水晶の首飾り・4
エリザはしばらく立ち尽くしたまま、ラウルの置いていった箱を見つめていた。
――これを受け取ったら……返事になるわ。
返事だと思わない。そうラウルは言ったが、間違いなく期待させることになる。
エリザは迷っていた。
ラウルのことは大好きだ。いい人だと思う。
だが、いつかひとつ心を分け合うような相手になるかと思えば、想像がつかなかった。
「やっぱり、受け取れない」
エリザは、椅子に座り込んだ。そして、頭を両手で押さえ込み、しばらく考えた。
「……でも、誤解されるのは嫌」
ラウルは、間違いなく誤解している。
エリザが最高神官に邪な感情を持っていると思い込んでいるのだ。
「私、サリサ様を敬愛しているだけよ。別に、ひとつ心を誓い合いたいなんて、そんな大それたこと、考えていない」
考えていたのは……少女の頃だ。
何も知らない、純粋な頃。それはきれいな初恋で、今はただの思い出なのだ。
ラウルに、まるで二人が恋仲のように思われるのは心外だった。
サリサ・メルという最高神官を、エリザの邪な想いが
――嫌だった。
机にふしたまま、斜めに箱を眺めた。
そして、ぼんやり考えた。
長い時間が過ぎれば、生まれ故郷よりも霊山や一の村が懐かしく思われることもあるかも知れない。密の村に帰ったとき、少しだけ霊山が懐かしく思えたように、気持ちは変化するものかも知れない。
「サリサ様……」
エリザは頭に浮かんだ人の名を呼ぶと、そっと目をつぶった。
――初めに制度があった。それだけだった。
エリザは何度もサリサの腕に抱かれ、その胸で眠った。
心地よく、満ち足りた気分になれた。また、時には甘い口づけに頭の芯がくらくらするような感触をおぼえたり、優しい愛撫に身をゆだね、苦痛と快感の波間を漂ったりもした。
そして、結ばれたとき……。
身も心も融けて混ざってひとつになれた。それが幸せに思えるほどに、エリザは馴染んでしまった。
だが、初めての夜は大違いだった。決して乗り越えられないような恐ろしいことに思え、エリザは逃げ出した。消えてなくなりたいほど、苦しく、辛い夜だった。
その、初めての夜をともに乗り越えた相手なのだから……狂おしいまでに恋しく思えても、当たり前なのかも知れない。
まるで、心を分け与えたような感覚に陥ってもおかしくはない。
エリザは、目を開けた。
「サリサ様とは、制度で結ばれただけのに……思い出して泣くなんて……ばかみたい」
ぽろりとこぼれた涙を、エリザはこれで最後にしようと思った。
「ラウルの言う通りだわ。初めて許した人だから、たぶん忘れられないだけ……」
きゅきゅっと涙を拭くと、エリザは勢いよく箱を掴んだ。
新しい一歩を踏み出すのに、過去に引きずられて躊躇する必要はない。
エリザの心を分け合う相手は、必ず別にいるはずだ。
「それが、ラウルでないと、言いきれないわ」
エリザは、心を決めると、ラウルの箱を開けてみた。
中から白い光が漏れるようだった。
思わず目を見張った。
水晶で編まれた鎖。それがキラキラと輝いた。
さらに中央に、美しい花があしらってある。よく見ると、紫と桃の色をした水晶が花びらのような形に並べられ、その中央に小さいながらもまばゆい輝きを放つ石が散りばめられていた。
「金剛石だわ……」
エリザは思わずため息をついた。
祈りの儀式の聖装を飾る石――それが、金剛石だ。かなり高価な宝玉である。
だが、何よりもエリザを惹き付けたのは、細工の見事さだ。
何とも細かい手作業である。
思えば、ラウルにまた石を贈ると言われてから、かなりの時間が経っていた。
エリザは、へんな期待を与えてしまったのでは? と、罪悪感を持っていた。だから、ラウルがそのことを忘れたのだと思い、ほっとしていた。
だが彼は、エリザのためにこっそりこの首飾りを作っていたのだろう。
手に取ると、その誠実でまっすぐな気持ちが伝わってくる。
エリザは、鏡の前に立つと、そっと胸元に首飾りを添えてみた。
輝いてはいるが華美すぎず、むしろ可愛らしいデザインで、エリザの肌によく映えた。
ふと、鏡に映った自分の姿を見て……。
エリザは再び寂しい気持ちに襲われた。
首筋から胸元にかけての線を、その人は美しいと言ってくれた。
そして、エリザも……そこを優しくなぞる指の形が好きだったのだ。
だが、エリザは指先の経路を断ち切るように、首飾りを身につけた。もう二度と、その美しい指を恋しく思わないように。
胸元に、ラウルがくれた石が光った。
エリザには、まだラウルを愛せるかどうか、自信がなかった。
ラウルの側にいても、きっとその人のことを思い出し、時々涙ぐんでしまうかも知れない。すぐには忘れられないかも知れない。
だが、故郷を捨てて、この村で生きていこうと思ったように、ラウルの気持ちに答えたいと思った。
そして……。
一の村が新しい故郷となる頃に、きっと答えを出そうと思った。
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