レフト・ビハインド

大淀たわら

レフト・ビハインド

(1)

「あいつは異世界へ行ったんだよ」

 遠崎行人とおざきゆきひとは奇妙な男だった。

 外見は普通だ。服装も奇抜ではない。出身も特殊ではなかったと記憶している。肩書も極めて平凡で……つまりは俺と同じ高校生だった。こうして並べると一体どこが奇妙だったのか、にわかに説明しづらい。

 校庭の片隅、学食で買った握り飯を頬張りながら訊き返した。

「運賃とか高いのか?」

「切符を買ったとは聞いてないな。何しろある日突然だ。買っていたのかも知れんし、買っていなかったのかも知れん」

 ウインナーを放り込んだ。

「俺には教えてくれなかった」

 行人は、知人・友人から少しずつ分けて貰ったおかずを集め、一人前の弁当を完成させていた。噛めば音の鳴るウインナーを始め、唐揚げ、おにぎり、ダシ巻き卵と、俺の昼飯なんぞより余程豪勢だ。これで一週間を難なく乗り切る手腕には、ほとほと舌を巻いた。

 奴は、放物線を描いて飛んでいく白球の、そのさらに上空を見上げた。

「台風の夜だったな。急にあいつから電話がかかってきたんだ。今から遠くに行かなきゃならないから電話したって。どこに行かなきゃなんねーんだ、それより貸した千円返せよつったら、俺がやるしかないからって」

 ふざけんなよ、と唐揚げを嚙み千切った。

「何なん? そいつ。異世界で勇者とかやってんの?」

「わからん。多分そうなんじゃないのか? 半日くらいこっちに帰ってきたことがあったがやたら可愛い女の子と一緒だった。地毛で髪の青い女は初めて見たな」

「おっぱいでかかった?」

「いや、普通だった」

「ふうん」

 こいつ頭おかしいのかな。

 俺は、ごくごく自然にそう結論付けた。

 頭のおかしい男は、頭のおかしい話を続ける。

「それでな、事情を聞いてたら探さなきゃならないものがあるとかで、よくわからんが仲間と一緒に遠いところへ行かなきゃなんないんだと。で、もう生きて戻って来られないかも知れないから最後に俺に挨拶しに来たと、そう言うんだ。真面目腐った顔でな」

「何かのイベントじゃねえの?」

「確かに半日一緒にいたんだ。だが気が付くと俺は部屋の床で気を失っていた。あいつらの姿は忽然と消え失せていた」

 反応しづらいネタだった。行人も、どういう反応が欲しかったのだろう。ただぼんやりと遠くを眺めていた。俺は尋ねた。

「で、何て言ったの?」

「何って?」

「今生の別れだったんだろ。お前そいつに何て言ったの?」

 行人は、答えずに下を向いた。そして固まった。記憶を呼び起こしているように見えたし、何も考えていないようにも見えた。それから再び視線を上げた。校庭のフェンスを見つめるばかりで、続く言葉は何もなかった。

 チャイムが響き、その会話はそれで終わった。


(2)

 どっか遊びに行こうぜ、と誘ったのは終業式の帰りだった。

 気だるげな嘆息が返ってきた。

「俺にはお前を説得するための材料がない」

「金がねえのか? 何でだ?」

 行人は「ほらな」と知ったふうな顔をした。

「理由を聞かずに金を貸してくれるのは祖母ちゃんと闇金業者ぐらいだ。祖母ちゃんは一昨年の冬から墓の下だ」

「そう言や、お前先週四日ぐらい休んでたよな」

 奴は、軽く肩をすくめた。

「九州のほうに行ってた」

「旅行か?」

「青春18きっぷだ。手持ちの金でどこまで行けるのか試してみた。三日かけて錦江ってとこまで辿り着いて警察のお世話になった。親父にしこたま殴られた」

「迎えに来て貰ったのかよ。クソ迷惑じゃん」

「家族会議。あれは気まずいものだな。あの気まずさを子孫に味合わせないためにも俺は生涯独身を貫くかも知れん」

 いや、責任もって真っ当な人間に育てろよ。

 そうツッコミはしたが親が蛙なら子供も蛙かも知れんと、そう思った。


(3)

 行人の奇行は秋になっても続いた。

 マラソン大会の当日、

「俺はこんなものを大会だとは認めない!」

 そう言い捨て、スタート直後にコースアウトした。「一緒に走ろう」という約束が守られるとは微塵も期待していなかったが、こんな形で裏切られるとは思わなかった。行人は本来のコースの倍以上あるおよそ24㎞を律儀に走り切り、そこからバスに乗って百数十キロ離れた八色やいろという町で海を眺めていたところを警察に保護された。信じられないバカだと思った。

 騒ぎから三日ほどたった放課後、特別教室棟の一室で訊いてみた。

 どうしてそんなことをしたのかと。

「お前らこそ、どうして耐えられるんだ?」

 行人は、教室の中央に陣取り、何かの紙を丁寧に折っていた。手先に視線を落としたまま続けた。

「学校の外周を二十周。同じ場所をぐるぐるぐるぐる……考えられんよ。もし俺が造物主だとしたら人類は狂ったのかと嘆くだろうぜ」

 一定の手順に従って紙を折り畳んでいく。やがて形になったものを指先で摘まみ、高く掲げてみせた。紙飛行機だった。素材はチラシで、どこから運び込んできたのか数百枚は積まれていた。それらを全て紙飛行機として活用しようという魂胆らしい。行人は、クオリティに満足を見せるでもなく、折った飛行機を段ボールに投げ入れた。

「なあ、どうなんだ? どうしてお前は耐えられるんだ?」

 そして、また同じペースで折り始めた。実は俺も同じ作業に従事させられていた。チラシを一枚手に取って無意識の動作で畳んでいく。

 鼻で笑ってやった。

「お前こそ。もう中学生じゃないんだぜ。恥ずかしくはないのかよ」

「分かってはいるのさ。だからこそだよ」

 チラシの種類は多種多様だった。市の広報誌もあれば、牛肉の特売を報せるものもある。玩具の広告や、国内旅行の紹介、宗教の勧誘なども混じっていた。チラシの前面にでかでかと一言。『神は全てを見ている』 見られないように折り込みながら問いかけた。

「こんな大量の紙飛行機、一体何に使うんだ」

 行人は目を見開いた。

「お前、まさか、知らないのか?」

 奴は冗談を口にするふうでもなく、真顔で答えた。

「飛ばすんだよ」

 そういうことが聞きたいわけではなかった。


 放課後の屋上、行人は豪快に段ボールをひっくり返した。

 薄っぺらな紙飛行機は、すとんとそのまま墜落するものもあったが、大半は風に乗り、その役割を全うした。大量の紙飛行機が校庭の上空をすうーっと縦断していくサマは爽快だった。人形サイズの女子たちが「なにあれ?」「おもしろーい」とスマホを翳す。中身を広げ、何でもない特売の告知に疑問符を浮かべているやつもいた。投げ返すやつもいたし、ぽかんと口を開けているやつもいた。でも無視をするやつは一人もいなかった。

 俺は、痛快な気分になって行人を窺った。そして息を呑んだ。

 やつは遠くを見つめていた。グラウンドからこちらを見上げるサッカー部の連中にも、窓から覗く美術部の女子にも、怒鳴りながら屋上に乗り込んでくる教師にも、誰にも、さして興味はないようだった。沈んでいく夕陽を、ただじっと眺めていた。

 フライトは成功した。

 でも校庭のフェンスを越えられたものはひとつもなかった。


(4)

 テレビが台風の上陸を報じていた。深夜からに朝方にかけて市内に最接近するらしかった。休校を期待しながら参考書に線を引いていると充電中のスマホが着信を告げた。

 行人の姉からだった。

 普段連絡を取るような間柄ではないので何事かと驚いて画面をつつくと、彼女は口早にごめんと謝った。どうしたのかと問う間もなく続けた。

「行人、君の家に行ってない?」

 まだ家に帰っていないと言う。

 行人の奇行で一番迷惑を被っているのは彼ら家族だ。家出なんぞで今さら焦ることもないだろう。頭ではそう考えたのだが……なぜだろう。なぜだか俺も、嫌な感じがした。

 水滴の散った窓ガラスが、急かすようにガタガタと震えていた。

 俺は、行人の姉と合流し、彼女の車である場所へ向かった。確信があったわけではなかった。でも、そこだと思った。行人がいつも眺めていた方角。記憶の中の視線に吸い寄せられるように雨粒の飛ぶ夜道を走った。

 俺たちが海岸に辿り着いたとき、奴はもう膝上まで海水に浸かっていた。低く唸る海へ向かって一歩、一歩、進んでいく。慎重に、道を違えまいとするように。

 俺たちは砂浜を走った。猛烈な風が行く手を阻んだ。厚手の布団を叩きつけられるようだった。何度も転びそうになりながら……実際に何度か転びながら、バカ野郎を止めようと浜を駆けた。

「行人!」

 そう叫んだ瞬間、背丈ほどもある波が奴を呑み込んだ。

 行人の姉が、耳を覆いたくなるような悲鳴を上げた。

 その波が引いたとき、全く信じられないことだが、行人の姿はまだそこにあった。浜に向かって押し返されたようにも見えた。奴は両手を突き、ゆらりと立ち上がると、再び海原へ向かって歩み出した。まるで夢遊病患者だった。

「よせ、行人!」

 俺は、行人の首に腕を巻きつけた。

 奴は、その腕に爪を突き立てた。

「離せッ!」

 力任せに引き剥がそうとする。

「邪魔をするな! 殺すぞ!」

「お前が死んじまうっつってんだよ!」

「やかましい、黙れッ!」

 行人が俺の腕に噛みついた。そのとき、今度は背丈をも超える大波が立ち上がった。

 俺たちは反応すらできず、大咢をただただ見上げた。

 死んだ。

 覚悟と同時に、衝撃が全身を襲った。

 視界がシェイクされ、どこが地面で、どこが頭なのかも分からなくなった。耳は塞がり、鼻と口に海水が注ぎ込まれた。苦しくて口を開けると、そこにまた砂水が流れ込み喉と食道を圧迫した。地獄のようだった。

 だが、不意に身体が軽くなる瞬間が訪れた。まとわりつく重みが消え、砂地の硬さが半身に押し付けられた。浜に打ち上げられたのだ。

 四つん這いになって、げえげえと水を吐き出した。隣で行人も同じようになっていた。聞くに堪えないえずきが連なる。やがて、その音に嗚咽が混じった。

「……ど……して」

 行人が砂に顔面を押し付けていた。

 浜に指を突き立て、爪が剥がれんばかりに掻き毟った。

「どうして……どうして、だよ……」

 握り締めた拳の隙間から、砂が溢れていた。

「衛司ッ!」

 行人は叫んだ。知らない名前だった。

「どうして!? どうしてなんだ!? なあ、衛司! どうしてなんだ!?」

 波に向かって叫んだ。

「どうして……っ」

 何度も、何度も、どうしてと。

 海は何も答えなかった。何度も、何度も、波が打ち付けるばかりだった。

 やがて慟哭は、すすり泣く声に変わった。


 遠崎行人は奇妙な男だった。

 外見は普通だった。服装も奇抜ではなかった。出身も特殊ではなかったろうし肩書も極めて平凡だった。平凡で、どこにでもいる高校生だった。こうして並べると一体どこを奇妙に思ったのか、俺にもよく思い出せない。

 行人は高校を卒業すると同時に親元を離れ、関東の大学へ進学した。正月に一度だけ顔を合わせたが、いかにも大学生らしい話しかしなかった。それから何年も連絡を取っていないし、今何をしているのかも分からない。

 俺は地元の企業に就職し、週末に映画を観に行ける程度の給料で働いている。両親からは結婚をせっつかれているが、そんな未来はまだ想像ができていない。

 数奇な運命を辿る一人の男。

 そんな内容の映画を観終わったあと、隣の彼女がこう言った。

「私たちにも、こんな人生があったのかな」

 遠崎行人はそれほど奇妙な男ではなかったのかも知れない。

                         (了)

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