビスマシックベリル製基盤群と伸縮性のあるレアプラチナのチューブをを組み合わせて作られた機体は宛ら半魚人を腐らせたような姿をしていた。
その上、知覚センサーがついた眼球が六個、感情を生み出すための小型思考チップ諸々が頭部に装備され更に不気味な生き物に見えるのだ。
「相変わらずひどい言い方。人間の心を十分に育てるにはこの構造じゃないとだめなのよ。ちゃんと可愛い子にしてよね」
新沼は机に向かい箱型の機械を指で軽く叩いた。
「ところで君はいくつだい?」
「いくつって?今更何を訊いてるの、それに女性に年齢をきくなんて失礼よ」
「違う、コーヒーに入れる角砂糖のことだよ」
小柳は照れくさそうに応えた。
「私はいらないわ、甘いの苦手って言ったじゃない」
「そうだったな」
新沼はマグカップに仮想コーヒーを二杯淹れ、一つは机に置き、一つは仮想砂糖を山のように入れて湯気で眼鏡を曇らして窓辺に凭れながら飲んだ。
部屋中の不快な機械油の匂いを紛らわすかのように漂う淹れたてのメリケンコーヒーの香ばしい香りが彼の鼻腔をくすぐった。
カップでゆらゆら淀む、深い琥珀の液体を眺め、新沼は呟いた。
「天下の六華大学で稀代の天才と言われていた君が急に大学を辞めてこの会社に来たなんて今でも不思議に思っているよ」
工具を片付けた後、小柳はハンカチを彼に渡して隣で仮想コーヒーに息を吹きかけて冷ましながら少しずつ飲んだ。
「この会社の夢に憧れてね。大学を卒業することより早くこの研究に携わりたかったの。そんな私を受け入れてくれたバベル社に、社長である貴方のパパに感謝してるわ」
新沼の父は社長になった今でもこの会社で現役で人工知能を製造している傍ら、人間と同等の精神を有する人型ロボット・メンテロイドを開発することに生涯をかけている。
学生時代にそれを知った小柳はすぐさま大学を辞めてこの会社に押しかけたのだ。
「この会社の夢、か。父上はメンテロイドを完成させたいがためにこの会社を創った。私には未だに理解に苦しむがね」
「学会の人たちが夢物語だって馬鹿にするけど、ロボットも人間と共に笑いあえることができるって必ず証明してみせるわ」
まだ動かないメンテロイドの眼球に映る美雪の眼は輝いて、細くも強さを秘めた手で五色の管が血管のように張り巡らされた基盤の頬を撫でた。
ここは都内の時代から取り残されたような片田舎の住宅街にある一軒家。
築四十年の歴史を物語るように廊下は所々軋み、部屋中に出汁の匂いが染みついていた。
その一部屋に目がやたら大きく輝いている少年が箱型パソコンに齧りついていた。
「あと一分でサーバーが変わる。早く完了してくれ」
少年はパソコンの画面をその大きな目で凝視し、額に汗を垂らしてマウスでクリックを繰り返した。
当のパソコンは意地悪くじわじわと大容量のファイルのダウンロードをしている。
そして画面の右下にはサーバーの接続が変わるカウントダウンが猛スピードで動いていた。
「対象ファイルは限界まで圧縮している。端末の読み込み速度も上げた。あとはサーバーが変わる前にあれを転送完了できたらすべて終わる。お願いだ、今度こそ成功してくれ」
この彼、小柳 敦は美雪が遺した一人息子だ。
例のメンテロイドが完成した数年後に彼女は幼い敦を実妹に預け亡くなったのだ。
「転送完了シマシタ。電源ヲ切ラナイデクダサイ」
彼の必死の祈りが通じ、転送完了のウィンドウが飛び出した。
それと同時にサーバーが変わり元のホーム画面になった。
固唾を飲み、確認ボタンを押すと蓮が開花するように数十個の丸型アイコンがデスクトップ上で咲き乱れた。
「よし、やっと伝説のモリゾウ動画を発掘したぞ!」
二十年前に自分の作品をすべて削除して姿を消したモリゾウという動画配信屋の、マニアの間では垂涎ものの動画の引き揚げに成功した彼はここ三日三晩の努力が実り、堪らず万歳をした。
すると部屋の襖が勢いよく開いた。
「ちょっと、敦っ!」
パーマをかけたジャージ姿の女がものすごい剣幕で怒鳴った。
「またアングラネットを使ったな、おかげでお巡りさんから白い眼で見られてるんだからいい加減にしなさいよ」
アングラネットとは普段の生活に使っているメジャーネットの深層部にある、この世にあるほぼすべての情報が記録されたネット環境で、数分置きにサーバーが切り替わって匿名が守られている一方、それを利用して違法薬物の取引やあらゆる犯罪に使われるので無頼者の巣窟になっているところだ。
彼女は敦の叔母であり美雪の実妹の小柳 渚。
美雪が亡くなった後、女手ひとつで手探りながら彼を十四歳になる今まで育てた。
彼女の男勝りのやんちゃな性格から親代わりというより、姉弟のような間柄である。
敦は顔を赤くして叱る彼女をからかうように応えた。
「俺は別に悪いことしてないぞ。もしや渚叔母さんが暴走族だったからじゃないの?」
渚は最近まで地元の暴走族、ロビンウッドの一員として法律で禁じられている改造をしたバイクで街中を闊歩していた。
「あら、ちっちゃいときにその暴走族のバイクに乗って喜んでたのは誰かしら」
彼は照れ隠しに眼を逸らし、林檎サイダーを一口飲んだ。
「ところで俺をそこらのハッカーと一緒にしてくれちゃ困る。この世から消え去ったデータをアングラネットから発掘するトレジャーハンターと呼んでくれ」
「なぁにがトレジャーハンターよ、また早朝に警察が来ても知らないからね」
粋がる彼の態度があまりに可笑しくて大笑いした。
すると、メールの着信音が鳴った。
「おおっと、また依頼のメールが来た」
「また話を逸らしたな」
「名画ヴェルセンヌの涙を発掘したら三十万ビットドルをあげる、か。よおうし、やる気が出た。またプログラムを組み替えて探すぞ」
夢中になってパソコンに齧りつく背中を見て呆れた渚は自分の部屋に戻り、戸棚から取り出した手鏡をゆっくりと開け、金色の縁に埋め込まれたルビーのボタンを押した。
すると鏡から、幼い敦を抱いて母の眼差しで微笑む美雪の立体映像が浮かび上がった。
「まったく、敦ったら姉ちゃんに似て賢くてついてゆけないわ」
無邪気に笑う映像の赤ん坊を指でなぞり、渚は机にうつ伏し不安げな顔でその幸せそうな二人の様子を眺めた。
「・・あの日のこと、忘れてないから」
十一年前、渚は実家である今の家で、美雪と敦は隣町の小さなアパートでそれぞれ暮らしていた。
それは十二月のクリスマスの日付が変わった頃に起こった。
いつものように渚がひとりでカップ酒を飲んでうとうとしていると、何者かがインターホンを連打しドアを激しく叩く音がしたので、飛び起き玄関を開けた。
ドアを開けると、眠っている敦を大事に抱いている美雪が亡霊のようにつっ立っていた。
彼女は月明かりに照らされているからなのか一段と青白い顔をしていた。
「姉ちゃん、どうしたのよ」
渚は真夜中に何の連絡もなく押しかけてきた彼女に動揺を隠せなかった。
美雪は黙ってよろよろと家に入り、廊下に敦を寝かせやつれ果ててはいるが母の瞳で眺め我が子のお腹を撫でた。
「・・あつし、生きるのよ」
その穏やかではない様子に渚は薄らと感じる嫌な予感を誤魔化すため苦笑いをした。
「どうしたのよ。本当に変よ」
また美雪は黙って朧な足取りで床の間まで歩き、なにやらキラキラとした金属がついたネックレスを首から外した。
「これ、敦が大きくなったら渡して。絶対に失くさないでね」
「ちょっと、姉ちゃん。やめてよ。死んじゃうみたいじゃない」
拭えぬ予感に身震いした渚は美雪の背中を押した。
すると美雪の体からノイズが走った。
「敦を・・・・よろしく」
揺らめく幻像の美雪はにっこりと笑い、火が消えたようにすっと消えた。
目の前で消えてしまった姉に渚は酷く驚き何度も転びながら寝巻のまま敦を乗せて車を走らせた。
「もしかしたら、あの研究所にいるかもしれない」
慣れた運転捌きで法定速度をとっくに超えて車を走らせた。
「そこの車、止まりなさい」
すぐに数台のパトカーが追いかけて夜の閑散とした高速道路の黙を引き裂くようにけたたましいサイレンが鳴った。すでに両者のタイヤから火花が散っていた。
「ポリ公、殺人かもしれないんだよ。捕まえるなら後にしてくれ!」
渚はぐずる敦をあやしながら窓から顔を出し、警官に向かって叫んだ。
一方、パトカーの中で警官はいつもの頭痛の種に青筋を立てていた。
「またロビンウッドですよ。どうしますか?」
「幸い、一般人は走ってない。催涙弾を撃つぞ」
パトカーの窓から催涙弾が渚の車に向かって発射された。
アクセルを全力で踏み、器用に催涙弾を避けた渚は執拗に追いかけてくるパトカーを睨み付けた。
「だめだ、聴こえてない。こっちも最後の手段を使うしかない」
助手席の敦を抱えて、力いっぱいハンドルを切り高速道路の軌道から飛び出し、透明な塩ビ製パイプの壁を突き破った。
「しまった、やられた」
システム上、軌道からはみ出すことができないパトカーは止まることさえできす、そのまま高速を走り続けた。
「改造しておいてよかったわ」
ジェットエンジンで宙に浮いている改造車からその様子を眺めてほっと胸を撫で下ろし、ハンドルで態勢を取り直しながら研究所まで走った。
研究所に着き、車を乗り捨てすぐさま施設の中に入った。普段なら頑丈な警備の施設なのに不用意に鍵が開いていたことにより一層不安を感じた。
敦を抱いたまま、渚は非常口のシアンライトを頼りにひんやりと長い廊下を歩いた。
「姉ちゃん、どこなの」
辺りを見回しながら建物の奥まで進んでいった。
すると急に警報サイレンが鳴った。
施設中に赤いランプが点灯し、けたたましいサイレンの音で意識が混乱する中、何かが倒れる音がしたのですぐさまその部屋に向かった。
「なによ、これ」
書類や機械部品が散乱する部屋の真ん中に、マネキンのようなものが頭に布を被せられ横たわっていた。
渚は暫く硬直し、震える手で恐る恐る布を捲ったと同時にその場で吐いた。
「・・あ、頭が」
不気味なサイレンに泣き続ける敦を強く抱きしめ、その場にへたれこみ一緒に泣き叫んだ。
「ごめんね、助からなかった。姉ちゃんの代わりにあたしがあんたを育てるから」
そのとき敦は三歳。
この惨状に近年稀に見る猟奇殺人としてマスコミが面白おかしく取り上げ、しばらく世間を賑わせた。
そして間もなく人工知能反対派の代表格が死亡推定時刻に研究所に居たという近隣住民の証言からすぐさま反対派の代表が逮捕された。
法廷で彼は何度も濡れ衣だと訴えたが、精神鑑定から重大な精神病を持っていると診断され、その事件は心神喪失者による殺人ということで犯人の精神病院行きであっけなく終息した。
次々と奇怪な事件は起こるのでこのことは世間からは忘れられたが、遺された者はあまりに都合がいいこの顛末に納得した訳がない。
だが、真実に繋がるような手がかりを何一つ掴めぬまま、今に至る。
敦がアングラネットを使って消去されたデータを引き上げる仕事を始めたのもそれが所以である。
近所の大学生からパソコンをもらって以来、一日も欠かさずこの世から消された母の遺された記録を探るべく、アングラネットの深層のずっとずっと深いところを辿っている。
仕事を終えて敦はベッドで仰向けになり、気泡ビーズでふわふわになった布団の上でしばらく天井を眺めた。
「今日も見つからなかった。一体、俺の母さんは何者だったのだろう」
・・あつし、起きて
暗闇の中、遠くで何度も自分の名前を呼ぶ声がした。
「だれだ、俺を呼ぶのは」
薄ら目を開けると、見覚えのない薄暗い部屋でひとり、涙で目を赤くした少女が佇み何かを訴えかけていた。
少女の背後にある窓の外では紅蓮の炎がうねりをあげて彼女を呑み込まんと大口を開けていた。
敦は急いで少女のもとに駆けつけようとしたが走るたびに遠ざかってゆくので抗うように息を切らせ走り続けた。
「助けて・・」
少女の顔が炎に照らされよく見ると、顔が間違いなく美雪のものだった。
「かあさん!」
思わず叫んだ自分に驚いた敦はそこで飛び起きた。
「またか、最近この手の夢が多くなったな」
寝汗を拭い息を整えてふと窓を見ると満月が浮かんでいた。
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