愛の歌をきかせて =エーデムリング物語外伝=
わたなべ りえ
第1話
「……それって、つまりは……婚約破棄?」
レイラは思わず、すっとんきょうな声をあげていた。
いつものごとく、気取った手つきで銀のフォークを操り、皿の物を口に運ぶ瞬間だった。レイラの口元から、だらしなくもイモがコロリと転げ落ちた。
野菜ばかりの夕食は、いかにも血を流すことを嫌うエーデム貴族らしいメニュー。たかが野菜と侮るなかれ……豪華な食卓は、ベルヴィン家にとっては毎夜のことである。そう、貴族は金持ちなのだ。
レイラは、そのベルヴィン家のたった一人の姫である。
父・ベルヴィンの顔が歪んだのは、レイラのお行儀のせいではない。常に貴族としての振る舞いを完璧にこなす娘が、ショックのあまりに震えているからだ。イモが転げるほどに……。
人のよいベルヴィンは、必死に一人娘を慰めようと優しい言葉を選んだつもりだった。しかし、その結果、墓穴を掘りまくり、ますますレイラを苛立たせていた。
「いや、王はそもそも婚約は保留していたし、別の女性と結婚するので……」
思わず緑の瞳を潤ませ、銀の巻き毛を逆立てて、レイラは立ち上がってテーブルを叩いていた。
「いったい、私のどこが不満だっていうんですか! 王は!」
「ふ、不満など。ただ、別の女性が好きなだけで……」
「なぜですの!」
「なぜって言われても。人の気持ちだからのう。レイラよ、耐えてくれ」
そのような話に耐えられるわけがないではないか?
レイラは血筋も家柄も良く、エーデム王妃にふさわしい姫――すでに周りから王の婚約者として扱われていたのだから。そして何よりも、レイラ自身がその気満々だったのだから……。
レイラには、何一つ落ち度がない。
しかし、王は貴族の姫であるレイラを選ばずに、なぜか平民で何の力もない平凡な女性を伴侶に選んだのだ。しかも、並みいるエーデム貴族たちの大反対を押し切って……である。
エーデム貴族の血筋を誇りとするレイラには、失恋もさることながら、平民王妃ということの衝撃が大きかった。
「お父様、私、許せません! 私は、王妃にふさわしく育てられ、誰もがそれを望んでいるはずだわ! それが……なぜ、平民の女なの?」
「そりゃそうだが……。人の気持ちだからのう」
今まで貴族らしくあれ……と育ててくれた父の、あまりにも歯切れの悪い言葉。レイラは顔を真っ赤にして怒鳴っていた。
「気持ちですべてが決まっていいんですか! お父様!」
父の返事は返ってこない。言葉もないのだろう。
これではレイラの持っている良識・信条がすべて否定されたようなものである。人生最大の衝撃と言っていいだろう。
「私は誇り高いエーデム貴族の姫です! 生まれも育ちも血統も何もかも、世界で一番王妃にふさわしいはずです!」
――そんな結婚、絶対に許せない! 許したくなんかないわ!
エーデムの首都、イズーの城の中庭は、色とりどりの花が咲き乱れているのが常であった。しかし、その日は多くの人々も咲き乱れた。
エーデム王の結婚式――まことにめでたい日であった。
幾多の勲・幾多の悲劇を乗り越えて、今や平和の時代である。かつては敵であった隣国・ウーレンの王、リューマの族長、ムテの神官たちなど、世界各地から賓客が招待されて、皆、口々にお祝いの言葉を述べていた。
色とりどりの羽根を持つ大きな鳥――ムンク鳥が、大空を舞っている。
エーデムの男性は、心話でこの鳥と言葉を交わし、様々な命令をすることができる。動物を扱える特殊能力・心話――これぞ、戦いが苦手であったエーデムを勝利に導いた一番の要因であった。
ムンク鳥は戦時中、間者として世界各地を飛び回り、エーデムの王族に情報を伝えた。かつては他国に恐れられ、戦況に大きな影響を及ぼしたものだ。
だが、今は平和である。
エーデムの鳥読みの者が、王の結婚を祝って、この鳥たちに踊るように命じていた。鳥たちは楽しそうに、青空に鮮やかな羽根の色を翻しながら、大空を輪舞している。
かつて、大量の武器や兵士を運んだ鈍竜も、今日はぶひぶひ言いながら、酒を積んだ台車を運んでいる。
鈍竜は、灰色で皺のよった厚い皮膚に綺麗な模様を描かれ、飾りつけられていた。小さくて黒い瞳。鼻面と唇部分だけ柔らかくてびろびろしている。竜というにはあまりにも間の抜けた顔をしていて、いかにも平和的であった。
これも、エーデムの竜使いが心話で命じている。戦時中は時に勇ましい活躍をした彼らも、おっとりだ。もとより鈍竜は、体こそ小山のように大きいが、大人しい生き物である。
夏も近づく春のよき日――中庭はまさにお祝いムード一色である。
だが、その中で美しく凛と咲くはずのレイラだけは、中庭に咲く銀薔薇の陰に隠れて泣いていた。
最初から泣き続けていたわけではない。
はじめのうちは貴族の姫らしく振舞っていた。
やや低めの鼻をつんとして、各国大使とにこやかに話をしていたのだ。
エーデム貴族ベルヴィンの娘として、父に恥をかかせないように気丈にがんばった。
「本当に美しい一対で……おめでたいことですね」
「エーデム王も王妃も、まことに美しく……おめでたいこと」
「いやぁ、まったくめでたいめでたい」
必死に笑顔を作っていた。笑って、笑って、にこやかに。
一人二人なら、楽勝だった。三人四人なら、耐え切れた。
だが、五人六人、七人八人……? いったい何人、めでたがるのか?
誰もが揃って、
「めでたい、めでたい」
を連発するので、レイラはすっかり落ち込んでいった。
――何でそんなにめでたいのよ!
もう、失恋なんて気にしない……と、開き直ったつもりだった。
お付き合いしてみれば、王妃はとてもいい人だった。王とも言葉を交わして、嫌われてふられたわけではないと実感した。
思えば、王に対する憧れだって、その人を愛したのか、その人の持つ地位に憧れたのか、だんだんわからなくなっていた。
恋に恋していたのだと思う。
だが……。
失恋の傷はそれなりに癒えても、やはり山のような自尊心の傷は癒えていなかったのである。
社交辞令の挨拶に打ち負かされて、ひきつった笑顔のままに人ごみを抜けた。
そして、銀薔薇の陰に隠れて号泣した。
「何で貴族の姫が、平民の娘に負けなきゃいけないのよ! あああぁん! 悔しいわ!」
新しく王妃になる人のことを考えると、こんな本音は人前で叫べない。
王妃が嫌な人であれば、意地悪のひとつくらいしてやりたいのだが、残念ながら嫌いじゃなかった。
「王妃になるべきは、私だったのにぃ! そうなるべくして産まれたのにぃ!」
銀色に揺れる薔薇の影で、レイラはその薔薇をむしりながら叫んでいた。
一輪むしって、もう一輪。さらにもう一輪。
三輪目の薔薇に手を伸ばしたとき、レイラは妙な抵抗を感じた。
手折ろうとした薔薇の花に、銀色の巻き毛が絡んでいた。薔薇の花とともに、少年の頭がついてきたのだ。
とたんに、レイラは硬直した。
何と、銀薔薇の陰に隠れていた人物は、自分ひとりではなかったのである。
「ま、ま、ま、ま、まぁ!」
動揺して言葉もまともに出ないレイラに、その少年は唇に手を当てて、
「しぃ」
とだけ言った。
同じぐらいの年齢――それとも、少しだけ上? まだまだ成長過程なのか、少女のようなあどけない顔の少年である。真綿のような銀色の巻き毛を持ち、森の泉のような優しい瞳の色だった。
そして……。
エーデムの力を秘めているという銀色の角。
エーデムにおいては、まさに濃い血をあらわした容姿と言える。
ややくたびれた服装と背中に抱えたリュタンという楽器がなければ、レイラはこの者をエーデム王族と思っただろう。
だが、レイラは頭の先から足の先までじろりと少年を見ると、おもむろに顔をしかめた。
おそらくこの少年は、王の結婚式を目当てにきた歌うたいに違いない。このみすぼらしさからいって、許可も得ずこっそり忍び込んだ可能性もある。
そのような下賎な者に、貴族の姫君が……。あ、あ、あ。
――あんな馬鹿な告白を聞かれてしまうなんて!
顔面大爆発の恥ずかしさである。
「キャ!」
叫ぼうとした。だが、少年の口元に添えられた指は、あっという間にそこを離れて、レイラの口を塞いでいた。
「ごめん、そのまま……。一緒に隠れていて」
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