恋する新幹線での旅立ちかた
十一月。旧暦では霜月と呼ぶらしい。
文字通り、霜が降る月だからそう呼ばれるらしいけど、ただしそれは旧暦のお話。十一月になったばかりの今は、どちらかというと神無月のはず。
確かに朝は大分寒くなってきた。弱々しい朝日を浴びた秋風が、あたしの顔をぴたぴたと冷やす。だけど霜が降るという雰囲気はまだない。
寒い冬の到来は、まだほんの少しばかり先なのだろう。
朝七時。ビルの隙間から微かに朝の陽の光が入り込む、東京駅。
三連休初日の新幹線ホームは、多くの人でごった返していた。
あたしだって、昨日は遅くまで霞さんの短編集の絵を描いてたわけだし、本当はもう少し寝ていたかったのに。
心の内ではそんなことを思いながら、ただこんな朝早くに東京駅にいるのも仕事の一つ。
他のメンバーはそうじゃないのかもしれないけど、不死川書店が経費を払う以上、今日のあたしは仕事なんだ。
そんな京都合宿、もしくはロケハン? あたしに逃げ場は用意されていなかったんだ……
あたしは予め町田さんから手渡されていた切符を元に、自分の座席を探す。今回は人数が多いからという理由で、点呼は新幹線の中で取ることになっていた。
不死川書店『純情ヘクトパスカル』、そして『blessing software』のサークルメンバーが集う今回の合宿。
うん、確かに人数が多い。あまりあたしの気が乗らないのはそのせいかもしれない。
切符を確認すると四号車十一列E席と書いてあった。ということは二列席の窓側か。
あたしは発車前の新幹線に一人乗り込むと、その隣の席、D席がまだ空いてることに気づく。
なんだかデジャビュのような………嫌な予感。
「隣、座りますね。」
あたしが席に着くと、間もなく隣の席も埋まり、その声が聞こえた瞬間、あたしは思わず鳥肌が立った。
「勝手にどうぞ。」
「勝手にって、朝から嵯峨野さんやっぱし俺に冷たいよね? 俺何か悪いことした!??」
普通の男性の声よりもやや甲高い声があたしの耳に響くんだ。
ほらね、やっぱしデジャビュじゃん。
でも、本当のあたしの気持ちには絶対に気づかれてはダメなんだから。
だって、近くには恵ちゃんもいるわけだし――
それにしても誰よ~!? あたしの隣の席にこいつを配置した今回の犯人は!!?
☆ ☆ ☆
四号車十一列E席。隣にはタキ君が座り、間もなく新幹線は東京駅を発車した。
ちなみにあたしの前の席には霞さんと伊織さん。後ろの席には英梨々と北田さんが座っている。
この状況、注意していないとタキ君とあたしの会話は間違えなく霞さんの耳に届く。英梨々のいる後ろの席はわからないけど、前の席なら――
恵ちゃんは……?
ふと横を見ると、隣の三列席のA席。つまり窓側の、あたしからは一番遠い場所。
「嵯峨野さん、何をそんな困ったような顔をしてるの?」
別に困ったような顔だなんて、そんな風にしてるつもりはないんだけどな。
タキ君はいつもと同じように、あたしに優しい声をかけてくる。
「……別に。」
あたしはそれに一言で応えた。
いつもそうだ。あたしはこいつに優しく接することができずにいる。
ううん。できないのではなくて、したくないんだ。
だって、タキ君には恵ちゃんがいるじゃん。あたしが優しく接する必要なんて、どこにもないことは明白だもん。
「ならいいけど。」
タキ君はそんな風に、にっとあたしに笑みを返してきた。
心なしか少し寂しそうに見えるのは、きっとあたしの見間違えだよね。
あたしも思わずそんなタキ君に、小さな笑みを渡した。
「それより、こういう時こそあんたは恵ちゃんと隣の席にならなくていいわけ?」
だけどとことん意地悪なあたしは、こんなことを言ってみるんだ。タキくんにとっては余計なお世話かもしれないけど、それでもあたしは……。
「嵯峨野さん、実はね……」
「え…………?」
ところがタキ君が急に真面目な表情になるもんだから、思わずどきんとしてしまう。
「本当は俺も恵の隣の席になりたかったんだよ! だけどそれを伊織が許してくれないんだ!!」
「あはは……」
本当にあたしはバカ。こいつのつまらない一言一言に一々ドキドキしてる。
「でも最近恵ちゃんと全然うまくいってないんでしょ? そんな風に伊織さんの言うことばかり聞くくらいなら、ここは男らしくさ……」
「俺だって恵の側にいたいよ。でも伊織だけじゃなくて、恵も……」
するとタキ君はぐっと息を呑みこみ、すっと次の言葉を引っ込めた。
ちなみに恵ちゃんはというと、あたしから一番遠い席でぼおっと窓の外を眺めていた。恵ちゃんの隣の席に座る美智留さんも、そんな恵ちゃんには興味ないようで、イヤホンしながらノートに書き込んでいる。作曲でもしているのかもしれない。
まぁその手前の通路側の席に座る出海ちゃんは、どこかそわそわしていて、たまにこちらの会話を聞いているみたいだけど。
「はい倫理君。そこまでよ!」
「ちょっと待って霞ヶ丘先輩。俺、嵯峨野さんにまだ肝心な話を聞けてない!」
「……へ?」
なんの話……?
そんな疑問を無視するかのように、霞さんがタキ君を席から立たせようとする。
「関係ないわね。こんなツンツンの嵯峨野さんの横に倫理君が座ったところで何も話は進まないわ。」
「ちょっと霞さん? ツンツンって……」
「それに倫理君『恵』というNGワードを三回言った。つまりこれでレッドカード。退場ってことね。嵯峨野さん、それを倫理君に言わせたあなたのターンは終了ってことよ。」
「はい……? あたしのターンって一体どういうこと~!??」
「いやだからまだ嵯峨野さんに~」
「問答無用~!!」
こうしてタキ君は霞さんに強制連行され、新幹線が発車してからおよそ五分程度で再び席がミックスされる。霞さんはタキ君を連れたままあたしの前の席に座り、前に座っていた伊織さんはあたしの後ろ、つまり英梨々の隣の通路側の席に移動した。
そうすると消去法で……つまり、次にあたしの隣の席にやってきたのは――
「真由さん。おはようございます。」
「いちいちあたしを下の名前で呼ぶな~!!!」
そう、北田さん。
なるほど、確かにあたしのターンは終了したようだ。この感じ、北田さんには申し訳ないと思いつつも、なぜだか罰ゲームのようにも思えてきたりして。
いや、北田さんは悪くないよ悪い人でもないよ。
だけど、だけどね~…………
そもそもまだ、品川駅にたどり着いたばかりなんですけど~!!!
☆ ☆ ☆
「あの~、真由さん?」
「……………………」
「真由さ〜ん??」
「……………………」
「おいっ、真由!」
「あんた、それ以上あたしを名前で呼んだら殴り飛ばすよ!!」
「……あ、やっと反応してくれた。」
北田さんの挑発に乗ってしまったというべきだろうか、北田さんは笑いながらあたしの顔をじっと見ていた。そのにやにやした顔は……ごめんさすがにちょっと薄気味悪いよ。
だけど、確かにその笑みは不気味ではあるんだけど、横目でちらちらとその安定感のある顔を見続けていると、なぜかほっとしてしまう面もあった。北田さんのあまりにも堂々とした態度が、あたしの心を落ち着かせてくれるんだ。その言葉さえなければ、好青年に間違えないのだもん。
きっと、だからあたしは北田さんを憎めないのかもしれない。
「そういえば前から聞きたかったことがあるんですけど……」
「……………………」
「真由さんって、私以外に誰か好きな人っているんですか?」
「っっっ…………」
あたしが無視をしようが何しようが、本当に安定してるのが北田さんクオリティーだ。突発的で、且つ拍子抜けしてしまう北田さんの質問に、あたしは思わず吹き出しそうになった。
そもそも私『以外』ってどういう意味よ!?
「じゃ~北田さんに質問を返す形になるけれど……」
「なんでしょう真由さん?」
相変わらず北田さんは溢れきれんばかりの笑みをあたしに見せてくる。
「北田さんは、あたしが他に好きな人がいるって言ったら、きっぱり諦めてくれるわけ?」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
そして爽やかな笑顔でこんなことを平気であっさりと言ってくるんだ。
その堂々とした口調は……やっぱしこわいですごめんなさい!!
「そしたら北田さんは、横恋慕もありだというわけ?」
ただ、あたしにはどうしてもその感覚が理解できなかった。
だけどそんなあたしをあざ笑うかのように、北田さんはこう返してくるんだ。
「だって、好きなんだから仕方ないじゃないですか! 他の誰が好きとか嫌いとか関係なく、私は好きなものを追いかける。それが人を『好きになる』ってことだと思いますし。」
その北田さんの何気ない言葉は、小さな棘を無数に持つ薔薇の茎のように、あたしの胸の奥にちくちくと届いてくる。
「そしたら、もし仮にその恋のライバルが自分の友人だとしたら……?」
そしてあたしは何てことを聞いているんだろう?
内心ではそう思いながらも、いつの間にかおかしなことを北田さんに聞いていると気づいたときには、もうその質問は口から飛び出してしまっていた。
「だからそんなの関係ないですよ。純粋に人を好きになる気持ち、私は大切にしたいですから……」
北田さん。だけど、だけどさ――
「その恋がもし、今まで大切にしていた友情を傷つけるようなことがあったとしても……?」
すると北田さんは小さく笑いながら、こう返してくるんだ。
「それで壊れる友情なんて、本当に友情と呼べるんですか?」
「え…………」
その胸の奥に届いた薔薇の茎は徐々に成長し、棘も次第に大きくなっていった。
ぐさりと突き刺されたあたしの胸は、何とも言えないほど痛々しくて――
「だって、本当の友人だったら、好きな人を奪われたとしても、最後には笑って二人の幸せを応援するんじゃないかって。」
「っ……………………」
違う。そうじゃない――
本当はそんな話をしていたはずではなかったはずなのに、あたしの頭の中にふっと登場したのは、あたしではなく、別の二人だった。
……うん。たぶん、あたしのことではないよね。
「ねぇ。もしそんな二人を応援できない理由があるとしたら、それはどういうものだと思う?」
すると北田さんは少し澄ました顔でにこりと笑みを見せながら、ごく自然に、その言葉を返してきた。
「どういう状況かいまひとつわかりかねますね。もし自分が好きな人が別の誰かと付き合っていたとして、それでもその人が幸せそうに見えないなら、私だったらとっととその人を奪いに行きます。」
「あはは。それは北田さんらしいですね。」
やはりそうだよね。だからきっと――
「だから私は、絶対に真由さんを幸せにしてみせます。」
「うーん…………それとこれとは話が別なんじゃないかな~?」
「別なんてことありえません! 私は誰より真由さんのことが好きですし、いつも冴えない顔をしてる真由さんを大切にしたいと思うんです。」
「ちょっ。あんたまであたしのこと『冴えない』とか言うか~!!」
あたしって、そんなにいつも酷い顔をしてるんだろうか。
なんだか少し自信がなくなってきたなぁ~。
「だって、真由さんにそんな顔は似合わないじゃないですか。笑っているとすごく素敵な女性なのに、そんなの勿体ないですよ。」
えっ…………
その北田さんとしてはいつも通りの言葉のはずなんだけど、あたしは胸を何かに撃たれたような、そんな感覚を襲われた。撃たれた場所から痛みが少しずつ、増してきているのがわかる。
ちょっと……。あたしは一体何を考えてるんだろう。
そんなこと、絶対にあるはずないのに。
平常心、平常心……
「北田さんはいい人なんだから、もっと素敵な人を好きになった方がいいよ。」
「そんなことありえないです! 真由さんほど美しくて可愛らしい方、他にいるわけないじゃないですか!!」
「じゃ〜、あたしの絵とか関係なく、純粋にあたしが好きって本当に言える?」
「っ…………」
「……って、そこはやっぱし否定できないんか〜い!!!!」
途方もないほどの脱力感だけがあたしを襲ってきた。
ちょっと前までのあたしだったらこの程度のことでもすぐに泣きそうになっていたかもしれない。あたしの絵と、あたし自身。それの区別が全然つかなくて、そんな些細な話でもあたしは受け止めるだけの余裕がなかったんだ。実際、夏コミの頃は確かにそうだった気がする。
でも今は違った。あたしの絵が他人にどう思われるかとかそんなことよりも、これがあたしの絵だって、これが嵯峨野文雄なんだって、最近はそう考えられるようになってきた。
鈴城さんに教わって、いつの間にかあたしはそれができるようになってきた気がする。
そして北田さんも、あたしのこともあたしの絵のことも、どっちも好きなんだよね。
「ふふっ。北田さんの気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう。」
だから北田さんに舌をぺろっと見せて、あたしの微笑みをプレゼントすることにしたんだ。
今のあたしには北田さんの気持ちに応えられる術を持っていないけど、ひょっとしたら――
「あら。あんたたちお似合いのカップルって感じじゃない。応援するわ、真由。」
「だから英梨々は黙ってて!!!」
そんなあたしを面白がって、英梨々はあたしの席の後ろからひょいと顔を出してきた。
泣き虫英梨々のくせに調子がいいんだから……。
新幹線は間もなく新横浜に到着しようとしていた。
東京駅同様、ホームには沢山の人が列をなしてこの新幹線に乗ろうと待っていた。どんなにあたしの足が立ち止まっていても、周囲の時間は刻々と過ぎていくんだ。
だからあたしも、足を動かし続けなければ。
旅はまだ、始まったばかりだもんね――
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