ふたり

三津凛

前編

膣の中を洗う。

臍のあたりに力を入れると、怒りが満ちる。

何をやってるの、私は何をされたの。

涙が出る。胃液が喉元までせり上がる。必要以上に熱く設定したシャワーに打たれながら、私は座り込む。

私は穢れている。洗っても洗っても取れない垢が身体にこびりついたまま、離れない。

指を使って膣の中を洗う。痛い、許せない。

目眩がして、私は風呂のへりに空いた手をかける。苦しみが通り過ぎるのをひたすら待った。

悪魔は毎晩私の脚元にやって来る。股を割る。許されないことをやって、帰っていく。

意識が戻って来たところで、私はやっと立ち上がった。その拍子に、ぬるくなった精液が脚の間から滴る。

洗っても洗っても、まだ洗い足りない。洗いすぎて身体中の皮膚が薬品で溶けきってしまうまで、この穢れは落ちないような気がした。

「…いつまで入ってるんだ」

父が扉の向こうから声をあげる。私は開けられないように、扉の出っ張りを掴む。

「もうあがるから…」

父は汚い。あの男は穢れている。

でも私はもっと汚い。穢れている。

娘に女を見る父が憎い。私の股を割る血を分けたあの悪魔が恐ろしい。

父のことは嫌いだった。憎かった。

でも一番嫌いで憎かったのは私自身だった。

普通の愛情を注がれない、女を持つ自分がどこまでも穢らわしくて、憎い。

扉を開けて、身体を拭く。まだ悪魔はどこかで、私の濡れた裸を凝視している。


母は何も知らない。

何も知らないことは幸せと抱き合わせにある。そんな無知なこの女も憎かった。

私は擦り切れるほど読んだ詩の一節を静かに反芻する。

私は炎の中にいる。私を知る者は誰もいない。

母は何も知らない。だから、こんな味噌汁を毎朝作り続けることができる。

「お味噌汁飲みなさい」

眠くなるような湯気が食卓に立ち昇る。母は朝食を疎かにしたことはない。何も間違ってはいない。母は母のための秩序を守って、ただ生活をしている。

私は父の健康のために薄味に仕上げられた味噌汁をすする。

何も間違ってはいない。私さえ黙っていればこの家庭は何も踏み外すことはないだろうと思った。

「お父さん、今度の日曜映画観に行きましょうよ」

父と母は仲が良い。

でも私はこの二人を本当には愛することができない。


刺し殺してやろうか。


何かが胸の内側から、囁いて疼く。好き勝手に引っ掻き回された子宮が今も泣いている。

箸を握り直して、何も知らない呑気な女と悪魔のような男を刺し殺してやりたかった。

「顔色悪いぞ」

父が上目遣いで、私を見る。男が女を眺める視線に私は慄然とする。

お前は私の父親だ。アダムがイヴに産ませた子供を片っ端から犯すような真似を平気でしている。

「……なんでもない。ごちそうさま」

母はこちらを見ない。父はじっと私を見つめている。


わたしが刺し殺してやろうか。


はっきりと声が聞こえる。

嫌な予感がした。私は母の無関心と、父の異常な執心を振り払うようにして私は冷たい椅子から立ち上がった。


生理が始まった頃から、父は明らかに変わった。もう子供じゃない。女になる。

私は俯いて駅まで歩き続ける。電柱の柱に、精神病院の案内が貼り付けてある。ここから一キロもないところに精神病院がある。最近、記憶が途切れる時がある。気がつくと一日が終わっている。した覚えのない約束をしている時がある。同級生の話についていけない時がある。


ねぇ、わたしが刺し殺してやろうか。


はっきりと聞こえる。

私は顔を上げて辺りを見渡す。誰も彼も無表情に駅を目指している。誰も私を知らない。

あなたは誰。虚ろな内面に問いかける。何も聞こえない。

「馬鹿みたい」

小さく呟いて、私は疑念を潰した。



あなたは優しすぎる。だから、傷つきすぎる。

あの男は獣だ。娘に女を見るどうしようもなく哀れな獣だ。わたしが表に出ている時にあの男が股を割ったら、間違いなく刺し殺してやる。

わたしは一点だけを見つめて、正確に刃を首に斬りつけてやるイメージをなぞる。

「睦美、おはよう」

「おはよう」

わたしは相手の顔は見ずに言って、机につく。

スポットライトが当たって、あの優しい睦美は眠りに落ちる。その代わりに、わたしが目覚める。睦美は薄々わたしの存在に勘付いている。でも優しい彼女はわたしを追い出そうとはしない。そうやって、優しくするからつけあがるのよ。

一番初めに睦美を眺めた時、彼女は自分で膣の中を洗っていた。どうしようもなく哀しく孤独な、あの指の胎動と共に、わたしは産まれたのだ。


刺し殺してやりたい。


睦美が願ったのだ。わたしはじっと孤独な人格を見つめていた。銀色のスポットライトが、煌々と睦美を照らしていた。辛く泣いた後で、笑う。そして夜が来るたびに怯えるのだ。

可哀想な睦美、そして可愛い睦美。

わたしは全てで、全てはわたしだ。あなたはわたしで、わたしはあなただ。

「愛してるのよ」

わたしは指で頰を撫でる。睦美の肌は滑らかで優しい。こうしてなんでも柔らかく受け止めてくれる。

歯型がつかないように、そっと爪を噛む。

これはあの男があなたに向ける一方的なものとは違う。わたしはあなたの苦しみを除くためなら、なんだってやってやる。

あなたが殺したいと願えばいつだって、殺してやる。わたしが刺し殺してやる。

気がつくと、初めの意志に反して指先に血が滲んでいた。

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