詩の世界
最近は、思い出したように詩を書いている。
それは小説よりも手ごろに書けるように思える、というわけではなく端的な言葉でしか問えないものがあるのではないかと思ったからだ。
言葉というのは、私は一般に短くなればなるほど純粋度が高くなるものだと私は常々思う。
それは地の文だけでなく、小説のタイトルなんかもそうで、あの文章じみただらだら長いだけのネット小説特有のタイトルは美しくもなんともないと思ってしまう。
少し横道に逸れるようだけれど、ちょっと前に「ネット小説界隈においては、ずば抜けた文章力や構成力よりもユーザビリティがあるのかどうか」で良作かそうでないのか決まる。というのがあって、私は心底つまらないことを書く人だなと思った。文芸の良し悪しは、まず言葉にこそあるのではないかと私は考えているのでそこをおざなりにして平気な姿勢に嫌悪を覚えた。単にちやほやされたいのなら、別に文芸を選ぶ必要はないのに絵や音楽や動画でなくて、わざわざ文芸を選ぶ。それなのに最も重要な言葉をいい加減にして憚らない。
こういうことが平気で言えて受け入れられているような素地があるから、「なろう系」なんて馬鹿にされて下に見られてしまうんだろう。
私ははっきり言って、そういう次元で出されたもの、問われたものを「文芸 (あるいは小説)」とは思えない。
閑話休題。
私は端的な言葉にこそ美しさが宿ると信じている。
たとえるなら、無駄な贅肉の削ぎ落とされた肉体が怜悧で美しく見えるように、言葉も極力無駄を廃した端的なものが最も美しいと思うし、詩という形態を選ぶのならそう書かなければならないと思う。言語表現は短くすればするほど、難しい。その意味で詩というのは究極の形ではないだろうか。
だから私は最近詩を書いてみるようにしています。小説は、実力にもよるのだろうけれど知らず知らずのうちに贅肉がついてきてしまう。それは作者の虚栄心か、自己顕示欲がそうさせるのか……。
さて、詩を書くのなら私は書くこと、問うことは一つしかないと思っている。
それは私たちの「いつか必ず死んでしまうという運命」。生と死、文学的にいうのならその間にある営みについてだ。そして、そこにあるまだ言葉になる前の様々な感情についてだ。
話は変わるようだが、私は、私たちが本当に問わなければならないこと、考えなければならないことは非常にシンプルなものであると思っている。そして、ここで問題にしていることは「詩 (小説あるいは文学において)書くべき問題」と同じものだとも思うのだ。
小説ではなくて、詩でしか書けないものとはなんだろうか?それは短さゆえに持てる鋭さ、美しさ、そして本質的な問いだ。
そして、さらに大切なことがある。
詩でも小説でも、そこに描かれるものは「微細な視点」だ。文章表現はその「微細な視点」を上から見下ろすような、「大きな視線」文学的にいうのなら「神の視線」のようなものがあるかどうかで良いものかが決まると思う。
私は決して自分がそういう作品を作れているとは思わないけれど、そんな風なことを考えながら書いている。
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