第13問 大切なもの、大切なことは?
中学1年生の頃。
まだテントリに入る前。
中学校生活で、大袈裟に言うと僕の心の支えになっていたのは野球部だった。
自分たちの代では上手いほうだったし、1個上の先輩たちが中心のチームでもベンチ入りできていた。
それに先輩たちのチームは色んな大会で優勝するほど強くて、あの頃は野球部の練習に行くのがすごく楽しかった。
こんなに強い先輩たちともっと野球をしたい。
先輩たちより上手くなってレギュラーになりたい。
そんな風にさえ思っていた。
だけど、自分たちの代になってからはこう変わった。
練習に行きたくない。
またたくさん走らされる。
誰か自分の代わりに試合に出て欲しい。
もう辞めたい。
今ではあんなに嫌だった勉強が、テストでいい点を取ることが、野球に代わって僕の支えになっている。
テントリで勉強することが野球部の活動よりも楽しい。
1年前の僕には想像もできないことだった。
でも、本当は僕だって――
* * *
「野球部辞めようと思う」
自宅で、二人きりのときにそう切り出した僕に、母は静かにこう返した。
「本当に辞めるの? いいの?」
その反応は意外だった。
母は最初、僕が中学で野球をやることに反対してたから。
「野球部だと勉強する時間がなくなる」とか「テストで60位以内に入れなかったら辞めさせるからね」とまで言っていた。まあ120位、130位でも辞めさせられなかったけど。
その母が一体どうして……。
「アツシくん辞めちゃったから?」
「うん、まあそんな感じ……」
「そう」
母はそれ以上何も言わなかった。
言わなかったけど……どうやら、僕の預かり知らぬところで色々動き回っていたらしい。
* * *
テントリにて。
休み時間の間、僕たちBクラスの生徒たちの話題は退部したアツシのことで持ち切りだった。
って、アツシさん本人がいるけどいいの!?
この話題NGだろ!
「マジ、テルミむかつくわ! あいつ、俺が退部届出しに行ったとき全く引き留めなかったんだぜ?」
いや、本人が一番ノリノリだわ!
「タサが辞めるときはめちゃくちゃ引き留めたくせにさ~」
「え、そうなの?」
「そうそう。タサが言ってたけど、テルミから電話もかかってきたらしいよ」
「うわ、キモ!」
「あまりにもしつこいもんだから見かねたタサのオヤジが「いい加減にしろ!」って怒鳴ったらしい」
「ははははは! 面白過ぎだろ、大刀中の監督!」
「とんだ変態もいたもんだ」
「笑い事じゃないよ、俺たちからすれば」
タサって言うのは僕たちの同輩で元野球部の男子だ。
その実力は僕たちの代では頭一つ、二つ抜けてて、1個上の先輩たちが中心のチームでもすぐにレギュラーになった。
野球経験者が少ない僕たちの代の希望の星。
先輩たちが引退してもあの強気で野球も上手いタサが中心となれば……そんな淡い期待をしていなかったと言えば嘘になる。
そのタサは全力で、電話までかけて説得しようとしたのに、アツシには冷たいなぁ。
思えば、1年生の頃からアツシ冷遇の兆候はあった。
まだ1個上の先輩がいたチームでも、僕たち1年生の中から5~7名がベンチ入りできる枠があった。
その内の5枠は部長のナオユキ、副部長のカズとショータ、同じテントリ生のトダッチ、そして僕で埋まっていて、アツシはもらえたりもらえなかったり。
ベンチ入りできても、アツシの背番号は「19」か「20」の末席だった。
身体能力も野球の上手さも、僕より遥かに上なのに……。
アツシは真面目ってタイプではないけど度を越した不真面目でもない。
野球未経験者だけど、もの凄い可能性を秘めた原石だ。
監督は何が気に入らなかったのだろう?
アツシとは幼稚園から一緒で名前で呼び合える仲だったから、友達が理不尽な目に遭っているみたいでなんか嫌だ。
でも、まあ。
僕も辞めるんだし、今更の話か。
僕はアツシ退部事件のことを考えるのをやめた。
* * *
休み時間。教室前の廊下で。
「ヒッシー、部活辞めるって本当!?」
僕にそう言って詰め寄ってきたのは副部長のカズだ。
って待て待て、なんでそのこと知ってるんだ!?
まだお母さん以外には話して……お母さんの仕業かぁああああああ!
「うちの母さんから聞いたよ」
「さいですか」
予想通り、部員の保護者同士の繋がりで話が伝わっているらしい。
うわ~、恐いなぁ……。
これはカズだけじゃなくて他のチームメイトにも知られてそうだ。
「絶対辞めない方がいいって! うちのお母さんも言ってたよ。菱沼くん、西中と城南の試合観に行くくらい野球が好きなのに、途中で辞めちゃうなんて勿体ないよって」
「っ!?」
カズはそれだけ言って、自分の教室に戻った。
続いてお昼休み。
野球部の友達とキャッチボールをしにグラウンドに出ると、1個上の先輩たちと鉢合わせる。
話題は自然とアツシの退部のことに。
先輩たちも知ってるのね。耳が早い。
「馬鹿だよ、井原(あいつ)」
「テルミが狂ってるのはいつものことだろ」
「そんくらいで普通辞めないよね」
えぇ!? まさかの井原ディスりの流れ!?
くっ、なんでや……直接「お前のせいで負けた」なんて言われたことない先輩たちには分からないんだ!
先輩たちの意外な反応に戸惑っていると、後ろから肩をとんとんと叩かれる。
振り向くと、そこにいたのはカズと同じ副部長のショータだ。
背が高くて、手足が長くてすらっとしてて、イケメンで、部内で一番勉強ができる上に一塁手のレギュラー。
小学生の頃は人前で鼻をほじる可愛げがあったのに……いつの間にこんなに立派になって、およおよ。
そんな優良物件ことショータが、真剣な面持ちで切り出す。
「部活辞めるって聞いたよ?」
「うん……」
僕とショータが話しているのに気付いた同輩たちがわらわらと集まってくる。なにこれ、なにこれ、なにこれ!
「今辞めたら後悔すると思う。よく考えた方がいいよ」
厳しくも優しい、部内の鬼副部長であるショータが。
「続けた方がいい」
新人戦で相手に決勝点を与えるミスをしたカイトが。
「夏休みあんなに頑張ってたのに勿体ない」
あの地獄をチームでたった2人だけ皆勤で乗り切った戦友、軍曹が。
「一緒にやろうぜ」
「お前が辞めたら、俺も辞めるから」
「テルミの言うことなんて気にすんな」
そして他の部員たちも、僕に言葉を掛ける。
たった一言、二言だったけど、何だかすごく励まされた。
こんなに気にかけてもらえて、申し訳ないくらいだ。
母に辞めると言ってから間もないタイミングだったのも手伝って。
僕はもう少し続けてみようかなと考えを改め始めた。
いや、やっぱりチームメイトからの言葉が嬉しかったんだと思う。
「菱沼先輩、野球部辞めるんですか?」
「なら、上原モデルのあのグローブくださいよ~!」
って言ってきたやつもいたけど。ナカジぃ……。
それに――
僕は野球が好きだ。
僕だって本当は勉強も部活もどっちもやりたいんだ。
それが一番の要因だろう。
カズ、カズのお母さん、ありがとう。
野球が好きだってこと、いつの間にか忘れてた。
小学生の頃は放課後毎日のように壁を当てをやって、友達を集めてぐだぐたの試合やエラー合戦のノックをやって……。
野球が楽しくて楽しくて仕方なかったんだ。
そういうわけで、初心を思い出した僕は、もうしばらく野球部を続けることにした。
そしてアツシ退部事件以降、僕は二度と野球部を辞めようとは思わなかった。
それから新人戦が終わって、迎えた10月――
2学期! 中間テストぉおおおおおお!
5教科合計、424点。
学年37位。
って、なんか、どんどん順位が落ちてきてるんだが……!?
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