水晶の首飾り・2


 マリが暴言を吐いて消えた後。

「あ、あの……お茶入れましょうか?」

 エリザがやっと言い出して、二人の時間が流れ始めた。

「あ、そうだね……」

 ラウルは、マリの言葉が気になっていた。

 いや――ずっと気になっていたことだが。

「あの、エリザ。マリの言っていた……いや、いい。何でもない」

 台所に向かうエリザの背中に話しかけて、やがて自分で話をやめてしまった。

 ピクリ、とエリザの後ろ姿が反応したが、その後、走り去るように台所に消えた。

 ――聞いてはいけないような気がして。

 エリザの姿が見えなくなると、ラウルはポケットの中で小さな箱を転がしながら、ため息をついた。



 最高神官に捧げられた人――巫女姫に恋をした。


 姉のララァは面白がって、よくラウルをけしかけてくれる。

 先日も「もう告白した?」などと、興味津々なのだ。

「しないよ、そんなこと……」

 ラウルは面倒くさくなって話をそらそうとするのだが、姉はしつこい。

「絶対に大丈夫よ! だって、ラウル。あなた、エリザが聖職を解かれて初めて目にした男だよ? それって、凄くない?」

「偶然だ」

「運命よ」

 姉は興奮して自論を展開する。

「それに、あなたがあの宝玉を贈るなんてさ、びっくり仰天だったわよ。その上、まさか、その人がこの村の癒しの巫女として戻ってくるなんてさぁ」

 ララァはつつつ……とラウルの横に座り、いきなり肩を抱いてきた。

「これって運命。違う?」

 ラウルだって、先日の薬草採りの前までならば、そう思っていた。いや、今だってそう思いたい。

「エリザには、好きな人がいるんだよ」

 ラウルの言葉に、ララァはきょとんとした。

「え? だって……。そんなわけないじゃない?」

 ララァは上目使いになって、指を折って数を数えた。

「確かに、ライバルは出てきそうよね。メイメ亭の下っ端の子が、エリザを見てぼーっとしていたわ。それに、学校の先生のあの人とあの人も、けっこうエリザに気があるみたいだし、あの人でしょ、この人でしょ……」

 ララァがあげる人物は、両手の指で足りないくらいだった。だが、姉があげる恋敵など、ラウルには全然関係がなかった。

「彼女、とても可愛いし、なんて言うか、こう守ってあげたくなる感じだし、男にもてると思うけれど……。でもね、考えても見てよ。あの子供」

「ララァ!」

 慌ててたしなめる。話をやめさせようと思ったが、ララァの口は止まらなかった。

「あのジュエル。ラウルのためだから、我慢しているし、気にしないふりしているけれど、ちょっとぞっとする」


 ラウルも初めてジュエルを見た時は、本当に驚いたものだった。

 最高神官に守られている村という安心感もあり、ジュエルを排除しようなどという者はいない。だが、村の人の誰もが、あの子供を最高神官の子供だとは思っていない。エリザの不義を疑う者もいる。いや、エリザの子供なのかすら、疑われているのだ。

 ただ、ムテ人は噂好きではない。むしろ、へんな噂を流して、眠っている邪気を起こそうなどと思っていない。

 ひたすら、気がつかないふりをして模様眺め……なのだ。


「やめろよ。そんなことを口にするのは……」

「ご、ごめんなさい」

 姉は悪くはないのだが、聞いていて気分のいい話ではない。

 血を読む力が弱いラウルにとって、エリザが信じていることが真実だと思いたい。だが、姉は違った。ジュエルは全くの他人だと思っているようだ。

 ラウルの語気に押されたララァだったが、すぐに持ち直して話を続けた。

「でも、それだって運命かも? だってあの子が恐くて、並みいるライバルの誰一人も、エリザに言い寄らないじゃない? だから、ラウル、あなたが一歩リードしている」

 全く……姉は、俗物なのだから。だから、能天気で幸せなのだと思うが。

 ラウルは吐き捨てるように言った。

「エリザが好きなのは、最高神官だよ」

「はぁ?」

 一瞬、ララァはきょとんとしたかと思うと、今度は高らかに笑い出した。

「い、いやだぁ! ラウル。あなた、そんな太陽か月か星みたいな相手を恋敵にしているの? くっだらないわぁー!」

「くだらない?」

「そうよ、くだらないわよ。現実味、なしなし」

 ララァは涙を流して笑っていた。

「あなたが堅物だっていうのはわかっていたけれど、巫女と神官の間にもヤキモチやくなんて知らなかった! 考えてもご覧なさいよ。最高神官はそんな感情の外にある存在よ。それに、たとえ何かの間違いで懸想したとしても、結婚できるわけでもない。論外よ、論外」

 高らかに笑う姉。ぽんぽんと背中を叩かれても、なぜかラウルは、笑えなかった。


 ――太陽か月か星みたいな相手だから……。


 一生敵わない気がする。 

 きっとエリザは、ずっと泣き続けるのだ。



 がしゃん! と台所から音がした。

 ラウルは物思いから一気に醒めた。

 行ってみると、エリザが茶葉の入れ物を落として、慌てて掃除していた。

「うわ、派手にやったな。手伝うよ」

 ラウルもいっしょにしゃがみこんだ。

「ああ、ごめんね。お茶が入れられない……」

 茶葉をかき集めるエリザの手が、ラウルのそれと重なった。

 一瞬、二人の動きが止まった。


 ――横恋慕したりして……。


「誰か……いるのか?」

 聞くべきではないと思いつつ、ラウルの口からあっけなく質問が飛び出していた。

 そのとたん、エリザの手が小刻みにラウルの手の下で震え出した。

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