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かずみゃ

単品

 雪鳴りというらしい。

 寒い日が続き、こんもりと積もった雪が一週間以上も存在し続けると、身動きの取れない雪たちが、あまりの退屈さにざわめき始めるのだという。

「学校行くのに駅で電車を待ってると、変な音がする」 

 昨日、教室でそう言ったら、

「ああ、そうか。由希は転校生やから知らんのや? うちのお婆ちゃんなんかは、昔はけっこう聞いたんやって」

 と、クラスメイトの千夏が雪鳴りという現象があるのだということを、転校して来て一年目のあたしに、懇切丁寧に教えてくれた。

(雪が喋るって……?)

 小さな待合室には、達磨ストーブが赤赤と燃えている。

 あたしは隅っこの席に座り、文庫本を読みながら、電車の時間を待つ。

 雪が積もってからは自転車通学ができなくなり、定期を買って電車で学校へ行くようになった。最初は時間に拘束されて面倒だなと思ったが、いいこともあった。

 電車を待っている間は本が読める。

 うまく座ることができれば、電車に揺られている間も。

 そう気づいてからは早めに駅に着くようになった。

 混雑気味な朝の通勤通学のラッシュを二回ほど見送り、慌ただしい人の流れを横目に文庫本を読みふけるという、生活パターンに慣れ始めた頃……。

 あたしが「雪鳴り」 という現象に気付いたのは二、三日ほど前だった。

 いつものように駅の待合室で文庫本を読んでいたら、急に胸の中を長い棒でぐるぐると掻きまわされているような感覚に襲われたのだ。

 心臓の音がトクトクと不安定に鳴り、耳を覆っても直接鼓膜に響いてくるようなくぐもった低い音が、ランダムに繰り返される。

 驚いて本から顔を上げ辺りを見渡したが、おかしな点は見当たらない。

 どうやら他の人には聞こえていないらしかった。あたしだけに、この奇妙な音がはっきりと聞こえていた。音は駅にいる間中、ずっと鳴り続けていた。

 今もそうだ。

 達磨ストーブの赤い火をぼんやりと眺めながら、この不思議な音を聞いている。

 最初は不気味だったが、千夏に教えてもらったとおり「雪が鳴っている」 のかと思うと、何だか優しい感じがして心地良い気がしないでもない。

「雪鳴りか……」

 ふと思いついて、窓の外の雪に意識を集中させてみる。

 すると、このくぐもった低音のリズムに変化が現れた。

 チューニングが合っていく、という感じだろうか。ノイズばかりで意味不明だった音が、じょじょにクリアになって本来のかたちを取り戻していく。

(可愛い娘だな。名前、何て言うんだろう)

 トクンと心臓が鳴る。

 人の声がした。

 それは確かに、高校生くらいの男の子の声だった。 


       *


 片想いをしていた先輩が、女の子と歩いているのを見た。

 ぐずぐずしていたから、告白する前からフラれてしまった。

 そんなモテそうなタイプには見えなかったけれど、とても優しい人だった。

 誰かに愛されたって別に不思議はない道理だ。何もできないまま生まれ、何もできないまま消えていく心は、春の訪れとともにやっと自由を得る雪に似ている。

 ……という類の雪に対するあたしの詩的な感傷を、雪鳴りの正体は見事にぶち壊してくれた。雪はうるさい。おかげで今ではまったく読書に身が入らない。

(いつも一人でいるなー。どこから来てるんだろう? 話がしてみたいけど、声なんてかけたら、絶対に変だと思われるよな)

 あーあー、そうでしょうとも。

 どうやらこの声の持ち主は、偶然見かけた女の子のことが気になってしょうがないらしい。よほど可愛い娘なのだろう。たまに宿題や部活の話題も混じるが、こいつはほとんどその娘のことしか考えていない。

 雪が、レコーダーのように誰かの心の声を記憶してリピート発信している。毎朝聞くたびに内容が違うから、「声」 は一日一日上書きされているようだった。好 奇心に負け、変なのと波長を合わせてしまったと後悔する。

 もはや集中が続かないことを悟って、文庫本を閉じる。ストーブの火を眺めなが

ら、仕方なく雪鳴りが伝える「声」 に耳を傾ける。

(でも、雪がなくなれば、もうたぶん会えないんだろうな)

 かもね。もしそうだったら、自分の気持ちを伝えられないままに空振りするのは結構つらいよ。行っちゃえば? どうせ駄目でもともとでしょ。

(何か話すきっかけがあればなぁ) 

 そんなのどうとでもなるんじゃない? うっかりぶつかったふりして「ごめん」 って謝ってみるとか。それも一歩でしょ。

 しょせん他人事だから、いい加減なことを言っている。

 何ともまどろっこしい。

 ぐずぐずと悩むくらいなら、はっきりさせてしまった方が楽なんじゃないのか。

 まあしかし……。

 わが身を振り返ってしまうと、あたしもそう人のことは言えない。


       *


(もう彼氏とかいるんじゃないかな)

 聞いてみないと分からないでしょ?

(もしうまくいって仲良くなれたとしても、それからどうしたらいいのか全然わかんないし。やっぱ、いいや)

 なに弱気なこと言ってるかな。人生たくさんの人たちと出会うけど、好きになりたいと思う人なんて、きっと何人もいないよ?

(もう何も考えずに、いきなり映画とか誘ってみたりして)

 いや。それは必ず失敗する。

(名前、何ていうんだろ? おはようって、言えたらいいのにな)

 結局、ここに戻る。つまり、こいつは一週間以上同じことばっかり考えていて、 何の行動も起こしていない。馬鹿みたいだ。

 言葉とともに、彼が抱いている感情までもがダイレクトに流れ込んでくる。

 彼女の姿を見かけた瞬間に跳ね上がる動悸。

 吸い寄せられる意識。

 見えない壁を叩き続ける心。

 それにしても、よく知りもしない相手のことを、どうしてこんなにも無防備に求めることができるのだろう? 自分がそうだった時はまるで気付かないが、こうして冷静に眺めてみると、かなり危なっかしい。

 彼の恋は、ひどく真面目で臆病だ。

 トライ&トライが信条の千夏あたりに話せば笑われてしまいそうだが、触れれば溶けてしまいそうなものを大事にしようとする心だって、ある。

 その点、あたしはこいつと気が合いそうだった。

 結局、あたしは生まれた気持ちを閉じ込めたままだったけど。

 きみは、どうするの?

 できれば頑張って欲しいが、まあ無理なんじゃないかなとも思う。

 それでもいい。それでもいいじゃないか。

 ただ痛みだけが残る時間に耐え続ける覚悟さえあれば、誰もきみを責めたりはしないのだから。どんな形であれ、こんなにも一生懸命に想われている誰かが、あたしにはとても羨ましく思えた。

(それにしても、いっつも本読んでるなぁ。何を読んでるんだろ?)

 ……?

 駅の待合室で本を読んでいる女の子なんていくらもいるだろう。ふと脳裏に浮かんだ想像を、苦笑いとともに打ち消す。

(そうだ。あの娘の隣に座って、本を読んでみるとかどうだろ。そうすれば、俺のこと少しは気付いてもらえたりして)

 ん。弱虫の浅知恵だと思うが、まあ最初の一歩にしては悪くない考えだ。

 翌日、雪鳴りは彼の思念をあたしに伝えた。   

(本は買ったけど隣に人が座ってたら駄目じゃん。こりゃ、タイミング難しいな)

 なるほど。かなり運まかせになるのかも。 

(でもやっぱり、わざわざ隣に座って本を広げるなんて、変だよなぁ)

 そうだよ、変だよ。でもだからこそ気付いてもらえることもあるんじゃないか。

 その後も何日か過ぎたが、彼はなかなか踏み切れないようだった。

 その気持ちもわからなくはない。

 何もしなければ、このままタイムリミットぎりぎりまで彼女のことを見ていられるんだから。妙な真似をして露骨に嫌な顔をされてしまったら、いろいろなものが壊れてしまいそうだ。

 次の日は雨が降った。

 雪鳴りの音は途切れ途切れになり、また翌日、陽光が射して雪が溶け始めると、もう彼の声は聞こえなくなった。

 じょじょに緊張を強いるような寒さがやわらぎ、空気が冷たく澄んでいく。

 残雪が太陽の光を白く反射して眩しい。

 あたしは毎日駅に通い、ストーブのそばの席で文庫本を読みふける。

やがて路上の雪も融けた。自転車でももう走れたが、まだ定期の期限が残っていた。あたしは電車通学を続ける。

 ……最後の日がやって来た。今日で定期はお終いだ。もう雪はないが、達磨ストーブは相変わらず赤赤と燃えていた。いつものように、隅っこの席で本を広げる。

 ページは進まない。あの日から読むふりだけになっている。

 ため息が出た。雪鳴りのあの子は、結局、どうなったのだろう?

 一度目のラッシュが去り、がらんとした待合室に、学生服姿の男の子が入って来た。彼はあたしの隣に座り、それから鞄の中から文庫本を一冊取り出して、足を組み、なにやら難しい顔でそれを読み始めた。

「おそいよ」

 ぼそっと口に出したら、くくくくと胸から笑いが込み上げてきて止まらなくなった。体を震わせながら必死で笑いをこらえていると、なぜか目の端から涙が滲んできた。

 隣に座った彼が少し驚いた顔でこちらを見た。

 まあ、それはそうだろう。

 逆の立場だったら、あたしでもこれは少し驚く。

「違う。ごめん。そうじゃないの……」

 なんとか顔を上げ、指先で涙を拭きながら必死で言い訳を試みる。これではいきなり笑いだす変な女だ。

「あの」

 雪鳴りで聞いた声とまったく同じ声だった。

 ストーブにあたりすぎたせいだろうか。頬が火照っているのが自分でもわかる。

「お、おはよう」

 今度こそ……。こらえきれなくなって、あたしは声を上げて笑った。

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