第16話 次の日

 激動の日から一日が立ったが昨日からずっと、あまねは浮かれていた。



 昨日会った一番嬉しいことは、それ以前にあった嫌なこと全てを消し飛ばすほど強力だった。もはや危なかったことなど覚えていない。



 人生で最も入れ込んだ趣味を今までは共有することが出来なかった。それが、自分と同等の愛好家の知り合いが出来たのがつい昨日のことである。



 暮斗と別れた後も終始にやけ顔を保ち、夜はワクワクと興奮で寝られなかった。



 朝起きて若干寝不足気味で登校しながらもニヤニヤが止まることはなく、佳奈や愛梨沙からも正気を疑われる始末だった。



 仲の良い二人でその有様なのだから、教師陣や周囲の席の者は、終始笑い続けるあまねに異様な印象を抱いていた。特に世界史の教師なんかは、



「橘、なにがおかしいんだ?」



 などと鬼気迫る表情で問い詰めた。



 ちなみにそれの返答は「はい! 授業はしっかり聞いています!」だった。呆れた世界史教師はもうそれ以上何も言わなかった。



 それは放課後までずっと続いた。放課後になれば暮斗の家へと即効向かおうと考えていたかゆえに、さらにニヤニヤが治らない。



 あまりにも様子がおかしいことを気にして、佳奈と愛梨沙は恐る恐るあまねに何があったのか尋ねる。



「あ、あまね? 朝からずーっと思ってたんだけどさ、なんで朝からずーっと笑ってんの?」



「あたしは常に笑顔でしょ? 佳奈も馬鹿ね!」



「うーわ今世紀最大の馬鹿に馬鹿って言われちゃったよ。こりゃ末代までの恥だな」



「あら可哀想に……。子孫にその汚名を着せるのはあんまりだから佳奈で末代にしたらどうかしら」



「ちょっと! 何がそんなに嫌なのよ!」



「例えばだけど、あまねはペットに『お前に飼われてやってるんだから感謝しろよ』だなんて生意気なことを言われたらどう思う?」



「そりゃ……腹立つわよ」



「それと同じ感覚よ」



「もしかしてあんた達ってあたしのことペット感覚で見てるの ⁉︎」



「ペットまでとはいかなくても小動物よ」



「飼い犬に手を噛まれる気分だ」



 つまりそれはあまねを完全に格下に見ているという堂々とした宣言だった。親しき仲だろうがなんだろうが意にも介しない、あまりにも無礼すぎる態度に顔を真っ赤にして地団駄踏んだ。



 二人はそんな反応を見るのが楽しくてついからかってしまうのだが。



「きー! なによ二人して!」



「というか話ズレてるよ。元に戻そう」



「あんたがズラしたんでしょ!」



 どの口が、とあまねは敵愾心をむき出しにして佳奈に噛みつく。



 佳奈は心底面倒そうに、適当になだめて話の軌道修正を図る。鞄の中から手当たり次第の菓子を取り出し、片っ端からあまねに餌付けしていた。



 するとあまねはみるみるうちに機嫌を直していくではないか。馬鹿以外の何者でもない。



 上手くあしらうことに成功した佳奈は、しめしめと本題へ話を戻した。



「それで、なんでそんなに上機嫌なの? いつも以上にお気楽に見えるけど」



「引っかかる言い方するわね……別に何もないわよ」



「何もなくて一日中ニヤニヤしてる人がいると思う?」



「笑顔でしょ?」



「ニヤケ顔よ」



 ……つまりなにか。



 今まで自分は常に笑顔を振りまく愛されガールだと思っていたが実はそうではなく、ニヤケ顔を散らすただの変質者だったのだ。



「えっ……じゃああたし、今日一日ずっとニヤニヤしてたわけ?」



「そう言ってるじゃん」



 そう言われあまねはぺたぺたと自分の頬に触れぐにぐにと引っ張った。確かに頬の筋肉が弛緩していた。



「ほんとだ!」


 

「まさか気づいてなかったわけ? 鈍感にも程があるよ」



「ずっと笑顔を振りまく可愛くてキュートな子だと思ってた……」



「自信過剰すぎない?」



「意味も被ってるし。結局のところなんで笑ってんの?」



 そこであまねは待ってました、と言わんばかりに、大げさに胸を張った。どうやら相当聞いてほしかったらしいというのは側から見てもわかった。



 得意げに鼻を膨らませると、したり顔で口を開く。



「なんと、なんとよ! 昨日、あたしがずっと探してた『戦士ファイター』を持ってる奴と知り合えたのよ!」



「なんだそんなことか」



「解散しましょ」



「ちょっと! なによ聞いといてその態度⁉︎」



 二人の困惑の中に多少混じっていた期待は一気に消沈する。



 対するあまねは自慢げな様子から怒りへコロコロ気分を変化させる。まるで乱高下の激しいジェットコースターのようだった。



「いやさぁ。たかだかゲーム友達が出来たくらいでそんなに浮かれるとは思ってなかったからさぁ」



「たかだかって何よ! いい? 戦士ファイターはねぇ!」



「やりたがるゲーマーは多いけど、ソフトの絶対数が少ないから幻のゲーム扱いされてるんでしょ? 何回も聞いたって」



「ならその希少さはわかるでしょ! 絶滅危惧種なのよ!」



「はいはいわかったわ。で、その子はどんな子なの? そんなに嬉しそうなんだからよっぽどいい子なのよね」



「うーん、その『子』って感じでもないかな。多分年上だし、背も割と高いよ」



「姉御肌って感じ?」



「何言ってんのよ。普通に男よ」



 その言葉を聞いた瞬間、佳奈と愛梨沙は口をぽかんと開けて戦慄した。あまねに男が出来たということが信じられないという表情だ。



 大袈裟に驚かれたことが気にくわないあまねは眉をしかめた。



「……なんでそんなに驚くのよ」



「いや……だってあまねに彼氏が出来るとは思ってなかったし……」



「昨日の意味深な用事はもしかしてそれだったの?」



「ち、違うわよ! 彼氏でもないし、用事もそれじゃない! 偶然よ偶然! 家に行ってゲームしただけだから!」



 恋愛の話に疎いあまねは鼻の先まで真っ赤にして大慌てで否定した。事実彼氏でもないし、当然ではあるが。



 しかし、否定の仕方がまずかった。



 家に行って、と言ってしまった時点で二人の中ではもう家デートをしたと結び付けられてしまったのだ。



「家行ったの⁉︎ その日初めて知り合った男の家に⁉︎」



「あまね……私たちの想像を遥かに超えてるじゃない」



「ち、ちが――」



 正しくは家に行ったというよりは担ぎ込まれた形に近かったが、そちらの訂正は口が裂けても出来なかった。



 いくら友達といえど、社会に反している組織に入っているなどと知られるわけにはいかない。



 なにより、二人に軽蔑されて、離れられるのが怖かった。



「も、もういいわよそれで……。でも、彼氏じゃないからね」



「まーあまねがそう言うならそうなんでしょ。で、恋愛には発展しそう?」



「あ、あんたもしつこいわね……。今の所わかんないわよ。というか、発展させるつもりもないし」



 曲がりなりにも暮斗はヒーローである。ロミオとジュリエットじゃあるまいし、リスクを冒してまで彼と添い遂げようとは思えなかった。



「そう。でもあまねのことだからいつか流されてそうね」



「んなわけないでしょ! もう帰るわよ!」



「その人のとこいくの?」



「そ、そうよ。文句ある?」



「べっつにー?」



 あくまで惚ける佳奈の態度に、あまねはムキになる。



「きー! また明日ね! あんた達の思惑とは別方向に楽しんできてやるんだから!」



「まぁ行ってらっしゃい。めいいっぱい楽しんでくるといいわ」



「言われなくてもそうするわよ」



 あまねはそう言い残すと、浮き足立って教室から出て行った。が、五秒後すぐ舞い戻ってくると、走って戻ってきたこともあり息を弾ませていた。



「そういえば埋めあわせの話してなかったわね! また今度出かけましょ!じゃあ!」



 またそれだけ言うと、慌ただしく教室から去って行った。



 嵐のように消えたあまねに、二人の開いた口は塞がらなかった。



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