第74話 エラとリュセット

「リュセット、起きて、早く起きないと姉様達にまたしばかれちゃうから」


 重たい意識を引きずるようにしてファムは身を起こした。


 リュセット、それはファムが自分の運命を捨てて空白の書の持ち主になる前、シンデレラの代役だった頃の名前。


 自分をリュセットと呼ぶ人間の中に、こんなに優しく起こしてくれるような人物はいたかと違和感を抱えながら、埃を被った小さな部屋にいる隣人に目を向ける。


「さぁ、起きたら早く水汲みに行きましょう、姉様達が起きる前に食事の支度をしないと朝ごはんを食べる時間が無くなっちゃうから」


 そう言って自分を急かす少女は、自分と歳も変わらず、そしてよく似た顔立ちをしていた。


 理解不能の事態にこれは現実なのかと頭がパンクしそうになるが、直前の出来事を振り返って少しだけ冷静さを取り戻す。

 ファムは少女に状況を説明して貰う事にした。


「えっと・・・ごめん、昨日疲れ過ぎてて記憶が飛んじゃってるんだけど、ここはどこで、君は誰だっけ?」


「もう寝惚けてるのかしら、まぁまだ三時間位しか寝てないからそれも仕方ないわね、ここは私達の家で、私はあなたの姉のエラよ、さぁ、目が覚めたら仕事に行きましょう」


 なんじゃそりゃああああああと、驚く暇もなく、エラに急かされてファムは部屋から連れ出された。

 自分の手を掴むエラの手は、年頃の少女にしては酷くかさついていて、シンデレラの代役として親から虐待を受けていたファムは直ぐにその境遇を察した。

 エラの手を握り締めながら、状況を軽く分析する。


(つまりこれは、私が「やり直したい」と願ったから、私の運命を一からやり直している状況、本来と違いがあるのは万象の想区の影響を受けた結果と考えるべきか)


 つまりここは新しく生まれた万象の想区の模造品レプリカの世界という事。

 現実から一旦切り離されて、別の次元に飛ばされたという事だ。


(完全に詰んでいた状況から大きな猶予を貰った、この想区の時間を使ってもう一回お月様への対抗策を考えよう、きっと何か見つかる筈だ)


 ファムは前向きにこのやり直しの世界にて、絶望的な現実を引っくり返す方法を模索する事にする。

 幸い、ここは箱庭の王国の中であり次元は切り離されている為に時間はある筈だ。

 この想区が「ファム」の運命をなぞる物ならば、その間に幾つかの答えを出す事は出来るかもしれない。


 自分の願いを叶えてくれたマキナ=プリンスに心の中で感謝を口にして、ファムはエラと共に朝の仕事に向かった。





「つ〜か〜れ〜た〜」


 深夜、ファムは倒れ込むようにしてベッドに顔を埋める。

 朝早くから夜遅くまで、こんなに過酷な重労働をさせられたのは久々だ。

 昔の自分はよくこんな仕打ちに耐えられた物だと感心する程だ。


「お疲れ様リュセット、今日は調子悪かったみたいだけど大丈夫?、もし体調悪いなら明日は薬草摘んでる間は休んでていいから」


 エラはファムと身を寄せ合うようにして横になる。

 この小さな部屋と小さなベッドはどうやらエラとリュセットの共用みたいだ。

 冬は暖かいかもしれないが夏は床で寝た方がマシなくらい暑苦しそうだなと、隣にいるエラの体温を感じながら考える。


「いいや、平気だよ、皮肉な事にね、これくらいの重労働なら普通に耐えられちゃう自分が憎いくらいだ」


「クスクス、何だかリュセット、今日はとても明るいわね、いつもは俯いてばかりだったのに」


 言われて確かに、自分がリュセットだった頃はもっと内向的で他人の顔色ばかり気にする人間だったなと振り返る。

 魔女にならなかったらどんな一生になったのか想像するだけで身の毛もよだつ程だが。

 それだけに私は、魔女の自分をそれだけ気に入っているのだろう。


「ニシシ、未来は地面には転がっていないからね、いつも未来を見据える事にしたのだよ」


「クスクス、凄いなぁリュセットは、未来にそんなに前向きになれるなんて・・・私は」


 エラは何かを言いかけて言葉を飲み込むと、「明日も早いからね」とそのまま横になった。


 エラの言わんとする事はなんとなく察せられたが、だとしたらエラもまた、シンデレラの代役で、ストーリーテラーに使い潰しにされるだけの運命という事になるのだろうか。

 だとしたらファムはエラの事を見過ごせない、仮に偽りの関係だったとしても、シンデレラの代役という運命の持ち主ならば、他人とは思えなかったから。


(この先どうなるか分からないけれど、取り敢えず出来る事はやるべきだよね)


 睡眠時間三時間の劣悪な生活。

 本を読む自由も髪を梳かす自由も無いほどの過酷な使役。


 この環境に慣れてしまえば例えシンデレラだって卑しい奴隷根性が染み付いてしまうだろう。


 どうせ自分はリュセットではなくファムになるのだから。

 好き勝手やらせてもらおう。

 エラを悲劇のヒロインにしたくはない。


 ファムは側で寝息を立てる自分とよく似た少女を見つめながら眠りについた。





「リュセット、何の真似かしら、私は上流階級に相応しい豪華な朝食を毎朝作れと言ったわよね、それが豆だけなんて、馬鹿にしているの」


 リュセットの意地悪な姉の長女ノエミはこめかみをひくつかせながらテーブルを叩いた。


 いつもの朝食の時間、少し遅れるとテーブルにつかせてから、三十分たっぷり待たせて出したのがこの茹ですぎて膨れ上がったレンズ豆である。


 普段は二時間かけて作っているフルコースの時間を、丸々二度寝に充てたので、今日は昨日より体調がいい。

 その体の軽快さは、これから起きる事の為に準備したものだ。


 ちなみにエラには朝食は任せてと言ってお使いに行かせてこの修羅場から外した。

 流石にエラの精神ではまだ、この意地悪な継母と姉達に逆らうのは出来ないだろうから。


「こ、こんな、ま、豆、めめめま、ままままままま、豆、ま、豆えええええええ、悪戯じゃ済まさないわよリュセットぉ!!こ、こここ、こんな、豚、豚豚豚豚、豚の餌を!!出すなんてぇ!!!」


 意地悪な姉の次女ドロテは、三十分待たされた挙句、空腹を焦らされた末に豆を食わされたのが余程腹立たしかったのか、皿に盛られたレンズ豆を素手で掴んで口に頬張ると、不味いといいながら毒霧の如く私に吹きかけてくるが、私はさっと華麗に避けた。

 思った以上に効果覿面で笑いが込み上げてくるのを堪えながら、愛想のいい笑顔を顔に貼り付けて、姉達の糾弾を受け流す。


「まぁまぁ落ち着きなさいドロテ、今日は寝坊して朝御飯を作るのが間に合わなかったから、その罰としてこの豆を私にぶつけて下さいって、そういう事よねリュセット、ほら早く跪きなさい、愚鈍で愚図な愚か者の貴方を教育してあげるから」


 意地悪な姉の母、屑親の童話界代表である継母、アルティエールが目の据わった笑みを浮かべながら下僕を躾けるような冷酷な声音で私を脅してくるが。


「お生憎様、私にとってはその豆が日々の糧であり、ご馳走様だからね、だからお前達の望むご飯なんか作ってあげられないんだ、そもそも文句があるなら自分で作れって話でしょ」


 私は全く悪びれずに言い返した。

 リュセットだった頃に言えなかった事をファムが言う。

 その痛快さは癖になりそうな位に快感だった。


「リュ、リュセットォオオオオオオオ、貴様!母様に向かってなんて口を!!」


 ドロテは鼻息を荒くしながら私に詰め寄ってくるが、丸々として筋肉の少ないその体で私を害する事は出来ないと分かっていているので笑って聞き流す。


「リュセット、今なら裸で跪いて「生まれてきてごめんなさい」と言えば許してあげるわ、それとも貴方は、逆らったらどうなるか畜生みたいに身体で教わらないと分からないのかしら」


 私の挑発にアルティエールも笑みを消して威圧してくるが、私はその様が痛快で仕方なく、笑いを堪えながら愛想のいい笑みを浮かべたまま言い返した。


「謝る?何を謝る事があるのか分からないんだけど、私は朝御飯を作ってるし、文句があるなら自分で作ればいいだけの話でしょ、そもそも働かざる者食うべからず、なんの仕事もしてないあんた達親子に、私が飯を食わせてあげる道理も無いんですけど?」


「・・・リュセット、どうやらお前は頭がおかしくなってしまったようね、捨て子だったお前を拾ってあげて、今日まで育ててやった恩を忘れて家を乗っ取るなんて、リュセット、家が気に入らないと言うのなら出ていきなさい、役に立たない娘なんていらないわ」


「巫山戯んなよクソババァ、他人の癖に家を乗っ取っているのはそっちだろうが、この家は父さんとその娘である私とエラの物だ、だから出て行く道理を語るなら他人のあんた達だろうが」


 ファムは笑顔を絶やさずに起伏のない声で言い返した。

 台本にないアドリブを、自分の思った事、言いたかった事を言えるのはなんとも心地いい。


「カッチーン、姉様、もう私、怒っちゃいましたから、キレ過ぎて何するか分かりません、止めても無駄ですからね!!!」


 ドロテは私の胸倉を掴むと、欠伸が出そうなくらいスローな動きで拳を振りかぶる。



 ドカッ



 私の神速の拳がドロテの鳩尾を一瞬で突き刺す。

 ドロテは泡を拭きながらその場に倒れ込んだ。


「何が、起こったの・・・?」

「リュセット、あなた・・・やったわね!!」


 ノエミには見えなかったようだが、アルティエールには見えたようだ。

 アルティエールはヒステリックに叫びながら自室からあるものをとってきた。


「主人に噛み付く野良犬は、修正しないと、後悔させてあげるわ、私に逆らった事を、もう二度と逆らう事の無いように、舌を引っこ抜いて、体に烙印を刻み付けて、毎日拷問して生まれて来た事を後悔するくらい、貴方の反抗を駆逐して、躾直してあげる、泣いて謝っても許さないわよ」


 アルティエールが持っているのは丸い棘のついた棍棒。

 他人を痛めつける為に作られた調教道具。

 アルティエールが倒錯した趣味の持ち主である事を示す、悪趣味な武器だ。

 アルティエールの目は、人間であろうと虫と同じように踏み潰せる猟奇的で残虐な目をしていた。


 その剣幕にもしもリュセットのままだったら泣いて跪いて許しを請うなんて事もしたかもしれない。

でも今の私はファムだから、で怖気付いたりなんかしない。


「それくらいで私が怖がると思うなんて、想像力が貧困だねぇ、まぁ、そんな貧しい想像力だからこそ私を御せると思ってるんだろうけど」


 一度死んだファムにとってみれば、自分の命なんて勘定に入る程の重さは持たない。

 もしも脅しを使うのならば、エラや他の誰かを拷問にかけると言われた方が何倍も堪えるが。

 そんなファムの内面など、アルティエールには一生分からない事だろう。


 脳天を叩き割ろうとするアルティエールの棍棒の一撃を、ファムはさっと避けて、アルティエールの顔面に拳をめり込ませた。


 この最低最悪にして屑の極み、畜生にも劣る継母の事だけは、ファムのいかなる良心をもってしても許せなかったので全力で殴る。


「母様!!」


 ノエミは叫ぶだけで近づいては来ない。

 日和見主義者にして虎の威を借る狐に過ぎない彼女には、先頭に立って行動する事はできないのだから。


 結局、ノエミもドロテもアルティエールの駒に過ぎないのだ。



 渾身の一発を貰って苦しむアルティエールの鳩尾に半分の力で痛めつけるだけの拳を入れる。

 そして蹲ったアルティエールを踏みつけて、私は言い放った。


「この家のヒエラルキーが誰が一番か教えてあげる、一方的に殴られる痛さと怖さをその魂に刻め、お前達は今日から私の下僕だ」


 そのまま従順になるまで、何度も、何度も、顔の原型が無くなる程に、私はアルティエールを痛めつけながら、ノエミとドロテを脅迫する。


 理性を保ったまま他者を痛めつけるその姿は、どんな獣よりも凶悪で恐怖を感じる存在になるだろう。


 私のせいでエラに皺寄せが行っては本末転倒だから、徹底的に相手を屈服させた。

 奥歯を震わせる程に怯えさせて、二度と誰かを虐めたりなんて出来なくなるくらいに徹底的に恐怖を植え付けて、反省という名の洗脳しゅうせいを行う。


 顔だけが取り柄の糞姉二人を真人間に更生させていると考えると、殴ったり蹴ったりしても全く良心は痛まない。

 私は私の過去への復讐を果たしたのだった。


 それはとても小さな世界の王様だけど、もしも番長という存在がいたらこんな気分なのかもしれないと、私は生まれて初めて手に入れた過去を上書きするような勝利に、陶然とした微熱を感じるのであった。

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