水晶の首飾り・6


 翌日、珍しくエリザは祈らなかった。

 雨のせいか、気分が悪く、寝込んでいた。ところが、祈りの時間が終わると、徐々に体調が戻ってきた。

 起き上がり、顔を洗った後、ジュエルに乳を含ませながら、ふと……今日はなぜか、最高神官の気を感じたくなかったのだ……と、気がついた。

 マリの言葉が気になって。

 このような状態で、最高神官の気を感じてしまったら、彼が何を考えているのか? を受け取ってしまいそうな気がした。

 そして、エリザは……。


(妄想してしまいそうだわ)

 

 雨の中、薬草精製のためにララァの家に向かうと……。来客があった。雨に濡れたまま、ララァと何か話し込んでいる。

 まだ少女といえる年頃の女性。ラウルの妹・アウラだった。

 彼女は、エリザに気がつくと、軽くお辞儀をした。そして、話を終えてしまうと、ララァの制止も無視して、再び雨に濡れながら、歩きさってしまった。

 アウラに好かれていないことを、エリザは痛いほど感じる。

 あからさまな態度はとらないが、紹介されたときからエリザとは視線を合わせないよう、彼女はしていた。同席になると、すぐに席を外した。

 敵意というほどの物ではないが、好意は全く感じない。

「エリザ、気を悪くしないでね? 三年前に両親が去ってから、今や、家に兄一人・妹一人の関係でしょ? これで、兄が結婚して家庭を持ったら、居場所がないと思っているだけなのよ」

「! ララァ!」

 エリザは真っ赤になった。

「あ、あら? 誤解していないわよ? ただ、アウラはそう思っているってこと」

 ララァはあわてて否定したが、ラウルとエリザが結婚すると信じている、もしくは期待しているに違いない。

 エリザは、気が重かった。そっと、首飾りに手を触れて、ラウルに見られないうちに外すべきかも? と思った。


 ――まだまだ、そんなこと、考えられない。それにもしも、私のひとつ心の相手が、まだ出会っていない別の人だったとしたら……?

 ラウルの家族全員を傷つけてしまうわ。


 やっと、体に馴染んできた石を外すのは寂しい気もしたが、正直な気持ちをラウルに告げて、一度、返すべきだろう。

 まだ、霊山を下りて数ヶ月。とても自分の一生を決められない。

 きっと、ラウルもわかってくれるだろう。

 エリザの思考を断ち切るように、ララァが「さて……」と、腕を腰に当てた。

「私、今日は祈り所で祈っているわ。まぁ、アウラほど心配してはいないけれどね、一応、弟のことだし……」

「え?」

 一日祈り所で祈るというのは、信心深いムテ人でもあまりないことだ。ましてや、ララァはさほど信心深いとは言えない。

「あ、ごめん。聞いていなかったのね? ラウルのヤツが帰ってこないのよ」

 採石師とは、霊山の奥で宝玉や薬石を採取する人々である。

 険しい山道や崖を行ったり来たりの危険な仕事であり、今まで多くの者が命を落とし、二度と戻ってくることはなかった。

 さっとエリザの顔色が引いたのを見て、ララァは慌てて付け足した。

「あ、大丈夫よ! 大丈夫。ラウルは何度も危険な目にあっているけれど、最後は誰にも真似できないようなことをして、必ず石を手に入れる。そして、必ず戻ってくるのよ」

 ……ということは、よく言えば命知らず・悪く言えば無謀ではないだろうか? エリザはますます不安になった。そして、ラウルが紫の石をくれた時に言った言葉を思い出した。


『エリザ。これは、真実を見極め、困難に打ち勝つ魔力を秘めた石だ。山で迷った時、災難にあった時、この石を握りしめて祈ると、必ずいい結果が得られた。だから、あなたに持っていて欲しい』


 エリザは、そのラウルのお守りをなくしてしまったのだ。

 もしも、ラウルの身を守っていたのがあの石だったとしたら? 今まで切り抜けられていたのが、あの石のおかげだったとしたら?

「大丈夫だってば! サリサ・メル様の代になって、霊山で命を落とした採石師はいないわ。だから……」

 命を落とす。

 その言葉を聞いたとたん、エリザの目の前は真っ暗になってしまった。



 どれぐらい時間が経ったのだろう?

 エリザは、横で泣くジュエルの声で目が覚めた。

 精製所横の宿泊所のベッドの中だった。

 エリザは体を起こし、ジュエルを抱きしめ、頬を擦り寄せた。

「……大丈夫よ。きっと、ラウルは……」

 エリザは、ジュエルと自分を風から守るようにして立っていたラウルの後ろ姿を思い出した。

 服の上からでも充分にわかるたくましい体躯。揺るぎない姿。突風に煽られて揺れるのは、ひとつに結ばれた銀の髪だけだった。

「そうよ、ラウルは強いもの」

 そう言い聞かせたが、枕元にあるララァの置き手紙を見て、不安が倍増した。

『ごめんね、祈り所に行く』

 短い文章だった。

 おそらくエリザは気を失ってしまったのだろう。そのエリザを一人残して、ララァもロンも、祈り所でラウルの無事を祈っているということは……。

 言葉とは裏腹に、ララァも心配しているということだ。

 いてもたってもいられなかった。

 エリザはジュエルを抱き上げると、祈り所へと向かった。


 日中の祈り所は閑散としている。

 昼夜を問わず祈り続ける人もいるが、それは絶望的な願いの最後の糸のようなものばかりで、叶わないことのほうが多かった。

 祈り所に籠っていた時、どうして皆、叶わぬことと知りながらも祈るのだろうと思ったものだ。だが、今はそれがよくわかる。

 ムテの人々は繊細な精神を持っている。ただ、絶望に食い尽くされてしまうよりも、わずか希望を頼って祈るほうが、精神的に救われるからだ。

 エリザも今、ラウルの無事を祈ることで、どうにか自分の気持ちを落ち着けたいと思っていた。

 薄暗い祈り所の中に、祈り言葉が響いている。心に響く祈りは、ラウルの無事を祈る血縁の者たちのものだった。ララァやロン、そしてララァの息子・ロロも小さな手を合わせて祈っていた。

 ララァたちが祈っている最後方にエリザが跪こうとした時、ひとつの影が立ち上がり、エリザのほうへ近づいた。

 ラウルの妹・アウラだった。

 薄闇の中、彼女の顔ははっきりしなかったが、声は小さいながらも鋭い響きがあった。

「エリザ様、申し訳ありませんが、お帰りいただけますか?」

 まさかの言葉。

「……あの……私」

「わかります。あなたが兄を心配してくれているということは。その気持ちはありがたいですが……」

 一瞬、アウラの視線がジュエルに注がれた。その憎しみにも似た凝視に、エリザは思わずジュエルを強く抱きしめたほどだった。

「この祈りの気を乱されたくはありませんの」

 エリザは思わず後ずさりした。

 アウラは口には出さないが、疑っているのだ。

 兄は、エリザとジュエルに深くかかわった。ゆえに、魔を持たぬ者の闇に触れ、不幸に襲われているのだ……と。

 それをはっきり言わないのは、アウラの良識というものだった。

 エリザを罵り、糾弾したところで、何も解決にならない。ただ、お互いに嫌な想いだけを味わうことになる。

 アウラは、エリザを憎んでいるのではなく、むしろ同情しているのだ。重たいものを持ってしまった女だと。

 だが、エリザが兄と深くかかわることにより、不幸がもたらされたならば? 彼女の同情は、あっという間に憎しみと変わるだろう。

「あなたのことを、嫌っているわけではありませんわ」

 アウラは小さな声でつけたした。


 嫌いにさせないで……。

 憎ませないで。

 お願いします。


 エリザは何も言えなかった。

 ただ、ぺこぺこと何度も頭をさげ、うんうんと何度もうなずいた。

 そして、自分の気持ちが全く整理がついていないにもかかわらず、体が勝手にくるりと回り、早足で祈り所を抜けた。

 外に出たとたん、早足はどんどん早くなり、ついに駆け出していた。そして、家に戻ってくるなり、大声を上げて泣き出していた。

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