第75話 リュセットと渡り鳥

「エラ、これ使って」


 午後の仕事、森の中にて薬草を取りに行く最中。

 掃除や洗濯といった面倒な家事は下僕となった姉二人に任せて、のんびりと薬草採集に向かう途中。


 ファムはエラに、アルティエールが持っていた手荒れに効く塗り薬を渡した。


「・・・これは?」

「手荒れ用のクリームだよ、エラの手、大分かさついているみたいだから」

「もしかしてこれ、お義母様の・・・」


 エラはその出処が気になって受け取る事に尻込みしているようだ。


 アルティエールは徹底的にしばき倒したから、今は私を恐れて狂人ぶって呻きながら寝たきりになっているというのに。


「心配しなくても盗ったんじゃなくて、普通に貰った物だから、それにクリームだってあんなクソババァに使われるよりエラの手に使われた方が何倍も幸せだよ」

「クスクス、何それ、おかしい」


 エラは本当に上品に笑う。

 代役で、意地悪を通り越した虐待を受けてひん曲がった自分とは違う、お姫様みたいな存在だ。

 どうしてほとんど同じ運命なのに、エラとリュセットはこうも違うのだろう。


 見ていると自然と守りたくなってしまうようなそんな魅力をエラから感じて、ファムはエラからクリームを取り上げると、そのままエラの手にクリームを塗りたくる。


「ありがとう、リュセット・・・実は私、リュセットがお義母様を殴るとこ、ドアの隙間から見てたの」


 エラはファムの手を握り締めながら呟いた。


「なんだ、だったらもう分かったでしょ、家のヒエラルキーは私が一番でエラが二番なんだから、もうあのクズ共に怯える必要は無いんだよ」


 設定としてはエラが姉みたいだけど、シンデレラの代役としての年季なら自分が先輩なので、ファムは自分を頼らせるようにエラの手を握り返した。


「ありがとうリュセット・・・ごめんね、リュセットにばかり背負わせて、何も出来ない、駄目なお姉ちゃんで、本当にごめん、リュセットがお義母様を殴った時、私は胸が空く気持ちだった、それなのに私はリュセットに加勢しないで、ずっと外から見てるだけだった、リュセットにばかり手を汚させて、本当にごめん」


 俯いたエラの瞳から涙が零れ落ちる。


 その涙は、エラが誰よりも清らかな心を持っている事の証だ。


 嫌いな相手、憎い相手を殴ったとして、その殴った本人の拳が痛みが分かる人間が、世の中に何人いるだろうか。

 普通は好きでやった事だからとそれでおしまいの話なのに。

 どんなゴミクズみたいな人間が相手でも、そいつを殴れば手は汚れ、ゴミクズと同じ階層まで堕ちてしまう。

 良心は痛まなくても、手は痛むのだ。

 私の手は、あんなゴミクズを殴る為についているのでは無いのだから。


 私は綺麗な顔を幼い少女に見えるくらいに歪めて泣きじゃくるエラの体を抱きしめながら、その拳についた汚れをエラの涙と共に洗い流して貰った。






「そう言えばなんの薬草取りに来たんだっけ」


 わざわざこんな寂れた森の奥に来てまで薬草を探すなんて、エラはよっぽど熱心に薬術にのめり込んでいるのだろうか。


「今日はドクダミとヨモギとハトムギね、美容にいいからって姉様達が好んでるの」


「うへえ、あのクソどもの為に薬草取りに来たって思ったら急に帰りたくなってきた・・・なんでエラはそんなに楽しそうなの?」


 森の中を進んで行くにつれて頬を緩ませ体を弾ませる様子を見るに、薬草採集自体は楽しみにしているように見えるが。


「え、だって、それは・・・」


 話している最中に並木道を抜けて円形に開けた野原に出る。

 否、そこはただの野原ではく、一面に耕されたカボチャ畑が広がっていた。

 そしてそこには家と言うには少し小さな小屋と、薪割りをしている少年がいた。




「あっ」




 少年がこちらを見る。

 私とエラ、どっちを見ているのだろう。

 いや、考えるまでもない、私とエラ、並んで立っていたとして、どちらかが選ばれるとした断然エラだ。

 エラの方が気品があってお淑やかで儚げで美しい。

 そんなの語るまでもなく知っている。


 だから私がエクスくんを見つめても、相手はそれに気づかないだろうと不躾な視線を送る。





「あ・・・」





 今度はファムの口から情けない声が漏れる。

 エクスが見ていたのはエラではなく自分だった。

 何か、始まってはいけない物が始まる、そんな音がした。


 地味で中性的ながらも端整で真っ直ぐな眼差し、その顔を驚きに見開きながら、エクスくんは私を注目している。

 まるで、女神でも見るかのような、そんな畏れと憧れの入り交じった、情熱的な視線。

 その熱い視線を受けて、私は体が火照るのを感じた。




 そんな二人だけの世界を、無礼な春風に邪魔立てされて我に返る。


 どれくらい見つめ合ったのだろう。


 一生分見つめ合ったと言っても過言では無いくらい経った気がするが、一瞬だった気もする。


 一つ真実となっているのはこの胸の高鳴りだけだ。


 ファムは雑念を振り払いながら、エクスに対してどう対応するかを思案した。


(・・・つまりこれは、私の運命とエクスくんの運命が融合したという事、この想区は万象の想区が元になっているからシンデレラの想区は一つしかない、だから私とエクスくんは同じ想区に入れられたんだ)


 何故代役の自分がエクスの「幼なじみのシンデレラの妹」という設定になっているのか分からないけれど。

 だとしたらエクスに自分の正体を明かすべきか否か難しい所だ。


 この世界の台本を無視してエクスと協力した方が、この先何かと都合がいいのは間違いないが。

 だがファムとしてはそんな事を好き勝手にするのは好まなかった。

 ファムがアルティエールを殴ったのはエラの心を守るためだ。

 自分と同じ傷をエラに与えるのが嫌だったからやむ無く行動した。

 それはそこで完結するので妥協できる範囲の行動だろう。

 だがもしもエクスとファムが調律の巫女より先に出会っていたとしたら、それは筋書きという運命を大きく変える事になって、この先の運命が思った通りに行かなく可能性がある。

 それはとても迂闊で致命的な軽挙妄動であり、不測の事態の引き金になりかねない。

 だから。


(エクスくんが私に気づくまでは、黙っていよう)


 ここがエクスとファムの運命を再現した想区だとして、エクスの他に誰がいるのかは分からない。

 だったら全員揃うまで様子見するのが安牌と言えるだろう。


 そんなファムとエクスの事情を知らないエラが、エクスに近づくと話しかけた。


「こんにちは渡り鳥さん、今日はリュセットと薬草を取りに来たの、また手伝ってくれるかしら」


 エラは親しげにエクスに話しかける。

 その様子は幼なじみ以上に親密で距離を感じさせないが、普段は大人しいエラの性格から考えると、その振る舞いは正しく恋する乙女のそれだった。


「渡り鳥・・・リュセット・・・」


 エラは既知のように振舞っているが、エクスくんにはその二つの単語は馴染みの無い言葉のようだ。

 どうやらあのエクスくんが本物なのは間違いない。


 リュセットと呼ばれた私はエクスくんに挨拶する。


「こんにちはくん、そういう訳だから、手伝って貰えるかな、勿論、お礼はさせて貰うよ」


 私がエラと同じ距離感を演じてエクスくんに近づくと、エクスくんは顔を赤くしながら狼狽える。

 初めて会った時もそうだけど、やっぱりエクスくんは初恋を拗らせているみたいだ。

 今のエクスくんには「お姫様」という素敵なパートナーがいるというのに、本当、焦れったい王子様なんだから。


「・・・分かったよ、リュセット、えっと、何の薬草を探しているの?」


 エクスくんの案内で私達は三人で薬草採集をしに森の中を探索した。


 それからというもの、多分原典のエクスくんとエラはそこまで頻繁に会う事も無かったと思うけど、家事を糞姉二人に押し付けてるおかげもあって時間のゆとりがある為に、私とエラは足繁くエクスくんの元を訪れるようになった。


 最初は薬草採集という口実が無ければ会いに行けなかったけれど、段々とその口実もおざなりとなり、今となってはエラはエクスくんに手製の弁当を振る舞う為だけにわざわざ離れた森の奥まで通うようになった。

 魔女ファムでは無くリュセットとして接している自分も、それに釣られるようににエクスくんに心を開いていった。




「渡り鳥くん、そういえばここのカボチャ畑って、渡り鳥くんが一人で育てているの?」


 広大なカボチャ畑を一人で耕しているエクスを見て、ファムはふとそんな疑問を口にした。


「うん、元々は叔父さんが育てていたものなんだけど、叔父さん、いなくなっちゃったから、今は一人で育ててる」


 聞いたところによるとエクスも元々は町で暮らしていたけれど、成長して周りがエクスが自分の運命を持たない「災いを呼ぶ空白の子」だと気づき始めた頃に、叔父夫婦の失踪を契機にここに隠れる様に引っ越して、以来ずっとカボチャ畑を耕しているらしい。


「一人でこんな広い畑を・・・、それってやっぱりエラの為?」


 ここの畑のカボチャがフェアリーゴッドマザーの魔法で馬車に使われる物だとは予想できた。

 だからエクスくんがエラの為にカボチャを育てているのだとしたら、随分と涙ぐましく健気な努力だと思う。


 ささやかな憐憫を抱きながらエクス君を見るが、どうやら今はエラへの好意だけが理由では無いようだった。


「最初は・・・約束だったんだ、の為に一番立派なカボチャを育てようって、でも今は違う、体が鍛えられたり、単純に栽培が楽しいっていうのあるけど、今はもう一個だけ、あるんだ」


 そう言ってエクスくんは照れ臭そうに頬を掻きながら語る。


「もしもこの広い畑を全部耕せることが出来たら、エラだけじゃなくてリュセットも、他のシンデレラのの子もみんなに、カボチャの馬車をあげられるんじゃないかって、思ったから」




「何それ、おっかしー・・・」




 冗談っぽく笑い流そうと思ったのに、胸の切なさが苦しくて声が掠れてしまう。


 シンデレラの代役の苦悩。

 それは本人にしか分からない物だ。

 誰にも見向きもされず、誰からも救われないまま一生を虐げられる人生。


 それでも、応援してくれる誰かがいたのならば、見てくれている誰かがいたのならば。


 シンデレラの代役は、代役であっても、シンデレラで在ろうとするだろう。


 だから、エクスくんがそう言ってくれた事。


 エクスくんの中にファムの物語が残っていて、それを救おうと考えていてくれた事。


 それが嬉しくて、胸がいっぱいになるのだ。


 でも今はリュセットだから、そんな意味深に感極まってしまってはいけない。


 私はその優しすぎる王子様をからかう事で、自分の中の感情を誤魔化した。



「渡り鳥くんは本当に罪な男だねー、エラだけじゃ飽き足らず他のシンデレラにもそんな風に手を差し出そうとするなんて、気が多い男は大罪だよ、男なら一人の女を生涯かけて愛すみたいな硬派を気取らないと」


 言いながら私は下手な作り笑いを浮かべながら背後からエクスくんの首を裸絞めにした。


 百戦錬磨にして難攻不落、稀代の魔女であるこのファムさんを、お姫様を差し置いて口説いた報いはきっちり受けてもらわねば。

 初恋のエラはギリギリセーフだけど、私や他のシンデレラを気にかけるのは完全にアウトだ。

 だから舐めた口を聞いたらどうなるか体に教え込んでやれ。


 アルティエールをボコッた時の気持ちがまだ燻っていたのか、私はエクスくんが青くなるまで首を締めて「この浮気者ー」とか「女たらしー」とか「好色一代男ー」と叫びながらエクスくんを悶絶させた。


 流石にここまですれば天然の女癖の悪さも多少は改善されるだろう。

 エクスくんにはレイナという立派なお姫様がいるのだ、簡単に他の女にうつつを抜かすようでは、レイナの気が知れない。


 私はエクスくんへの課題として、ちゃんと考えて貰えるように言った。


「男の子ならね、優柔不断は駄目だよ、優しくする女の子常に一人、女の子はどれだけ愛情を注いでも枯れたりしないんだから、だから一人のお姫様をその人だけを一生をかけて守り抜くの、いいね?」


 エクスくんは完全に屈服させられて従順に首を振った。

 それを見て満足した私はエクスくんを残して、勝手にエクスくんの家を掃除しているエラの所へと一人で向かっていった。

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