第3話 迷宮山師エイジロー
迷宮において数少ない変わらぬものに、出入り口の場所がある。
これを塞ぐ、語るものの手になる砦を、封印街という。
『無尽迷宮』の封印街は、表層三層をぶちぬく形で建てられている。
いずこの迷宮でも、封印街の町並みは、およそ例外なく独特である。
封印街が成り立つほどの規模であるなら、という但し書きがつくが。
迷宮は常に変わりゆくものだ。
これは「暴力」が地下世界を奪い去ったためである、とされている。
とはいえ、神話の時代の真偽などまったく定かではない。
とにかく散文的に言うなら、迷宮はごく短期間でその姿を変える。
石材で組まれ、あるいは岩むき出しの洞窟が、そこに生える隠花植物や様々な動物──総じて魔物と呼ばれる諸々の生物群ごと、その構造を組み変える。
生き物の傷が治るように、と表現されるその大変動は、たとえば『無尽迷宮』ほどの大型迷宮において、数百メートルもある大隧道が一夜にして消失する、などという規模で発生する。昨日まではいなかったはずの猛獣、危険な魔物が湧いて出るなどというのも日常茶飯事である。
「語るもの」にはその影響がなく、なぜか生き埋めになることもないのだが、それはあくまで壁に埋め込まれて息の根が止まることはない、というだけだ。
魔物に襲われ、明後日の方向に伸びた通路で迷い、果てに糧食が尽きたなら、末路無残は当然である。
そこで、特別な建材が持ち出される。つまり、迷宮の宝である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
湿った布団のなか、エイジローが窮屈な夢から目覚めると、団子状の自分の体から伸びる無数の薄赤い触手と、それを抱き寄せて眠る裸の少女を発見した。
絡みつけるようにされた触手に感じるやわらかくなめらかな肌と、自分よりはるかにあたたかな体温に、エイジローはひどくすわりの悪い気分になる。
「おいコラ」
「うぅん」
声にぶるぶると震える触手をさらに強く掻き寄せられ、エイジローは巨大な一ツ目を細めた。瞼に相当する器官はないが、柔軟な体組織を活かせば、その程度は造作もない。文字通り無意識に行える。
「起きろ」
球体と偽足を基本形態とするエイジローに声帯はない。全身もしくは発音用の偽足を形成し、震わすことでそれに代える。が、全身質量の大半を抱え込まれている状態では、専用器官をつくることも適わない──つまり、紳士的な方法では。
「ぅゆ」
「よし」
一向に目を開けようとする気配のない相手に、紳士的であることを即座に諦めた。
見た目は細いものの、エイジローの触手=偽足はパワフルである。たとえば、身長百四十センチ台の少女なら、カタパルトの如き勢いで放り投げる程度は造作もない。眼球周りのなけなしの質量で周囲の畳に吸着、偽足の収縮と変形を利用し、抱きつく少女を思い切り高速水平射出。反射的に強く抱き込まれた部分は好きにしろとばかりに切り離した。
一瞬だけ聞こえる悲鳴めいた息が漏れる音、委細気にせず物理法則が遂行された。少女全裸が六畳一間の畳に対し水平に飛び、狭い空間を即座に踏破。当然のように、壁へ猛烈な勢いで激突した。壁材が厚さ四インチもある金属板でなかったら、歪んでめり込んでいただろう。かわりに特大の銅鑼を叩いたような、腹まで響く音がした。もちろん比喩表現だ。エイジローに通常の体節はなく、尋常な内臓も存在しない。
ひき潰されたカエル的に壁面と同化した少女がややずり落ちる。長い栗色の髪が、すだれのように垂れ下がった。それとだいたい同時に、天井がばかでかい音を立てる。要するに上の住人がふみ鳴らしたのだ。
震動で逆さ
「後で詫びに行かにゃならんな……」
同じようなやり取りでやらかすのは何回目だったか。まあ怒られるだろう。
この第三栄光パレスを追い出されるのは、できれば回避したいところだ。
何しろこの物件、壁はとにかく頑丈で、そのうえなんと畳敷きときている。
素材はゴムのフェイク畳だが、いずれそうそう手に入るものではない。
エイジローは畳が好きだった。畳敷きで暮らすのは夢だったのだ。
ようやく叶えた夢の城に、余計なものがついてきており、実に憂鬱である。
ともかく朝食にしようと、異法
手応えとして、残り少ない。いい加減稼がねば蓄えが怪しい。
さらに憂鬱な気分になりつつ、掴みだした鍋型食料パックを焜炉に乗せる。
温め時間さえ守れば、適度にうまい料理として仕上がるすぐれものだ。
万能有用、公社の迷宮食料。まさに、公主さまの霊験あらたかである。
「ねえねえエイジロー。ボクのぶんは?」
一度無視した。憂鬱な気分のせいだ。
バランスを取るため床に突っ張っていた偽足が引かれ、もう一回。
「ねえってばさ。おカネは出すから」
「そういう……問題か」
どうもない。仕事仲間ではあるのだ。
肺さえあればため息をつきたい気分で、エイジローはパックを追加した。
「あと、服を着ろ」
「えー」
全裸であぐらをかく少女の、うしろ頭を軽く張り飛ばす。
「裸でメシを食う気かお前は」
「駄目? むらむら来ない?」
「来るか馬鹿」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「リコちゃんはですね、正直傷ついてるんですよ」
ハーフパンツに半袖シャツで、まあ少しはマシな格好になる。
熱々のホットサンドを齧りながら、元全裸は頬を膨らませた。
「ああ、そうかいそうかい」
「ボクそんなに魅力ない? エイジローってやっぱ性欲強くない方?」
熱々のチーズが垂れたのを、手指で行儀悪く巻き取って口に運ぶ。
エイジローは、触手で新聞を一枚掴んで押し付けた。
こんなやりとりも、もう何回目だろうか。
自分の分のきつねうどんは、早々に食べきってしまっている。
通常の味蕾どころか、消化器官も何もない身体である。
食事はだいたい、一瞬で済む。全身で取り込むというか。
「俺はもそっとおしとやかな方が好きだ。ということにする」
「難しいけど、そういうのとエロいのって違くない?」
「同じだ。同じ」
はぐらかすのも、いつものことだ。
迷宮内の暦で、組んでからもう、一年以上になるか。
エイジロー。性的侵略触手生命体。「騙るもの」。
リコ。半有機型戦闘用合成人間。「騙るもの」。
どちらも、この迷宮に流れ着いた身の上だ。
「そりゃエロいの、嫌いなのはよーく知ってるけどさ」
軽くむくれながら、リコはボトルの炭酸水を呷る。
「それでもボクにはエイジローしかうぇホゲホゲホゲホッ」
思い切りムセて吹き出した。
タオルを投げつける。
「そりゃわかってるが、なら手段を考えろってんだよ」
「うーん」
エイジローは目を細めた。
悪いやつではない。信用もしている。思っていることもよく判る。
正直に言って嫌いではないが、それでもだ。
どうしても、そういう方向には踏み切れない。
同じことなら、相手が誰でも──
「ああほら。濡れて透けてるのとかは」
「却下だ馬鹿」
猫を風呂にでもぶちこむように、タオルで強引に拭い落とす。
きゃあきゃあと悲鳴を上げてみせるのは完全にポーズの類。
つまりもう一発、天井を踏み鳴らす音がした。
「次の稼ぎが入ったら、菓子折でも買わなきゃならんかもな……」
「っぷは。そうそう、それだよ」
ちゃぶ台に肘をついたリコが、触手をかき分け身を乗り出す。
「次のネタ、見つかったんだ」
「お前が昨日大遅刻かまさなきゃ、夜のうちに話してる予定でな?」
「あはは。ゴメンゴメン、ちょっと野暮用で」
卓上に広げるのは、迷宮の地図だ。
といっても、常に変形を続ける迷宮のこと。変化しない領域の座標が、大まかに描き込まれただけの代物ではあるが、それでも唯一参考になる、迷宮探索の道しるべ。
「公社、つうか公主サマからのネタでな。聞いてるか、北区中層の」
「あー。例のウロ? スカじゃないの?」
「いや。どうも、かなり大きな遺構が流れ着いたらしい」
巻癖のついた地図を偽足二本で広げつつ、メモを見い見い赤ペンを入れる。
情報通りなら、ちょっとしたビルなみの体積だ。
「この浅さに来たってことは、鉱脈扱いだね」
鉱脈、というのは、ほぼ文字通りの意味だ。迷宮には、終わった異界が流れ着く。
そして、迷宮の変化は、異界の物体に対しては及ばない。
封印街の建材は、すべてそこから切り出されたモノで組み上げられている。
あるいは地上でさえ、高値で捌けるモノが出てくることもある。
迷宮山師といえばこれを狙う連中で、封印街の住人の多くを占める。
「何がいるのか見当がつけば、な。そこで」
「ボクたちの出番だー、と」
エイジローとリコ。
「騙るもの」の迷宮山師としては、それなりに知られた名だ。
腕や実績もそうだが、とにかくしぶとく、何をしても死なないという意味で。
「行くか?」
「勿論」
強めに笑うと、リコは席を立った。
「じゃ、いつものとこで集合。二時間後?」
「それでいい」
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