無尽宮ものがたり

里村 邦彦

カーテンコール・ラッシュフィルム

第1話 嵐の夜

 我らは何者の影でもないことを誓う。

 我らはただ我らであることを誓う。

 我らは我らにあらず、無二の一人であることを誓う。


 ──剪刀騎士団の誓詞


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 中央からの急使が訪れたのは、春のはじめの嵐が吹き荒れる夜のことだった。


 街道が整備されているとはいえ、否、整備されているからこそ、この『無尽迷宮』に訪れるには甚だしく不適当な頃合である。


 迷宮といえば、陸の孤島と相場は決まっている。


 迷宮より来る『影』どもは、いずれも非合理極まるちからを備えている。そのうえ、文字通り何者であるかも知れない。目を合わせただけの相手を殺すもの、触れただけで体が歪み果てて名状しがたい「何か」と化すものなどは、湧いて出た『影』のなかでも有名な部類だ。

 街どころか国すら亡ぼしかねない、忌まわしき『影』、来訪者、「騙るもの」。

 そんな代物と不意に出くわしかねない場所から、わざわざ指呼の距離に住み着こうというのは、まずまっとうなヒトの考えではない。迷宮の周りには、距離という単純ながらつぶしの効く防壁が敷かれるのが常となっている。

 最大級の『無尽迷宮』では、昼夜を問わず丸一日、安からぬ値の早馬を、遮二無二走りに走らせて、ようやく宿場まで辿り着くほどだ。

 封印街相手の商売と、あわよくば陸の孤島が宝島に化けるのを夢見る商人たちも、街道沿いで少なくとも一夜を明かす。

 その距離を駆け抜けるのに、この急使殿はどれだけの時を要したものか。半日より長いということは、まずあるまい。


 ずぶ濡れの外套は、門の燈火カンテラだけが照らす下では真黒に見えたが、それが本来みごとな若草色であろうというのは、いやしくも諸王国の民である門衛には、すぐ知れた。

 若草色の外套。襟元にある大徽章は、青い鉄の楕円に、白石の象嵌された瞳、片刃剣の浮き彫り。当然、腰には相応しい一刀帯びているはずである。

 門衛にとって、見知らぬ相手だった。

 だからこそ、背筋をぞくり、としたものが這い降りた。

 封印街で暮らすなかで、禍つ目と片刃剣の意味を知らぬものはない。

 それでも、門衛は職務を果たした。火を見るより明らかであれ、誰何した。


剪刀せんとう騎士である」


 問わずとも知っていた。そして、彼らが封印街を訪れる理由は多くない。


「託宣が下った」


 押し殺したような低い声で、剪刀騎士は続けた。燈火ランタンの丸いあかりのなかへ半歩踏み出した、その体躯は思ったより遥かに小柄であったが、威圧感との不調和が、なおのこと異様さを強調していた。


「新たな災厄が、この迷宮へ流れ着くであろう」


 門衛の喉仏が、ぐびりと動いた。


「お前は何を問うてもよい。代わりに、私は必要なだける用意がある」


 かつて伝え聞いた通りの、あるいは門衛本人も聞いたことがあったかもしれない口上だった。膝が震えた。

 嵐の湿り気の中、なおからからに乾いた喉から、声を絞り出す。

 ひとつだけ、職務でない問を。


「数か。それに確と答えるすべを、私は持たないが」


 わずかな、躊躇いのような間があった。

 それは、不確かなことを答えねばならないからか、あるいは答えの深刻さゆえか。

 深刻さのためであってくれ、と門衛は願う。そうでなければ、あまりにも。


「死者だけで、万は下るまい」


 迷宮に住み着いた諸々の者共よりなお多い。まさに、災いと呼ぶべき規模である。


「もう十分か。では、剪らせてもらう」


 自然な動作で、水気を含んだ外套が翻る。

 門衛は反射的に、調練で叩き込まれたまま、戦闘異法を立ち上げようとした。

 青い光が一閃し、何かが引きちぎれるような、音のない異音が響いた。


 その夜、春の嵐の中、『無尽迷宮』に訪れたものはなかった。

 門衛の日誌にも、そのように記録されている。

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