Lesson14: Autumn Wind
冴えない新学期の迎えかた
「おはよう、真由さん。」
大学の校門を通り過ぎた辺りで、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。ふと振り返ると、ラノベを鞄に仕舞いながらあたしに笑顔を振りまく恵ちゃんの姿に気づく。恵ちゃん、あたしに会うまでずっとその本を読んでたってことかな? どれだけその本が好きなんだろう?
……って、まさかひょっとして歩き読みしてたの???
「おはよ~。一週間ぶりだね!」
大学生活一年目の夏休みが終わり、暦はもう間もなく十月になろうとしていた。まだ少しじめじめとした暑さはあるものの、恵ちゃんの柔らかい笑顔がそんな不快感さも吹き飛ばしてくれていた。
そう。恵ちゃんに前回会ったのはちょうど一週間前。恵ちゃんがあたしの家にやってきたあの日以来だ。なんだかつい一週間前にあたしの家に来た恵ちゃんよりも、少し大人の凛々しい顔をしている気がする。どこかすっきりとした、もやもやとしたものが晴れているような、そんな顔だった。
そういえばついこの間、あたしが例の卒業試験をしている日が誕生日だったんだよね。
恵ちゃん、あいつと何かあったのかな?
……てゆうか今日は二人、一緒じゃないの???
「恵ちゃん。改めて誕生日おめでとう。」
「こちらこそ、あんな素敵な誕生日プレゼント、本当にありがとう。額に入れて部屋に飾らせてもらってるよ。」
「そんな大層なものじゃないって……」
何も用意していなかったあたしが恵ちゃんに渡したプレゼントは、慌てて一晩で描いた叶巡璃の絵。それを額縁に入れてしまうとか、そんなの額縁の方が勿体ない気がする。そういやどこかの担当編集さんの部屋なんて、英梨々の絵はあってもあたしの絵なんて一枚も飾ってなかったしなぁ。
あたしはそんなことを思い出しながら、くすっと笑みがこぼれた。そんなしょうもない絵が、そこまで喜んでもらえたのは、やはり嬉しかったから。
「でも恵ちゃんのことだし、あたしよりももっと素敵なプレゼントを渡す人なんて他にもいるでしょ?」
「うーん……英梨々には貰ったかな。わたしが大好きって答えた日本茶とか。」
「日本茶!? 紅茶じゃなくて?」
「うん。前に英梨々の家にお邪魔させてもらった時に煎れてもらったんだ。」
英梨々のことだからどうせまたとんでもない高級茶か何かだろう。
それにしても英梨々のやつ、どこまでエセイギリス人なのだろう?
英梨々と日本茶……どう考えてもなかなか結びつかない……。
「それにしても英梨々が日本茶とか、本人は飲んだことあるのかな?」
「英梨々はあんまり日本茶は飲まないみたいだよ。『あたしはコーラ』っていつも大体そんな感じだし。」
「だよねぇ~……」
思わず英梨々の話になってしまったけど、あたしはそんな話をしたかったわけじゃない。
じゃーなんの話?……と思わないことないけど、別にただなんとなく……意味もなく……???
むしろ、なんであたしはそれが聞きたいのだろうと思わないことないけれど。
「恵ちゃん。誕生日にはもっと大切な人から素敵なプレゼントを貰ったんじゃないの?」
「え~……なんのことかな~……」
いや、恵ちゃん本人はしらばっくれているけど、あたしは恵ちゃんが誕生日に誰と会ってたのか、ちゃんと知ってる。
だってその日は――あたしのバイトの卒業試験の日は、あいつがいなかったから……。
「ねぇ恵ちゃん。あいつと、何かあっ……」
「やっと追いついたぞ、恵。」
あたしがそう聞きかけたとき、その話の対象、張本人がようやく現れたんだ。
……いや、声をかけられたのはもちろんあたしじゃないんだけどね。
「あ、もう授業始まっちゃう。わたし一限がD校舎だから、先急ぐね。」
「うん。D校舎ってここから一番遠い場所だもんね。早く行かないと遅刻だよ!」
「うわ〜ほんとだ。一限の先生ちょっと怖いんだよなぁ〜。じゃ〜またね!」
「うん。またね〜!」
すると恵ちゃんはそう言って、あたしの先を足早にそそくさと行ってしまった。
何一つ表情も変えず、恵ちゃんお得意のいつものフラットな顔で。
今日の恵ちゃん、本当に足が速いな~……
……で?
「さてと。あたしもとっとと行かなくちゃ。授業始まっちゃうよね。」
「ちょっと待って嵯峨野さん。嵯峨野さん一限俺と同じ授業だよね? 嵯峨野さんまで俺を無視する理由とかどこにもないはずだよね!??」
彼女に置いていかれて、一人ぽつんと残されたこいつは、あたしの大切な作品『純情ヘクトパスカル』の担当編集さん。なんだかいつも以上に元気なさそうではあるけれど、先日あたしの大切な卒業試験を無視してくれたこいつを励ますほど、あたしは人が良くないかなって思ってる。
「いやぁ~、あんたを無視する理由も確かにないけど、別にあんたに反応する理由もどこにもないかな~って……」
「お願いですから反応してくださいみんなで俺をいなかった人扱いするのやめてください!!」
……ま、一限が一緒の授業なのは認めるけどね。
☆ ☆ ☆
「で。あんた、一体恵ちゃんに何をしたのよ?」
場所は大学キャンパス内の中庭。一限の授業がある校舎まではまだ少し距離がある。周りをよく見ると、男女ペアで歩いてる人が多いなぁと改めて思う。そもそもこのキャンパスは文系の学生ばかりだし、比率としては女子の方が多い。だけどここまでリア充な人が多いとか、文系の大学って一体どうなってるんだろうと思わないこともない。
……あ、あたしも今はこいつと、男女で歩いていましたね。
もっともこいつとあたしはそんな関係では全くなく、単なる仕事仲間ですけど。そもそもあたしの場合は仕事ばかりで、そんなリア充とは程遠い生活してる気もしてますが。
「それが……全く心当たりないんだ……」
「は!? 何それ? あんた大切な仕事サボって恵ちゃんとデートしてたんじゃないの?」
こいつ、あの大事なコンペの日、仕事さぼって恵ちゃんとデートしてたんだ。
なんかそれだけを思い出すと、ちょっとイラッとするけれど。
……なんでイラッとしてるのかという謎についてはとりあえず置いといて。
「でもちょっと待って。大切な仕事って嵯峨野さん言うけど、嵯峨野さんだってその日は仕事サボったんじゃなかったっけ。」
「え。あんた、何言ってるの……?」
あれ? なぜか話が噛み合ってない。あたしとこいつとで認識違いがある?
まさか…………。
「恵から『真由さんはバイトの卒業試験だって』って、俺はそう聞いたけど?」
「そこで恵ちゃんのモノマネは要らない……って話はともかく、あんたひょっとして、その日がどんな大切な仕事の日だったか、町田さんから何も聞かされてないの?」
タキ君はきょとんした目をして、あたしを見た。その顔を見ていると、なんだかあたしがこいつを虐めているかのような気分になってくる。
うん。これは間違えなく、何も知らない顔だね。
……って、『純情ヘクトパスカル』の担当編集がそんなことでいいの!??
「あの~嵯峨野さん? 何かありました?」
ふふっ。あたしは怒りを通り越して、いよいよ頭がおかしくなってきそうだ。
「別にぃ~。難聴鈍感最低主人公君には何も教えてあげないよ~!」
あたしはぺろっと、タキ君に舌を出してみせた。
まぁそもそも、そんなのあたしの口から話すような内容じゃないしね。その話の続きは町田さんに、不死川書店の中でやっていただければよろしいかと。
「嵯峨野さんまで。なんで俺にそんなに冷たいの!??」
「そう、それよ。恵ちゃんと何があったのか、真由お姉さんに話してみなさい。」
「えっと~ちょっと待って。嵯峨野さんってそんなお姉さんキャラでしたっけ?」
さぁどうなんだろ? 少なくともあんたの彼女さんはあたしに対して『さん』付けで呼んでたりするし、英梨々に至ってはあたしのことを
……もうこの話はやめておこう。
「恵ちゃんの誕生日に、あんたはちゃんと恵ちゃんをエスコートしたんだよね?」
するとタキ君はいつになく真面目な顔で、こう返してくる。
「もちろんさ。恵とは何度もデートしてるからそんなの今更だし、俺もいつも通り、ちゃんとエスコートしたつもりだよ?」
「いつも通り……?」
あれ……? なぜだか何気ないその言葉、ほんの些細な自然に出てきたその単語が、あたしには妙に引っかかった。理由はわからないけど、棘のようにちくりと刺してきたんだ。
そもそも、タキ君と恵ちゃんの『いつも通り』ってどんな感じなんだろ?
……って、あたしが知るはずもないし、知る理由もないか。
「まぁそこまであんたがきっぱり言うんなら、その『いつも通り』ってやつ、信じてあげてもいいよ?」
「それより嵯峨野さん俺ってどんだけ信用されてないんですかいやまぢで。」
「で、あんたは恵ちゃんに何をプレゼントしてあげたの?」
するとタキ君はふと立ち止まって、困った表情を見せる。
……って、おーい。そこは『いつも通り』で返すんじゃなかったんかい!!
「今、一押しのラノベ……『君の天気は』。」
「あ~あの作品ね。あたしももちろん読んだよ。結構面白い作品だよね。」
うん、とても良い作品だ。読めば読むほど味が出てきて、あたしの胸の中に一つ一つの文章がすっと入り込んでくる。伏線の貼り方が絶妙なんだよね!
なお、作者がタイトルに困ってどこかとどこかの作品をつなぎ合わせただけというツッコミに関しては割愛させて頂きたく。ま、そんな話、どうでもいいよね。
……てかタキ君、それこそ『いつも通り』の平常運転じゃん!!!
「で、そのラノベは恵ちゃんに気に入ってもらえたの?」
「それが…………」
もはやつっこむまでもなく、そのタキ君の表情から何を言おうとしてるか理解できてしまった。
「そっか。気に入ってもらえなかったんだね。」
「ああ。そんなに悪い作品じゃないし、恵の好きそうな展開だったのに……」
「あー、確かに恵ちゃんの好きそうな展開だよね。ラブコメ要素満載のテンポの良さと、それでいてサスペンス要素も含んでて読者をワクワクさせてくれるし。」
……うん、どっちかというと今恵ちゃんが書いてるゲームのシナリオに近いイメージがある。それを踏まえても恵ちゃんが好きそうな作品とも言えなくもない。
だとしたら、本当に恵ちゃんはその作品に興味を持てなかったんだろうか?
「タキ君が渡す前にもうその本は自分で買って読んでいたとか?」
「それはない。前日にそれとなく確認してたし。」
「それも違うのか~」
……あれ? たった今思い出したけど、そう言えばその本って、確か恵ちゃんが今朝大切に抱えて持ち歩いてなかったっけ。あの本、タイトルまでは見えなかったけど、あの表紙の絵はあたしも大好きな絵描きさんで、それは確か――
「ねぇタキ君? なんで恵ちゃんは喜んでないって思ったの?」
だとすると、次にぶち当たる疑問はこれだった。
「恵、その本を最初に渡したときは喜んでるように見えた。だけど、徐々に曇っていくのが俺にもわかって……」
「へぇ~。普段『難聴鈍感』と言われすぎてるあんたにもわかる表情って、それ相当だね?」
「嵯峨野さんそこでさらに強く釘を打ち込んでくるの止めてもらえませんか?」
確かに妙な話だ。恐らく恵ちゃんは、その本を気に入ったのは間違えなさそうだ。今日も大事に抱えて、恵ちゃんのことだからもう一度初めから読み直していたのだろう。
あたしだったらそんな面白そうな本を貰ったら喜ぶに決まってる。まぁ大体貰う前に自分で買ってしまうことの方が多いと思うけど。
それにしてもそんなラノベが好きとか、あたしも十分オタクだよね~ほんとに。
恵ちゃんはあたしやタキ君と違うから、同じ感覚で接してはいけないのかもしれない。
だけどさ。あたしだって、もう少しこいつに――
「そういえば嵯峨野さん?」
「ねぇタキ君? あたしがあんたをタキ君って呼んでるのに、あんたが嵯峨野さんとかずるくない? ここって仕事の場じゃないよね?」
「ちょっと待って嵯峨野さん。この前はたしか『真由さん』って呼んだら、嵯峨野さん『下の名前で呼ぶな』とか俺に言ってませんでしたっけ?」
う……。そういえばそんなこと言ったような記憶が。
夏コミ会場で、そんなこと言ってましたよね。今思い出しました……。
「あ、あの時と今とでは全然状況が違うでしょ!!」
「何がどう状況が異なるの!?? それ全然理由になってませんよね俺今度こそおかしなこと何も言ってませんよね!??」
あたしは思わず苦笑いするしかなかった。
むしろなんで今日に限って、あたしは『嵯峨野さん』と呼ばれるのが嫌だったのだろう? 本当によくわからない。
……自分のことのはずなんだけど。
「そ、そんなことより、さっきあたしに何か言い掛けてたよね?」
もうやけくそ。改めてこんな自分が嫌になってくる。
「そうそう。ラノベ、というより仕事の話。この前霞ヶ丘先輩から聞いたんだけど、霞ヶ丘先輩の短編集の担当が町田さんじゃなくなるって話、嵯峨野さん聞いてる?」
「あ、ううん。聞いてない。確かに町田さん忙しそうだし、仕方ないこととは思うけど。そしたらあんたがそっちも担当するの?」
町田さん、どんどん出世していくなぁ~。
『純情ヘクトパスカル』もアニメ化されることになったし、数年後には不死川書店の編集長になってもおかしくない気がしてきた。
「いや、ところが霞ヶ丘先輩が『倫理君は当事者だから短編集の担当なんて絶対任せられない!』とか。俺、何かそんな悪いことしてたっけ?」
「あははは。まぁあんたは当事者には間違えないよ。仕方ないね。」
そりゃ短編集のモデル、題材が英梨々であり、霞さんであり、その次の作品は恵ちゃんがモデルだって聞いた気がする。
霞さん視点の恵ちゃんの作品って、初め聞いたときはさすがに恐ろしい感じもしたけれども、ただこれは霞さんのお仕事。そこまで問題作にはならないはず……
……だよね? 霞さんに限って、炎上作品とか書かないよね!?
「だから短編集の次回作からは、担当は北田さんになるって。……って、霞ヶ丘先輩から『そう嵯峨野さんに伝えといて』と言われたんだけど、俺北田さんとか面識ないんだよなぁ〜」
「え。今、誰って……?」
「北田さんだよ。嵯峨野さんは北田さんって知ってる?」
「……………………ふぇ?」
えっと~…………
……ちょっと待って。何故霞さんはそんな伝言ゲームにこいつを巻き込んだんだ!??
あの日、あたしは北田さんと話をしてたとき、あたしたちの周りには誰もいなかったはず……だよね? あんな会話……あたしだって思い出すだけでも恥ずかしい会話だったけど、まるでその内容を知っているかのような……
これは一体どういうこと霞さん!!?
「嵯峨野さん、どうかした?」
「あはははははは…………」
どうもしねーよ!!
……とつっこむわけにもいかず、あたしはただ笑って誤魔化すしかなかった。
校舎の入口の前にたどり着いた瞬間、秋を感じさせる冷たい風が、あたしの全身を叩いた。あたしはその風で吹き飛ばされないように、慌てて帽子とスカートを抑える。
その風が吹き止んだ瞬間、頭上には澄み切った青空が広がっていることに気がついた。
うん、今日から新学期だもんね。
前を向いて歩かなきゃ!!
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