第五十七話:過去と死の旋律
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全身に何十kgの重りをぶら下げているかのように、身体が重い。
手足を動かす度に、ここまでに蓄積された疲れや全身にかかる重みで、今にも私の歩みは止まろうとしている。
まるで、ここが天国か地獄かで、お前の人生の終焉なんだ、とでも言われているかのように。
手持ちの食料はもう底をついたし、回復用のポーションも残っていない。
事前にあれだけ念入りに準備したはずなのに、と表情を歪ませ唇をかむ。
膝から下の感覚が感じられない。どうやって歩いているのかさえ不思議なぐらいで、舌打ちする気力さえ残っていない。
瞼が重く、視界が思うように確保できない。先ほどから目線も定まらない。
ふらふらとした足取りで、それでも歩みを止めずに進められているのは、死線をともにくぐり抜けてきた相棒の剣を心の支えに、心身のバランスをかろうじて保っているためだ。
生々しい死臭、鉄、錆の臭いで嗅覚は既におかしくなっているし、モンスターとの命の削り合いで衣服には血が滲み、右足を一歩踏み出す度に左足には激痛が走る。
意識が朦朧とする中、思考も思うように働いていないが、それでも唯一、強く私を前へ前へと駆り立てる感情は、こんなところで死んでたまるものか、という生への執着だけだった。
ふと、目の前にうっすらと光りの線を感じ取る。見えてないはずなのに、確かにそれがあると感じる。形は無いのに、存在を、空気を、温もりを感じる。
私は、それに縋るように手を伸ばし、絶望を乗り越える希望を、間近に迫る死を追い払う生を、本能的に手繰り寄せようとする。
ウッ。
右足を進めようとした途端、太い木の根に躓き、そのまま前方に倒れこみ、うずくまる。その瞬間、ギリギリのところで保たれていた均衡が一気に崩れ去るのを感じた。
同時に、全身に感じた鈍い痛みから数秒遅れて、次々と負の感情が脳裏になだれ込んでくる。それらを抑えようとする理性を、私の意志ではもはや上手く制御できない。
痛い。苦しい。辛い。寂しい。死にたい。苦しい。辛い。死にたい。痛い。苦しい。
ハァ、ハァ…。
呼吸音が聞こえる。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ…。
テンポ良く小刻みに鼓動する心臓の音を感じる。全て私のものだ。
ここじゃないどこか遠くへ誘う合図であるかのように、リズミカルに、そして無慈悲に、死の旋律が奏でられる。
喜々と死神は舞踊し、残酷にも、生に足掻こうとする者を正面から冷徹に睨みつける。
そして興味が無くなると、その最後の音色さえも雑音とばかりに、あっという間にかき消し、温もりを奪う。
自分の身体なのに思うように四肢を動かせないもどかしさも、うざったさも、だるさも全て、どうでも良いものに思えてくる。
そうやってじわじわと生に執着する思いを断ち切り、冒険者としての今も、ギルドに誓った意志も、自らの誇りも全て忘れて、この世界の理から私という存在を抹消するのだろう。
死は怖くなかった。
むしろ、この退屈で苦痛な日々から解放されるぐらいなら、それでも構わないとさえ思った。
咆哮と足音とともに、耳に響く声だけが最後に鮮明に聞こえたような気がした。
それっきり女の意識は世界との繋がりを途絶えた。
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