第21話 隧道広間中央、竪穴直下

 遠く、爆発のような大気の震えがあった。

 つまり、最初に戻ってきたのは粘膜の感覚だった。もっともエイジローの感覚器は眼と粘膜しかないので、意識が戻ったが眼が開けられない、というのが実情に近い。

 肉塊からだが感じるのは迷宮の冷たく湿った空気。それから布と、布越しの体温。久しく自分でことのない単眼を開く。なお感覚は怪しいままで、満足にうごくことは覚束おぼつかなかった。


「目が覚めたか。エイジロー?」


 迷宮に入ってすぐの区画、申し訳程度に設置された油角燈カンテラの黄いろいあかりを背に、身なりの良い娘がエイジローを覗き込んでいた。蠱惑的にしたいのであろうと察せられる、目を細めた笑みのかたち。膝の上に抱えられるようにしている、と理解する。


 その顔で、拡散していた前後の記憶がつながった。

 じたいに叩き込まれた声が、よみがえる。


 ──我に従え。


「ああ。どうにかな」

「では、わらわと共に来い」


 娘は思わず、というように、年相応の笑顔をこぼした。エイジローは確信する。

 あのの源は、この娘だ。つまり


 丸まった肉塊からだから発声用偽足を形成するのに、一呼吸ほどの間があった。

 うまくゆかない。感覚麻痺がまだ響いている。無理矢理、身体を震わせた。


「断る」


 大気の爆発的震動が、危惧していた事態を伝えている。それどころではない。

 覗き込むの顔が、悲しげに歪んだ。不貞腐れているようにしか見えなかった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「声は、聞こえたのであろう?」

「だからって、従わなきゃならん理屈はない」


 やかましかったからやめてくれ、と半眼になるエイジローに、嘘の気配はない。


 カララは、思ったよりも精神的衝撃ショックを受けていない自分を発見した。


 薄々察してはいたのだ。最初はこの小娘からだで、グラトの劣情をそそれなかったときに。次に、迷宮の魔物どもをできなかったときに。不死なる蛇ハイドラとは肉であり、こころミームを源とするものではない。絶対遺伝子保存機構ハイドラの力とは、すなわち創造された遺伝子ジーンと血肉より生じるものに他ならない。


 そしてまたカララの記憶中枢のうは、異法の基本則を知っていた。


 種を問わず森羅万象をとろかす超外分泌腺液フェロモンも、物言わぬ菌類すら融合侵蝕せしめる遺伝子同化現象カンケライゼーションも、あるいは同族の無条件服従をもたら第一種子権プリンキピアですら、原人類オリジネイターにより付与された、ハイドラ女王のでしかない。


 ただの常人でしかないカララの肉体には、当然、備わっているわけもない。


 ただ、同種ハイドラへの通信だけは、己でことを確認できた。

 だからこそ、相応の肉を取り戻すため、エイジローに賭ける気にもなったのだ。


 結果は、ご覧の有様だが。


「もういいでしょう、カララさん。空振りだったんでしょう? この筋は」

「こいつの連れか、あんた」

「ええ。遺憾ながらね。引き回されてうんざりしてますが」


 竪穴タテアナから広間の様子を伺っていたグラトは、耳を澄ませる様子だった。


剪刀せんとう騎士殿のほうは、さいわい、そろそろ片付きそうです」


 カララの膝の上、エイジローが反応した。肉塊を不器用に蠢かせ、転げ落ちる。

 単眼の目線をグラトへ、あるいは広間の方へ向けた。

 遠く、轟音がもう一度響く。


「……みかんか?」

「本郷さんですか。ええ。彼女が目当てだったようで。やっと検問が解ける。ただ、荒事が終わらなきゃ、昇降機リフトも使えませんがね」


 グラトは首を数度鳴らした。

 ぼんやりとカララが見る前で、エイジローは竪穴タテアナを這い登ろうとする。

 這い登ろうとして、転げて、止まった。


「くそ」


 カララは。

 我知らず口を開いていた。


「エイジロー。貴様、あの英雄機レクスを助けたいのか」

「みかんだ。本郷みかん」

「ああ。みかんを助けたいのか? 元はといえば、我らの天敵であろうに」

「そうだな」


 まだカララのが残っているのだろう。不格好に身体を蠕動ぜんどうさせ蛇行しながら、エイジローは答えた。


「何故だ。みかんとて、こちらへ来て二日も経っておらぬのだろう」


 カララと同じだけ。短く、ああ、とだけ答えが返る。


不死なる蛇ハイドラである貴様が、なぜそこまでして助けようとする?」

「そうだな。会ったのはついこのあいだじゃあるが」


 エイジローは、単眼をちらりと振り向かせた。声はくぐもり、割れていた。

 全身で無理に声を出しているせいだ、とカララはあたりをつけた。

 律儀なことだ。このやりとりなど、無視してしまえばいいものを。


「あいつには恩があるんだ。昔からの、どでかいやつが。……くそ」


 偽足触手を伸ばそうとする。うまく形作れないままだ。


「いや、僕が言うことじゃないですがね。無謀ですよあなた」


 グラトは肩を竦めた。広間から、再度の轟音。

 それきりで静かになる。エイジローは全身から、牛のような呻きを吐いた。


「行くのはいいですが、剪刀せんとう騎士さま相手に何する気です?」

「勝てる相手じゃないのは知ってるさ。いまは、時間を稼げりゃいい。する手の用意はある……んだが」


 このザマじゃ、時間稼ぎの壁すらやりきれるかどうか。

 偽足形成を確かめるように、エイジローは声をつくった。


 時間稼ぎ。壁。カララは、ふと顔を上げる。


「おい。エイジロー」

「何だ。女王陛下。詫びならいらんよ、後にしてくれ」

わらわは、カララだ。そう呼べ。時間と言ったな?」


 カララはエイジローを抱き上げた。肉塊が手の中でうごめく。

 ぎょろりとした単眼が、カララを睨んだ。


「……カララ、離せ。急いでるんだ」

「まあ待て。必要なのはどの程度だ。半日か? 一日か?」

「馬鹿いうな。あと半刻もあれば、最悪、格好はつくはずだ」


 カララは頷いた。得たりだ。なるほど、ならばまだ試す手はある。

 ならば、よもやエイジローも否とはいうまい。


「ならよい。聞け。わらわにいい考えがある。そう時間はとらせん」

「……手短に頼む」

「カララさん、いい加減にしてくださいよ。本当に」


 グラトはうんざりとした表情で肩を落とした。


「なに。われらが直接あの化物とことを構えるわけではない。安心せよ」

「にしたって、僕にはもう余裕ってもんがないんですよ。わかってくださいよ」

「もし使える話だったら」


 満足な発声偽足をやっと形成し、エイジローの声がになる。


「無尽宮公社の社長に口利くぜ。色々、便を図ってもらえるはずだ」

「いい加減、空手形で埋もれて死にそうなんですがねぇ……」


 グラトは嘆息する。


「わかりました。聞くだけ聞きましょう」

「よし。特に差し許す」


 カララは我知らず笑っていた。

 魅了なく、暴力なく、それで言葉を交わすのは、存外に愉しいものだった。

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