GOOD NEW YOUTH!/呪いの絵画
え
第1章 旧校舎の呪い
1 美少女捜索大作戦
例えば“呪い”という概念が本当にあったとして、それは影のように何処までも付きまとって俺を苦しめる。
だが、それは当然の報いであるからにして、呪いを受け入れる他に選択肢はない。
あの日俺は、どうすることが正解だったのだろう。
どうすれば彼女を救うことが出来たのだろう。
「どんな新手の呪いなんだ、これは」
スホンの画面に表示された一通の新着メッセージを見て、俺は思わず口に出してしまっていた。
メールの内容はこうだった。
From:
件名:幸福の手紙
本文:今日の放課後、部室に必ず顔を出してください。
さもないと天罰を与えます。
追伸 午後4時30分までに部室に顔を出さなかったらどうなる
か分かってるよね?
俺はスマホをポケットにしまいため息をついた。
「天罰って……それにどうなるか分かってるよねって……」
いやいや。本気で天罰を与えかねない勢いだからな、あの子は。
廊下の端に設置された水道の前で立ち止まり、髪型を整える。壁に備え付けられた鏡には茶色がかった髪の男子生徒がウンザリとした表情を浮かべていた。
どこにでもいるごく普通の少年だ。一重まぶたに薄い唇が乗った丸顔はお世辞にも紅顔の美少年とは言い難い。よくて中の上。ハッキリ言ってしまえば中の下。身長に関してはここ数年で上がり続けている平均値に比例することなく、古き良き169㎝代の日本人男性としての体裁を守り続けている。
でもまあ四捨五入すれば世の男なんて全員2m代だし、と個人的にはあまり気にしないようにしている。
「やっぱり1000円カットじゃ限界があるのかな」
ここ数ヶ月間で妙に髪型が気になるようになった。とりわけ網代木さんと会う直前なんかは。
かと言って3000〜4000円もする美容室に通えるほど経済的余裕のある家に生まれたわけではない。網代木さん以外の異性と交友があるわけでもなく、俺はいつものように1000円カットでテキトーな髪型を注文しては、数日後に押し寄せてくる自責の念に苦しみ悶えるのだ。
「手っ取り早く部室に顔を出して用事を済ませてしまおう」
踏ん切りがついた俺は待ち合わせ場所の部室がある南校舎に向けて歩き始めた。廊下は掃除が終わったばかりの生徒達で賑やかだ。
全生徒の部活動所属が義務付けられている天文台高校ならではの光景だ。殆どの生徒が部活動ごとに合わせたユニフォームに身を包み廊下を行き来している。
そういった青春を謳歌した眩しい連中を見るたびに俺は「爆発しろ」と切に願うのだが2018年現在、生徒の自然発火……もとい自然爆破現象が起きたという怪奇事件を耳にすることはない。今日も我が校は平和である。
中央廊下を抜けて南校舎の入り口に差し掛かると一気に人気は少なくなる。
この辺りには特別教室以外に何もない。1階には食堂があるのだが、お昼休みを過ぎると自動販売機以外の営業が終了してしまうので、殆どの生徒が寄り付かなくなる。静かな場所が好きな俺にとってこの上ない優良物件である。
階段を登り、3階の廊下を目指す。途中で一度も人とすれ違わない程度には鬱蒼としている。この辺りはいつもこうだ。2階、3階と文科系部活動の部室が集中しているが、大声を出す部活動が一つもないだけあって、まるで廃校に迷い込んだ錯覚を覚える。
ペタペタ。上履きのゴム底がリノリウムの床に反響する音だけが響き渡る。誰かが歩けばそれだけで音が響くほどには静かだ。
ようやく3階まで登りきってすぐ目の前の教室のドアに近づいた。
ドアの上部に設置された名札には「新聞部」とだけ表記されていた。
俺は中の様子を伺おうとして、ドアが少しだけ開いている事に気がついた。先に誰か来ているのか。
スマホを取り出すと時刻は午後4時28分。予定の時刻よりは少し早いが、呼び出し人である網代木さんが先に来ていてもおかしくはない時間だった。
「失礼します」
そう告げてからドアを開ける。建て付けの悪いドアのせいかキィキィと音が鳴り響いた。
いつもの彼女の笑顔に茶化されると思い身構えていたがその必要はなかった。
部室の中には人っ子一人いなかった。
「……?」
妙な違和感を覚えた。
こうした違和感を覚える時には必ず何か良からぬ事が身に迫る。
大好きなテレビドラマの録画をし忘れていたり、ポケットティッシュを自宅に忘れていたり。
何か些細な見落としがある時に限って、喉元を締め付けられるような違和感、不快感を覚えるように俺の身体はできている。
部室棟にある教室は一般的な教室の半分くらいの広さである。新聞部は職員室で不要になった事務机を4つほど譲り受けて、そこを作業台として使用している。事務机があるのは教室の中央。二つずつ並べた机を向かい合わせに設置している。教室の左右には歴代の新聞部員が書き上げてきた記事や、取材の資料が、鉄製のラックにファイリングされた上で並べられている。
窓際のカーテンが少し揺れた。外には避難経路兼、かつてここが演劇部の部室だった頃の活動場所である少し広めのテラスが設けられているのだが、事故防止のために今は出入りが禁止されている。
入り口から入ってすぐ、左隅には掃除用のロッカーが用意されている。しかし掃除道具がすぐ傍に一纏めに立てかけられていた。
手前右側の机に女性モノのスクールバックが乗せられていた。そのすぐ傍に電源が点いたままのノートパソコンが置かれている。
近づいてみると網代木さんの残り香がした。
香水とか制汗剤とか、そういうのじゃなくて。網代木優子という生き物が生まれながらにして持っている動物としての匂い。その匂いを嗅ぐたびに、俺は何故だか心が安らいだ。
「どうやら彼女はここに居たみたいだ」
スクールバックには見覚えのあるキーホルダーが括り付けられている。
去年の8月に、俺が病院の売店で買って網代木さんにプレゼントした品物だ。こんな安いキーホルダーを未だに持ち歩いている網代木さんは、現代女子高生にしては珍しく物持ちが良いらしい。
机の上にはスクールバックとノートパソコンの他に何も見当たらない。部室の鍵は何処だろうか。
「原則として、部室の施錠管理は部の代表が取り仕切ることになっているが」
網代木さんが持ち歩いているのだろうか。そもそも網代木さんは何処にいるのだろう。部室内に人の気配が感じられない。
時刻は4時33分。いつの間にか待ち合わせの時間を過ぎていた。
「妙だな……」
網代木さんは薬物中毒者のようなエキセントリックな発言を繰り返しはするものの、根は純粋で真面目な女の子だ。待ち合わせの時間には必ず現れるし、部の備品であるパソコンを開きっぱなしにして席を外すとは思えない。
「何処に行ったんだ網代木さん……」
真っ先にトイレが思い浮かんだがそれは有りえなかった。南校舎の3階にはトイレがない。トイレを利用するためには1階か2階まで移動する必要がある。しかしここに来るまでの間に誰かとすれ違うことはなかった。
では俺が南校舎に到着する前に網代木さんは別の場所に移動したのかと考えると、それも有り得ない。
たとえ数分間だけだとしても網代木さんが戸締りをいい加減にして席を外すとは思えなかった。
「うん……?」
ふとノートパソコンの画面が気にかかった。
網代木さん愛用のピンクのマウスを握って、パソコンの画面をスクロールしてみる。どうやら最新記事の原稿みたいだ。
「どうせまた“オットセイの習性”とかニッチな記事を書いているんだろうなぁ……」
エキセントリックな言動が多い網代木さんは、紙面上でもまたエキセントリックな言動を繰り返す。体育祭の時期になればゴリラの記事を書き始めるし、バレンタインが近づくと悲惨な死に方をした映画の主人公を特集し始める。次にどんな行動を取るか分からない5歳児のような女の子である。
念のため記事にざっと目を通してみる。
驚いた。今週号のタイトルは「意中の相手を仕留める裏技」。
網代木さんにしては珍しく真面目だ。おかしな物でも食べてしまったのではなかろうか。
肝心の記事はこうだった。
「人間は突然のハプニングに弱い生き物です。意中の相手に、背後から近づいては驚かせるという仕草を毎日繰り返しましょう。次第に相手は『自分には特別な気があるのでは?』と勘違いするようになります。そうなればもう、あなたの勝ちです」
「……」
なんか色々と間違っているぞ、網代木さん。心の中でツッコまずにはいられなかった。
この記事は誰に対する何のアドバイスなのだろう。網代木さんは恋愛経験のある女の子には見えなかったが、この一年で彼女の身にも春が訪れたのだろうか。
一通り記事に目を通した後、プロパティにも目を通してみた。
記事のタイトルは「2018年8月1週号」。
作成日時は2018年8月26日 22時18分。
そして更新日時は本日16時28分とされていた。
……おかしい。
俺がこの部室を訪れたのは4時28分。そしてこの文章が保存された時刻も4時28分。同じだ。
俺が部室に来たのと同じタイミング、あるいは数十秒前に更新がなされていた、ということか。
俺は腕組みをして一歩後ずさった。部室内をずらりと見渡してから頷く。
「大体の状況は分かった」
まず大前提としてこの部室には網代木優子がいた。しかも俺が訪れる数十秒前まで。それは部室の鍵が開いているということと、彼女の私物のスクールバックが置いてあること、そしてパソコンに表示された新聞記事の更新日時が証明している。
根が真面目な網代木さんは何らかの理由で席を外そうとして、新聞記事の保存をしてから立ち上がった。
では網代木さんは何処に行ってしまったのだろう。
現在時刻は午後4時38分。時間厳守が口癖の網代木さんが約束時間を、しかも自ら他人を呼び出しておいて8分間も遅刻するはずがない。
仮に先述したトイレの推理が外れていたとしても戻るまでに時間が掛かりすぎている。
そもそも南校舎は人気が少なく、誰かが廊下を歩けばそれだけで音が反響するのだ。俺が部室にたどり着くまでの間に他人の足音が聞こえることはなかった。そして網代木さんは俺が部室に入る数十秒前までにここにいたという証拠が残されている。
「そう仮定すると、網代木さんは忽然と姿を消したことになるんだよな」
俺は前髪を指で弄んでから室内を見渡した。
「……逆か」
部室のドアに手を掛けた。スライドさせるとキィキィと音が鳴り響いて廊下に反響した。
「ここに来るまでの間に音はしなかった」
ドアを閉めて室内に向き直る。
「網代木さんはまだこの部屋の中にいる」
女の子とはいえ人が一人隠れられる場所には限度がある。
机の下にはいない。ラックの陰にもいない。となると隠れられそうな場所はただ一つ。
俺は教室の左隅に設置された掃除ロッカーに視線を移した。
「どうしていつもは綺麗に収納されているはずのホウキやモップがロッカーの外に出されているのか」
網代木さんや、他の部員が意味もなくこんなことをするはずがない。
つまりは掃除用具がこうなっていることには必ず意味があるはずだ。
なぜ掃除用具を外に出す必要があったのか。
「例えばそう。中に人が隠れられるだけのスペースを確保するためだ、とか」
あまりにも完璧すぎる推理をしてしまった。俺は唇の端を歪めた。
それは3000ピースのパズルを完成させた時の、あるいはテトリスを達成した時の快感に似ている。
俺は自信満々でロッカーを開いた。中には誰もいなかった。
思わず声をあげてしまった。
もう一度ロッカーを見回すが、人が一人入れるスペースが空いているだけで他には何も入っていない。
「わっ!!」
「うわっ!?」
背後で風船が弾けるような甲高い音が鳴って飛び上がってしまった。
振り返ると悪戯な笑みを浮かべた女の子が後手に手を組んで立っている。
「網代木さん、どうして背後に!」
俺の推理は完璧だったはずだ。室内には網代木さんがいた痕跡があった。しかし網代木さんが室内から出て行ったとは考えづらい。加えて不自然に掃除用具が並べられているところを見るに考えられる答えは一つのはず。
俺は目の前の女の子をもう一度見やった。ウェーブがかった黒髪を肩の辺りで切りそろえている。猫のようにフワフワとしていて愛らしい髪の毛だ。本人は癖毛であることを気にしているらしく、毎朝欠かさずヘアアイロンを掛けていると語っていた。
去年までは眠そうにしていた瞳だが、ここ最近はまん丸と見開かれていて潤っている。黒曜石のように綺麗な目だと俺は常々思う。
身長はイマドキの女の子にしては随分と小さい方で150㎝後半代しかない。本人は頑なに正確な身長を教えてくれようとはしなかった。
少し子供っぽい趣味があるのか、キャラクターの描かれたソックスやヘアピンを身につける習性がある。しかし身長と相まって幼い外見をしているためか、あまり気にならない。むしろ似合っている。
何より網代木優子特有の優しい匂いがする。少なくとも目の前に立つ女の子が網代木さんの抜け毛を利用して造った複製人間とかではなさそうだ。
俺が網代木さんと網代木さんの偽物を見間違うはずがない。
……ていうか複製人間ってなんだよ、マモーかよ。
「何処に隠れてたの?」
肝心の質問を口にした。
正直言ってお手上げだった。俺は自分に出来る限りの最大限の考察を提示してみせた。それが通用しないとなるともう答え合わせを待つしかない。
網代木さんは勿体つけるような顔で腕組みをすると唇の端を吊り上げた。
「テラスだよ」
俺は窓際を振り向いた。カーテンが揺れている。そういえば部室に入った時からカーテンが揺れていた。それはつまり窓際の非常口が開いていることを意味していたのだ。
ロッカーに気を取られ過ぎて盲点になっていた。
「じゃあどうして、掃除用具が外に出ていたの?」
俺の疑問に網代木さんはしたり顔を浮かべた。
「茂木の推理の裏を掻いたんだよ」
「う、裏?」
「ここに掃除用具を出しておいたら、必ず間違った推理をしてくれるって信じていたからね」
俺は反応に困って苦笑いをした。
やはり一筋縄では行かないエキセントリックな女の子だ。
「
網代木さんは得意げに鼻を鳴らして笑った。
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