Collect Lect

すぴか

吐露

第1話

『皆様、新たな蟲の居場所がわかりました』



――案内人の淡々とした業務連絡を聞いてから暫く、彼は未だ船内に残っていた。

 黒地に赤ラインが入った襤褸ぼろのバットケースと、幼いワッペンだらけのウエストポーチ。出かける準備は万端だというのに、歪に切られたマゼンタ髪の毛先を弄り、焦思していた。

 彼――稚立 羽葉ちだつ はねばは、かれこれ三十分は船内に足音を響かせ、木目の床を軋ませている。何度も同じ場所を彷徨くその姿は、傍から見れば不審者極まりない。だが、そんなことを気にしている余裕は羽葉にはない。長年の、大きな悩みに苦しんでいるのだ。あのをしてからも、変わらず在り続ける――衝動について。



――欲しい。手に入れたい。奪いたい。


 羽葉は自分でも、その衝動を抑えることができない。大切にされてるモノほど欲しくなってしまうし、初めて見るモノへの興味は留まるところを知らない。その様子はまるで幼い子供のようだ。結局のところ、いつも衝動を抑えられず、殺人に誘拐に窃盗と犯罪に手を染めてしまっているのだから、無邪気な子供とは程遠い存在である。

 そんな彼は外国に来たのも、この船の停泊も、今回が初めてなのだ。珍しいモノが並んでいるであろう新しい土地は、彼の略奪心にとって毒のようなものだった。

 だから羽葉は思い悩んでいるのだ。この欲という名の衝動を自分は止められるのか、と。


 そうこうしてる間にも、準備を終えた船の住人たちが次々と扉を開き、船外に飲み込まれていく。あれは確か、歯車の扉といったはずだ。唯一船と平行世界を行き来することができる、不思議な扉だという。

 そんな歯車の扉の先へ、躊躇なく進んでいく彼らを見ていると、もう自分が行かなくても良いのではないか? 自分が行った頃には蟲はいないのではないか? なんて考えてしまう。

 まとまらない思考を巡らせるが、余計にバラけていくだけだった。

 もう今回は船に残ろう。考えるのをやめ、自室へ戻ろうとした時だった。


「ずっと同じところ歩いてるけど、どうかした?」


 不意に、背後からポツリと女性の声が聞こえた。

 羽葉は一瞬肩を震わせ、顔を強ばらせる。そして、激しく鼓動する胸元を掴み、声の主を確認すべく、ゆっくりと振り返った。

 そこには、ふわりと、甘めのウェーブがかかった白い髪と、眼鏡の奥で揺れる、淡い群青色の瞳を持った女――シェーヌだった。彼女のことはよく知らないが、同じ日本出身だとアイカから聞いたのは覚えている。

 どうやら彼女は扉の前で行ったり来たりを繰り返していた羽葉の様子を見かね、声をかけたようだ。


「んと……その……」


「準備、できてるみたいだけど行かないの?」


 シェーヌは言葉を詰まらせている羽葉の背中を覗き込み、バットケースを確認する。

 なんとか応えようと、必死に頭の中の言葉を並べ替え、整理していく。


「いや、あの……おれ行くと、迷惑かけるかも……って」


「あはは、大丈夫だよ。羽葉は私と違って力もあるし、強いと思うから」


 整理はしたものの、いくつか言うべきことを頭の中に置いてきてしまったようで、上手く伝わらない。会話を成立させようと必死になったのは良いが、結果、自分のコミュニケーション能力が著しく乏しいことを再確認しただけとなった。


「うぅん、そうじゃ、なくて……おれ、欲? の自制が、自分でできないから……問題起こしたら……って」


「……あぁ」


 シェーヌはなるほど、と相槌を打つ。今度は上手く伝わったようだ。

 彼女はしばらく、何か考えるような素振りを見せ、そして口角をほんの少しだけ上げた。


「じゃあそうだね、一緒に蟲退治行こっか。ふふ……私、弱いけど」


「えっ、えと……だ、大丈夫、なの……? おれ……」


「うん、大丈夫。言ったでしょ、羽葉は私なんかより、何倍も強いから。絶対に」


 遠回しな自虐を吐いた彼女の口元は緩く弧を描いている。その楽しげな笑みを崩さぬまま、シェーヌは軋んだ音を鳴らし、古びた平行世界への扉を開いた。そして流れるように扉の下を潜った。

 彼女は一度振り返り、軽く手招きをする。濃紺のコートの裾を靡かせ歩く彼女の後ろ姿は、とても美しく、思わず見蕩れてしまいそうになる。

 小さくなっていく背中を見て、羽葉はやっと我に返る。戸惑いながらも、彼女を見失わないようにと、恐る恐る扉を潜った。

 青々とした草花が、冷たい春の風に揺られている。さくりと土を踏み、少し懐かしい感触を感じながら歩を進めていく。


 斯くして、鈍間で無力な殺人鬼は、彼の者たちを守るために異国の地へと降り立ったのだった。

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