恋争い・12


 ラウルは、エリザが拾った石を丁寧に磨き上げた。

 さらに、紐を通す穴をあける。これは、繊細で力のいる仕事だった。

 朝までかかる仕事だったが、食事もほどほどに仕事に集中し、ラウルは夜に作業を終えた。

 エリザに会うのを、とても朝まで待てなかったのだ。

 磨いた紅玉を袋につめると、ラウルは足早にエリザの家に向かった。

 

 カーテンは降りたままだったが、窓からは灯りが漏れていた。

 その様子を見て、ラウルはほっとした。時間がエリザの気持ちを穏やかにしてくれたに違いない。

 そう思い、近づいて……窓辺に別の背の高い人影があるのに気がついた。

 もう既にかなり遅い時間だ。よほど親しい人だろう。

「誰だろう? エリザの知り合いなんて……思い浮かばない」

 ラウルは、少しだけ戸口で躊躇した。

 癒しの巫女とはいえ、一の村の人々は、ジュエルに対する不安からエリザを避け気味だ。仲良くしているのは、ラウルとララァ一家ぐらい。しかも、ララァとは険悪な状態なのだから。

 先客があるならば、遠慮したほうがいいだろうか? それとも、石だけでも置いていくべきか?

 そのわずかな時間が、ラウルの耳に、エリザの声を運んできた。

 盗み聞きするつもりもなかった。だが、興奮したエリザの声はよく通り、聞きたくなくても聞こえてしまったのだ。


「いい人だと思っていたのに! もう私、ララァを信じられない! ラウルにも、もう会いたくない!」


 自分の名前が出て、ラウルは思わず聞き耳を立ててしまった。

 会いたくない……と言われ、ショックだった。

 それに、自分には何一つ相談してくれないエリザが、そのようなことまで訴える相手がいることにも、衝撃を受けていた。


 ――誰だ?


 知りたいと思う気持ちは、確かにあった。今やその気持ちに火がついてしまい、ラウルは動けなくなっていた。 

 だが、相手の声は、あまりにも静かで落ち着いていて、よく聞き取れなかった。

 エリザのすすり泣く声で、その人が彼女を抱きしめていることがわかるだけだ。

 ついにラウルは、壁に耳を押し当てて、話を聞こうと躍起になった。

「……いっしょにジュエルを育てて、いっしょに日々を過ごして、いっしょにあの子の運命も受け入れましょう」

「でも……私。ジュエルを抱いて、霊山を登れないんです」

「大丈夫ですよ。私が抱いて上りますから」

「……サリサ様」


 ――サリサ・メル様? 最高神官?


 耳を疑ってしまった。

 霊山にいる尊き方が、わざわざ山を下りて、癒しの巫女の相談に応じている?

 しかも……その内容が……。

 二人の会話は、中途半端に不自然に途切れた。

 ラウルの脳裏に、唇を重ねあう二人の姿が克明に浮かんだ。

 気がつくと、ラウルはやかましいほどに忙しく扉を叩いていた。


 トントントン! トントントン!



 エリザは、出るか出ないか躊躇して、サリサの顔を見た。

 でも、サリサのほうは意外にも平然な顔で、出ることを促していた。

 エリザは立ち上がると、何度もサリサのほうを振り向きながら、扉に向かった。

 そして、最後に、サリサがうなずくのを確認してから、ゆっくりと扉を開けた。


「ああ、エリザ……。出てくれないかと思っていた。実は、石を……」

 ラウルは、やや興奮していた。

 エリザが扉を開けたことで、彼は、盗み聞きしたことが、夢ではないか? と思おうとしていた。だが、エリザのほうは……。

「ラウル、ごめんなさい。あの……お客様が来ていて……」

 ふと、部屋の奥に視線を走らせる。

 その先に、ラウルはムテの最高神官の姿を認めたのだ。

 普段着の長衣であるが、明らかに一般のムテ人とは違う。背が高く、しかも髪が床に着くほどの長さ。さらに、その髪に銀色の光が満ちているのだ。

 霊山に許可証をとりにいくラウルは、最高神官の顔を知っている。だが、部屋が蝋燭の灯りのみの夜のせいか、余計にムテの輝きに満ちて神々しく見える。

 この家にそぐわない気を放ちながらも、まるで水のように静かな姿だった。

 ラウルの手から、宝玉の袋が落ち、床で、バラバラ……と、赤いビーズが散らばった。

 それは、まるで血しぶきが広がるような、あでやかさだった。

「ああっ! 大変!」

 エリザは、慌てた。

 だが、ラウルのほうは固まったまま、動けなかった。

「……エリザ……。明日、出直す。先客があるとは……」

 たどたどしい言葉が、半開きのラウルの口から漏れた。

 サリサのほうが微笑んだ。

「いいえ、私の用事は済みました。これで失礼します」

 銀糸の髪に纏われた光。心の海に伝わってゆくような、不思議な声。

 ラウルは慌てて胸に手をあて、敬意を示した。

「……尊きお方」

「ラウル。私は今、お忍びなのです。かしこまる必要はありません」

 その言葉は、『お忍び』という内容とかけ離れて神々しく、祈りの言葉にすら似ていた。

 いくらかしこまるなと言われても、かしこまりたくなり、萎縮してしまう。

 細く形のいい指先が、すっと灰色のマントに伸びた。軽く舞うようにマントを羽織っても、最高神官の神々しい光は衰えることがなかった。

 何ともいえぬ異様な雰囲気。

 だが、エリザのほうは、すっかりこぼれてしまった宝玉に動転し、スカートの裾を受け皿にして、必死に石を広い集めていた。

「エリザ。私はこれで戻りますが……。先ほどの話を、考えておいてください」

「え? ええ! はい!」

 エリザは慌てて立ち上がった。おかげで、スカートにたまった宝玉は、再びバラバラと散らばってしまった。

「お客様がいるのです。見送りはいりません」

 そう言うと、サリサは扉の前で敬意を示したまま、うつむいているラウルの横を通り抜け、外に出て行った。

 ……が、すれ違い様。

「エリザに素晴しい贈り物をありがとうございます。私からもお礼を言わせてください」


 ――水晶の首飾りのことだ。


 ラウルは、はっとして振り向き、最高神官の顔を見た。サリサのほうも、ラウルのほうを振り返る。

 目が合った。

 最高神官は、ムテ人らしい瞳を細めた。慈愛に満ちた微笑みというか。

 だが、ラウルのほうは、一般のムテ人らしからぬ驚きに満ちた顔で、最高神官を見つめるだけだった。敬意を示すことも、視線を合わせる無礼も忘れた。

 サリサのほうが先に会釈し、銀色の余韻を残したまま、去っていった。

 ラウルは、その姿が星のように点になるまで、じっと動かず見送ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る