第35話 世捨て人のじいさん

 優一郎の襲来から一日経った次の日、レヴォルはノインとシズヤと共に、鍛錬に励んでいた。


 乾の自爆による特攻を受けたノインの傷は深く、魔法で再生できる仮初の肉体と言えども完治とはいかず、歩くたびに軋むなどの歪みが生じているが、ノインはそれを感じさせないほど自然に振る舞っている。

 ノインには果たすべき目標があり、自身に与えられた時間が長くない事を自覚していた。

 だから、ここで体をいとい、長生きをする必要はない為に、その僅かな寿命を惜しむ事はない。


 そしてレヴォルも、そんなノインの様子から、最早葛藤する時間すら惜しいと、己の為すべきこと、果たすべき義務の為に、もっと強くならなくてはいけないと、ノインに稽古をつけてもらう事を頼んだのであった。

 それを見たシズヤが、二人に強引について来たのが今回のあらましである。


「短時間で技量を上げる事は出来ない、技術とは基礎と知識の下積みが、実戦と経験を通して体に染み付いた物だから、だから今回はレヴォルのレベルアップの為に、レヴォルの悪い癖を矯正する事に主軸を置いて鍛錬しようか」

「よろしく頼む!」


 レヴォルは両手で、ノインはハンデとして片腕で剣を持った。


 数度、模擬戦をして指摘されたレヴォルの悪癖は十にもなるほどあげられた。

 それも当然の事だ。

 レヴォルの剣は流派を持つちゃんとした物ではなく、あくまで独学で鍛え上げた叩き上げでその場しのぎの物に過ぎないのだから。

 だがそれは未だ型を持たない未完の状態という事でもあるので、レヴォルが己の悪癖を修正するのに時間はかからなかった。


「目眩しを喰らったときや、目を狙った攻撃に、反射的に目を閉じてしまうのは仕方ないけれど、それでも閉じるのは片目に留めて置くんだ、目を閉じた一瞬が命取りになるかもしれない、けど両目を潰されても詰みになる、だから、片目だけ、残して置くんだ、先の先を見据えて奥の奥を取っておくことはまだ難しいかもしれないけれど、本当の窮地になったら必ず必要になるから」


 型や構え、受け等の動作に関する悪癖は直ぐに修正できるが、左からの攻撃に右手で対処してしまう等の、反射で体に染み付いた悪癖は、一朝一夕で直せるものではない。

 故にノインは手心を加えず、痛みと共に刻み付ける原始的な方法でレヴォルの反射を修正ではなく上書きしていった。


 日も傾いて、一日の鍛錬に区切りをつけようという頃合いに。


「ノイン、俺と手合わせしてくれないか」


 これまで二人を見学しながら一人で素振りをしていたシズヤがノインに決闘を申し込んだ。


「そうだなぁ、どうしようか・・・?」


 純粋な力の差は明確だ、普通にやり合えば秒も経たずに決着がつく、シズヤに合わせてノインが手合わせしてもシズヤが得られる物は無いだろう。

 シズヤが前回の雪辱を晴らす為にノインと決闘がしたいのであれば、ノインが受ける道理もないが。

 決闘する理由をノインが探していたら、レヴォルがシズヤに尋ねた。


「すごいな、あれだけ圧倒的な力を持つノインに勝負を挑めるなんて、勝算はあるのか?」


 レヴォルの質問にシズヤは首を横に振る。


「いいや、悪いが無謀で無策な挑戦だ、だけど俺は、必ず追い越すと決めたからな、だからそれまで挑戦させてもらう、こんな所で止まれないからな」


 シズヤが決闘をする理由はただ純粋に、一番高い経験値を求めての事。

 それ以外の打算や私欲は無い。

 敗北を、挫折を恐れないその姿勢は、愚直過ぎるくらいに貪欲な向上心の表れである。

 そんなシズヤの挑戦に、レヴォルは己の驕りのような物を気付かされた。


(そうだ、俺は自分より強い奴と戦えば更に強くなれると思っていたけれど、それだけじゃない、誰からだって学べる事はあるんだ)


 反面教師ではないが、弱者には弱者の処世術がある、強者から学べるのは強者にのみ与えられる特権のように反則的な基本ばかりなのだから。

 だから、レヴォルが本当に強くなりたいならば、ノインの強さを目指すのは早計なのだ。

 だからレヴォルはノインに代わってシズヤに言った。


「なぁ、シズヤ、俺と手合わせしてくれないだろうか」

「・・・悪いがそれはできない、レヴォルと戦うのは、絶対勝てる自信がついた時にしたいからな」


 シズヤのその返答は、つまり、ノインには負けてもいいけれど、レヴォルには負けたくないという事。

 レヴォルがシズヤを対等に扱っているから、ライバルとして見られているという事だろうか。


「そうか、シズヤとならいい勝負が出来ると思ったんだけどな」

「悪い、だけど俺はレヴォルと戦う日が来る事を待っているから」

「・・・?、それはどういう」

「・・・内緒だ」


 シズヤの夢を語るような口振りから察するに、何かを待っているのだろうか。

 どちらにせよ、レヴォルは振られた訳だ。


「・・・そうだね、僕も今は満足に戦えないし、もしかしたらシズヤにも戦う出番があるかもしれないから、出来ることならレヴォルと同じ位には強くなって貰う必要がある、か」


 ノインはそう納得すると、片手で木の枝を持つ。


「俺にも真剣で戦ってくれよ!」

「シッ!!」


 木の枝による一閃で風圧の突風を起こす。

 シズヤの不満の声をノインは一太刀で黙らせた。

 それにより先のノインの戦いぶりの壮絶さを思い出したのか、シズヤは以降従順にノインの指導を受けた。





 稽古を終えて、村へと帰る途中に。


「?、初めて見る人がいるな」


 高く伸びた岬の端に、海に向かって座り込んでいる人がいた。


「ああ、あれは世捨て人のじいさんだ、いつの間にかこの島にいて、ああしてずっと黄昏ている、まだ生きてるんだな」

「世捨て人・・・」


 この世界にいる人間は何かしらの役割を与えられている。

 世捨て人という役割を与えられた人間も中にはいるのかもしれないけれど、でも、普通はそんな意味の無い役割を与えられる事は無いだろう。

 だから、その世捨て人は自分の運命を捨てた人間か、もしかしたら運命を持たない人間かもしれない。

 何か手がかりがあるかもしれない。

 この想区を抜け出す突破口を求めて、レヴォルはその世捨て人に話を聞く事にした。


「ちょっと話をしてくる」





 世捨て人のじいさん、彼を見た時にレヴォルが最初に感じた物は親近感だった。

 異国風の衣服に身を包み、白い肌にはっきりとした顔立ちをしていた彼は、多様な人種が混在するこの世界に於いて、レヴォルと近い故郷の生まれだと思われた。

 そしてそんな彼の目は、底なし沼の如く混濁と混沌に曇っており、海を眺めているように見えて、何も見ていなかった。


 ・・・確かに、彼は世捨て人なのだと、一目で分かった。


 すぐ傍に立っているのに、世界を隔離したように居座る彼の背中は、どこまでも遠い物だと感じさせられる。

 レヴォルは声をかけるのを躊躇うが、呼吸を整え気持ちを整理すると、必要という義務に強いられるように声をかけた。


「すみません」


 世捨て人は、突如視界に割り込んだレヴォルを一瞥すると、一言、独り言のように呟く。


「君は何者だ」


 何者であるか。

 繰り返しになるが、この世界には全ての人に確固とした役割が与えられている。

 そして運命を持たない「空白の書」の持ち主である、レヴォルは何者でもないし、何者にもなれる存在だった。

 しかし、そんな退屈な答えで彼の興味を引ける訳もなく、今この場の答えとしては不十分である。

故にレヴォルは思考した。


 今までのレヴォルの過去に照らし合わせるならレヴォルの存在は根無し草で、風に飛ばされるように漂う旅人になるのだろう。

 しかし今のレヴォルはこの想区に呼ばれた存在であり、役割を与えられている自覚がある。

特別な存在である自覚があった。

 だから今の自分はただの旅人ではない。

 今の自分がなそうとしている事、なろうとしている物に照らし合わせるならば。


「愚者だ、これ以上無いくらいのな」


 創造主かみに挑むと決めた。

 世のことわりを覆すと決めた。

 そんな大望を身に秘める存在が何者かと問われれば、愚者と呼ぶのが相応しいだろう。


 レヴォルのその答えに興味を引かれたのか、世捨て人は再びレヴォルに視線を向けた。


「気に入らない面だ、育ちの良さそうな顔に、仕立てのいい服、一目で苦労も貧困も知らないような坊ちゃん育ちだと分かる、優遇されて生きてきた甘さが滲み出てやがる、私の一番嫌いな人種だ、失せろ、と言いたいところだが、だが君は自分を愚者と言った、それに免じて一つだけ問おう」


 世捨て人は嫌悪感と悪感情を隠すことなくレヴォルを睨みつけるが、何か思う所があるのか問いかけた。


は悲劇と喜劇どちらで出来ている、答えろ」


「・・・っ」


 悲劇と喜劇。

 想区を渡り歩いたレヴォルからしてみればどちらも等価値に思えた。

 真に救いの無い物語は、の作った物だけ。

 誰かの不幸が誰かの幸せになるような残酷な運命の中にだって、救いはあったのだから。

 もし、この世にいる全ての不幸な人達の所まで、自分の手が届くのなら、どんな悲劇も喜劇に変えてみせる。

 でも、誰の手も差し伸べられず、人知れずに結末を迎えるような悲劇なんてありふれた物なのだろう。

 だから、自分の中ではこの世界は悲しみが溢れていて、悲劇に傾いているのだと思った。

 だけど。


「マッチ売りの少女みたいに救いの無い悲劇だとしても、手を差し伸べる誰かがいたのならば、悲劇は無くせる筈なんだ、だから・・・」


 本当の悲劇なんて無い。

 そう言葉にしようとしたら。


「マッチ売りの少女が救いの無い悲劇か、君は随分と傲慢な理想家なんだな」


 世捨て人は溜め息をつき、興味を失ったようにレヴォルから顔を背けた。

 その態度こそが傲慢では無いのかとレヴォルも感情を昂らせる。


「死という救いなんて認められるか、一生懸命マッチを売った少女に与えられる結末ならば、それは幸せにならないとおかしいだろ!」


 頑張った人間、それも少女が報われずに死ぬ事より痛ましく悲しい事があるだろうか。


「君に彼女の何が分かる、貧困の最下層にいる人間の何が分かると言うんだ」


 世捨て人はどこまでも凍てつくような目でレヴォルを射抜く。

 その炎すら凍りつかせるような迫力にレヴォルも縮み上がるが、だけどマッチ売りの少女の事は譲れないと食い下がった。


「分からなくても分かる、彼女は生きたがっていた、生きる運命を与えられたなら、過酷な貧困の中でも生き抜いて見せた筈なんだ」


 マッチ売りの少女は幼いながらにたくましい少女だった。

 雪の中、マッチを売るなんて大人でも容易でないことだ、それを彼女は毎日続けていた。

 だから、生かしてくれたのならばきっと自分で幸せになれたはずなんだ。


「それは貧困を知らない人間の言葉でしかない、君には分からないだろう、妻が水商売で稼いだ金を博打で借金に変える男の気持ちを、飲んだくれて子供を虐待する母の気持ちを、子供を売ろうとする親の気持ちを」


 それは貧困な家庭の中では珍しくない、ありふれた話だ。


「それがマッチ売りの少女と何の関係があるというんだ!」


 世捨て人は面倒くさそうに溜め息をつくと、不本意そうにつらつらと語る。


「マッチ売りの少女がそもそもなぜ寒い雪の日に外でマッチを売らなければならないのか、どうして誰もマッチ売りの少女に手を差し伸べようとしなかったのか、考えた事はあるのかい」


「それは・・・創造主がそういう運命を作ったから・・・」


 貧困も不幸な結末も作者が作った物であり、それさえ無ければ自由に生きられた。

 だから、悪いのはこんな脚本シナリオを書いた創造主の筈だ。


 世捨て人はまた納得いかなそうに溜め息をついた。

 その目には失望と、厭世観に染まった疎ましさに染まっていた。


「そう思うのならこの世にいる全てのアンデルセンを殺せばいい、そうすれば少なくともマッチが売れずに凍死する憐れな少女は生まれなくなる」


 世捨て人はこれ以上の対話を拒み、レヴォルから興味を失ったように黙り込んだ。


 レヴォルも世捨て人から情報を引き出す事を諦めて背を向ける。


 結局、世捨て人が何者なのか、何を問われていたのかは分からず仕舞いだ。


 もやもやとしたやり場の無い怒りを抱えながら、レヴォルは駆け足で帰路についた。










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